スキルレベルについて
その部屋は、少しばかり特殊な形をしていた。
形状自体は良くある教室のそれに近い。
板張りの木造建築で多数の生徒の席があって教壇があって。
ただし、教室の中に椅子や机のない広いスペースが幾つかあり、その中央には傷だらけの木偶人形がおかれていた。
少しばかり風変りな教室はこれから何を行うのか非常にわかりやすく、生徒達は期待と興奮胸を膨らませる。
この授業は『剣術講義』初級第一回。
更に言えば、この授業は『全ての近接武器の最初の一歩』でもある為、ここにいる生徒の大半は本当の意味での新入生、冒険者としての経験のない者達ばかりであった。
スキルシステム。
近代取り入れられた戦闘技能習熟法でありトレーニング方法。
その特徴は横に広げる事の強みであるが故に、オーソドックスかつ最も人気が高く、実際に使用者の多い剣が始まりに選ばれやすい。
剣から始め、幾つかの武器を渡り歩き、己の趣味、思考、用途、役割に適した武器種を見出す。
それが出来る事もまたスキルシステムの明確なメリットであった。
そんな教室に、明らかにノイズとなる者達が入って来る。
一人は若い女性。
女性である事自体はそう珍しい事ではない。
この授業の中でも三割程は女性の外見をしている。
問題は女性である事ではなく、彼女の身分の方。
彼女を見て誰かが『勇者』と呟いてから、ざわざわと喧噪は強くなった。
勇者候補生。
冒険者にとってそれは成功者の別の名。
更に言うならば、そういう決まりがある訳ではないのだが、不思議と勇者候補生は皆優れた剣士である。
故に、本来ならば彼女はこの講義に来る必要がない。
そしてもう一人、彼女と共に現れた人(?)。
身長は彼女の半分位。
全体的に金色で何やらふわっふわとした毛並み。
全体のフォルムは限りなく縦長の球体に近く、手足はまるでコッペパン。
おおよそ冒険者らしくないというかここまでくると魔族らしくもない。
そして当然人間にも見えない。
これが人間に見える様なら眼科に受診するべきだろう。
それは、限りなくぬいぐるみに近かった。
自立歩行ぬいぐるみという特大のインパクトは勇者候補生という特上の憧れよりも強い印象を彼らに与えていた。
『こいつ、どうやって剣を持つんだ?』
誰もがそう思ったが、それを口に出さない程度にはこの教室にはモラルがあった。
席に座った後、やたらとざわつくなと、リュエルは不快感を顕わにする。
自分が物珍しさで見世物になるのは良い。
昔からよくちやほやされていたし、勇者なんてのはそういう役割だとわかっている。
だけど、クリスきゅんが見世物になっているのは許しがたい。
彼は真っ当に授業を受けようとしているだけの、ただの可愛いいや世界一可愛いのぬいぐるみ系ふわもこ魔族なのだから……。
「リュエルちゃん大丈夫? しんどくない?」
逆に心配してくるクリスきゅんの声に、思わず溶けそうになる。
今すぐ抱きしめて膝の上に置き後頭部とかうなじあたりをずっと嗅ぎ続けたい。
そうすればきっと世界は天国色となり平和な千年王国が築かれる。
だけどそうもいかず、いつもの様に無表情のままリュエルは小さく頷く。
「うん、平気」
端的に、最低限以下の必要事項だけを。
リュエルは自分が会話が苦手である事を理解している。
そして、今までそうであった事を後悔した事はなかった。
悔しいと思える様になったのは彼に会ってから。
どうして自分は気の利いた事の一言も言えないのかと、リュエルは内心で小さく溜息を吐いてから、腕につけられたそれを見た。
鈍い銀色に輝く小さな腕輪を。
授業前に学園長室に行った時渡された、こんな小さな腕輪をつけるだけで勇者の力はいともたやすくかき消された。
ついでに勇者の力と密接的に関係にある『白の権能』も。
ただの弱体化ではなく勇者であるという事実の力のみがピンポイントに消えたという事になる。
