始まりの時代の歴史の話
前までの話をぶった切りますがリハビリも兼ねて少し別の話を挟みます。
もしかしたら後日、話の順番を入れ替えるかもしれません(ここから数話を戦闘後に動かしたり)が、流れはそう大きく変わりません。
どうかご了承下さい。
それと、まだ左肘の骨折が治っていないのと筋を痛めているので、ぼちぼちのまったり進行になりますことも並び、ご了承下さることお願い申し上げます。
(´Д⊂オデノカラダハボドボドダァ
「で、あるからしてー。この私達が生きる今という時代は、何度も文明が崩壊した後に構築されたものとなるいのです。はい」
女性教師の恍惚とした声が教室に響く。
自分の授業に酔いしれ、まるでトリップしているかのような様子だった。
だけどそれとは対照的に、大多数の生徒は興味を示していなかった。
そりゃそうだ。
ここにいるのは歴史研究者などではなく、ただの冒険者学園の生徒。
歴史になど全く興味がない、チンピラ紛いの冒険者見習いが大半である。
歴史に目を輝かせるなんて奇怪な趣味を持つ者もいないわけではないが、この場において最低限以下のマイノリティであり、一割どころかその半分にも満たない。
そんなガラが悪くチグハグな冒険者達の中にクリス達四人――クリス、リュエル、ユーリ、ナーシャ――の姿も混じっていた。
彼らは冒険者というには少々特異な状態となっており、DDやクリスシティの運営で常に忙しい彼らが揃って同じ授業を受けているのは、極めて異例のことと言っても良かった。
もちろん、歴史知識は非常に大きな財産である。
失われた先史文明の知識や技術をもし復元できれば、一代どころか数代は遊んで暮らせるほどの富に繋がる。
だが、そんなロマンを追えるような学ある者は、この場にはほとんどいない。
クリス達もまた、此度は浪漫より別の目的でここに座っていた。
その理由は単純――。
この授業そのものが『前提授業』であるからだ。
ある「特別な講義』を受けるための条件。
不人気なはずの歴史授業が、しかもチーム単位・有料・事前申請制・試験ありという厳しい条件にもかかわらず、いつも満員である理由がそこにあった。
「どうしてこれが前提授業なんだろうなぁ……」
テーブルに突っ伏し、長い銀髪を弄びながらナーシャが退屈そうに呟く。
アナスタシア・ビュッシュフェルト・メイデンスノー。
雪のように美しい外見を持ちながら、中身は好奇心の塊でポジティブに暴走する令嬢。
元王女なら歴史に詳しくあるべき立場だが、どうやら性に合わないらしい。
深窓の姫君に見える外見なのに、その実態は夏休みの男の子に近い。
今も『退屈で死にそう』という顔をして授業を受けるような態度を見せていない彼女だが、それでも騒がず酒も飲まないだけ、この場ではまだ上等な方と言えてしまっていた。
「そりゃあ、強くなるなら歴史は避けて通れないからねー」
もふもふきらきら金色の獣であるジーク・クリスが、何故か当然のようにリュエル・スタークの膝の上に居て、そう答える。
「ジー君。どういうこと?」
リュエルの言葉を聞いて、ユーリとナーシャの眉がぴくりと一瞬動く。
だけどその後すぐに取り繕った。
ユーリは『面倒事』と判断して沈黙し、ナーシャは『まだ触れない方が面白い』と笑みを浮かべていた。
ナーシャにとって、この授業そのものよりも二人の関係性の方がよほど重要な話題だった。
「歴史ってね、遡れば遡るほど強い人が多くなるんよ。具体的に言えば――四天王第二位、アリエス」
「私、その人よく知らないけど」
「知らなくてもわかりやすい指標なんよ。アリエスは先史文明の生き残りだから」
「でも、それって彼女が強かっただけじゃ?」
「違うんよ。彼女はただの研究者で、実力者でも何でもなかった。それなのに、今の時代に来たら四天王の二位。本人曰く、力は大して伸びてないってさ」
だから、アリエスの存在そのものが、『時代が進むごとに生物が弱くなっている』ことの証左となっていた。
「なるほど。正直興味は薄いけど、歴史を学ぶのも大切なことなんだね」
「うぃ。でも、この授業の本題はそれよりもっと先の話。本当に大事な話だから、ちゃんと聞いた方がいいんよ」
クリスの言葉に、リュエルは真剣な表情で小さく頷いた。
