神争を終え(後編)
レオナルドが王となることに、誰よりも反対していたのはアルハンブラである。
理由は……言う必要ないだろう。
むしろ、この馬鹿が大国の王となって良い理由を探す方が難しい。
当然他の部下も同様の意見であり、極力そうならないよう動いた。
馬鹿が王になるくらいなら、そこいらへんの無能を王にすえた方がなんぼもマシだろうと。
しかし、レオナルドは王となった。
王となってしまった。
『ならざるを得なかった』
その方がニュアンスとしては正しいかもしれない。
理由は幾つかある。
例えば、消去法。
あの騒動の解決に協力した勢力は、クリスとカリーナとレオナルド。
この三勢力が国難を対処し、国王となるだけの力があうと周囲に示した。
この三勢力だけが、国を統べる資格を手にしていると言い換えても良かった。
クリスは他国の人間で、カリーナはあの日以来いなくなった。
だからまあ、消去法でレオナルドに目が向けられた。
続いて、政治的権力を持つ存在の大きなバックアップ。
まあ、ぶっちゃけて言えばクリスがやりやがった。
表の名だけでもハイドランドの重鎮で、信奉者という神の従者に等しい地位持ち。
そういう理由で彼はこの国において唯一、非人形態ながら人気を誇る人物として広く周知されている。
そんな彼が『レオナルド様、良いんよ』なんて言ったものだから、アルハンブラを知らない国民の多くはそれに納得を示してしまった。
その上で、強力な後押しがあった。
伝言があったのだ。
カリーナから、レオナルドの部下たちに。
『貴方たちが支えて、彼を王に』と――。
内々のこととは言え、先代王の推薦があって、他国との強いパイプがあって、本人にやる気があって。
残念ながら、その決定を覆すことは出来なかった。
レオナルドに唯一足りないのは、能力のみ。
致命的な程無能であるのは事実だが、それも部下が補えば何とかなる。
実際、信じられないことだが今のところレオナルドの評判は非常に良い。
その姿と話す容姿を見た上でだ。
その理由は、未だ治らぬ傷を負いながら、王として玉座に座り続けていることが大きいだろう。
他人から見れば、重度の負傷の中でも仕事を止めぬ奉仕者に見える。
例え実際はただ偉ぶりたいから椅子に座っているだけであっても。
それでも、王が『どんな事情があろうともその席から降りない』というのは国を維持するに辺り重要な仕事と言える。
玉座を温めること以外に出来ることのないレオナルドなら尚のことだろう。
そういうわけで一週間。
阿鼻叫喚と悲鳴と絶望が蔓延りながら、それでもフィライトは新しい態勢で何とか日常を過ごすことが出来ていた。
「……はぁ」
小さく、そっと溜息を吐く疲れた顔の中年男が一人。
彼の名前はアルハンブラ。
レオナルドとは逆の意味で、『己の評価』と『他者からの評価』に差のある男だ。
アルハンブラは自分をロートルの低性能中年で、ついでに友を裏切った鬼畜の屑であると思っている。
だが、他人からの評価は『人情厚く冷静凄腕な内政官』であった。
そんな今、彼の役職は『レオナルド親衛隊第一部隊長兼、外交大臣兼、内政長官兼、兵站総責任者兼、教皇代行兼、レオナルドおやつ係等々』となっている。
まあ、ぶっちゃけて言えば『真の統治者』である。
フィライト国王全ての実権を、アルハンブラは持ってしまっていた。
どうしてこうなったかと言えば、レオナルドに仕事をさせるわけにはいかないという理由以外にない。
レオナルドの部下の中で最も政治に長け、実務経験があり、レオナルドの相手に慣れた男。
それがロロウィ・アルハンブラである。
だから、今は本来国王がすべき責務はほぼ全て、アルハンブラが実行していた。
能力的に言えば、大分足りない。
優れ、経験豊富な男であるため小国の王なら何とかなるだろうが、大国の王としての仕事を行うにはアルハンブラはいささか矮小過ぎる。
外交だけならばそれなりに熟せるが、それ以外は全て全く足りていないというのが現状であった。
それでも、案外何とかなっている。
ちょっとした『事情』によって、アルハンブラは王としての仕事をほぼ完璧に処理出来ていた。
そしてその事情こそが、アルハンブラの溜息の理由でもあった。
「アルハンブラ様。お疲れですか?」
そう、アルハンブラを最も困らせている部下が心配そうに尋ねてくる。
こと今回に限って言えば、彼女の頭を悩ませる割合はアルハンブラ以上と言っても良いだろう。
「……いえ、大丈夫です」
「そうですか。ですが、しんどくなったら早めに教えて下さいね。アルハンブラ様が倒れたら、国が確実に傾きますので」
アルハンブラが倒れたら、レオナルドが張り切って仕事をしてしまう。
そしてレオナルドが実務に手を出すと、確実に大きな失敗を起こす。
そんな未来が容易く想像出来てしまい、アルハンブラは苦笑するしかなかった。
「気遣いありがとうございます。まあ、もうしばらくは頑張りますよ」
「はい! 私もきっちりサポートします!」
そう言って彼女は、元気一杯な笑みを見せた。
彼女の名前は『リア』。
役職はなく、アルハンブラのサポート要員である。
