古き知人/復讐者
草原を、不思議な何かが駆けていた。
それを疾走と呼べるかは甚だ疑問だが、ビュンと音を立て、ありえない速度でその『何か』は移動していた。
それが何なのか、言葉にするなら難しい。
だが、もし一目の印象だけで、それを言葉にするならきっと……。
『もふもふ』
それは、金色のもふもふだった。
小さな金色のもふもふした何かは、獣耳があることからかろうじて金色の綿あめではなく、犬系の何かであると判別できる。
ころころもふもふまるまるわんころー。
不思議な見た目のそれは化け物の襲撃をうまく退け、時に立ち向かいながら走り続けていた。
外見はもうぬいぐるみか何かのファンシーオンリーなのに、きっちりこの環境に対応できるほどの実力はあった。
通りかかる人がそれを見たら、相当驚くだろう。
きりっとした顔でぬいぐるみみたいな犬が、二足でドップラー効果を発しながら高速移動している姿は混沌極まりない。
本人としては大真面目なのだろうが、あまりのシュールさに二度見必須である。
彼――クリスは、必死だった。
必死に、自分が物語に関わろうと全速力で走っていた。
自分の『今の』実力では、今回の騒動において重要な役割を持つことは難しい。
古き追放された神々の反逆。
彼らは神々への憎しみや恨みを持ち、人類に対し己を信仰するよう脅迫し回っている。
それに立ち向かう、宗教都市国家フィライトの者たち。
構図としては、こうなるだろう。
重要人物となるのは、既に亡くなっているが黒幕の『アンサー』とフィライトの女教皇、魔王でもある『カリーナ』の二人。
そして、あちらの神々。
状況の解決としては、あと一人――ならぬ一柱の神を葬ることが、一番シンプルだろう。
ゲートを通れるのは五つであり、既に二つの孔が封じられ、残り二つは通って来た神を葬った。
だから、残りの神は一柱のみ。
それを倒せば増援はなくなり、ゲート封鎖にかける時間は幾らでも取れるようになる。
直にゲート封鎖を狙うのも選択としてはアリだ。
むしろ、それこそがカリーナの好みに合っているだろう。
直接戦闘のリスクを避け、自分の損耗を避け、スマートに解決させることが、カリーナの好む戦術であるとクリスは知っていた。
だからきっと今も何かプロジェクトが動いていて、そしてそれに乗っからないと、木っ端な自分は単なる部外者として終わってしまう。
それは嫌だ。
祭りに参加出来ないのも、野次馬出来ないのも嫌だ。
そんな退屈はごめんこうむる。
そういった理由で、ゲート封鎖を狙うであろうカリーナと合流するため、白い孔の真下に向かいクリスは全力疾走していた。
超巨大規模の封印解除術式は位置のずれで相応のリスクが生じる。
リスクを嫌うカリーナの性格を考えたら、そこに向かっている可能性が高かった。
とはいえ、これは単なる推測で、しかも大きな問題が残っている。
黒い孔ならともかく、異空ゲートと化した白い孔は既に相当の大きさとなっており、それを消すのは容易なことではない。
カリーナの実力では無理と言い切っても良いだろう。
だけど、それを踏まえても、きっとカリーナは封印を狙う。
おそらく、何か秘密兵器があるのだろう。
それは推測ではなく単なる願望である。
だが、他に行動指標もないため、クリスはそこに向かっていた。
そして――そこに居る彼らに目を向ける。
一人は、主要人物のカリーナ。
予想通り、彼女はそこに居た。
もうひとりの女性であるリュエルを見て、クリスは何とも微笑ましい気持ちとなった。
彼女はクリスが見込んだ勇者の卵。
今の制度でしかない勇者と違い、本物になるであろうと期待している彼女が、実力を一回り以上上げ、そこに立っている。
自分のいない間に、いろいろなことがあったのだろう。
それを思い描くと、感慨深い気持ちになれた。
是非とも、後で話を聞かないと……なんて心に誓うくらいに。
そして、相対する一人の男。
神ではないが、どうやら敵対陣営らしい。
そう思い、クリスはカリーナたちに合流しながら男の顔を見て――。
空気が、一瞬で変わった。
その男は、確かに今までも笑顔であった。
だけど、今の笑顔は明らかに雰囲気が違う。
獣が獲物を前にした時のような笑みと言えば良いだろうか、それとも表情とまったく一致していないというべきだろうか。
リュエルではなく、カリーナでさえも、男の感情に気付けた。
それほどまでに、男から発せられる怒気は凄まじいものであった。
そして男が怒気を向けたその先から、彼は現れた。
ビュンと、跳んでくるそのもふもふ。
当然、それに二人は見覚えがあった。
「クリス君!? 無事だった!?」
リュエルの言葉にクリスは頷く。
「うぃ。余裕だったんよ。そっちはどうも色々あったみたいだね。成長してくれてパーティー仲間として鼻高々なんよ」
「ありがとう。でも、今はちょっと余裕ないから、重要なこと聞くね」
「うぃ」
「クリス君に、ものすごい憎しみ抱いてるあいつのこと、クリス君知ってる?」
「うぃ。知ってるんよ」
そう、クリスが言うと男は口を開いた。
「お久しぶりです。噂には聞いてましたが……随分珍妙な姿をしておりますね」
その言葉の意味を、リュエルだけは理解できない。
この場で、リュエルだけはクリスの本当の姿を、クリスの真実を知らないから――。
「お久しぶりなんよ。でも、どうしてそこに居るの? ロイア」
クリスが男の名前を口にする。
それでようやく、カリーナは男の正体を理解した。
異常なほどの実力者である。
名が広まっていないわけがなかった。
とはいえ……その名は、カリーナが想像するよりもずっと悪名高い名前であったが。
その名を知っている者は、今この世界にはそう多くはいないだろう。
二百年という時間は、記憶が記録となるに十分な時間であったからだ。
だが、その役目を知らぬ者はいない。
歴史を学べば、必ずその名は出てくる。
『最後の勇者、リィン』
まだ魔族が人と呼ばれずにいた時代。
人魔融和時代へと至る過渡期、その最終盤。
勇者が人のため、魔王と戦うという本当の役目を持っていた時。
その時、リィンが連れた三人の仲間のうち一人。
それが『ロイア』であった。
弱いわけがない。
今と違う、本物の勇者時代に彼女の旅に同行した存在が、その果てに黄金の魔王と戦った存在が。
単なる勇者の仲間?
