善性なる神の完成
今、この瞬間においてはこの組織並びに車椅子の老人に他害性はない。
これまでの罪が消えるわけではなく、悪質でなかったということもない。
ただ、やるべきことを全て終えており、もう誰かを苦しめる必要がないというだけのこと。
下準備は既に終わって、残りは力ある存在にこれを託すだけ。
これは神の雛型。
これは、神の卵。
これは、真なる人類の守護神を生み出すための奇跡。
これはそういう道具。
契約者を神へと至らせる、そんな代物。
だから老人はヒルデを待っていたし、ヒルデでなくとも同等の、『魔王』に匹敵する力を持つ存在なら誰でも問題なかった。
契約し、この力を起動し身に宿せるのならば。
これは人の善性により生み出され、人のために生きる神。
人のことのみを考え、人を愛する守護者。
今いる偽りの神々とは本質から異なる。
自らのために人を利用する神ではなく、徹頭徹尾人類のためだけを考える。
否、人類のことしか考えられない。
そういう存在へと成長するよう定められた存在。
そういう風に作られたから、そうとしかなれない憐れな道具。
それが、神の卵。
起動する時に起動者を取り込み、素体へと変えその意思や記憶を引き継ぐが、あとたった一人犠牲で人類の恒久平和が叶うのだからそれは些細な問題だろう。
そして当然、起動する者が犠牲になることを老人は話すつもりはなかった。
「さあ、神を起こすのだ! 人々のために、我らの正義のために!」
老人は高らかに叫ぶ。
話の空気なんか気にしない。
相手がどう思うのかさえ知ったこっちゃない。
ただ、自分の生み出した素晴らしい物を自慢するだけ。
ほら、これだけの物を作ってみせたぞ!
だから許してくれ!
私はどうにもできなかったんだ。
悪行は私の所為じゃない。
私は善人だ。
私は救世主だ。
まるで、自分に言い聞かせているかのようだった。
当然の話だが、ヒルデは神の卵を起動しない。
老人の妄言を信じるわけがなかった。
たとえこれの未来が黄金の魔王となる代物であろうとも、今現時点で言えば悪の秘密結社が作った怪しい発明品の一つでしかない。
――さて、どうしましょうかねぇ。
ヒルデはそっと思考を張り巡らせる。
黄金に通じる可能性がある以上壊すのは流石に論外だが、老人の口車に乗るのも論外である。
であるなら、このまま確保するのが無難だろう。
たとえどうなるにせよ、研究して無駄になるわけではない。
例え悪であるとも、一角の研究者達が倫理と人生全てを捨てて生み出した代物だ。
王国の発展に繋がる可能性は高い。
まずは知ることから始めなければならない。
これが黄金の魔王に通じるのか、それとも別物なのか。
それさえまだわかっていないのだから。
フィアが何か知っていたから、これの輸送手段でも聞きましょうか。
そう結論を出した、その瞬間だった。
老人が車椅子ごと吹き飛び、フィアが殴り飛ばされ壁に激突し、そしてヒルデもまた不可視の攻撃を食らい防御を強いられたのは。
「一体何ごとですか!?」
ヒルデは叫び、中央のポッドに目を向ける。
ポッドの傍に男が立っていた。
ヒルデは彼のことを知っている。
男の名は『ヘルパー』。
本名は知らないが、人助けと善行が趣味であるため自らそう名乗っている。
誰かの笑顔が心底好きで、人々の幸せのためだけに生きている男。
苦しむ人、困っている人を一人でも救うためこの命を使うことを使命とさえ思っている。
そして――大量殺人鬼のサイコパスである。
絶対の幸せをヘルパーは信じている。
人は誰でも幸せになれると。
だから、妥協の幸せしかないとわかった瞬間、生きるのは苦しかろうと相手を殺す。
病気のお母さんの幸せを願った子供を殺した。
お母さんの余命が定まっていたから。
そして我が子の死に絶望した母親をも殺した。
足に大怪我をしてスポーツができなくなった子供を殺した。
新しい希望を教えず、見せず、やりたいことができないまま生きるのも辛かろうなんて善意で。
一時期白猫と呼ばれる存在の部下となっていた男。
そんな男が、今ポッドの傍に立っていた。
どうして――の、前にヒルデは最悪に思い当たる。
老人は、この神の卵は人々の善意のみを持って生み出されると言っていた。
そしてヘルパーという男は、所業を振り返ればあり得ないことだが、善意のみで動いている。
