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たぶんきっと追放物


 その部屋を前にする彼女の表情には、どこか重苦しい影の様な物が宿っていた。

 元々彼女は表情が乏しく、鉄面皮なんて陰口が叩かれる位には堅物扱いされている。

 それでも、今日のそれはいつもの堅苦しさとは異なって、明らかに何かを憂いている表情であった。


 その部屋、つまり玉座の前にいる彼女は、明らかにその扉を開け放つ事に躊躇していた。

 何時もならばさっさと開け、中にいる主の狼藉を叱っているというのに……。

 ()()()()()()()()で考えるならば、今日がその唯一無二の日となるだろう。


 彼女の名はヒルデ。

『ヒルデ・ノイマン』


 名目上は副官で、実質は大魔王ジークフリートの側近。

 つまり、このハイドランド王国のナンバーツーである。


 とは言えやっている事自体はむしろその外見通りの内容で……つまり、彼女の本業は事務仕事である。

 スーツ姿に伊達ではあるが眼鏡をかけ、背筋はいつもピンと伸びていてショートカットの髪もびしっと固めて……。

 極めて知的かつ冷酷そうなクールビューティー。

 秘書の様な外見というか、彼女の役割は秘書そのものであった。


 内政関連のトップである彼女の能力は非常に高く、同時にその役職故に周囲への露見も非常に多い。

 そんなだから彼女が今の魔王だと勘違いしている者は市民だけでなくこの城で働く者達でも大勢いた。

 また同時に四天王の五人目だとか、フィクサーだとか、影の支配者だとか、そんな噂も多々転がって……。


 実際に、彼女は魔王の業務を全て代行しており四天王への直接の命令も彼女が行っている。

 外征、内政、軍事、あらゆる業務を兼用しその全ての責任者でもある。

 更に言えば、その実力もハイドランド王国トップの四天王を勝るとさえ言われている。

 だから彼女が支配者というのはあながち的外れではないのだが……それでも、彼女はあくまで副官に過ぎないという自負がある。

 例え自分が世界で二番目に強かったとしても、真ある黄金の前には誤差でしかないと彼女が知っているからだ。


 故に彼女は、己を真なる黄金を支える者であると定めた。


 尚、魔王の実態を知る四天王達にとってヒルダは秘書と呼ぶよりもお世話係と呼ぶ方が近いと思っている。

 もしくはペットシッター。

 彼女の重要業務の一つには、あのもふもふを維持する事も含まれていた。


「――はぁ」

 ヒルダは小さく、そっと溜息を吐く。

 ――せめてもう数日時間があれば……というのは、ただの言い訳ですね。

 そんな事を考えてからすぐに女々しい気持ちを切り替え……彼女は何時もの表情に取り繕って、扉を開いた。


 部屋に入って見るいつものナマモノ。

 玉座で丸くなっている主を見ながら、今度は内心だけで溜息を吐いた。




 いつもと違ってただ見ているだけのヒルダに気付き、クリストフは全身の毛を逆立てぴょいんと玉座の上を飛び跳ねる。

 そして漫画とノートとマジックを隠し、両手をぱたぱた動かした。

「ち、違うんよ? えっと、これはそうじゃなくて……」

 いつも怒られているから反射の様に誤魔化そうとする。


 とは言え、クリストフ自身だってわかっている。

 食べかすに油汚れ、マジックの後。

 言い訳なんて出来る要素は、何一つない。


 だから言い訳しながらもいつもの様に雷が降って来るかねちねち叱られるかを覚悟しているのだが……その日は何時もと違い、何のお叱りもなかった。


 ヒルデはそっと跪き、そして見上げる様にクリストフを見た。

「我が主。大切なお話が御座いますので、会議室の方までお越しいただいても宜しいでしょうか?」

「どの会議室?」

「第三の方です」

 その返事を危機、クリストフは考え込む仕草をする。


『会議室』

 この魔王城にそんな物はない。

 作戦室や内政議会室などはあるが、それは会議室とは明確に異なる。

 わざと、会議室と呼ばれる物は用意していなかった。

 つまり会議室と言う言葉そのものが一種の隠語であり、その意味は盗聴対策が必要な場所での内密な話があるという事。

 しかも第三会議室となるとその内容は『国家存続についての重要案件』絡みとなる。

 要するに、笑えない話という事だ。


「……久しぶりに、私が動いた方が良い話かな?」