ただ、彼女は何故かフィライト国王の仕事を誰よりも詳しいから、本当に困ったことがあればレオナルドの部下は皆リアに話を聞きに来る手筈となっている。
お前が王をやれよと皆が思うくらいには、彼女は何でも出来た――。
あの日――あの瞬間、カリーナという偽りの女教皇は消えた。
望む未来を引き寄せる奇跡を持つ王はいなくなった。
世界を救い、もう自分の役目は終わったとばかりに。
そしてもう、彼女が表舞台に立つことはない。
彼女は、偽りの存在でしかなかったからだ。
全てが偽物で、世界を騙していた。
その責任を取り、彼女はこの世界より消えた。
微笑を浮かべ、優雅にお茶を飲んでいた彼女。
その姿さえも、偽りでしかない。
彼女は己さえも偽り続け、ずっと子供の頃から我慢していた。
だからきっと……もしもまだ彼女が生きていれば、その本性は年甲斐もなく幼くて、そしてきっと元気いっぱいな笑みを見せるような、そんな少女なのだろう。
つまりはそういうこと。
これは、そういう話だった。
にっこりと嬉しそうなリアを見て、アルハンブラは再び溜息を吐いた。
その瞳がずっと自分に向いている意味にさえ気付かずに――。
ざざーん、ざざーんと波の音。
クリスとリュエルは二人で船の上、釣りを楽しんでいた。
海の上での釣りは思った以上に楽しく、まだ出発してそう時間も経っていないのに、二人の用意したバケツの中には既に数匹の魚が泳いでいた。
楽しいと感じる気持ちと同時に、寂しさにも似たノスタルジックな気持ちをリュエルは味わっていた。
変な話である。
旅立つのではなく、戻るというのに寂しいと思うのは。
空の孔が閉じ、神々との繋がりが再開し、世界が元に戻った。
本来ならば、この時点でクリスとリュエルはハイドランドに帰らなければならなかった。
それでも、しばらくの猶予時間を彼らは求めた。
他の何でもなく、フィライトの安定のために。
彼らは似合わぬロビー活動を必死に頑張った。
レオナルドは王の器であり、彼ならカリーナの後釜として相応しいと広めてまわった。
アルハンブラ達はそれを最悪な嫌がらせと感じていたが、クリスは心底本気だった。
彼ならばいずれ魔王十指にも入り、そして自分に並んでくれると。
何千年でも、何億年でもかけ、今の無能を克服したその時、彼は自分を超えてくれる。
そう、クリスは期待していた。
「ねぇ、クリス君」
「んー?」
釣り糸を垂らしながら、リュエルの言葉にクリスは気の抜けた返事をした。
青空の下、心地よい風の中での釣りは思った以上に心地よいものだった。
「もう大分前の話だけどね」
「んー?」
「魔王について、詳しいって言ってたよね?」
「うぃ。まあそれなりにはね」
「えっと、本題前に一つ聞くけど、カリーナ様はどうなるの? 魔王十指の一本なんでしょ?」
「残念だけど、彼女はもういないんよ。だからしばらくは十指かっこ九本って感じになるんよ」
「引き継ぎとかないの?」
「何の話かわからないけど、例えばリアちゃんが魔王十指になりたいというのなら、実力とか審査されて新しい指に選ばれるなんてことはあるかもね。たぶんそんなことは起きないけど」
「なるほど。そういう感じなんだ」
「うぃ、大体そういう感じなんよ」
「それで本題なんだけどさ」
「うぃ」
「黄金の魔王について、教えてくれる?」
ぴくっと、身体を揺らすクリス。
そしてゆっくりと、リュエルの方に目を向けた。
リュエルの目は、真剣だった。
いつものような優しく愛おしい物を見る目じゃなく、まっすぐ、じっと。
ふざけてとか遊び半分でもなければ、偶然そう質問したわけでもない。
その瞳には、もう逃げないという覚悟が込められていた。
彼女は、それが二人の関係を変えるとわかった上で、その上で尋ねていた。
本当に、彼が好きなのだと証明するために。
「……そだね、何が知りたい感じ?」
「クリス君が思うように、教えて」
「大魔王クリストフ=ジークフリート・ハイドランド。世界を統べる、悪しき魔王なんよ」
「悪い人なの?」
「居るだけで悪。いちゃいけない。そいつが倒されることで、世界はようやくめでたしめでたしになるんよ」
「倒されないといけないの?」
「そう。彼がいる限り世界に平和は訪れない、そんな悪い悪いラスボスなんよ」
リュエルは空を見上げ、少しだけ考え込んだ後、再びクリスの顔をじっと見つめた。
「そっか。黄金の魔王は……ううん、クリス君は、誰かに殺されたかったんだね」
ずっと逃げて来た真実に、リュエルはようやくたどり着いた。
どうして彼が自分に期待をしていたのか、どうして敵になりそうな人が現れると喜んだのか、
そして、どうして痛かったり苦しかったりするとき程イキイキしていたのか。
今、その全てがリュエルの中で繋がっていた。
彼は、他者に痛みを与えらえることがないほど隔絶した存在だった。
彼は、他者と関わるだけで他者を殺すような化物だった。
彼は――退屈過ぎて、生きることに耐えられなくなっていた。
「――違うよ、リュエルちゃん。倒されないといけないんだよ。この世界のために」
それからしばらく、二人の釣り糸に何の反応もなく、無言で二人は静かな時間に身を置いた。
ありがとうございました。