協力者
「心配なの?」
走りながら、リュエルは並走するカリーナに尋ねる。
表情に変化はない。
だが、彼女はまるで、心を後ろに置いていっていたかのようだった。
「……わかりますか?」
「何となく。でも、どうして? 彼らのこと、あまり好きとは思わなかったけど?」
「そこはわからないのですね」
「うん」
「じゃあ、女心という感じで」
「……露骨にはぐらかされた」
「ふふ、ごめんなさい。ところで、速度はまだ上げられますか?」
「余裕……。だけど」
「わかってます」
その続きに来る言葉が『貴女程速くは走れない』であると、カリーナは理解出来た。
カリーナは静かに詠唱を始め、リュエルに風圧軽減の呪文をかける。
リュエルの身体能力ならその方が速度が出ると考えて。
走りながら長文の詠唱を行い、魔術――オリジナル魔法をその場でアレンジし、リュエルに抵抗さえさせずに発動する。
どこをとっても一流では済まない実力の技法だった。
「やっぱり、凄いし、強いね」
「リュエルさんならすぐ追いつけますよ」
「嫌味?」
「事実です。さ、急ぎましょう」
言葉に合わせ、二人はまるで飛んでいるような速度で地を駆けだす。
自身に一切の強化をかけていないのに自分より速いカリーナに、リュエルは高い壁のようなものを感じずにはいられなくて、本当に追いつけると思っているのだろうかと疑心暗鬼な気持ちを胸にそっと抱えた。
一時間ほど走り続けてから、カリーナはリュエルの方に目を向ける。
彼女は静かに、横で着いて来続けていた。
――やっぱり、この子本当に強いですね。
これだけ速度を出しながら走り続けても、リュエルに疲労の色は一切見えない。
同時に、一時間一定の速度を維持し続けられている。
自分の現在速度を知る術がない中で、体感のみを頼りに速度を維持する。
それは相当肉体を上手く使えることの証である。
速度もカリーナ全力の六割ほどの速度は出ている。
この現状でも十分なのに、まだのびしろしかない若者というのだから末恐ろしい。
正直、もしもっと早く彼女に出会っていたら、きっと後継者に指定しただろう。
今はもう、その必要はないが。
「この速度なら、あと三時間くらいで到着すると思います。いけますか?」
カリーナの言葉に、リュエルは頷いた。
「そのくらいなら、速度もっと出せるよ」
「本当に優秀ですね。フィライトに亡命するつもり、ありません?」
「……不思議なこと言うんだね」
「あら? どこが不思議です? 本当に本心なのですが?」
「本心ではあるけど、本気じゃない」
「何故?」
「絶対そうはならないと確信してる」
カリーナは微笑みを浮かべた。
その、いつもの仮面を。
「さっきの言葉、ダメ元でさえない。単なる雑談。本心だからこそ、本気じゃないことが、不思議。どうして?」
「それは……」
黄金の魔王が、貴女を手放すわけがない。
だけどそれを言えないから、カリーナはいつもの微笑で話をごまかそうとして――。
「――止まって」
リュエルの呟きを聞いて、カリーナは足を止め一瞬で思考を切り替える。
リュエルの真剣な表情から、カリーナは何かトラブルがあったと推測出来た。
「何がありました?」
「わからない。わからないし言葉にできない感覚だけど、止まった方が良い感じがする」
リュエルとしても、それは本当に不思議な感覚だった。
強者の気配はなく、悪意や敵意は一切感じず。
感知に優れたリュエルでさえ、何も感じられない。
だというのに、ピリピリとした何かが、伝わって来る。
このまま知らずに進めば危険であると、心がざわめく。
勘ではない何かが、違和感を強く訴えている。
何かはわからないが、確実に何かがある。
珍しく、直感以外の何かでリュエルはそう確信していた。
カリーナは、リュエルのような何かを感じていない。
自分の方が圧倒的強者であり、広囲の索敵も出来るという確信も持っている。
それでも、リュエルを疑わなかった。
というよりも、基本的にカリーナは自分の力を絶対と思わず、同時に消極的戦略を基本とする。
疑わしい時は、怪しめ。
そしていつも以上に慎重に事を進めろ。
