カリーナの屈辱
正直に言えば、カリーナに陳述したいことは山ほどあった。
ミューズタウンは既に飽和状態を超え、秩序崩壊の手前となっている。
大勢の避難民に軍事能力の不足。
治安誘導もままならず、食料不安が上にも下にも広がっていく。
それでも何とかやっているのは、皆の心に神がいるからと、過労死と気絶の間を反復横跳びしながら、ハムスターの回し車のごとく運営を回し続ける文官のおかげに他ならない。
ルナを含め、多くの内政官が膨大な量の仕事をこなしつつ、ギリギリどころか足りていない資材をどうやってかうまく調整して賄い、綱渡りの日々を毎日こなし続けている。
だから、教皇という最高指導者であるカリーナに言いたいことも、頼りたいことも、任せたいことも多い。
全てを投げだし解き放たれたいと願わない文官は一人もいないだろう。
それでも、アルハンブラはそのすべてを無視する。
わかっているからだ。
自分たち以上に、国に余裕がないことが。
そうして早朝……再び会合が始まる。
食事類の持ち込みは厳禁となっている。
馬鹿が美味しそうな香りに釣られこちらに来ないために。
「単刀直入に。最終計画を実行しますので、その協力を要請します」
カリーナはそう結論だけを伝え、具体的な内容を開示する。
目的は、空に見える白い孔の完全封鎖。
あの孔がなくなれば、最低でもあちらの神がこちらに来ることはなくなる。
そうなれば相手がどれだけ脅威であろうともリソースの差でこちらの勝利が確定する。
世界が繋がらない限り、この世界に生きる者が負けることはない。
例え神相手であろうともだ。
だが、そのために、穴の真下付近にまで移動し封鎖のための儀式を行う必要がある。
あちらが舐め腐って放置してくれたら良いが、その可能性は限りなく低い。
確実に、こちらの動きは捕捉され、潰される。
そのためにこちらは武力に優れた護衛を求めている。
神を相手にしても逃げず、命を賭け時間を稼いでくれる仲間を。
それが、レオナルド……というかアルハンブラ達に協力を求めた理由だった。
それに付け加え……。
「その上で、貴方がたに特別な何かがあることを、私は知っています。この状況を攻略するに役立つ、通常戦力以上に有効な何かを」
そう……求めているのは、通常戦力ではない。
何か特別な、所謂『スペシャル』である。
そしてそれを彼らが持っているからこそ、彼らは書物によって協力者と選ばれた。
「何か……ですか?」
「はい。心当たりは御座いませんか? 敵対する存在に対抗する能力や、状況。貴方たちの仲間のどなたか、もしくは全員に、何かあるはずなんです」
「……一つ、心当たりがあります」
「それは?」
「話すのは構いません。ただ、疑わないと誓って頂けますか?」
「荒唐無稽なのですか? もちろん信じますが……」
「いえ、違います。……謀反の疑いを掛けられるような、そんな類の状況ですから」
「……誓いましょう。貴方もですが、彼がそんなことするとは思えませんので」
そう、レオナルドが裏切るわけがないのだ。
裏切りに気付かせないほどの能力がないのだから。
むしろ裏切ったその日にドヤ顔で自慢して裏切った相手もろともに自爆するのがレオナルドのこれまでであった。
「そう……ですね。その通りです。その上で言いますと、我々は、彼らとこの世界で、彼らと敵対していない数少ない人間です」
「敵対していない……ですか?」
「はい。極論で言いますと、我々は皆、白蛇だけでなく他の、どの襲撃生物からも襲われません」
「ですが、このミューズタウンは……」
「はい。襲撃の頻度は下がりましたが、それでも確かに襲撃はあります。でも、それはここには我々以外も大勢いるからに他なりません」
「その、我々というのは……」
「――レオナルド様と、その配下です」
何とも言いづらそうな表情と、何と答えたら良いのかわからないカリーナ。
沈黙の中、二人ともあまりに神妙な面持ちをしていたから、リュエルは横で笑うのを堪えるのに大変だった。
それは数日ほど前のこと。
一度、呼羅と呼ばれる神が襲撃に来て、そして何も襲わず帰ってから、急に襲撃が激減した。
一体どういうことか、何が理由でどういう変化なのか。
それを不安半分期待半分で調べていた時、馬鹿がいつものようにやらかした。
朝、馬鹿が急にいなくなったのだ。