「そうであれば本当に良かったのですが……」

「違うの?」

「はい。主が戦う事はありません」

「そか。じゃあこのままの姿で良いね」

 戦いでないのなら、自分はどんな姿でも置物に過ぎない。

 それの自覚があるからこそ、クリストフはそう答えただ微笑むだけ。

 その姿が痛々しくて、ヒルデは自分の表情を誤魔化す様に背を向けた。




 一端二人は別々に別れ、別々の道で移動し、傍に誰もいない事を確認してから、目的の部屋の前で合流した。

 地下牢獄の、奥の部屋で。


 この地下牢獄は既に使われなくなってから長い。

 だからこそ傍に誰が来てもすぐにわかる。

 その上伊達に元地下牢獄と言う訳でなくセキュリティも最高ランクである為、内緒話をするのにはうってうってつけの場だった。


 扉を開け、彼らは狭い個室に入る。

 その部屋には既に先客として、舌にピアスをつけネックレスじゃらじゃらとどこかちゃらい金髪の男が行儀悪く椅子の上で寝転がりながら漫画を読んでいた。


 男の名前は『ヘルメス』。

 大魔王ジークフリート四天王序列第四位。

 神出鬼没のトリックスターで、とてもではないが城勤めには見えない風変りな自由人。

 残り三人と比べて歴史は浅く、精々二百年程度の新参者である。

 それでも、二百年全く老けずにその座を維持する程度の力は持っているが。


「あれ? 珍しいねヘルメス」

 クリストフの言葉にヘルメスは片手を挙げ雑に返事した。

「うぃっす大将。確かに俺もそう思う。口は軽いし適当だし約束事だって五割は忘れる。俺程相談事に向いてない奴いないよな」

「どうだろう。男同士の内緒話の時は絶対口を割らないって信頼してるよ。でもまあ、ヒルデと一緒に仕事するタイプとは思わなかったかな」

「そうでもないっすよ。俺結構ヒルデちゃんの仕事手伝ったりしてるしー」

「あ、そうなんだ」

「俺、女の子は大切にするタイプだからさ。ま、下心ありありだから避けられてるんだけどね」

 そう言って、ヘルメスはケラケラと笑った。


「避けてはおりませんよ。面倒だから放置してるだけです」

「あ、そなんだ。嫌われてないならオールオーケー。という訳でこれからデートしない?」

 ヒルデにギロリと睨まれたヘルメスは両手を上げた後口を噤んだ。


 そう、嫌ってはいる訳ではない。

 ただ単純に、ヒルデはヘルメスの事が気に食わないだけである。

 ヘルメスの字名は『ロキ』。

 トリックスターである事を最大限発揮する為と、宮廷道化師の様な役割も帯びているからこそのその名。


 つまり……ヘルメスは公的に、主であるクリストフを『裏切る事』が許容されている。

 その代わりに、面白さを最優先をする事を義務付けられているが。


 魔王代行業務を行う責任者のヒルデと裏切りさえも仕事なんてフリーダムなヘルメス。

 水と油よろしく相性が良い訳がなかった。


 それでも、ヒルデはこの場に彼を招集しなければいけない理由があった。

 自分にとって苦手な分野が混じっている事もそうだが、単純にヒルデがヘルメスに頼らなければならない程、今の状況は厄介な物となっているからだ。


 具体的に言えば、ヘルメスが悪ふざけをする余裕を失っている程度には、現状は最悪である。


「では、さっそくですが、状況説明を始めます。我が主。良いですよ、落ち着いて、良く聞いて下さいね」

 とても言い辛そうに、申し訳なさそうに、ヒルデは何が起きているのかとどうすべきかを語りだした。




 クリストフは戦い以外は無能である。

 それはもう絶望的に正しく、どうしようもない事実である。

 怒られるのを誤魔化そうとする位の浅知恵はあるがその位で、その中身はもう子供みたいな物と言っても良い。


 黄金の魔王という世間の評価とは正反対の能力しか持ちあわせていない。

 だからまあ……ヒルデの『状況説明』を聞いても頭の上にずっと疑問符を浮かべ続ける事しか出来ずにいた。


 ヒルデが必死にかみ砕いても十分の一も伝わっていない。

 ヒルデはこの説明の為に丸一日かけて文章を考えたというのに。


 とは言え、これはクリストフだけが悪いという訳でもない。

 いつもならば茶々を入れるヘルメスが、この場に限っては苦笑いを浮かべる位に。

 その位、ヒルデも的外れな事をしていた。


 つまるところ、ヒルデはクリストフとは逆方面の欠点を抱えているという事。

 ヒルデはクリストフとは逆にあらゆる分野において()()()()()