この組み合わせは――。
「不味――」
慌て、ヒルデは手を伸ばし力を発現させる。
『時間停止』
それはヒルデの武器の一つ。
神々さえも及ばぬ奇跡の力。
だが――時間停止の中でもヘルパーは動きを止めない。
ヒルデの力のことは、ヘルパーにとって既知であった。
「これで、至らぬ私が救えなかった全ての命を救える。真なる幸福に導ける。ならば――私は私の全てを捧げましょう。さあ、共に――『人類を救済しましょう』」
ヘルパーは、神の卵に願いを告げる。
そして――契約はここに果たされた。
ヘルパーの身体が、心が、魂が最小単位に分解され、ポッドの中にある半透明の黄金に溶け込んでいく。
そうして半透明は実体を持ち、金色の卵がそこに顕現した。
そして卵は砕け――部屋は閃光に呑まれる。
黄金すら凌ぎ、あらゆる視界を白へと塗り潰していく。
光が収まった時、そこには――金色の神が立っていた。
迫力や圧は凄まじく、肌が震える。
ただそこにいるだけで神であると本能が理解出来た。
外見は人と同一。
年齢で言えば四十手前くらいの壮年で、険しい顔立ちをしている。
その髪は金色に発光し、全身は白く輝く。
所謂後光が差している状態が常であった。
美形という程ではないけれど、彫が深く整った顔立ち。
元のヘルパーの優しい顔立ちや笑顔はなく、鋭い、鷹のような瞳が特徴的だった。
そんな男がまずしたことは――処刑であった。
男はゆっくりと足を進め、倒れる車椅子の傍に向かう。
そしてそこで半生半死の老人に目を向け、見下しながら手のひらを向けた。
「我を生み出した功績を持ってしても、貴様の悪性は許されざる。ゆえに、死をもって償え。我が手にかかる幸運を噛みしめ、逝くがよい、我が創造主よ」
言葉の直後、男の手のひらから光の柱が伸び、老人の頭を貫いた。
その直後、老人の身体の内肉を持つ部位は光に分解され、キラキラと砂のように変わり男の身体に取り込まれていった。
男は伏し目がちになり、まるで老人を見送ったかのような表情の後に……ヒルデの方に目を向けた。
その目に感情は一切見えない。
だけど、ヒルデは嫌な予感を覚えていた。
久方ぶりだった。
死の警鐘を自分が感じるのは……。
「私は悪でしょうか?」
時間稼ぎも兼ね、ヒルデはそう尋ねる。
そして、男は答えた。
「知らぬ。だが、強者ではある。強者は弱者の嘆きを生み出す、圧倒的な強者。そんなもの、我が世界には不要である」
「貴方は違うのですか?」
「我は強者ではない。神である。人々の平和と幸せを願うよう、人々に生み出されたな」
その言葉の後に、男から初めて感情らしい感情が表情に見える。
男は、あざ笑っていた。
ヒルデは老人の思惑通りの神にはならなかったと確信する。
正しく人を『慈しむ神』でもなければ、ヘルパーのような悪意に相当する『無知なる善意』でもない。
この神は、きちんと『悪意』を理解している。
悍ましいことに、善意というものを建前として使っていた。
ヘルパーという存在が、善意しか持たぬ神さえも歪めてしまっていた。
手のひらが向けられる。
そして光の奔流を見た瞬間――ヒルデの前にフィアが立ちふさがった。
「フィア!? 危ないです! 離れなさい!」
「嫌です!」
叫び、両手を前に出すフィア。
そのまま男の光が収束し、フィアに襲い掛かった。
手のひらほどの白色の光線にフィアの両手のひらが触れ、ジュッと嫌な音が響く。
それでもフィアはその場から一歩も動かず、両手を前に出し男を睨み続けた。
数秒続いた光は消え、神は呟く。
「――不快な」
フィアの両手は激しい火傷と負傷でボロボロで、ぼたぼたと血が零れている。
だけど、無事だった。
手の原形が残っている。
指も動く。
人体まるまる消失させるだけの熱量を持った一撃を、フィアはその程度の負傷で受け止めていた。
どう考えても、理屈に合わない。
幾らフィアの肉体が丈夫だからといっても、そんなこと出来るわけが――。
だけど、考えるのは後の話だった。
ヒルデはフィアを抱えて即座に男の傍から離脱した。
「――まあ、良い」
仕留められなかった苛立ちを抑え、男は呟く。
そして堂々と、ゆっくり歩きながらその部屋を退出した。
ありがとうございました。
転んで肘傷めたので更新速度下がります。
本当に申し訳ありません……(´・ω・`)