だから、今回も何もなくとも最大限の警戒を払う。
むしろ、それがリュエルの単なる感が違いであることを願ってさえいた。
だが……。
ざっざっざっと、足音が響く。
緩やかな速度で、それはまるで散歩かのようだった。
そうして一分、二分ほどしてから、その姿が映る。
そこに居たのは、見知らぬ男性だった。
別になんてことのないよくある村人の服装にサングラス。
長距離移動に適さない粗雑なサンダルを履き、ふらふらと呑気に歩くその姿。
何の雰囲気もオーラもない。
本当に、どこにでもいる村人Aだ。
だけど……違う。
単なる村人Aが単独で生きていけるほど、今この環境は楽ではない。
普通の恰好こそ、化物蔓延るこの環境では異常であった。
つまりこの男は、武器も持たず逃げもせず、この魔境を生き延びたということなのだから。
男は二人の方に近寄ると、サングラスを外し、柔和な笑みでぺこり。
そして両手人差し指に、銀色無地の指輪を付けだした。
「こんにちは。良い天気ですね」
ニコニコと、愛想よく挨拶を。
この白く巨大な穴によりモノクロームとなった空を、良い天気というのは皮肉なのだろうか。
リュエルとカリーナは男に対し返事をしない。
無視というよりは、怪し過ぎて声が出なかった。
それでも気にもせず、その男はただ微笑むだけ。
その様子が、何故か酷く不気味に見えた。
「おや。返事をしてもらえませんか。寂しいですねぇ。よよよよよ」
男はハンカチを取り出し、泣き真似をしている。
ふざけているとしか思えない。
リュエルは冷たい瞳を向け、男に尋ねた。
「貴方は敵?」
「あー……そうですねぇ。その質問はとても難しいです。正直言えば、敵かと言われたらこれまた微妙な感じで、かといって味方ではないですし……。でも貴女がたのような見目麗しい方の味方ですよと言いたい気持ちはある感じなのですが……」
うーんと腕を組んで、考え込む仕草。
イラッとしながら、リュエルは返事を待って……。
「まあ、あれですよ。心底やる気がないけど、お願いされたからしょうがなくお手伝いに駆り出されたって、感じですね。たぶんきっと」
「そう。誰にお願いされたの?」
「それは、知っているでしょう? もうお二人とも会ったはずですから」
「……わざと回りくどく話しているのは、時間稼ぎのため?」
その言葉を聞いて、男は目を丸くし、驚くそぶりを見せた。
「おや……今頃気づいたのですか? 案外鈍いんですね」
憎たらしい笑みを浮かべ、嘲笑する男の顔。
それが素顔なのだと、リュエルは理解した。
「リュエルさん」
カリーナの言葉に、リュエルは頷く。
そして、二人で連携を取り、男に攻撃を仕掛けた。
カリーナは距離を取り、後衛として氷、雷、炎の矢を同時に。
リュエルは新調した剣を持ち、寸断しようと渾身の力で刃を振るう。
だが……。
剣を振り抜いた直後、リュエルは嫌な予感を覚え、強引に剣を掴みながら後方に飛びのく。
斬撃を放った直後からの無理な姿勢での緊急回避は身体に負担が強く、足の筋にダメージが残ってしまう。
それでも、それだけ無理をしてでも離れないといけないような予感が、彼女を襲っていた。
そして、その答えはすぐに判明する。
「おや、良い剣でしたのに。まあ、良いでしょう。本命はこちらですし」
そう言って、男は一冊の本を取り出す。
それを見て、カリーナは顔を真っ青にさせた。
普段表情を変えないカリーナが、取り乱し取り繕うことさえも忘れるほどの物。
彼が手にしている本は、カリーナがずっと持ってきた『未来が記された書物』であった。
慌てて己の懐に手を入れるが、当然、そこに本はなかった。
「大切だからと言って、そこに意識を割きすぎると駄目ですよ。……ふぅん。こういう類のものですか。……私にとってもちょっと厄介なものですね。ですが……ま、良いでしょう」
男はふんふんと頷きながら本を読んだかと思えば、にこやかな笑顔になり……。
本を、カリーナの方に放り投げた。
山なりに飛ぶ本を、カリーナは茫然としながら見つめる。
そして本はまるでそこが定位置かのように、カリーナの手にすぽっとはまった。