 だから、能力の低い下に合わせる事が極端に苦手であり、何時も部下に頼らず自分で何でもやってしまう。

 つまり……出来ないという状況がヒルデには理解出来ない。

 これはヒルデの数少ない欠点だった。


 それでもまあ、クリストフは必死に理解しょうとして、ヒルデも必死に伝えようとして。

 そして最も重要な根本部分だけを、何とかクリストフは読み取って……。


「つまり、私魔王クビって事?」

 うるうると泣きそうな眼差しで、クリストフはヒルデを見つめた。

 うっと答えに詰まり、ヒルデは必死に思考を張り巡らせる。

 その顔に弱いし、あと単純に可愛いし可哀想。


 それに、はっきりと違うと言えたら良かった。

 実際は全く違う状況であり、更に言えば言葉にし辛い複雑な事情や背景もある。

 だが悲しい事に、最小の根本情報だけを拾ったら事実はそうなってしまうのだ。


『クリストフは、魔王を辞めなければならない』


「ほーら。だから言ったっしょ。その説明じゃ無駄だって」

 ヘルメスは呆れ顔でそう言い放った。


 政治的背景を全て理解し、状況に納得した上で自らの意思で、落ち込む事もなく魔王を返上してもらう……なんてヒルデの理想は妄想と呼び捨てる程度には『甘っちょろすぎる』と言わざるを得ない。