二百年前、今よりも強者がはびこっていた時代で、短命種である純人間でありながら、黄金の魔王の討伐を試み、そして相対にまで至った存在が、単なる仲間なわけがない。
そんなこと、今の魔王十指にだってできやしない。
時代は、劣化している。
技術は進歩し、便利なものは増え、人口は増えている。
だがそれに伴い、個人戦力の平均値が下がっているというのは、れっきとした事実であった。
その今よりはるかに個人が強い二百年前、最前線にいた人間のひとり。
それが、ロイアである。
カリーナは彼を直接見たことはない。
二百年前もフィライトはあり、その時から既に統治者であり魔王でもあった。
だが、彼女は危うきに近寄らずということで勇者たちを徹底的に無視した。
国に入って来ても単なる観光者と同じように扱い、過度な人類差別主義者がいれば同調し、国の膿を切り捨てる方向に向かった。
勇者から敵対する理由を取り上げ続けた。
土下座外交に近く、当時相当カリーナは叩かれた。
だが、あの判断は今でも正しいと確信をもって言える。
魔王にとって元来、勇者というのはそういう存在。
出会うことになった時点で失態と言えるだろう。
黄金の魔王と相対した。
その意味を真にわかるのは、強者のみだ。
その上で戦ったというではないか。
本当に、敬意を覚える。
あの化け物を相手にして戦いになるなんて、どれほど強かったというんだろうか――。
「ロイア……。そう、ですか。貴方があの……」
「知ってる人?」
リュエルはカリーナに尋ねた。
「名前だけは。貴女の先輩みたいなものです」
「先輩?」
「古の勇者、その仲間ですよ。とはいえ……彼らは色々な意味で本物ですが……。そうですよね、クリス様」
カリーナはわざとらしく話をクリスに戻す。
自分が語るよりも、その方が相応しいと考えて。
例えここで、黄金の魔王の正体がバレるとしても……。
「うぃ。彼らは本物なの。全員が勇者と言っても良いくらいに。だけど……随分と若返ったし、強くなってるね。何かあった感じ?」
「さあ、どうでしょうね」
「答えてくれそうにないの。残念。それでもお約束だから一応聞いておくの。どうして……勇者の仲間が、こんな非道なことをしてるの?」
「非道……ですか? 一体何の話でしょう?」
「別に、どちらの神に味方しても良いの。でも、この手段はいただけないの。フィライトの国民を巻き込んで苦しめる。それは、勇者のやり方じゃないの」
クリスの言葉にロイアは少し考え込む。
そして、ぽんと、手を打った。
「ああ。そういうことですか。どうやら勘違い……というよりも、理解力が足りていない様子で」
ロイアはこれまでの間接的に馬鹿にしてきた内容と違い、ドストレートに見下し、嘲笑していた。
「と、言いますと?」
「えっと、クリス……でよろしかったですよね?」
「うぃ。どう呼んでくれても良いの」
「ではクリスと。クリス、貴方は私が何をしていると思っておりますか?」
「黒幕の一人」
「ええ、それは正しいです。ですが……私は、今回の神様騒動と無関係です。正直やる気はありませんし、何ならそれなりの数の街を助けたりもしています。……この騒動の黒幕は、間違いなく彼、アンサーさんですよ」
「じゃあ、黒幕ってのは?」
「お前を狙ってる黒幕だ。化け物が」
ロイアはそう、吐き捨てた。
人を小馬鹿にしたような態度をとってはいたが、いつも柔和な表情を浮かべていた。
そんな彼とは思えないほど、強い憎悪を表情に宿らせ、クリスに叩きつけていた。
そう……この騒動の黒幕というのは、クリスの完全な勘違い。
ロイアはさらにその裏にいる存在の一人……つまり、黄金の魔王を追い詰める者の一人であった。
「あー……。もしかして、白猫ちゃんの飼い主さん?」
「それは違う人ですね。まあ、その同僚のようなものです」
激昂の表情を隠し、笑みを浮かべるロイア。
だが、それが偽りのものであると誰もが理解できる。
震えあがるような憎しみは、一ミリも陰りを見せていないからだ。
「ん。これも一応聞くけど、どうして?」
「おや。理由が必要ですか?」
「――無粋だったの。ごめんね」
「いえいえ。ただまあ、もし言うとするなら……それが、彼女のやり残したことだからですかね」
遠い眼差しをして、ロイアは呟く。
いまいち、彼らの関係がクリスにはわからない。
自分を討伐した後、彼らに何があったのかも。
恋仲になったとは聞いていない。
リィンの葬儀には参加したらしいが、涙一つも流さなかったそうだ。
一体どういう気持ちを持ち、どういう風な付き合いであったのか、他人であるクリスにはわからない。
だが……どうでも良かった。
自分を殺そうとしてくれている。
その事実が、純粋に嬉しいものだから、どうでも――。
ありがとうございました。