偽神
善意とは何か。
言葉として定義するならば、人の良き側面を指す。
だが、それを単なる言葉の中に収めてしまうのは無粋でしかない。
そもそも、個人の感覚によって答えは変わる。
曖昧な概念として捉えておくのが無難だろう。
その無粋でしかない行為の極みと言えるのが、この神の製造。
善意を科学的・論理的にプログラムし、埋め込まれた。
――神の卵。
文字通り、人造の神を製造する器である。
人はついに人を超え、神を創り出した。
もっとも正確に言うなら、人ではなく初代の男が創り出したのだ。
組織創設者たる初代がその原理と基盤を築き、後の者たちはただそこに乗っただけ。
強いて言えば、くだらぬ方向性を付け加えただけにすぎない。
『善意しか持たず、人を救う義務を背負う』
それが二代目が付与した概念である。
結果で言えば、善意は裏返り最悪になったのだが、それを完全な失策と断ずることもできない。
もし初代がもう少し長く生き、己の目的に沿う形で卵を完成させていたなら……。
もしも善意システムが埋め込まれずに神が生み出されていたら、間違いなく今以上の厄災となっていた。
初代が望んでいたのは世界平和ではない。
ただ、純粋な力。
願ったのは、この世界に在るすべての神を片手で滅ぼし、世界を統べるだけの絶対的な力を持つ存在を葬る存在。
すなわち――初代の真の目的は『黄金の魔王の討伐』であった。
そのために人がいかに犠牲になろうと、神々が滅びようと、例え世界が壊れようとさえどうでもよいことであった。
ただ黄金の魔王を殺せれば、それでよかった。
そして皮肉なことに、その執念が生み出したのが――黄金の魔王の雛型だった。
「納得できません!」
フィアはぷんすこと怒りを顕わにしながら叫ぶ。
地上に出て、両手を包帯で巻かれながら、不満たらたら。
そりゃあそうだ。
このピンチ的な状況の中でヒルデから『お役御免』を言い渡されたのだから、納得できようはずもない。
これからすべきことはわかっている。
あの偽りの神の討伐。
そして、そのために自分は役に立つ。
そんな自負がフィアにはあった。
正直、気持ちよくもあったのだ。
記憶は相変わらず戻らないが、身体の機能が蘇っていくあの感覚。
記録や知識がインストールされ、プログラムが拡張された、まるで自分がそういう機械かのような気分。
自分を取り戻しているという実感があった。
自分は本当は、もっと強かった。
だから――戦いの場に連れて行ってほしい。
そんな願いを、ヒルデは危惧していた。
「フィア。どれだけ言っても意見は変わりません。確かに、あなたの性能は想像を遥かに超えていました」
「なら……」
「だとしても、です」
「っ! ふ、負傷ならもう治ります! さっきの怪我だって――」
両腕の包帯を外そうとするフィアの動きを、ヒルデが制した。
「必要ありません。例え怪我が治っても、あなたを使う気はないので」
「どうしてですか!?」
「勝つためですよ」
ヒルデははっきりと断言した。
「だったら……肉盾でも構いません。命令も絶対に守ります。足は引っ張りませんから!」
「……フィア、あなたの実力は確かに私の想定以上です。現時点でも他国の重鎮クラス……いえ、潜在を含めれば魔王十指の下位に届くでしょう。磨けばヘルメスあたりは押しのけられると思います。その上で――今回、あなたの出番はありません」
「どうして……ですか?」
戦う力があるのに使ってもらえない。
そのもどかしさは、フィアにとって耐え難いものだった。
逆に、その“無理に戦おうとする姿勢”こそ、ヒルデの不安のひとつでもあった。
「私はあなたを過小評価しているつもりはありませんよ。そして同時に……あの偽神を侮るつもりもありません」
その言葉の直後、ざっざっと足音が近づき、軽薄そうな男の声が響いた。
「はぁい、そこの可愛いお二人ちゃん。頼れるお兄さんが来ましたよっと」
軽い調子の声に、フィアは怪訝な表情を浮かべる。
ヒルデは小さく溜息を吐いた。
「使えることは認めますが……いい加減、その口調はどうにかしてください。ヘルメス」
「もっと君好みになれば、恋人にしてくれるのかな? だったら少し考えちゃうけど?」
