借り貸しの関係
屈辱だった。
男にとってそれは、敗北などよりよほど強い苦渋に満ちていた。
敗北したわけでもないのに、負けたフリをして逃げなければならなかったことは、その身を八つ裂きにされるよりも尚、屈辱的であった。
確かに、あのままいけばおそらく自分が負けていただろう。
だからまあ、負けと言えば負けと言っても一応は決して過言ではないかもしれない。
それでも、まだ勝敗は決していなかった。
きっと、もっと盛り上がった。
男の方は、まだまだ隠し玉があるようだった。
女の方は急成長を重ね、もっと面白くなった。
男が全力を尽くし、女が急成長を見せ――その先の戦いは、なんと甘美なものになっただろうか。
だけど、駄目だった。
その願望が叶うための時間が、男にはなかった。
男――呼羅は、神である。
他の神を救うという名目を持って、この地に舞い戻って来た。
そんな呼羅の『思うがままに戦いたい』という望みは、勝手が許される範疇を超えていた。
「と言っても……こりゃたぶん俺が言っても駄目だろうなぁ」
言われた通り命導天の元へ戻りながら、呼羅は考える。
バトルジャンキーの脳筋であるのは事実だ。
とはいえ、逆に言えば、その程度の単純脳でも生きていられる程度には、戦いに関しては考えていた。
今、呼羅の角は一本だけ。
片方はぽきりと折れている。
それはあの戦いを逃げるためと、生きていることをごまかすのに使った代償だった。
そこまでしなければ、彼らの目を誤魔化すことは出来なかった。
これはただ角が折れたというだけではない。
呼羅の神としての力は、角の部分がほとんどを占めている。
つまり、片角となった今の呼羅は全盛期の五割の力しか使えないということである。
そんな自分が、命導天が救援を求めた相手の前に行っても役に立てる可能性は低い。
この命をもってしてもかの神を救えるのならそれでも良い。
だが――きっとそれさえ不可能だろう。
呼羅は冷静だった。
冷静に、戦局を分析する。
五割の力となった自分では、できることはほとんどない。
自分の未来は閉ざされている。
命導天もおそらく駄目だ。
彼の真の実力は、他者に聖遺物を貸し与える点にある。
配下や同盟者の神が揃っていない以上、これから盛り返す可能性もない。
誰であれば良かった?
誰が呼ばれていれば、この地を征服し、同胞たちをこの世界に戻してあげられた?
憎き神々を皆殺しにできた?
そんなの、一人しか知らない。
少なくとも、呼羅にとってそのお方はたった一人だけ。
だから、呼羅は己の役割を理解した。
「かしこみかしこみ、かしこみ申す……。不肖の弟でごめんな、姉さま……」
呼羅は己の力の残りである角を、自らの手でへし折る。
そしてその身体が消える前に、空に輝く白い孔へ角を放り投げた――。
激戦の末、リュエルはゴドウィンと二人で馬車の中にいた。
理由はリュエルにもよく分からない。
ただ、ゴドウィンに何かお礼ができないかと尋ねたら、『国に戻る時に着いて来てほしい』と言われたことがきっかけではある。
一度着いて来てくれたら、またすぐフィライトに馬車で送り届ける。
ついでに武器とか便利そうなものとか渡す。
俺が信用できないなら、俺は馬車に乗らず、並走で追いかけてもいい。
そこまで言われたら逆に怪しいのだが、彼に悪意がないことをリュエルは視ている。
彼は本当に、誠実だった。
リュエルに対して一度たりとも嘘をついていない。
ただ、本当のことを言わなかった時があるだけで。
ゴドウィンは誠実ではあったが、隠し事がないというわけではない。
間違いなく、彼には何か裏がある。
それを含めても、リュエルは彼が信用に足る存在だと考えていた。
また、リュエルにはその申し出がありがたいと思える、もう一つの理由があった。
それは、武器について。
リュエルの持っている武器は、相当な名剣だった。
一流どころと比べれば流石に見劣りするが、それでも無銘とは思えないほど出来が良い。
質実剛健というべきか、実直で素直というか――そんな拾い物。
クリスの目利きで、一般市場ではこれ以上は無理という限界値に近い、優れたものであった。
それは、クリスとの武器探し(という名目でしたデート)中に発見したもので、同時にクリスからのプレゼントでもある。
思い入れがないわけがなかった。
そんな武器が、残念ながら刃こぼれが酷いことに。
正直、こうなる原因の思い当たる節はあり過ぎるくらいだ。
呼羅の激しい斬撃を防ぎ続けた。
呼羅の放つ飛ぶ斬撃を模倣してみせた。
挙げ句の果てに、爆発する赤いビーム剣までコピーしたのだ。
相当無茶をした自覚があるし、剣にも無茶をさせた自覚もある。
だからまあ、この結果は当然としか言えなかった。
ショックではあるが。
修復することは出来るだろうが、ここまで刃こぼれが酷いと刀身の長さにさえ影響がある。