「あのさ、ちょっと聞いていい?」
ナーシャはニヤついた顔でクリスに問いかけた。
その表情だけで、ユーリは察した。
『こいつ、突っ込む気だな!?』と――。
「何かわからないこと?」
「うん、ちょっと教えて欲しくてさ」
「うぃうぃ。何でもどーぞ、れでぃー」
「ありがと、ミスター。それでさ、今、もふもふちゃんはリュエルちゃんのこと、なんて呼んでるの?」
「リュエちゃん。もしくはリュエちー」
その瞬間、ナーシャは盛大に噴き出した。
嘲りではなく、衝撃と予想外の組み合わせが生んだ笑いだった。
「ど、どうしてそうなったのか死ぬほど気になるんだけど! 何? 外国で世界救ってるうちに二人の距離が縮まっちゃった系?」
「んー、縮まったのは確かだけど……ちょっと違うかな」
クリスは困ったように笑う。
正体が露見した話題をここで出すわけにはいかない。
そもそも、あまり気楽に語れることではなかった。
「ん、そう。私は彼が、ジー君が好き。もちろん、ライクじゃなくてラブの方。だから他の人とは違うような、そんな特別な呼び方をしたいって……私からお願いしたの」
リュエルの言葉に、ナーシャは目を丸くし、ユーリは唖然とした。
そして周囲の暇すぎて盗み聞きしていた生徒達も、あまりのド直球な告白に口を開けたまま呆然としていた。
その雰囲気から二人の関係をなんとなく察せていた者もいただろう。
まさかぬいぐるみみたいな相手と……という声が大多数であったのは間違いない。
それでも、周りの冒険者はリュエルの強い執着を知っている。
例えナンパされようと引き抜きにあおうと、クリスの為だけに全てを断り続けて来たからだ。
それは確かに愛と呼んでも間違いはないだろう。
とは言え、ここまで明確に、しかも大胆に言葉にされるとは誰も思っていなかった。
「……じょ、情熱的ね、リュエルちゃん」
「ライバルに盗られたくないし。それに……私も覚悟しなきゃいけないから」
リュエルにとって、この想いを口にするのに全く勇気は必要ない。
好きに表すことに勇気は必要ない。
彼の正体を知ったあの日から――彼の望みが『めでたしめでたしのハッピーエンド』であると理解した瞬間から、リュエルは自分の使命を悟った。
彼の願いを叶えること、彼の願いを受け入れること。
その覚悟を決めること比べれば、愛を示すことなど本当に何でもないことでしかなかった。
「えっと……本当に大事な授業だから、とりあえず聞こう?」
おろおろしながら、クリスはそう言い放つ。
クリスがただ真面目なだけのことを口にするのは、本当に珍しいことだった。
この授業は、多くの冒険者の好みには合わないらしく大半が聞き流している。
だけど、本来冒険者という身分は歴史を用いることと非常に相性が良い。
ダンジョンをはじめ、歴史の残骸に触れる機会が多いからだ。
歴史を知らなければただのガラクタでも、知識を持つ者から見れば宝――そんなことは珍しくない。
実際、配信を視聴中にお宝が転がっていることに気付き、その後でダンジョンに挑んだにも関わらず誰にも盗られなくて、見事お宝を手にした冒険者なんて記録も残っている。
大勢が見ていたはずなのに、彼一人以外誰もその価値に気付かなかったのだ。
そんな事実があっても変わらず、多くの冒険者は歴史を軽んじているのが現実だった。
もっとも、この授業はそんな歴史に興味の薄い彼らを戒めるような――そんな内容ではない。
そもそも歴史を利用した金策そのものがこの授業とは無関係。
そういう実利的な歴史の授業は別にある。
これは――とある秘匿情報を学ぶための前提授業、その為に必要な知識を与える場に過ぎなかった。
ここで重要なのは『先史文明』ですらない。
重要なのはさらに遡った時代について。
存在したのかすら定かでない『はじまりの時』。
原初の先史文明。
それこそが、この授業の本題であり、語るべき本質。
「みんな、ここからは本当に真面目に聞いて。たぶん、テストに出るならここだから」
クリスがぽつりと呟く。
彼はすべて知っていた。
この授業も、その先にある秘匿技術も。
何せ、運営サイドとしてそれに深く関わっていたのだから。