その為今の自分は、ちょっと他の人よりも剣術が得意なだけの女の子。
こんな、単なるちっぽけな腕輪が自分のこれまでを全て否定した。
組織が作り出した全てを、勇者という築き上げた物を、全て。
自分なんてのはその程度の存在でしかなかったのだ。
「やっぱり辛い?」
腕輪を見るリュエルに対し心配そうにクリスは尋ねた。
リュエルは静かに、首を横に振る。
「別に、そんな事ない。その程度だったんだなって思っただけ」
そう……その程度の事でしかにないのだ。
勇者候補生とか、勇者とか皆が仰々しく言っていた事が。
特別な力とか言われて自分みたいなクローンが作られたというのに、それは魔族にとって腕輪一つで封じられる程度の物でしかなかった。
なんとまあ滑稽な事だろうか。
組織の集大成なんてよばれた自分は、こんな腕輪一つに劣る『その程度』に過ぎなかったのだ。
……まあ、勇者である事を気にした事など一度もなかったが。
要するに、こういう事だ。
役割なんてちっぽけな物ではなく、もっと大きな物の為に生きるべき。
つまり……愛である。
これまで以上に愛に生きる事が正しき正道人の道。
というかそういう事に彼女自身が決めた。
愛を愛で育み、愛に生きる。
それこそが己の真ある存在理由だと――。
「私、頑張るから」
無表情のまま淡々と、だけどぐっと握りこぶしを作ったのを見て、クリスは彼女の覚悟を理解し微笑んで頷いた。
ちょっとクリスの想像と違う『頑張る』だけど。
教室の戸が開かれ、入って来たのはこれまた若い女性だった。
リュエルの様な十代後半の様な外見どころか、その背丈や顔立ちは十代前半にさえ見える。
随分と若い生徒だなと周りが思っていると、彼女はそのまま教壇の前に。
そして……。
「はぁ……。とりあえず、外見で判断してる様では長生き出来ぬぞ。ひよっこ共が」
外見相応の可愛らしい声で年寄り臭い説教をした後、溜息を吐いて彼女は持っていた『刀で』手前にある木偶人形を一刀両断してみせた。
その刀は鞘から出す事もなく、鞘のままだった。
斬れないはずの抜かずの刀で、音さえ消えた斬撃を。
そこまでされて、尚彼女を見る目が変わらない奴は冒険者を目指してはいないだろう。
いや……一つだけ、最初から彼女を見る目が変わっていない瞳があった。
「クリス君は、最初から先生として見てたね。どうして?」
リュエルはそう、不思議そうに尋ねた。
あの時では、クリスだけだった。
彼女が入って来て言葉を止め、授業が始まるのを待っていたのは。
「色々あるけど、背筋が凄い綺麗だったの」
「姿勢が良いと、何か関係あるの?」
「あそこまで綺麗な姿勢は普通の人には出来ないかなー。あの領域まで行く剣士って、剣聖とか剣豪とかそう言われる部類と思う。わかりやすく言えばボディビルダーみたいなすっごい筋肉をあの体にきゅっと圧縮した状態」
「ふぅん。凄い人なんだ」
「うん。とっても強い人だね。今時中々いない美しい強さを持つ人」
クリスは嬉しそうにそう言葉にする。
スキルシステムの弊害というか、冒険者制度そのものの所為か。
強さは手段でありその手段も一つではなく複数を持つという器用な冒険者が増えた。
それ自体は決して悪い事ではなく、むしろスキルシステムによって冒険者の実力は跳ね上がり死亡数は格段に低下した。
ただ……その反面弊害もあり、一点突破型の冒険者は非常に少なくなった。
強さが手段ではなく目的である求道者型の冒険者は今やほとんど見ない。
わかりやすく言えば……冒険者全体が賢くなって馬鹿がいなくなってしまったのだ。
そしてそういう意味で言うならば、目の前の小さな少女は紛れもなく、剣術馬鹿だった。
ただそれ一つに、十年や二十年程度では済まないだけの時間を費やした、紛れもない本物の、どうしようもない大馬鹿であった。
「そこの小さな獣。褒めてくれるのはありがたいが授業に集中せよ」