「何がしたいの。貴方は」
リュエルは呆れ顔で尋ねた。
「いえ、別に奪う必要もなさそうでしたので……。それに、泣いちゃったら可哀想だなって思って」
優しい表情で、柔らかい言葉遣いで、まるで宗教者のような温かい話し方。
だけど、その言葉には挑発と侮辱以外の用途は全くなかった。
「ん、理解した。貴方、相当性格悪い」
「そう言われたこともありましたね」
リュエルははぁ……と、小さく溜息を吐く。
状況が良くわからない。
この敵がよくわからない。
だから、単純な思考回路に切り替える。
「カリーナ様。こいつをぶちのめさないと、先に進めないよ」
茫然としたまま本を抱いていたカリーナは、はっと我に返る。
そして本を大切に懐に仕舞った後、長い杖をどこからか取り出し構えた。
油断していたわけではない。
相手を侮ったつもりもない。
カリーナは確かに、全力であった。
特に、一度本を取られてからは、慢心は欠片もなかった。
だけど――想像していなかった。
相手が、自分よりも遥かに格上だったなんて。
別にカリーナが思い上がっているとかではなく、それは単純な事実。
魔王十指というのは頂点の十人に等しい。
別に自分達だけが特別なんて思い上がっているわけではない。
自分たちと同格の奴や、自分たちより強い人もこの世界にはいる。
特に、血の古い者の多くは力を隠し、生きている。
だけど、腐っても、にわかでも魔王は魔王。
そこいらにいる『ただの人』に対し、何も出来ないなんてことは、あり得ないことであった。
それだけの強者であるのなら、見覚えの一つくらいありそうなものなのに、見覚えがない。
それが、不気味であった。
魔術……それも既存の魔法形態とは全く異なる完全オリジナルの拘束術を使い、鎖を呼び出しこちらを拘束する。
肉体も俊敏で怪力。
武器を持っていないままでリュエルを揶揄うくらいには、近接もできる。
だが何より厄介なのは、その手癖。
こいつの最大の武器は……『窃盗』だった。
「あっ」
リュエルは、自分の手ではなく男の手に握られた剣に気が付く。
正面から向き合い、斬撃を放つ最中に、スられていた。
そんなわけがないと常識は言っているが、現実が常識を否定する。
この男は、どれだけ警戒しても正面から気付かれず物を盗めるような、そんなあり得ない技術を身に着けていた。
「良い剣だね、本当に。どうしたの?」
「貰い物」
「愛着はない?」
「ない。私、武器に愛着あまり持たないタイプだから」
※クリス君からのプレゼントは除く。
「ですか。じゃあこれ貰って良いです? 良い値段で売れそうなので」
「駄目。それがないと貴方を切れないから」
「……それは残念です」
そう言って、男は苦笑しながらリュエルに剣を返す。
何となくだが、リュエルとカリーナはその法則性に気付いた。
肝心な道具を盗んでも、男は必ず後にそれを無事な形で返す。
それを持っていれば戦闘はこちらの敗北になるとわかっていたとしても、必ず。
代わりに二言三言の会話を挟む。
つまり、男は返却の対価として、時間を奪っている。
本当に、ただ時間稼ぎのみに徹していた。
敵対する気はあまりないし、それにやる気もそんなにない。
欠伸をする男を見て、リュエルはそうだと確信した。
「本当に、どうでも良いんだね。神様の仲間なのに」
「いえ、仲間ではないですよ」
「じゃあ通して」
「すいません。仲間ではないのですが、契約をすることになりまして……。断れないんですよ。まあ、繊細な乙女二人と出会えたのを光栄と思い、ぼちぼちと頑張りますよ」
「いちいち遠回しに馬鹿にするのも契約?」
「いえ、これはただの趣味です」
「良い趣味だね」
「ありがとうございます」
そう……会話は通じるのだ。
会話した分だけ、時間を無為にできるから。
リュエルは困った顔をカリーナに向ける。
カリーナも、正直どうしようもなかった。
頭の中で、『なぜ』がずっと渦巻いていた。
なぜ、こんな人材がいきなりぽんと出て来たのか、なぜこいつは魔王になっていないのかと……。
ありがとうございました。