ただいまとおかえり
遠くて近い隣国から戻って来たリュエルを出迎えたのは、女子会だった。
「ほら、こっちこっち!」
人の少ない喫茶店の中、そう言ってニコニコ笑顔で出迎えるパーティーメンバーのナーシャ。
『アナスタシア・ビュッシュフェルト・メイデンスノー』。
亡国雪国の王女といういかにもな身分を持ち、外見もそれに適した色白美人の深窓令嬢。
ただし、中身は割とやんちゃ寄り。
具体的に言えば、何となくの気分でリュエル達が帰って来た日にこうやって女子会を開くくらいには思いつきで行動する性格である。
悪意があるわけではない。
ただ、ちょっと茶目っ気が強いのと楽しいことが大好きなだけで、これも彼女なりのお帰りパーティーである。
ナーシャの手招きにリュエルは近寄り、もう一人の女性に気が付く。
自分と同じくらいか、もう少し若く見える容姿の女性で、特徴的な赤と白の巫女服。
彼女の名前は茉莉花。
名前を呼ばれることが気恥ずかしくて嫌で、あとは煙草を愛して筋肉質な暑苦しい神父を養父に持つということくらいしかリュエルも知らない。
そしてリュエル以上にナーシャは彼女と接点がないはずなのに、何故かそこに居た。
彼女は口さみしそうにしながら壁に掲げられた『禁煙』の二文字を見ていた。
「おかえり。お勤めごくろーさん」
茉莉花はリュエルに対して雑に手を振って、だけど仄かに口角を上げながら少しぶっきらぼうに呟いた。
「おかえり!」
ニコニコするアナスタシア。
いきなりの思いつきだが、心から歓迎しようとしてくれているのは理解できた。
リュエルは微笑を浮かべ、二人に目を向ける。
「ただいま。二人とも」
そんなリュエルの様子に、ナーシャは目を丸くした。
「リュエルちゃん、何か変わった?」
リュエルはどう答えようか少し悩んだ。
「うん。どこが変わったかは分からないけど、たぶん」
はにかむように笑うリュエルに、ナーシャは再度驚く。
別に前まで人間味がなかったというわけではない。
前も前でそれなりに感情を表していたし、思うことは口に出していた。
だけど、今のリュエルはその時と全然違い、表情も態度も柔らかい。
誰かに気遣って微笑を浮かべることも、友人との再会を喜ぶこともなかった。
柔らかくなったというのも決して間違いではないが、それだけじゃない。
明らかに、人としての根本に変化が起きている。
まるで十年くらい情緒が育ったかのようだった。
「なるほど……さすがリュエルちゃん。女子会の話題には事欠かなそうね」
「そう、かな。そっちの話も聞きたいけど……」
「そうね。私達はこれから自己紹介だし」
ナーシャの言葉にリュエルは驚いた。
「えっ!? 自己紹介もしてないの!?」
二人はこくりと頷いた。
「知り合いらしいし、面白そうだったから……」
「タダ飯だって言われたから……」
そんな二人に、リュエルは苦笑を見せた。
「あ、そうそう。これ、お土産。大したものじゃないけど」
そう言ってリュエルが二人の前にクッキーやフィナンシェなどの可愛らしいお菓子を置いた時、二人の目は大きく見開いた。
「誰!? そんな気遣い出来るリュエルちゃんなんてリュエルちゃんじゃない!」
ナーシャは叫ぶ。
おそらく茉莉花も同意見であろう。驚きと同時に、こちらを心配してくる雰囲気を見せていた。
失礼な……と思わなくもないが、自分がこれまでそう思われていたということでもあるので、リュエルは甘んじてその評価を受け入れた。
女性陣営が女子会にてわいわい楽しんでいる最中、こちらは非常に真面目な話し合いをしていた。
クリスシティで待つ市長のユーリィ・クーラ。
彼は戻って来たクリスに対し、深刻そうな表情を向けていた。
「すまない。帰って早々だが困ったことが起きている。手を貸してほしい」
「うぃ! 当然なんよユーリ。それで何が起きたの? 街の運営に困ってる感じ? それとも冒険関連?」
「どちらも順調だ。僕もアナスタシア様も冒険者としてそれなりにうまくやれているし、街の運営の方も色々な人が手を貸してくれているから僕が何もいなくても困らないくらいだ」
ユーリの才能は枯渇しているが、その分別の方面で努力出来る。
金銭面、装備面、知識の横広げ。
成長率は極めて低く、同世代にどんどん置いていかれているのは事実だし、ナーシャの成長具合に焦っていないと言えば嘘になるが、それでも腐らずそれなりに足掻けている。
街に関してで言えば、ぬいぐるみの売り上げが半端ない上に観光地としても評価は高く、ついでにフィライトでのクリス達の名声がそのまま街の名声にもなっているため、首都衛星都市として完璧過ぎる程成功している。
