偽名だけど今日から本名
ハイドランド王国の首都、リオン。
通称『世界の中央』。
三大国全ての丁度間なんて最悪の緩衝地帯にあるハイドランドの、更に中央にある事からその様に呼称される。
その場所ではあり得ざる程に平和で、三大国全ての文化の影響を受け、尚且つ独自の文化もある為文化的には非常に洗練されており、それ故に旅行客からの人気も高い。
更に、その特殊な生まれよりリオンは都市としては少し変わった性質を持っている。
リオンは、街の形状が限りなく真円に近かった。
大木の樹齢の様な物と言えばわかりやすいだろう。
まず、始まりの魔王城。
そこからを中心と街が生まれ、広がる様に都市が拡張されていった。
だから、内に行くほど建物は古く、外に行く程新しい。
そして、その建造物は現在のリオンにとって外周と呼ばれる場所に建てられていた。
『王立冒険者養成学園フィラルド』
その手の人達、つまり冒険者絡みからは単に『冒険者学園』か『フィラルド学園』とだけ呼ばれている。
歴史こそ浅いものの、数々の高名なる冒険者を排出してきたという実績がある。
その為この学園は数ある冒険者学園の中で最も人気が高い。
その入学者の中には成功者の後追いによる二匹目のどじょう狙いや青田買い目的といった真っ当でない者も多いが、それでも単純に質の高い生徒と教師が揃っている。
同時に、ここは国政施設ではなく純粋に冒険者の質をより高める事が目的の為、国が主導した施設にも関わらずその門は国籍さえも関係なく開かれている。
だからこそ、世界で最も成功に近い学園であり、そして今日もまた、何時もの様に英雄となる事に焦がれ未来を夢見る雛達が学園の門をくぐる……。
彼女は、この仕事に誇りを持っていた。
地味で退屈な上にトラブルも起きやすくて、誰もやりたがらない嫌われがちな仕事。
だが、それでも……彼女はその仕事に誇りを持ち、やりがいを感じていた。
彼女の名前はウィンスター。
ウィンスター・プロポリム。
見えている部分は完全人型だが、蜂の特徴を持つ昆虫種に属する魔族である。
とは言え、その身体のほとんどが人間体な上に全く戦闘力も持たない為、種族が何とかはあまり関係のない話だが。
彼女、ウィンスターは冒険者学園に在籍する正規事務員の一人である。
その主な業務は新入希望者の願書を受け取りその書類を処理するという物。
作業自体は非常に単純であり、入学希望者から願書を受け取り最低限の情報を名簿に書き写してその場で願書を受理するというだけ。
文字の読み書きさえ出来たら誰でも出来るなんて本当に簡単な単純作業なのだが、この学園は数ある冒険者学園の中で今現在最も人気が高い。
それ故単純かつ簡単な作業であってもその仕事量は尋常じゃなく、数の暴力によって酷い事となっている。
実際、この受付の仕事はとにかく事務員の数が必要為出来るだけ多く受けて貰う様、事務仕事の中でもトップクラスに報酬が高く設定されている。
常にこの仕事をすれば平であっても管理職の倍位の給料となる事もざらだろう。
そんな恵まれた状態であっても尚成り手が足りていない辺りで、仕事の過酷さと面倒さは察せる事が出来た。
なにせ過酷なのはただ書類が暴力的な量だからというだけではない。
可愛い可愛い無知なる雛達の相手だけでもしんどいというのに、その中には害獣やら腐ったミカンやらも混じっているのだから。
わいわいと小学生みたいに騒いでいる雛達が作る列をウィンスターは淡々と処理していく。
時折本当に幼いのもいるが、大体は成人している。
そのはずなのに、やけに幼い印象の人が多いのはきっとそういう風に彼女が見ているからだろう。
だからウィンスターは内心で『がんばれー』とか『この子期待出来そう』とか『あら本当に可愛い。手出したらクビじゃ済まないだろうなぁ』とか色々考えていたが、プロである彼女がそれを顔に出す事はなかった。
「受付完了しました。隣の列にお並び下さい」
ぺこりと頭を下げ、そう言葉にする。
そう……これはあくまで願書を受理しただけでこれで入学という訳ではない。
願書が受理された後で簡単とはいえ正規の試験を受け、そこで合格が出てからその後に『ちゃんと入学金と一定期間分の授業料を前払い出来たら』晴れて正式に学園生となる権利を得る事が出来る。
受付、試験、入学金。
逆に言えばこの三つだけ用意出来れば、誰でも超一流の学園に入る事が出来るという事でもあった。
学園の名前を利用しようとする現役冒険者でも、青田買い狙いの奴でも。