先生はクリスの方をしっかり見ながらそう注意を出した。
「この距離の内緒話が聞こえたの?」
リュエルは目を丸くする。
「すまんが、こう見えて地獄耳でな」
そう言って、先生は笑ってみせた。
「あての名前はケイト・オーウェル。見合わぬ名だが、慣れよとしか言えぬ。あて自身なかなか慣れぬがな」
そう言ってケイトは自嘲する様言葉にした。
「まあ、剣術しか教えられん不器用極まりない臨時講師と覚えておけばそれで良い。それで……とりあえずは、良くぞこの講義を選んだと褒めておこう。汝らは今この瞬間で大勢の同期を出し抜いたと言えるだろうとも」
ケイトは満足そうに、生徒達皆を褒め称えた。
この学園は事前にカリキュラムを取る事も授業を予約する事もなく、強制的に受けさせられる授業もほとんどない。
開かれている授業に早い物勝ちで行くというスタイルとなっている。
それは生徒の自主性を信じてなんて真っ当な理由ではなく、単に振るいにかける為である。
「冒険者という生き様は難儀な物でな、時に依頼に騙される事もある。時に仲間に裏切られる事もある。ではどうすれば良いか? 答えは簡単、事前に調べれば良い。そして汝らは正解に辿り着いた。偶然か、調べてか、それともコネかは知らんがの。ああ、そうそう。ここ以外にも正解の部屋はあるから汝らだけが正解という訳ではないぞ」
そう言って、ケイトは笑う。
剣術入門の第一回講義だけでもここ以外で後四か所程で開かれていた。
最初の授業として最も適した物、それはスキルシステムの説明がある授業となる。
そのスキルシステムを説明する授業は剣、魔法、軍略の三種類。
その上で全ての近接に広げられる剣術の初回が、一般的な冒険者の最適解であると言っても良いだろう。
「さっそくだが時間がないからさくさく行くぞ。スキルシステムとは何ぞや。簡単に言えば『近代冒険者育成法並びに評価法』となる。ぶっちゃけると覚えた技能の段階をレベルで表記する。ただそれだけじゃんな、ぶっちゃけ」
例えば、剣術レベル一とか、槍術レベル二とか。
特定の技能がどの位出来るか一目で判断出来るのは自分にとってもだが雇う側から見ても非常に助かるシステムである。
つまるところ、技能を相対的ではなく絶対的な目線管理する事がスキルシステムの基礎である。
「んで、これを聞いて今『なんかゲームみたいだな』って思った奴。もし入ればそれは絶対に口に出すな。何があってもだ」
クリスはびくっと体を震わせた。
「どうしてかって言えば単純な話でな、それが『金持ち自慢』となるからじゃ。アーティファクトじゃないととは言え、魔動力式電脳遊戯なんて高級品遊べる奴はそうおらん。特に、冒険者学園に入る様な奴はな。という訳でAクラスにそこそこいる金持ち様並びにその他の極少数の例外。自分の家が金持ちだと言って特をする事はないから黙っておけ」
しー、と口元に手を持ってきてケイトはそう言葉にした。
「じゃが、その発想自体は間違っておらん。ゲームとやらは、あてはした事ないけど一目でその能力が把握出来るじゃろ? その冒険者の能力を『一目で把握出来る』という事を目的として作られたのがスキルシステムじゃ。まあ、それだけではないがの」
スキルシステムは相対ではなく絶対的な評価となる。
特定の条件を満たせばスキルとして認められ、そして能力の向上により徐々に上がっていく。
資格や階級制度に近い。
同じ位の身体能力があって、同じレベルの剣術技能を持っていれば剣戟の音が鳴り響き、どっちも押しきれずに互いに苦しみ硬直状態に陥る。
反面、身体能力に大きな隔たりがあっても剣術レベルが一つ違えばレベルが上の方が勝つ。
その位、スキルレベルの差という物は絶対的な差となる。