「私たちの文明は、何度も崩壊を繰り返してきました。そのたびに重要なものを残し、やり直し……そうして成功に至った歴史こそが今です。だから、私達は先史文明の痕跡の上に生きていると言っても過言ではありません」
文明が滅んでも、世界そのものがリセットされたわけではない。
大洪水で世界全域が海に沈もうと、極寒により氷の惑星になろうようと、生き残った生物が文明を築き直した。
そして、そんな星の記憶は、痕跡という形で確かに残っていた。
だが――。
「それでもたった一つだけ、『口伝』以外に何も残っていない文明があります」
教師はホワイトボードにいくつもの言葉を書き並べた。
『レガシー』
『原初神話』
『始まり』
『最古の文明』
『ファースト・タイム』
そして最後に、一際大きな文字でこう記す。
『最高の時代』
「呼び名は定かではありませんが、全て同じ『一番最初の先史文明』についてを表す言葉です。そう呼ばれる時代があったこと。それは、確かに伝わっています」
口伝でしか残っていないということの、その本当の意味。
その意味を正しく理解できるのは、クリスだけだった。
もっと長く生きなければ、その価値も理由もきっとわからないだろう。
時代を一つ遡れば、強者の数も質も増していく。
文明の発展や人々の幸福度は後世の方が優れている傾向にある。
だが、個の質だけで言えば、昔の方が高い――それは長命種が実感として抱く揺るぎない事実だった。
だから、最も原始的で、最も古い最初の文明の時代に『最強』がいたという推測は決して荒唐無稽ではない。
あくまでそれは、推測の域を出ない話だが。
「最初に言った通り、最初の時代は『口伝』しか残っていません。先人の法螺話と言われれば、それまでなんです」
教師は困ったように笑った。
崩壊した文明とはカビのようなものである。
滅んでといっても決して綺麗には消えず、根を張るようにあちらこちらに痕跡を汚く残す。
だからこそ『二つ目』『三つ目』のようなとても古い文明であっても存在する証拠が見つかってきた。
だが――「一つ目の文明」だけは痕跡がまるで見当たらない。
ただ口伝だけが残り、実体は見えないまま今まで語り継がれ続けてきた。
ゆえに歴史学者の内輪では『二つ目の文明時代に流行した作り話』とする説を提唱する学者が後を絶たなかった。
だがそれでも、レガシーを信じる人々の方が圧倒的に多い。
理由は単純――圧倒的権力者たちが『ある』と断言しているからだ。
「フィライト国王カリーナ、ヴェーダ国王ゴドウィン、サウスドーン国王ウォドン。彼らは皆『レガシーは存在する』と宣言しました。……ああ、失礼。フィライトは元国王でしたね」
教師は咳払いをひとつ。
「いずれにせよ、大国の王が責任を持って発した公的な発言ですので、学者の論説より重みを持ちます。ちなみにハイドランドでも、ヒルデ様がレガシーの存在を認めていますね」
その言葉を遮るように、後ろからヤジが飛んだ。
「せんせー、黄金の魔王様はどうなんですかー?」
机に足を乗せ、椅子を揺らすチンピラ。
その周りで同類たちとゲラゲラ笑っていた。
教師は表情を変えず、淡々と答える。
「黄金の魔王、ジークフリート様も『ある』と仰っています。それに合わせ、ヒルデ様も――」
「えー! いもしないプロパガンダ魔王様も口を開くんですねー! 知らなかったなー」
笑い声が爆発した。
大きな声で、授業が行えない程にゲラゲラと。
だから、彼らは気づかなかった。
教室の空気が、氷点下に落ちたように冷え込んでいることに。
寒さに強いユーリやナーシャですら震えかけるほど。
黄金の魔王という逆鱗に触れられたリュエルでさえ怒りを忘れる程――空気が冷たい。
実際に冷えたわけではない。
単純に――殺気。
教師から放たれる冷たすぎるその気は、殺気であるとさえわからない程に鋭かった。
当事者でもないのに、震える生徒もいる。
気絶する者さえ出た。
それほどの惨劇になっているのに、当事者たちは何も気づかず馬鹿笑いを続ける。
「……DDの数少ない欠点だな。慎重さを失って、増長するってのは」
ユーリがぽつりと呟く。
彼らはDDで急成長し、羽振りも良くなった。
だから、本来なら辿り着けなかったこの場に足を踏み入れられた。
この前提条件の授業を受けることが出来た。
