ルートA
『強くなりたい』
例えどの様な生活をしていても、生きている限り一度はそう思うタイミングが出て来る。
力があれば楽が出来る。
力があれば嫌いな奴をぶちのめせる。
力があれば、こんな苦しい思いをしなくても済む。
無力であるが為に後悔する。
この世界でその経験がない者は、きっと数える程もいない。
だが……クリストフの事情はそれらよりも更に切実な物であった。
なにせ彼は生きている間に、一度たりとも己の無力さに嘆いた事はない。
力不足による失敗なんて彼は一度たりとも経験していない。
いやそれどころか、強くなろうと思った事さえ一度もなかった。
後悔する必要はなかった。
力を求める必要さえない。
彼は始まりの時からずっと、ただ当たり前の様に強かった。
むしろ、必死に強くなるまいとしていた位である。
自分が外れているとわかるから、これ以上外れ周りに迷惑をかけない為に……。
だから、嬉しかったのだ。
強くなる事が出来る、強さを求める事が出来る。
『皆と同じ事が出来る』
それは枠から外れていたクリストフにとって、本当に切実なる願いであった。
それにヒルデが気づいたのは、彼が最低限の荷物だけを持ち追放と言う名目にてうきうき顔で魔王城を退去してからだった。
「はぁ……」
「おや、ご機嫌斜めだねぇヒルデちゃん」
ヘルメスに話しかけられた瞬間、ヒルデは目を細めた。
「まだいたのですか」
「んー? もしかしてお邪魔でした? これからデートとか? いやそれはないか」
「……確かにその様な予定はありませんが、断言するのはいささかデリカシーに欠ける発言なのでは? 私はこれでも女性であると自負しておりますが?」
「いやいや、ヒルデちゃんはちょー魅力的だよぉ。俺だってクラクラする位にさ。だから何時もデートに誘ってるじゃん」
いまいち本気さの見えない口説き言葉は、どうやら嫌がらせではなくアプローチのつもりだったらしい。
ヒルデは鼻で笑った。
「戯言は結構です」
「本気だってー。信じて貰えなくて悲しいなぁ。まあそうじゃなくて、デートじゃないって断言したのは簡単な理由だよ」
「お聞かせ下さいますか?」
「だって、ヒルデちゃんがデートしたい相手って大将位じゃん」
ヒルデは無言だった。
無言で、ヘルメスを睨みつけた。
「おーこわ」
「それで、我が王の目指すべき道を聞きだす事は叶いましたか?」
「んー? まあ、聞けたけどさぁ」
「歯切れの悪い言い方ですね。何か問題が?」
「いんにゃ。その逆。予定通りのルートA」
「予定通りなら良かったではないですか。準備が無駄にならずに済みます」
「……あいつにゃ同情するわ」
いつも貧乏くじを引いている先輩四天王の事を考え、ヘルメスは苦笑した。
「では、協力者の方々に連絡を入れさっそく明日より行動を開始――」
ヘルメスが人差し指を自分の口元に持って来る仕草を見て、ヒルデは口を噤む。
その直後に、控えめなノックの音が響いた。
「どう――」
ヒルデが返事を言い終わるよりも前に、扉が開かれ男が中に入って来た。
将校の軍服を身に纏うその男に、彼らは見覚えがあった。
立場で言えば作戦司令参謀補佐。
流石に四天王や側近程ではないが、ハイドランド王国内ではそれなりに高い地位に居る人物である。
目的は――大体予想は付く。
この手の輩が大勢いるからこそ、彼らはこの様な余計な苦労を背負っているのだから。
「失礼します。……あの、この部屋って一体何なのですか?」
男は首を傾げながら尋ねた。
まあ、そうなるだろう。
四天王四位と魔王代行が二人っきりで、何もない部屋にいるのだから不思議に思わない訳がない。
そう、男が来た時には、この部屋は何もないただの空き部屋となっていた。
クリストフの入っていたポッドも、その周りの機械も全て……痕跡一つ残らず消え去っていた。
「何でもありませんよ」
ヒルデが冷たく言い放つのを危機、男は理解する。
いや、理解というよりも、勘違いを。
「あっ! し、失礼しました!」
男が自分とヘルメスを見比べ、下種な勘繰りをしたと理解する。
無礼で、下種で、最悪な勘繰りを。
だからヒルデは男に向ける殺意を高まらせ――。
「ヒルデちゃんストップ。明日まで待たないと……明日まで……」