「と言っても、レベル自体はかなり大まかな物であるがな。同じ剣術レベル『1』でもなり立てと限りなく『2』に近い状態だとその力量は倍程違う。それでもまあ、同レベルの内なら普通に勝負になるじゃろう。逆に、レベルが違う相手と戦うなら敗北必至でジャイアントキリングする位の気概を持て。という訳でここからは実践編となる。全員これを取りに来い。一人一個ずつな」
がちゃがちゃと金属音のする大きな箱を取り出し、ケイトはそれを雛段の上に置いた。
おずおずとしていた生徒達も少しずつ動き、全員が教壇の方に集まりだした。
「私取って来るね。待ってて」
そう言ってクリスはリュエルが止める前にすーっと前の方に行き、人々の隙間を縫う様にすりぬけすいーっと戻って来た。
「はいどうぞ」
「ありがとう。でも私が行っても良かったんだよ?」
「レディに男と密着するなんて事して欲しくなかったからね」
「紳士的なのね」
「たまにはね」
そう言ってクリスはくすりと笑った。
尚リュエルは内心では女性扱いにただひたすら興奮し、これでもかと心の中で雄たけびをあげていた。
「……これ、腕輪だよね?」
クリスが持って来た物を見て、リュエルはそう尋ねる。
クリスは少し首を傾げながらも頷いた。
「たぶん……」
「そう……二個目か。少し変なファッションみたい」
勇者の力を抑制する腕輪を見た後、その隣にかちりとはめる。
対してクリスは、とても困っていた。
腕輪は何等かの魔術的要素があり多少のサイズは調整してくれるが、クリスはその多少から完全に外れていた。
ふわもこな毛は邪魔ではめてもゆるゆるで腕からすり抜けて。
二の腕なら何とかつけられるけれど、正直邪魔。
という訳でクリスはこれで良いのかなと不安げな気持ちのまま足首当たりに腕輪をはめた。
「さて……大多数が反応ないと思うがどうだ? 何か変化あったか?」
ケイトの発言に合わせ、全員が腕輪に注目する。
変わらない、変わった気がする、きっとこれだ。
そんな声が彼らの間で広がる。
少なくとも、大多数である教室内の百人近くに変化は見られなかった。
クリスもまた、特に変化はない。
「リュエルはどう?」
そう言って尋ねてみると……。
「これ」
そう言って、リュエルはその部分を指差す。
そこには数字で『3』と書かれていた。
当然、先程まではなかった。
五分程してから、ケイトは答え合わせを始めた。
「数字が出た奴は、その部分が剣術レベルだ。出なかった奴は技能そのものがないと判断された状態って事だな。という訳で今日の講義内容は数字の『0』つまり『剣術レベルゼロ』を目指せだ。レベルゼロなら頑張ればまあ、いけるやつはいけるだろうさ。好きにやっとう振り回せよ若人よ。既に数字が出てる奴は指導側に周りながら、どうすれば剣術の技能がレベルとして認められるのか考えよ。それも修行じゃ」
ケイトはそれだけ言って、後は知らんとばかりに教室の隅に年寄り臭く座った。
「私はクリス君を見る」
少し大きめの声でリュエルがそう断言するのは、これまでの勇者候補生としての経験から。
こういう状況では何時だって、その名前が頼られ来た。
いや、頼られていたというよりは利用されたという方が正しいだろう。
『お前は凄いんだから俺達に教える義務がある』
そんな風にただ義務を押し付けられていたのだと、今なら思う事が出来た。
そしてそんなのまっぴらごめんだから、早々にそう宣言し、面倒を見たいクリスだけに意識を向けた。
「パーティーだしね。じゃあリュエルせんせ、お願いしーます」
「……う、うん。頑張ろう」
ちょっと不安げな表情のまま、ぐっと手を握り応援するリュエル。
その内心で、いけない女教師となる自分を想像する事を必死に抑制していた。
そうして訓練が開始してから数分もしない内に、教室内では木偶人形の奪い合いが始まった。
まあ、考えてみたらそうなるだろう。
この教室内で剣術レベル未習熟らしき生徒は百人位。
指導側に回る習熟済はリュエルを除けば五人にも満たない数で、そして木偶人形は三、四十体。