 そもそもの話だが、前提からヒルデは間違えている。


 クリストフへの忠誠故に正しさを求めてはいるが、重要なのは正しさ(そこ)じゃない。

 本当に重要なのは、事実でなく、『納得』の方。

 クリストフにこの状況を納得してもらう事こそが行うべき()()()であった。


『魔王の座を空席とし、どうでも良い奴に押し付ける』

 そうする事に納得してもらう事こそが、今最も重要な事なのだから。


「……ではヘルメス。貴方ならばどうするのですか?」

「ん? それはギブアップで、俺に任せるって事で良いのかい?」

「……っ! それは……」

 ヒルデは一瞬言葉を詰まらせる。


 はっきり言えば、ヒルデはヘルメスを信用していない。

 裏切る事が許されている奴をどう信じろというのか。


 だが同時に、最低限程度にはシンパシーを感じているのもまた事実であった。

 トリックスターである事に違いはないが、彼もまた黄金の魔王に忠義を捧げる者。

 その為に全てを捧げ四天王の座についている。

 裏切りだって魔王がそう望むが故の事であり彼の悪癖だけの所為じゃあない。


 そう……裏切り者で自由で敬意の欠片もないが、それでも彼はクリストフに忠誠を誓っている。

 それをヒルデは知っていた。

 だから……。


「わかりました。ヘルメス。業腹ですが、貴方に任せましょう。貴方のやり方でやってください」

「ありゃりゃ。まじで良いの? もう少しお手伝いに徹する気持ちはありますよ?」

「いいえ。諦めました。……我が主が悪いのではありません。私は随分と独りよがりな事をしてしまっていた様です」

 そう言って、ヒルデは寂し気な表情を浮かべた。


 理解出来ず頭を抱え、同時に自分が要らない子扱いされて泣きそうな顔をするクリストフ。

 それは予防接種に連れて行かれる子犬の様で可愛くはあるが、それでもやはり心苦しさの方が勝っていた。


「オーライオーライ。大将を笑わせ、気分良く納得させれば良いんでしょ? 任せてくれって」

 そう言ってヘルメスは自信満々に答える。

 安請け合いする様子がやはり信用出来なくて、少しだけ、早まったとヒルデは後悔を覚えた。




 状況の説明は二の次。 

 正直言えば、例えどうであれ魔王の座を一時退いてもらう必要がある。

 それだけは絶対であった。

 それを気分良くなんてのは、普通は不可能だ。

 出来る訳がない。

 だけど、ヘルメスには秘策があった。


「大将よ。そうじゃない。そうじゃないんだよ。落ち込む必要はない。大将は何も悪くないんだからさ」

 ヘルメスはぽんと、肩を叩いた。

「ふぇ?」

 首を傾げるクリストフ。

 それにニコニコ顔でヘルメスは近寄って、そして……。


「そう、大将が悪いからクビなんて物じゃなくて、何も悪くないけど追い出されるんだ。だってこれは追放なんだからな!」

 どどーんと大きな声で、ヘルメスはそう言い切る。

 クリストフは目を丸くして、ヒルダは静かに頭を抱えた。


「馬鹿ですか? いいえ馬鹿ですね。確信しました。貴方はただの馬鹿です」

「それは否定出来ないな」

「一体何を言っているのですか! そんなんで納得出来る訳が……」

「じゃ、大将の顔見てみなよ」

 ヒルデはちらっと、落ち込んでそうな主の顔色を伺った。


 散歩前の子犬みたいに、きらっきらした瞳をこちらに向けていた。

「え……えぇ……」

「なんだ追放かぁ。追放されちゃうのかぁ……。追放されちゃうならしょうがないなぁ。そっかぁ。かーっ! 追放されちゃうかぁ……」

 納得したどころかやたらと上機嫌なクリストフ。

 その様子は、ヒルデにとって完全に理外の奇跡であった。


 とは言っても、そう難しい事情がある訳ではない。

 クリストフの趣味は読書から魔導電脳遊戯(ゲーム)、映画鑑賞といった、所謂インドアな物に特化している。

 超高級嗜好品ばかりではあるが、魔王の贅沢としてみればあまりもちっぽけな要求だろう。

 それに、人目を気にする生活である為必然的にそういった自室で出来る内容位しか許可させられなかった。

 だから当然、ライトノベルもその範囲。


 今、彼の頭の中にはタイトルっぽい物が浮かんでいた。

『最強魔王部下に裏切られ追放される~何かそれっぽい良さげな副タイ~』

 物語でしか味わえないそんな体験が、自分に訪れた。

 それは彼にとって間違いなくサプライズであった。

 もちろん、嬉しい側の。


「そんで大将。ちょっとばかり追放されてくれたら俺達も嬉しいって訳です。俺達が困って大将に助けて―助けて―って言う位までさ」

「なるほどなるほど。やれやれしょうがないって感じで助ける感じだね! もちろん良いよ! 任せて!」

「さっすが大将。いえーい!」

「いえーい!」

 愉快にハイタッチする二人を見て、ヒルデは再び頭を抱える。

 さっきまでの自分の苦労は一体何だったというのだろうか……。


「とは言え大将。……このままじゃあ駄目だ。このまあじゃあ追放と言っても何も面白くない! そう面白くないんだ! 何故かわかるかい?」

「どうしてなんだいヘルメス! どうしたら面白くなるんだいヘルメス!?」

 どんどん冷めていくヒルデをよそに、この魔王ノリノリであった。

 

「それはね大将……。縛りが全くないチート状態だからさ! 考えてみてくれ大将。これから先、大将に苦難が押し寄せるとしよう」

「ふんふん」

「んでその結果どうなる? 大将苦労する? まさかまさか。ぶっちゃけ何があっても蹂躙劇にしかならないよ。そんな見ている方も本人も退屈で終わっちまう。せっかくの追放なのにそれで良いのかい大将!?」

「それは……もったいないねぇ。きっともう二度とこんな経験ないんだから……」

「だろ!? せっかくの楽しい時間がそれじゃあもったいない! そんな訳で、追放のついでに弱体化しまくる封印処置をしようなんて企んでるて訳だけど、どうだい? 良いならこの強制力マシマシにした呪術契約書にサインを入れてくれないかい? 今ならサービスで追加五十パーセント封印効果アップに俺の裏切り確立もアップアップだよ!?」

「いやいやそんなので書いていただける訳が……」

 クリストフはさらさらーっと、長ったらしい自分の名前を契約書に書いた。


「……わからない。私にはこの空気が、敬愛すべき主の考えが……何も……」

「男の子ってのは、馬鹿な生物なのよ。俺も含めてみんなね」

 ヘルメスはそう言って笑いウィンクをすると、ヒルダは露骨に溜息を吐いた。


ありがとうございました。

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