男に聞こえない様に、ヘルメスは繰り返す呟いた。
ヒルデはそっと、怒りを己の内に納めた。
「……それで、貴方は何の用事でこちらに来たのですか?」
「はっ! いえ、用事はヒルデ様ではなくヘルメス様の方です!」
男はそう言って、ヘルメスに紙袋を手渡した。
「何? プレゼント? 男からのもらい物なんてあんま嬉しくないけどなぁ。まあ貰うけ……」
にやけ面でそれを見て、ヘルメスは静かにげんなりとした表情を浮かべた。
渡された物は、書類。
それは、四天王ヘルメスが次期魔王となる事への支持表明の名簿であった。
「我が派閥全員と、我々と志を同じくする同士達の魂です。どうかお受け取り下さい」
重い言葉とは裏腹に下卑た軽薄な笑み。
男はそんな表情を隠そうともせず、深々と頭を下げる。
見てなくても、二人は理解出来た。
この男が下げた頭の下で、自分達を馬鹿にする様な笑みを浮かべている事が……。
「まあまあまあまあ! 随分と動きが早いねぇ。よほど君の耳は良いらしい」
曖昧な笑みを浮かべながら、伝わるかどうかギリギリの嫌味を混ぜ、ヘルメスはそう口にする。
いつもはやらかす側なのに、やらかされて困っている。
その様子がどこか面白くて、ヒルデはつい笑ってしまいそうになった。
「ははっ! ありがとうございます! この現状きっとヘルメス様は憂いていると愚考しまして、多少先んじてしまいましたがすぐに動かなければと我が忠誠心が……」
まるで酔っている様に、男は饒舌に口を開き酔いそうな妄言を口にする。
要するにこの男は、ヒルデの立てた計画を事前に察知していたのだ。
計画の建前、表側だけだが。
表側の理由は『新たな王を近日中に決める事』となっている。
それを知ったからこの男は先んじて動き、最も可能性が低く同時に野心の強い男に……つまり自分の価値を最大限高められる相手としてヘルメスに声をかけた。
もっと言えばヘルメスに対し『お前を俺の力で勝たせてやるから、俺に美味い汁吸わせろ』とすり寄ってきたのだ。
とは言え、ヘルメスにとってはありがた迷惑十割の行動でしかない。
確かに、ヘルメスは裏切りが許される反骨反乱トラブルメイカーと称される四天王である。
人前で魔王を馬鹿にするし陰口も叩く。
仕事は不真面目でサボり、それに部下さえも突き合わせる程。
最も魔王に逆らっていると言っても良いだろう。
だが、魔王になりたいなんて欠片も思わない。
もっと言えば、黄金の魔王を知っていればあれの後釜に尽きたいと思う奴なんている訳がない。
後釜になれる程の力を持った存在さえこの世界には存在しないのだから。
つまり……この男は、黄金の魔王の理不尽さを理解していないのだ。
「あー。えっとさ、君の歳は幾つか聞いても良い?」
「はっ! 齢八十の若輩者であります!」
「へぇ。思ったよりも上だね」
「鍛えてますから」
男は自慢げにそう語る。
この中で一番若いのは確かだが、八十で現役というのは相当以上に優秀な証明であった。
人間と異なり、魔族は身体能力が高まれば自然と寿命も延びる。
強くなればなるほど寿命は延びると言っても良い。
だから、八十で引退もせず若い外見と能力を保ちながら、肉体を鍛える方面ではなく裏方、軍の参謀補佐が出来るというのは相当の上澄み側と言えるだろう。
「ありがとう。君達の気持ちは受け取ったよ」
やっと調子を取り戻し、何時も通り胡散臭い笑顔を浮かべ、ヘルメスは安請け合いをしてサムズアップを見せる。
やる気が欠片も見えないが、付き合いの長いヒルデはともかく男はそれに気付いていなかった。
「はっ! 是非とも我らは貴方様が天に立つ事をお待ちしております! そう、我らがハイドランド王国での、偽りの魔王を終らせるべきで――」
「――なんだって?」
男はさも自慢げに、うんうんと頷いた。
「わかっておりますとも。……時代がそうさせたのですよね。我らは大国三つに囲まれた、というよりも緩衝地帯の様な場所にある。囲まれ攻められたらすり潰される。だから……必要だったのですね。絶対の防壁が、国を守る守護者が。つまり名前だけでも、最強の魔王が。過去の方がどの様な献策を持ってその様な荒唐無稽を作り上げ、そして成功させたのか……全くもって頭が上がりません……」