いくら頑強な剣とは言えそこまでして同様の実用性を維持出来るとはあまり思えない。
だから、武器の代用品を用意する必要があって、リュエルはゴドウィンの申し出を受けることにした。
「……うーん。やっぱりさ、納得いかないんだよねぇ」
無言の沈黙に飽きたのか、話し相手に飢えていたのか、ゴドウィンはぽつりとそう呟いた。
「何が?」
「俺の技を君が使ったこと」
「何が気に入らないの?」
「いや、気に入らないわけじゃない。納得できないだけ」
「努力もなく真似されたら不快だよね。でも、貴方たちも他の人から見たらそういう理不尽でしょ?」
魔王十指、この世界の頂点。
彼らは凡人の血が滲むような努力を、生まれた瞬間から乗り越えている。
才能、環境、努力、運。
すべてを持ちし傲慢なる者を、嘲笑いながら見下す存在。
それが魔王十指。
そんな彼らが自分たちの技を模倣された程度で、なんと器の小さいことだ……と、リュエルは思ったが、どうも違う様子であった。
「いや、真似できるならどんどんしてくれて良いし、是非とも真似したってアピールしてほしい。ついでにかっこいい名前でも付けてくれたら、なお嬉しいね」
「名前って……」
「いやいや! 大事でしょ? だって必殺技だよ? かっこいい名前があるとテンション上がるし、技と一緒に名前も売れたら『あいつ……〇〇使いの……』とか呼ばれるんだぜ!?」
「どうでもいい」
「ええー! もったいない!」
「じゃあ、そっちはなんて名前なの?」
「え? 俺?」
「そう。そっちは何かかっこいい名前あるんでしょ?」
「……あの、赤ビームだよね?」
「そう。赤ビーム」
「……えと、……『すごい赤ビーム』……とか、じゃ駄目?」
「自分も付けてないじゃん」
リュエルは小さく溜息を吐いた。
「いや、俺は良いんだよ! そもそも必殺技とかじゃないし! もっとズバーン! って感じの技とかあるからさ」
「でも、あの場では一番頼りになったんでしょ? 必殺技じゃなくて、赤ビームが」
「うん」
「じゃあ駄目じゃん」
「ええー……」
ゴドウィンは何ともやるせない気持ちとなり、そこで会話を打ち切る。
だいぶ本題から話が逸れてしまったし、何より本題も別に大した内容でもない。
ゴドウィンとしても、自分の技が使われて彼女が助かるのなら、それで全然構わなかった。
問題視しているのは、理不尽ということではなく、疑惑の方。
なぜ、リュエルが自分の技を使えたか。
あれは、リュエルには絶対に使えないはずなのに。
正しく言えば、あれは技でも何でもない。
あの赤い閃光……あれは種族的特徴の概念そのものである。
ゴドウィンとしては、生まれた時から当然のように使えた。
手足を動かすことと何も変わらない、その程度のものだから、名前さえもなかった。
もし、あれに名前を付けるならば――『ブレス』。
ドラゴンが放つブレスが、ゴドウィンにとってはあれになる。
だからこそ、あり得ないのだ。
なぜ、リュエルがブレスを使えた?
もっと正しく言うなら『ゴドウィンのブレス』を弱体化していたとはいえ、なぜ完璧に模倣できた?
それは努力や才能でどうにかなるものではない。
おそらく、他のドラゴンもゴドウィンのブレスを真似することは叶わない。
ブレスとは、ドラゴンにとってその個体の生き様であり、その在り方を示す手段、唯一無二。
それが真似されたわけなのだから、大変なことなのだが……。
「まあ、そういうこともあるか」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でも」
ゴドウィンは微笑を浮かべながらそうとだけ答えた。
「結局さ、借りて良いの? 駄目ならもう使わないけど」
「どうぞどうぞ。それで君が救われるなら光栄の極みさ」
「そう。……貴方のことは、正直嫌いじゃない。だから、もう少し本音で話してくれない?」
リュエルはぽつりとそう呟く。
ゴドウィンは単純で、単調で、能天気で。
そして嘘をつかない。
だけど、本当のことを言わないことが多々あった。
「……そうだね。本音で言えば……君に恩が売れるから、使ってくれた方が俺に利があるかな。俺に一切損がなく、君に優位に立てる。今後君にお願いとかしやすくなるね」
今度はちゃんと、誠実に本音を。
それが、ゴドウィンの『本当の気持ち』だった。
王様として、国への利益を考えて。
「ん、了解。……ちゃんと出来るんだね。王様らしいこと」
ゴドウィンはやれやれと両手を広げた。
「らしい程度が俺の限度さ」
いかにも「苦労してます」アピールしていたけど、愚痴を聞くほど親しくないと思って、リュエルはそっと無視をする。
ゴドウィンがしょんぼりしつつ何か言いたげだったけど、気にしないことにした。
ありがとうございました。