強いて問題を挙げるとするなら、街の拡張があまりにも早いため住民が時折迷子になることくらいだろう。
そう……彼らに問題はなく、更に言えばこの『問題』も何か悪いことが起きたわけではなく、むしろ社会的に言えば良いことしか起きていない。
それでも、ユーリは足元がぐらつくような不安がどうしても拭いきれなかった。
さっそく本題のそれを、ユーリはクリスに見せる。
ごとりと置かれた黒い物体は剣の持ち手だけのような形状で、握れば完全に見えなくなる程度の大きさ。
それを一目見て、クリスは首を傾げた。
「なにこれ?」
「クリスでも知らないか……。これは、願いが叶う奇跡……だそうだ」
皮肉めいた口調で、ユーリはそうぼやく。
そして、その道具『DD』の詳細を語り出した。
名称『DD』。
その効果は、能力の向上。
言葉にすれば短いが、内容はこの世に存在するわけがないあり得ない代物。
なにせ持ち主の『あらゆる能力』が向上するのだ。
近接戦闘から技術、魔法、果てには記憶力から信仰に由来する術式まで。
まさしく万能の奇跡だ。
特に能力の低い者、それもまじめに鍛えずだらだらしていた奴ほど影響力は大きく、不真面目な生徒で計算してみた結果、おおむね二割程の向上が見られた。
たった二割程度なのだが、その二割というのが馬鹿に出来ない。
凡人に二割下駄を履かせれば秀才になり、秀才に二割下駄を履かせれば天才となる。
二割というのはそういう、才能の壁を超えるような代物だ。
おかげで当初期には真面目に努力していた者と不真面目な者で逆転までおきていた。
こんなものが学園で、それも安値で売られたものだから学園は大混乱。
良く言えば急成長だが、悪く言えばガラの悪い連中が好き放題するようになった。
学園の風紀はどんどん乱れ、内に外にとやりたい放題。
相当数の退学者が出たがそんなのおかまいなし。
これさえあれば何でも出来ると謎の万能感に包まれ、王都近くにもかかわらず盗賊が続出した。
まあ、大体は一瞬で鎮圧されたが。
問題はやらかす馬鹿ではなく、やらかさない馬鹿の方。
真面目に努力する奴を馬鹿にしながら、DDの力だけでそいつらの上に立つ。
真面目にやっていた奴らも馬鹿馬鹿しくなり、DDに手を出しその魅力に取りつかれ努力を怠りだす。
そうでなくとも、一段上の世界をただ持つだけで見ることが出来るからだろう。
自分のことを天才か何かであると勘違いし、身の丈合わない欲望を持ちだし、そして勝手に破滅していく。
無論、真っ当に使い、真っ当に成長した者も多く存在する。
良くも悪くも単なる強化ツールでしかないからだ。
だから、冒険者学園という立場から見れば、プラスマイナスで言えば確実にプラスとなるだろう。
それでも、やはり多くのマイナスが出たことも間違いはない。
使わないナーシャや使っても効果のなかったユーリなどは不利益しか被っていない。
そしてそれら以上の最大の問題点は……。
「問題は、この道具に一切のデメリットがないことだ。肉体的にも魔力的にも、身体的にも悪い影響は一切与えず、心理的な意味を除けば依存性もない。文字通り、一切のリスクのない奇跡の道具だった」
絶対に裏がある。
そう信じていたからこそ徹底して調べて、その結果がこれだから間違いはない。
現状、DDを使用しても一切リスクなく、その上で全ての事柄が強化されるというのは確定事項である。
じゃあそれに何の問題があるのか? と尋ねられたら……何もないとしか言えない。
だからこそ、問題だった。
本当に何の問題もない代物なら、学園内だけに内々に流さない。
製造ルートや製造者が全くわからないということもなく、それ以前に奇跡の発明として特許を取りもっと広くに売り払う。
少なくとも、ただの学生よりは金持ち貴族のぼんぼんや軍に流す方が高く売れるし治安にも貢献出来る。
だからユーリは、『問題があるけど誰にもわからない』代物だと危惧していた。
一切悪影響がないからこそDDを流した奴の意図が読めず、ユーリだけでなく現在調査している勇者候補、クレインもこのことを不気味に思い続けている。
「という辺りだな。それほど大きな問題が起きてないから気にし過ぎと言われたらそこまでなんだが……」
「ううん。心配した方が良いんよ。そんな便利なもの、存在するわけがないんよ」
「……だよな」
「うぃ。調べてみて良い?」
「頼む」
クリスはテーブルに置かれた黒いグリップ形状のDDをその手に掴む。
そして持ち上げた瞬間――。
パン!