「どけ! おらどけどけカス共が! お前ら雑魚は引っ込んでいればいいんだよ!」
怒鳴り散らしながら列を払いのける大男が一人。
二メートル半ばでかつ全身太すぎるその姿は、異形の血が強いと推測出来る。
トロルの様に思えるが、その狂暴性も鑑みればおそらくオーガ辺りだろう。
オーガ全体で言えばこの手のタイプは少数でむしろ紳士的な者も多いが、世間に出ているオーガにこの手の荒くれ者が多いのもまた事実だった。
とうとう列の全員を払いのけ、大男はウィンスターの前にまでたどり着く。
そしておもむろに、願書を顔面めがけ投げつけて来た。
「早くしな! 俺様を待たせるな!」
ぶつけられても表情一つ変えず、彼女は願書を受理していく。
あからさまな傍若無人で輪を乱したというのに通報する事も追い出す事もなく、まるで何事もなかったかの様に。
はっきり言えば、この程度の事は恒例行事に近い。
長い事受付してきたウィンスターにとっては日常茶飯事でしかなかった。
とは言え、気分が良い物ではない事は確かだが。
――今回は期待出来ないかなぁ。
後ろにいる、大男に払いのけられた彼らにウィンスターは目を向ける。
大男に立ち向かう事もなく、後ろに並び直す勇気もなく、ただその場に座り込み縋る様な目でこちらを見るだけだった。
本来、助けてほしいのは事務員であるこっちの方だというのに、未来の冒険者様は何もしようとしない。
別に彼らが悪い訳ではない。
彼らだって払いのけられた被害者である。
だが、露骨に見下され目の前でルール違反されたというのに、何のアクションも起こさず茫然とする輩は、ちょっと冒険者としては期待出来ない。
力に自信があるのなら、売られた喧嘩を買えば良い。
素手での喧嘩なんてじゃれ合いの様な物で、その程度学園は問題視さえしない。
むしろその結果次第ではちょっとした好印象に立ってなる事もある。
知識に自信があるのなら、相手を説き伏せるなり陥れたら良い。
純粋に誠意をぶつけ相手を改心させても良いし、言いくるめて相手を騙しても良い。
どっちにしても大した物だし、失敗したとしても挑戦する位のガッツは持ってほしい。
正しき心に自信があるのなら、誰かの為に助けを呼べば良かった。
受付の女性を護る為、他の入学者を助ける為に己の無力を受け入れ、先輩冒険者や教師陣に助けを求める。
それはそれで良い冒険者になるだろう。
別に取柄がなくても、自信がなくても良い。
何なら失敗したって良い。
だけど、挑戦できないのは論外である。
この程度で何も出来ない様になる位なら、冒険者になるのは諦めた方が賢明だろう。
最低でも、逃げるなり別の列に並び直す位はすべきだったのだ。
びくびくと震え、嵐が過ぎ去るのを待つ様な奴は、冒険者に向いているとは言えなかった。
とは言え……それでもまだこれよりは可能性があるだろうが……。
「受付完了しました。隣の列にお並び下さい」
「まだ待たせるのか! ふざけるな!」
「規則ですので!」
「俺様だぞ!?」
知らんがな、という言葉を喉で止めた。
「規則ですので」
「……お前、入学したら覚えていろよ!」
威嚇するだけ威嚇して、ドンと台パンして男は素直に移動する。
恰好つけてテーブルを壊そうとしたのだろうが、残念な事に受付となるこの場所は世界樹の材木で作られている。
これを腕力だけで壊したいならもう二百倍位の衝撃は必要だろう。
そして嵐が去ったのを確認してから、雛達は押しのけ合う様に列に並びだす。
俺が先だ、俺が先だと奪い合うそのさまは、さっきの大男の傍若無人が移ったかの様だった。
内心で、ウィンスターは溜息を吐く。
この程度で影響を受ける小物ばかりなら、今月は本当に期待できない。
それでも、あれよりはマシだ。
あの、大男よりは。
ここにいる期待出来ない彼らはなんだかんだ言って努力すれば三流程度の冒険者にはなれるだろう。
それなりに真面目であるからだ。
だけど、あの大男はそれ以前。
これだけは、自信を持って言えた。
『あれは絶対、一月保たない』
良くて退学、最悪処理。
それ以前に入学さえ出来ない可能性だってある。
別に深い理由がある訳ではなく、ただ単に人の話を聞けない冒険者なんてこの世界に必要がないというだけの事に過ぎない。
この学園の教師は皆が現役冒険者や冒険者上がりと言う訳ではなく、中には全く戦闘力を持たない教師もいる。
例えば、娼婦上がり。
そういう教師からの指導を、あの大男が素直に従うだろうか?