何の連絡も書き置きもなく、急に煙に包まれたように。
当然、配下は皆大パニックになった。
難民たちが誘拐したのか、それとも金目当てで捕まったのか、はたまた誰かをいつもの感じで馬鹿にして刺激したのか。
あたふたと慌て回る配下たちを後目に、レオナルドが三時間ほどしたら戻って来た。
『何を遊んでいるんだ貴様らは。俺がいないと仕事も出来ないのか』
呆れ口調で、馬鹿はそうのたまいやがった。
しかも、釣り竿持って。
話を聞くとこの馬鹿、秘密のスポットを見つけたとか言い出してこっそり抜け出し、釣りをしていたそうだ。
しかもそのスポットとやらは、街の外である。
繰り返す。
街の、外である。
守りが一切なく、見回りが来ないような、そんな場所。
怒ることさえ忘れるほどに、アルハンブラたちは顔を真っ青にした。
しかも今日だけでなく、既に三度は向かっているそうだ。
この辺りは人が多いため、必然的に襲撃も多い。
バリケードがトタンに近い物を適当に並べたなんて粗雑なのは、襲撃頻度が多く真っ当なものを用意出来ないから。
それ程であるため当然恐怖や不安は相当に強く、精神的に追い詰められ地下から一歩も出なくなった人も徐々に増えつつある。
そんな中で、何の準備もなく釣り日和と早朝、釣り竿一本片手に外の世界に。
馬鹿が馬鹿たる所以を痛いほどに思い知るような、そんな内容である。
ただ、その馬鹿の馬鹿によって、悲しいことに研究は一気に進んだ。
普通の人だったら単独で外の世界に居て釣りなんてしようものなら、百パーセント殺されるからだ。
一度なら万に奇跡の偶然もあり得るだろう。
だが、二度三度と続けてそんな結果になることはない。
それほど外の環境が温いのであるのなら、難民がこれほど集まることはなかった。
遠方から、餓死覚悟でここまで逃げ延びた人などいなかった。
つまり、あの一件以来、レオナルドは敵の神勢力により敵から特別に除外されているということになる。
さらに調べた結果、除外対象はレオナルドだけではなく、レオナルドを信奉する配下も含まれる。
それどころか……。
「試しに難民の方に協力を申し込んでみたんです。レオナルド様の配下を、一時的にやってもらえませんかと。その結果――配下の間だけは、彼も、襲われませんでした」
実験の方法はこう。
アルハンブラとその仲間十人と共に、一時間だけ部下になるとレオナルドの前で宣言させた難民一人と外に出る。
そして一時間そこで待つとどうなるか。
結果として言えば、ぴったり一時間後に、難民は襲われた。
一つ、レオナルドは襲撃に遭わない。
二つ、レオナルドが認めた配下は襲撃されない。
三つ、レオナルドと自身が認めるだけで、配下認定となる。
これが、アルハンブラたちが見つけ出した、襲撃法則であった。
「ですので、事後報告で申し訳ございませんが、難民の方で信仰を捨てられる方が居た時は、信仰を捨ててレオナルド様の庇護下に置かせていただきました。その方が、襲撃の頻度が下がりますので」
「それは構いません。強制でないのでしたら」
「そこは誓います。事実、絶対安全とわかってもレオナルド様の部下に認定できたのは、せいぜい二割程度です」
信仰を捨てられないというだけでなく、単純に信用という問題もある。
あちらがレオナルドを信用出来ないのもそうだが、こちらからも……。
難民は確かに純粋な被害者である。
だが、被害者が善人というわけではない。
むしろ苦しいからこそ魔が差しやすい。
手を差し伸べることも難しいほどに。
だから、こんな便利な力がありながらも、精々二割程度しか配下は増やせずにいた。
「――それが、あなた方の特別ですか」
「はい。我々の知る、唯一の特別です。……そして猊下の最終計画でこの特別を最大限生かすには、猊下にとって大変屈辱的な思いを受けて頂くことに……」
レオナルドの配下が外に出れば、神はともかく蛇等の敵には襲われなくなる。
ただし、それは彼ら配下のみ。
それ以外の人には効果は適用されない。
配下九人とそれ以外一人で外に出れば、その一人に対し襲撃が行われる。
十分の一程度と考えたら非常に有用だが、それでも絶対とはならない。
その力を絶対とするには、レオナルドの配下の割合を十割にする必要があった。
つまり……。
「……これが、最後の試練なのですね……」
カリーナはわなわなと震え、空を見上げる。