クリスの手に握られたDDが乾いた破裂音と共に爆発する。
当初、わけがわからずきょとんとした顔をする二人だったが、すぐにユーリは切り替え、慌てながらクリスの方に駆け寄った。
「クリス!? 大丈夫か!?」
「大丈夫なんよ。だけど……」
バラバラになった破片を拾い、テーブルに並べクリスはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。壊しちゃったの」
「いや、それはどうでも良い。数なら幾らでもある。本当に大丈夫なんだな?」
「うぃ。毛の一本も被害ないの。でも、こういうことってよくある感じ?」
「いや、一度もない。誰が使っても爆発なんてないし、何なら乱暴に分解した時もこんなことは起きなかったぞ」
「ありゃ。そなの。中身は……」
魔導機械のような金属回路と小さな魔石、その他儀式っぽい諸々。
それらにクリスは見覚えがなく、更に言えばそれらを見てもどういう原理でどうしてそうなるのかまるでわからなかった。
全くわからない。
それはつまり、クリスにとって未知ということだった。
「これ、思ったより不味い奴かも。まだ予備ある?」
「千個までなら今日中に用意出来るが」
「いや、そんなにいらないの。というかそんなにあるんだね」
「ああ。剣を買うより安い値段でばらまかれてる」
「それなのに販売元は特定出来ないんだね」
「ああ」
「……うーん。気持ち悪い」
事態の割に背景が全く見えず、足場がぐらつくような気持ち悪さがクリスを襲う。
全く同じ気持ちであったユーリも小さく頷いた。
「ちょっと効果を見てみたいから、ナーシャとリュエルちゃんが戻って来たら試してみよか」
「僕に効果はなくて、クリスの場合は爆発。アナスタシア様の時は多少は効果があったみたいだが、気に入らないからと使わずに……。ちなみにクレインも効果はなかったらしい」
「リュエルちゃんの場合はどうだろうねぇ」
そう話している二人の元に、とんとんと控えめなノックの音が。
そうして入ってきたのは、相当に懐かしい顔で――そしてクリスにとっては珍しく、あまり会いたくない顔でもあった。
極力会わないよう避けていたまである。
綺麗な赤い髪をした女性の名前は『フィア』。
かつてクリスに命を救われた……救われた?
まあ、とにかくクリスに助けてもらった少女である。
そして目覚めた時に記憶喪失が発覚した。
少々、というか多大に面倒な部分があるためクリスはヒルデに押し付けていたはずなのだが……。
フィアは何故か、随分とファンシーに缶バッジやぬいぐるみでデコられたメイド服を身に纏っていた。
そのまま深々と頭を下げ、口を開く。
「クリス様。お迎えに上がりました。ヒルデ様がお待ちです」
クリスはフィアではなく、ユーリの方に目を向けた。
「知ってる人?」
「ん? ああ、最近ヒルデ様直属の連絡係になった人だな。クリスの知り合いか?」
「まあ、ちょっとした」
クリスがぼやかすと、フィアは口を挟んだ。
「クリス様には、記憶喪失で重度の怪我をしていた時に救われた御恩があります」
そう言って、再び頭を下げる。
「だから連絡係に選ばれたのか」
ユーリは妙に納得した様子で数度頷いてみせた。
一瞬、クリスはフィアが別人かと思った。
あの時のはっちゃけ具合は一ミリもなく、淡々とした表情で淡々とメイドらしく振る舞っている。
天真爛漫さは欠片もなく、優雅で――メイドというより、それを従える者のような気品さえ身に纏っているくらいだ。
ヒルデが教育に成功したのか、記憶を取り戻して真っ当になったのか。
そう思っていたが、ユーリが目を反らした瞬間、フィアは絶妙かつ渾身のドヤ顔をクリスに見せた。
楽しげに笑いながらも、同時にドヤるなんて器用な表情。
それはまるで『どうですこの擬態っぷり。これならご主人様の奴隷だってバレませんよ、完璧でしょう? 私は出来る奴隷なのでこの程度お手の物です』とでも言いたげであった。
「やっぱり、そんなすぐ変わるものじゃなかったの……」
「ん? 何か言ったかクリス?」
「ううん。何でもないの」
「そうか。彼女が来たということは、クリス、お前ヒルデ様に呼ばれてたのか?」
「うぃ。戻ったら顔を見せるように言われてたの。だからこの後自分で行こうと思ってたけど……こうして出迎えられるとは思ってなかったの」
「馬車の用意は手配済みです」
クリスはその言葉に頷いた。
「ユーリはどうする? ついでに来る?」
「いや、街での仕事が残ってる」
「そか。じゃ、行ってくるね」
「ああ、何かヒルデ様から言伝があったら頼む」
頷き、クリスはフィアに着いて歩いた。
――馬車の中に、誰か別の人がいますように。
そう心から願いながら。
だがその願いもむなしく、馬車は二人だけの完全密室仕様で。
ウザめんどいフィアの絡みに、クリスはげんなりしながら付き合わされることになった。
ありがとうございました。