そしてDDを持ってしまったからこそ、これまで持っていた弱者の武器――チンピラ特有の臆病さを失ってしまっていた。
それはもしかしたなら、DDで得た実力以上に大切なものであったであろう、生きるために大切な資質のはずなのに。
――ひゅっ。
短い音と共に、笑い声が唐突に途絶え、教室に静寂が満ちる。
誰も、その瞬間を目撃できなかった。
騒いでいた彼らが、一斉に『消えた』瞬間を。
見ていたはずだった。
多くの注目を騒がしい彼らは集めていた。
それでも、消えたその一瞬何があったのか知る者は誰もいなかった。
「――では、授業を再開します」
教師の声が響いた。
さきほどまでと違い、静寂の中でよく通る声だった。
レガシーは口伝に依る部分が多く、残された情報もごくわずかだ。
例えば、今の時代と同じく純然なる人間種である人類と、かつて魔族と呼ばれた者たちが共に暮らしていたこと。
文明レベルは基本的に低かったが、ごく一部には現代以上の科学技術で成り立つ都市が存在していたこと。
また戦乱に満ちた時代であり、英雄と呼ばれる存在が絶えず現れていたこと。
背景としてはこの程度しかわからない。
さらにレガシーは『二つ目の時代』と比べても異常なほど実力者が多く、黄金の魔王でさえ太刀打ちできないような強者が数多く存在したと伝えられている――と、教師は語った。
「でも、それって本当のことなの?」
リュエルは膝の上のクリスに小声で尋ねる。
クリスは小さく頷いた。
「うぃ、そのはずなんよ」
「はず?」
「『始まりの時代』の頃、私いなかったから。ぶっちゃけ長いこと期待してたんだけどねー。彼らが出て来ること」
そう言ってクリスは困ったように笑う。
「本当にあったの? そんな時代も、そんな強い人たちも」
「時代があるのは確実なんよ。だけど、全く見つからない。だからこそ……浪漫だねー」
じみじみと、けれどどこか楽しそうに語るクリス。
その頭を、リュエルはそっと撫でた。
全知に等しい黄金の魔王でさえ『存在した』ということしかわからない。
その事実こそが、クリスにとって最大の希望であるだけでなく、冒険者としての夢見る浪漫だった。
もしかしたら、その時代が今も隠れ里のような形でどこかに残っているのでは――そう期待できるほどに。
二人は再び教師の声に耳を傾けた。
「記録に残る人物も多いですが、やはり口伝であるため曖昧です。一応、学会でこれが正しいだろうとされる内容を示しますが……正直、眉唾な部分だらけなので話半分で聞いてくださいね」
そう言って教師はホワイトボードに、レガシー時代に語られる人物たちの名を記していく。
書かれるのは偉業や功績ばかり。
逆に言えば、それしか残っておらず、悲しいことに名前すら喪われていた。
『最低最強の魔王』
当時、最も広大かつ強大な国を築いたとされる王。
外見については諸説あり――若く美貌の青年であったとも、中年の冴えない男であったとも、化け物のような醜い姿であったとも言われている。
王としては完璧であり、特に戦争は一度の負けもなく領土を広げ続けたとされる。
だが、あまりの女癖の悪さから当時でさえ『最低の外道』と呼ばれた。
曰く、女が欲しいからと他国へ攻め入り滅ぼした。
女を求めて王の仕事をサボって行方不明となり、市井に紛れ込むことも多々あった。
女がいない時は露骨にやる気を失い、常に誰かを侍らせていた。
妻の数は三桁とも四桁とも言われ、子供は五桁に及ぶという法螺話まである。
その話に対し『実際は一桁少なくて、子供は数千人だよ』と返すのが当時の流行だったという。
『悲劇の元魔王』
最低最強の魔王に国を奪われた元魔王。
麗しき女性であったがゆえに、最低の魔王によって酷い仕打ちを受けたとも伝えられている。
常に王の傍に置かれ、寵愛を受けてはいたが、それが幸せだったとは到底言えない。
復讐を果たして王を討ったとも、王の子を孕まされ心を壊されたとも、復讐の刃が届かず返り討ちに遭ったとも言われている。
どの末路にせよ、悲惨であったことは間違いない。
『王の忠臣』
最低最強の魔王に仕えた美貌の剣士。
その姿は女性以上に美しく、舞うように繰り出される剣は見る者の目を奪った。
だが、その剣を見た者は例外なく命を絶たれたという。