「あんた……八十なら知ってるだろ? 黄金の魔王はかつて実際に……」
「皆まで言わずともわかります! そういう風になっているんですよね! 四天王とヒルダ様が協力して、架空の存在を作り上げたと! ハリボテで、実際働いたのは皆様。そもそも、幾らなんでも盛り過ぎですよ。そんな気が狂った化物存在する訳がない」
笑いながら、男は禁忌を口にする。
空気が、一気に冷え込んだ。
だけど、男は気付かない。
「ヒルデちゃん。ストップ。ストップ……」
冷静に、我に返らせる為にヘルメスは懇願する様声を出す。
そうしなければ、男は今頃この世界から存在が消えていた。
彼女、ヒルデ・ノイマンは魔王の側近。
魔王が行うべき全ての業務を行う実質的な王。
それだけの事を無表情でこなす程度に、己の全てを魔王の代わりとして捧げる位に、彼女は魔王の忠実なる僕。
ヒルデは魔王の為だけに存在するという自負を持っている。
男が魔王という存在だけでなく、彼女の存在定義も同様に否定していた。
「すいません。私らしくもない事をするところでした。謝罪と、感謝を」
相当頑張って止めてくれたヘルメスに、ヒルダは深々と頭を下げた。
彼らの言葉と行動の意味が何もわからず、男は首を傾げる。
だけど気にもせず、更に言葉を続けた。
それが地雷の上でタップダンスをする行為であるとなんて考えもせずに……。
「そう、いる訳がないのですよ。何が黄金の魔王だ。何が完全だ、究極だ。小学生だってもう少しマシな創作物にしますよ! ヘルメス様もそう思いません?」
男の言葉に肯定も否定も見せず、ただ笑顔を浮かべるだけ。
やけに作り物っぽい満面の笑みだが、男はそれを同意として受け取り更に言葉を続けた。
「そもそも、二百年前の戦いったってもう作り話っぽくてしょうがないです。最強の勇者とその仲間を相手に一人で無双した? 馬鹿馬鹿しいにも程がある。全く……とは言え。全てが嘘という訳でもないですが」
「ふむ? 君は黄金の魔王を信じてないみたいだけど……どういう?」
男は待ってましたとばかりにドヤ顔を浮かべた。
「――貴方ですよ。……そう、偽物の、偽りの、下らない紛い物ではない。次の王である貴方こそが、真なる黄金の魔王なのです。ヘルメス様」
にちゃあとした笑顔で、男はそう言葉にする。
決まったとでも内心で思っていたのだろう。
それが……我慢の限界だった。
ぱんっと、水風船が弾けた様な音が一つ。
そして首無し死体が一つと、困った顔の男女が一組その場に取り残された。
しばらくの沈黙の後、ヒルデは苦笑した。
「……明日でないと不味いんじゃなかったですか?」
綺麗な程赤に染まるヘルメスの右腕を見ながら、ヒルダは嫌味っぽく尋ねた。
「いやーつい我慢出来なくて……どうしよう……」
それは、何時ものふざけや演技ではなく本当に困った顔であった。
確かに、ヒルデは忠臣であり誰よりも己が魔王を敬愛していると思っている。
だけど、ヘルメスが魔王を軽視していたなんて訳ではない。
ヘルメスだけでない。
四天王全員が正しく、魔王の心からの僕。
裏切りを認められたトリックスター。
その役割を与えられたヘルメスでさえ、魔王への崇拝を忘れた日はない。
いや、むしろ裏切者でしかない自分を心から受け止めて貰っているのだから、その心に忠義がない訳がなかった。
その敬愛すべき主を侮辱され、あまつさえお前が本物の王だなんて言われてしまって……とうとうヘルメスの我慢もぷつっと切れた。
「……貸し一つですよ」
ヒルデが呟いた瞬間、死体が消失する。
そこにあったというだけではなく、部屋中の血さえも完全に。
当然だが、貸しはこの処理の事ではない。
あの男が明日処刑されたという記録を捏造するのは、ヒルデの能力と立場であっても面倒な事であった。
「……デート一回じゃ駄目かな?」
「貸しが増えるだけですね」
「ちぇー。……まあ、お願いするよ。うん。今日は本当に不味かったからね」
そう、始めるのは明日でなければならない。
でなければ計画が破綻する。
表向きは、次なる王の選定。
だが裏向きは違う。
その本当の計画は『粛清』。
再び主が玉座に、何の障害もなく戻れる様にする為に……。
少なくとも、ヒルデと四天王で作った計画は、その様な物であった。
ありがとうございました。