半数以上の生徒があぶれるという状況なのだから、奪い合いにならない訳がなかった。
そんな中でも、クリスは部屋の隅でただ素振りをしていた。
いつもの様にプラスチックの玩具剣を持ち、腕に包帯ぐるぐる巻きにしてぶんぶんと。
木偶人形の争いに負けた訳でもなければリュエルに何かを尋ねたという事もない。
時間がもったいないとばかりに迷わず素振りを始めたというその様子は、まるでそれこそが最適解であると知っているかの様だった。
「何か、する事ある?」
おずおずとリュエルは尋ねてみるものの。
「ううん。今は大丈夫」
そう、クリスは答える。
遠慮とかではなく、不要。
それがわかる程、クリスは嬉しそうに剣を振っていた。
「鍛える事が好きなの?」
「努力する事が好きなの。努力する人を見る事も」
「そう。ところで話は変わるし大した事じゃないんだけど、私も隣で素振りして良い?」
当然、話は変わってないし努力する人が好きだというのなら努力するところを見せて気を引こうとしているだけである。
「もちろん。パーティーメンバーと一緒の訓練を断る訳がないじゃない」
「そう。じゃあこれからも定期的に訓練をしよう。その為に訓練について一緒に学ぶのも良いと思う」
「そだね。じゃあ近い内に図書館に行ったり先生に聞いたりしてみよう」
「賛成」
そう答え、リュエルも素振りを開始する。
クリスのへなちょこと違い、それは見惚れる程に美しく、そして鋭い物だった。
「へぇ。良いじゃないか」
遠巻きに、泣き言を言いに来る生徒を雑に手で追い払いながらケイトはその様子を見て、ぽつりと呟く。
ただし、それはリュエルの方を見ながらではなくクリスの方を見ながらだが。
彼女は刀を魂と呼び、その魂を磨く為に生きている。
純粋な剣豪であり、同時に今の時代には必要なくなった置き土産でもある。
そんな剣術馬鹿であるケイトだからこそ、クリスの真っ当ではない部分、人としての異常さに真っ先に気が付いた。
常人ならば頭がおかしいとしか言えないその狂気さえも、好ましい物と受け入れる。
いつかクリスが邪の道に堕ち、人斬りと化しても、その狂刃が己の首を裂こうとも、ケイトにとっては好ましい事である。
その程度には、ケイトは剣に狂っていた。
周囲の喧噪と叫び声、それと時折頼りに来る生徒を無視しながら、ぶん、ぶんと小気味よく流れる音に耳を傾けるリュエル。
人生で初めての事だった。
楽しいと思えるトレーニングなんてのは。
組織に命じられ、言われるがまま与えられたタスクを熟すだけ。
あの虚無とはまるで違う。
誰かと一緒に居る事がこんな幸せなのかとリュエルは人生における春を満喫していた。
とは言え……ただ楽しむだけでは駄目だとリュエルはわかっている。
リュエルはこんな甘っちょろいデートで満足するつもりはなかった。
この胸に流れるマグマの様な情熱と烈愛はその程度で満足など出来るはずがない。
最終目標は当然、ゴールイン。
最低でも子供は二人は欲しいし、彼似だったらその倍は欲しい。
故に、良い所を魅せないといけない。
ここでクリスキュンの為になるアドバイスを一発で出せたら。
『凄い! さすがリュエルちゃん! 抱いて!』
という流れになるはずだ、なって欲しい、いや絶対になるならない方がおかしい。
そんなこんなで何か出来る事がないかと、人生にて培ってきた経験全てを総動員し、リュエルは集中状態となる。
勇者の力がなくなったからこそ、自分の技量のみに集中し心に静寂を宿す事が出来ていた。
世界の音がよりクリアに聞こえる。
透き通った水の世界に入った様に、全ての雑音が消え見たい物だけが鮮明に見える。
そして、一つの視線に気が付いた。
ケイトと呼ばれる女教師の視線。
その視線は間違いなく、クリスきゅんに注がれていた。
一瞬、リュエルの中の獣が牙を向きかけた。
これはワタシのエモノだ!