「それなら好きな口調で構いません。ただし、仕事はきちんとしてください」
「あいよ」
応えると、どこから持ってきたのか椅子を置き、背もたれを前にしてギィギィと揺らしながら座るヘルメス。
フィアが「どういうこと?」という顔をしたので、ヒルデが答える。
「私が呼びました。彼だけではありませんが」
ヒルデが空を仰ぐと――大きな翼の羽ばたきとともに『アリエス』が降り立った。
鳥人に近い種族だが、根っからのインドア派でサボりがち。彼女が飛ぶ姿を見るのは、本当に久しぶりだった。
ぶすっと拗ねた表情で無言のまま、アリエスはヘルメスをげしげしと蹴る。
ヘルメスが慌てて椅子を差し出すと、アリエスは当然のように腰を下ろした。
不満の理由は聞くまでもない。
外に出ていてはゲーム開発ができないからだ。
それでも呼ばれた以上、参加しないわけにはいかない。
四天王とは、緊急時に動けるよう独立した構造となっているのだから。
「ということは、つまり……」
フィアの問いに、ヒルデは頷いた。
「はい。戦闘は私と四天王全員で受け持ちます。あと二人はまだ来ていませんが、普段から忙しい方々です。先に会議を始めましょう」
そう言って会議用のテントへ移動しようとして――。
「フィア。よければ会議に参加してください。機械知識が高く、直接偽神の攻撃を受けたあなたの情報は、まさしく値千金です」
フィアは顔をほころばせ、頷いた。
「はい!」
「ほほー! 君、機械知識が豊富なのか!?」
アリエスがずいっと顔を寄せ、羽毛の翼がフィアの体をくすぐる。
「は、はい。どうもそうみたいです。記憶喪失なのですが……」
「なんと都合の……いや、なんと不憫なことだろう! ならばゲームをするといい! これが終わったら私のラボに来なさい!」
アリエスは本題などそっちのけでフィアに粘着する。
ヒルデはそんなアリエスからフィアをかばい、小さく溜息をついた。
神は苛立っていた。
羽虫のような人間どもが、逃げ惑いながら取るに足らぬ嫌がらせを繰り返してくる。
追えば逃げ、無視すれば攻撃してくる。
まるで目の前で蠅がぶんぶん飛び回っているかのようで、鬱陶しいことこの上ない。
神には、人の姿の区別がつかなかった。
ゆえに、自分が軍の妨害を受けているなんて発想もない。
しかも撤退遅延戦術という軍の戦略を単なる暴力だけで根底から打ち砕いていることにも気づかない。
神の視点では、軍所属のエリートであろうと農民であろうと大差なく『羽虫』にすぎなかった。
――ただし、例外が一人。
ヒルデだけは、一目で特別な存在だと理解できた。
軍の抵抗を押しのけ、追いかけ、ついに神は地上へと出る。
広がる無限の青空。雄大なる風。雪景色の中でも消えぬ大地の香り。
その瞬間、神は人への怒りを忘れていた。
身体が感動に震える。
生まれて初めて目にする世界の衝撃は、あまりにも激しかった。
そして――この世界はすべて己のものとなる定めにある。
初めて、神は自尊心を満たされた。
だが、そのためには人間が邪魔だった。
彼は『人のため』に造られた神。
人が存在する限り、自由になることは叶わない。
だからこそ、自らを騙さねばならなかった。
己という機能を欺き、善意という建前を振りかざし、悪意を隠し、屁理屈を弄して人を滅ぼす。
この美しい世界を欲した瞬間より、それが彼の願いとなった。
「……ふむ。尻尾を巻いて逃げたと思ったが、戻ってきたか」
ヒルデの気配を察し、神は呟く。
さらにその傍らには、彼女ほどではないが、神が『強者』と認めるに足る四人の気配もあった。
「面白い。どこまでやれるか、見ものだな」
完全に、上からの視点であった。
だが、その傲慢も決して間違いではない。
神の潜在魔力は、五人の総量を軽く十倍は凌ぐ。
しかもその魔力は、自然界に存在しない特別にして極上の黄金の力。
量でも質でも圧倒していた。
負ける気がしない。
負けるはずがない。
それこそが神の所以。
たとえ人造であろうとも、その理不尽さは真なる神と変わらぬものであった。
ありがとうございました。
もうしばらくはじんわり更新低下ペースでお願いします……。