今は繋がらない信仰たる神、ユピルに……。
レオナルドの配下になるということ。
それは女教皇という神の配下という身分に居るカリーナにとっては、信仰を捨てることと同意であった――。
信仰を捨てること。
それは彼女にとって決してかるいものではない。
彼女は神を信仰しているか怪しい素振りの演技をしていたが、それでも、心から神を信仰していた。
だけど、それと匹敵する程に、あの馬鹿に頭を下げ、部下になることもまた辛い事実であった。
「キキッ! キキキキキッ! 愉快愉快! これほど愉快なことはない! ようやく貴様も己の分を弁えたようだなぁ。かりーぃなぁぁぁぁあ! キキキキキキッ」
これでもかと調子に乗って、カリーナの頭をぺしぺしと叩くレオナルドに、周囲は全員苦い顔をする。
レオナルドの配下たちは、曲がりなりにも貴族相当であるレオナルドの仕事を代行している。
それゆえに、カリーナがいかに為政者として優れ、尊敬に足る存在かを知っている。
そのカリーナを主が見下し侮辱するという行為には、どうしても気持ち的にもやる。
自分達でもそうなのだから、カリーナの部下達からしてみれば血涙を流す程に悔しいだろう。
それでも、彼らは黙って見ていることしかできなかった。
最も屈辱的であるカリーナが、我慢しているのだから。
ぷるぷると震え、頬を上気させ、半泣きになりながらうつむいて……。
それでも、カリーナは必死に、我慢していた。
「まあ、貴様のような無能は本来俺の部下に不要! な! の! だ! が! 特別に、貴様を配下してやっても良い! もちろん、そのためにすべきことは、わかっているだろうな?」
ねっちりとした嫌味な目線を向けるレオナルド。
その行為は、部下としてもレッドゾーンを大きく超えているため、アルハンブラがぶん殴って主を止めようとするのだが……目くばせで、カリーナがアルハンブラたちに『止めるな』と伝えてきた。
そう……不要であった。
カリーナとて、全てを捧げる覚悟などとうに出来ている。
魔王となり、教皇となり、この国の母となったときから、その程度の覚悟は。
「私の純潔を、捧げさせていただきます。レオナルド様……」
俯き、顔を見せないようにして、平坦な声で、カリーナはそう答える。
それを聞いてレオナルドは……。
「純血? いや、貴様の血など興味ないが? 一体何を言っているんだ?」
「その……伽のことを……」
「研ぎ? 刃物でも研ぐのか? わけわからん。お前は本当に無能だな」
「は、はぁ!?」
「良いか!? 無能で馬鹿な元国王の貴様に、教えてやる。俺の部下になりたいのならば、まずは一日三度、俺を褒め称え頭を垂れろ! 続いて、貴様の先輩たちに教えを聞き、その無能を少しでもマシにしろ! まずはそれからだ。それが出来たら……末端の見習い程度には、認めてやっても良いだろう……。キキッ! キキキキキッ!」
腕を組み、ふんぞり返り、見下して。
レオナルドに、悪意も邪気もない。
こいつにあるのは、自己顕示欲だけ。
カリーナを見目麗しき女性とさえ捉えておらず、急に落ちてきた目の上のたんこぶ程度にしか見ていない。
まあ、つまるところ……カリーナが想像する以上に、レオナルドという男は、馬鹿だった。
「これから毎日、馬鹿に頭を垂れ続け、美辞麗句を口にし続ける日々かぁ……」
それは正直、身体を委ねること以上に心に来ることであって、カリーナは空を見上げながら、静かに涙を流した。
「あ、レオナルド。ちょっと良い?」
話の一区切りを待って、リュエルはひょいと参加した。
「む? 何だ? というか貴様……誰だ?」
「クリス君覚えてる?」
「ああ。無論だ。ロロウィの友で、我を慕う配下の一人だな」
「そのクリス君のパーティーメンバーで仲良しなのが私、リュエル」
「ほぅ。それで?」
「クリス君同様に、私も貴方の仲間にして」
「良いだろう。だが、わかっているだろうな? 俺の仲間になるというのなら」
「カッコいいレオナルド様。これで良い?」
「良かろう。リュエル、その名を覚えておいてやろう。キキッ!」
「是非クリス君とセットで覚えて。二人一緒ならもっとレオナルド様の役に立つから」
「良いぞ! どこぞの愚かな馬鹿女とは違い、良く出来た奴だ」
そんな自分の時と全然違う軽い問答を見て、カリーナは世の不条理を感じずにはいられなかった。
ありがとうございました。