貴様には絶対に譲らんぞ!
だが、すぐ冷静になる。
ケイトが見ているのはクリスきゅんそのものではなくその剣。
しかも侮蔑的な瞳ではなく、不思議な事にポジティブよりの感情が見えていた。
玩具のプラスチックを振るだけのそれに、教師が褒めるなんておかしい。
いや……これも少し違う。
確かに彼の剣に意識を向けているが、もっと違う物をケイトは見ている。
剣そのものではなく、剣という技術?
剣に関する事だけど剣そのものではない。
素振りの姿勢とかそういう物ではなく、もっと全体的な空気を見ている様だった。
強いて言えば……呼吸を……。
はっと、リュエルは我に帰る。
もしかしたらと思って、クリスに声をかけた。
「クリス君。少し良い?」
「なんだいリュエルちゃん」
「ちょっとだけ会話につきって欲しい」
「別に良いよ。何何?」
「えと……実はこれ訓練に関係ない事で邪魔しているって言ったら怒る?」
「怒らないよ。何か理由があるんだよね? 何もなくて嫌がらせとかならちょっと悲しいけど」
「うん。……ちょっとした実験みたいな物。クリス君。もしかして自分が目指すべき先とか、どういう事をすれば強くなるとか、実は見えてる?」
「ううん。全く見えてないんよ。上澄みの世界だったら、知ってるけど」
そう言って、クリスはリュエルを見て微笑んだ。
そうして……確認を終える。
ケイトと同じく、リュエルもまたその事象を確認した。
剣豪であるケイトが感嘆を覚えたその事象を。
クリスの素振りは文句なしのへなちょこで褒める点は何一つ見つからない。
「たー」とか「やー」とか叫びながらでも、そうでなくても何も。
その事実は変わらない。
だけど、彼の剣は恐ろしい程精密に時を刻んでいた。
簡単に言えば『寸分変わらない』。
通常時は当然気合を入れて叫んでも、リュエルがどれだけ声をかけても一切斬撃に影響を及ぼしていない。
その意識がどこに向こうと、どれほど注意がそれようとも、彼はメトロノームかの如く精密に、コンマのズレもなく同じリズムで剣を振り続けていた。
つまり……『構える、振る、振り終わる、振り上げる』という一連の動作を完璧なまでに自分の意思でコントロールしているという事であった。
本来人が無意識に動かす部分までも。
そんな、人が出来る訳がない事を当たり前の様に。
だからだろう。
相変わらずその剣はヘッポコなままなのにぶんぶんとちゃんと剣を振り抜ける様になっていて、そして足に付けられた腕輪には『0』という数字が見えていた。
くっくっと楽し気に笑うケイトとは異なり、リュエルはどこか寒さにも近い恐怖に似た感情を、その剣に覚えた。
そんなミステリアスな恐怖を含むところも素敵なんて頭の悪い事も同時に思ったが。
「残り時間二十分で大体半数か。悪くはない。ないが……まあ良い。これ以上は贅沢か。あてにしちゃ良くやったと思おう。手は止めなくて良い! 耳だけ傾けよ!」
ケイトは叫び、再び説明を始める。
木を叩く剣の音と叫び声で煩い教室なのに、その声はどの音よりも大きく響いていた。
スキルの始まりは『1』ではなく『0』。
これは当然未熟という意味ではあるが、全く出来ないよりは大きな進歩と言える。