いや、答えはわかっている。
単なる受付の事務員にすごむ様な奴が、娼婦上がりの女性を相手にし素直に教えを受ける訳がないなんてのは。
であるならば、どうなるかなんてのはもう言葉にするまでもないだろう。
――本当、もったいない。綺麗な字を書くのに。
投げつけられた大男の願書にもう一度目を向ける。
字の美しさだけなら、悲しい事に本日一番であった。
そうしてずっと増え続ける列をさばき続け二時間程。
その行列のはるか後方にて、落ち込んだ様子で帰っていく数名の雛達をウィンスターは見かける。
毎年恒例の、不合格者の列を。
彼らは試験不合格者ではあるのだが……この受付に近い場所から帰るというの特に酷い場合に該当する。
同じ不合格でも通常の場合だと裏口から見られない様に帰る位の配慮を学園だってしている。
それさえないという事は、日常生活レベルの事が出来ないとか、文書を偽装していたとか、過去にそこそこ重たい犯罪歴があったとか、そういう特殊なケース。
そしてその列の中に、あの大男の姿はなかった。
――処理された可能性が五割、突破した可能性が五割かな。
とは言え、どうでも良い事ではあった。
さっさと忘れ仕事に意識を向けてから数分……喧噪とは違うざわめきを感じ、ウィンスターは意識を再び列の後方に映した。
「ほら、こっち! 急いで!」
遠くの方から、慌てている女性の声が聞こえた。
そうしてしばらくすると、学園正門の方から随分と丸い姿の犬が見えてきた。
おそらく、大型犬の赤ちゃんだろう。
――散歩コースにしては随分と変な場所に来るなぁ。
最初はそう思ったが、すぐにそれは違うと気付く。
なにせその犬は、女性と手を繋ぎ二足で走っていたのだから。
ぽよっぽよっとか、きゅむっきゅむっとか、そんな擬音が似合いそうなゆっくり速度で犬はどんどん近づいて来る。
「もう少しよ! 頑張って!」
女性は横で必死に応援する。
そうして近くまで来て……ウィンスターは余計その生物が何なのかわからなくなった。
金色とか黄金とか、そういう色の毛並みはなんかゴージャス。
ただ、随分と丸い、本当に丸い。
サモエドの赤ちゃんかよって思う位丸いし可愛い。
続いて思ったのは、こんなぬいぐるみ欲しいという気持ち。
多分売れる、というか自分なら買う。
そんな気持ちでいるとどんどん前に来て、そしてとうとう、そのわんころは受付の傍に。
テーブルに隠れ完全にその姿は見えなくなった。
どうやら、願書受付の列に並んでいたらしい。
当然だが、列に並ぶ他の受験者も騒然とした様子でそのわんころを見ていた。
「お姉さんありがとうございました」
テーブルの下でぺこりとでも頭を下げたであろう雰囲気を彼女は感じた。
「良いのよ別に。頑張ってね」
「はい!」
「あ、特に他意はないけどしばらくはこの受付の傍にいるわね。特に他意はないけど。後、何か落ち込む事があったらいつでも慰めるからね。うん。本当に他意はないから」
そう言ってちらちらと見ながら距離を取り、離れてから柱を背もたれにじっとガン見のポーズ。
関係性はいまいち見えないが、独特の関係である事はわかった。
ぴょこぴょこと器用に壁を登って飛び乗り、それはテーブルの上に立った。
近くで見ても、やはり丸い。
そして想像以上にもふもふだった。
その綿あめボディは幾ら払えばもふれますかと聞きたかった。
「願書受付はここで良いんです?」
「……へ?」
「もしかして違う? 冒険者になる為の、学園の願書の……」
はっと我に返り、ウィンスターは首をぶんぶん横に振る。
まさか冒険者になりに来たなんて全く想像してなくて、意識を飛ばしていた。
「こ、こちらで合っていますが……」
「良かった。じゃあ、お願いするんよ」
元気良く、両手でわんこは願書を手渡して来る。
それをウィンスターは何時もの様に受け取って、その名を確認する。
「……えっと、ジーク・クリス様で?」
「はい!」
元気良く、たぶん彼らしき不思議な生物は手を挙げた。
ありがとうございました。