女好きの王が唯一特別視した存在であり、男でありながら性的な寵愛を受けていたとされる。
なぜ彼が悪徳な王に従ったのかは不明だが、悲劇的な愛を背負う薄幸の美青年として語り継がれ、小説や劇の題材となることも多い。
『機鳥人』
金属の翼を持ち、空を自在に翔ける女性。
最低最強の魔王の配下であったのは確かだが、その正体は議論が分かれる。
妻の一人だったという説もあれば、娘だったという説も。
王が実験で生み出した存在だという話もあれば、逆に神が授けた『王の敵』だったというトンデモな説まである。
確実にわかっていることはほとんどない。
だけど、当時にはそうした種族が存在したという可能性を示すため、重要な情報としてしばしば取り上げられる。
その後も教師は、いくつかの人物を挙げていった。
最低最強の魔王を中心に、敵も味方も次々と登場するが、その傾向ゆえか女性かつ最低な魔王の被害者や復讐者であることが多い。
語られる内容もまた、これでもかと『女の敵』としての側面ばかりだった。
歴史資料というより、まるで女性たちの恨みごとの集積のようである。
「さて、授業の締めとして――『レガシー唯一、名の残った人物』について語りたいと思います。彼女はレガシー時代で最も優れた人物であり、最も偉大で慈悲深き存在であった。聖女であり、勇者。伝説であり、現人神。その名は――『エイリス』」
物語として描くなら、きっと彼女が主役になるだろう。
あるいは、あまりにも完璧すぎて物語そのものが成立せず、存在を抹消されるかもしれない。
それほどまでに、彼女の存在は別格として語られていた。
最低最強の魔王がラスボスならば、エイリスは世界の敵であるラスボスを倒す勇者。
そういう立ち位置である。
曰く、彼女は誰よりも美しい容姿を持っていた。
だがその美貌に驕ることなくいつも心優しく、常に笑みを絶やさなかったという。
誰もが彼女を愛し、誰もが彼女の幸せを願ったと伝えられている。
だが心優しいからと言って決して弱かったわけではない。
その実力はまさに頂点そのもの。
軍の襲撃から村を護るためにただ一人で立ち向かい、敵味方問わず誰一人傷つけることなく戦乱を収めた――そんな慈悲深い逸話が数多く残されている。
当然、その容姿と力から最低最強の魔王にも目をつけられ、『俺の女となれ!』と何度も強引に求められたという。
だが、エイリスは世界で唯一、傍若無人な色情狂に屈しなかったと記録されている。
あらゆる手段で欲しい女を手に入れてきた王が、最後まで唯一手にできなかった女性。
麗しいまま、思いを曲げぬまま、最低な魔王を惚れされた上でこっぴどく振り、心をへし折ったと。
ゆえに彼女こそが、あの時代最高の女性であったとされる。
しかし、エイリスが特別とされる理由はそれだけではない。
絶世の美女であったこと、慈悲深さ、最強の実力――それらを超える功績を残している。
「彼女、エイリスは『魔法の祖』ともされています。彼女ほど魔法理論に精通した者はおらず、今の時代に伝わる魔法も、すべてはエイリスが残した理論を基盤に構築されたとさえ言われてる程です」
今も尚使われてる魔法の基礎理論。
その根幹を解き明かし、記したのが彼女だった。
だからもし仮に『エイリスの遺した書』が見つかれば、大国三つを合わせても足りないほどの価値となることだろう。
これは口伝によって語られただけの実態のない妄言というばかりではない。
実際、魔法理論を深く研究した優秀な学者は、必ずといってよいほど彼女の痕跡を見ることとなる。
歴史の古い魔法理論ほど、特定個人の天才による革新の痕跡が見うけられるのだ。
「つまり、彼女は後世の私たちにまで恩恵を残した偉人であり、『現代魔法理論の祖』と呼ばれる存在です。魔法使いの中には彼女の痕跡に触れ、そのあまりの偉大さに自然と頭を垂れる者も少なくありません。――という辺りで、授業を終わりとさせてもらいます。皆様お疲れさまでした。それでは次の本命の講義へどうぞ」
そう言ってぺこりと一礼し、教師は静かな教室にゆっくりとした足音を響かせながら退室していった。
ありがとうございました。
もうしばらくゆっくりペースですが、どうかお付き合い下されば幸いです。