意識して剣を振り、ちゃんと斬撃が出せたら誰でも剣術スキルレベル『0』にはなれる。
だからそう難しい事ではない。
逆に言えば、レベル『0』でさえなかったという事は、今までしていたのは剣術ではなく棒を振り回しているだけという事となる。
「それで、『0』は簡単だが『1』はそうではない。出来る奴は『0』飛ばしで『1』となる事もまああり得るが……そうでないなら……まあ、今の子なら一週間位は集中して鍛えないと『1』つまり剣術入門は果たせないだろうな」
剣術レベルはただ剣の振り方だけでなくその他の総合能力を踏まえ認定される。
つまり、全てを覆せる程のとんでもない怪力の持ち主だったなら例えレベル『0』の技量であっても剣術レベルは『1』判定となる。
その逆もまたしかり。
どれだけ技術があっても力がなければレベル『1』にはならない。
「だけどまあ、剣でなくとも良い。スキルレベルの感覚は掴めただろう? ならば、汝らの当面の目標はメインで使う武器のレベルを『1』にする事じゃ。そして最終的には『3』を目指すと良い」
ケイトの発言を聞いて、どこかの生徒は尋ねた。
「つまりレベル『3』となれば学園卒業しても良い位の実力という事ですか?」
その言葉を聞いて、ケイトは鼻で笑った。
「はっ! スキルレベル『3』ないと卒業出来ない学園なんて存在せんわ! 汝ら、今活躍している冒険者を想像してみい。その大半はメイン技能のスキルレベルは『3』じゃ。つまり『3』というのは卒業とか一人前とかじゃなく『一流』の証明という事だ。本当の意味で、最終的な目標が『3』だ」
そう……スキルは『3』あればもう頂点の世界に等しい。
逆に『4』は英雄クラス で『5』もあればもう化物である。
「一流だって。リュエルちゃんは凄いね」
ぶんぶん素振りを続けながらクリスは呟く。
隣で、少し真面目に剣を振っていたリュエルは苦笑した。
「凄くないよ。私はこれしか出来ないんだから」
それは謙遜ではなく本心だった。
先程、試しにクリスと同じ事をしようとして、同じリズムで剣を振ってみた。
だけど、全然出来なかった。
振るだけの動作ならば容易い。
テンポよく剣を振るだけなら本当に容易く出来る。
だが、クリスの剣はそうではなく、全ての動きを制御出来ているから結果的にリズムが均一になっているだけ。
原因と結果が逆なのだ。
一つ一つの無意識なる動作を全て意図的に制御しつつ一つの流れへと繋げ、一連の動作を一つに固定し、寸分変わらぬ時を刻む素振りを行うというのは何から手をつけたら良いのかわからない位に難しかった。
「……また、訓練に付き合って欲しい。きっと私も、まだ上を目指せる」
リュエルはクリスにそう頼んだ。
クリスの為えはなく、自分の為に。
クリスのしている事が出来たなら、きっと自分は上を目指せる。
そんな確信があった。
「うん。私もリュエルの様な一流と訓練出来るのは良い経験になるから、こちらこそお願いするんよ」
「ありがとう」
「こっちも、ありがとう」
そう言って、再び剣を振る。
目標は既に終わっているのだが、時間ギリギリ一杯まで彼らは剣を振り続ける。
会話する時間がもったいないとさえ、彼らは感じていた。
ありがとうございました。




