ビームとか出すのはちょっと違うと思った
呼羅の持つ武具――剣と盾は、極めて異質なものだった。
剣ではあるものの刀身は明らかに金属製ではなく、光を鈍く反射する翡翠のような緑を帯びている。
ショートソードよりもやや長いが、両手で扱うには短く、片手にはやや重すぎる。
皮革のようにしなやかでありながら、岩石めいた重厚感もあった。
盾はさらに奇妙であり、どこか亀の甲羅を彷彿とさせる。
完璧な円形で、金属でも岩石でもない、どこか有機的な、この世界にはないものが素材であると思わせる。
彼の持つ聖遺物はすべて武具に偏っており――そしてそのいずれもが、特別な力を宿していない。
加護も、属性も、破魔の光すらもない。
全ての権能が、ただ性能にのみ注がれている。
それは、呼羅という神が特殊な権能に頼らず、あくまで『戦士』として生きている証だった。
リュエルは今、そうした特殊な加護や能力を持たない相手に対して滅法に強かった。
己のルーツを知り、自分の持つ天性の感覚を覚醒させた今――それははっきりと自覚できる。
彼女の元となった種族は、魔力も筋力も人並みに満たず、分類すれば『人間種』に近い。
だが、その代わりに持つのは、圧倒的な感覚――。
第六感とも、未来視とも、超感覚とも呼べる力。
戦闘中、敵の怒り・殺意・快楽・恐怖といった感情の波が、脳内に電流のように流れ込む。
ただ一手先を読むのではない。
無意識下にて感じ取ってしまうのだ。
呼吸、踏み込み、そして殺意の高まり。
リュエルは今、敵のそれが完全に視えていた。
だから――呼羅が、斜め後ろから、試すように剣を振るったその瞬間。
リュエルは振り抜きもせず最低限の動作のみで回避してみせた。
紙一重で回避し、すぐさま反撃の一閃。
彼女の細身の剣が、呼羅の二の腕に確かに届く。
斬撃は通った――はずだった。
だが、手応えは妙だった。
感触は確かにあったのに、腕に傷はない。
代わりに、リュエル自身の手のひらに灼けつくような痛みが残った。
斬った感覚はあった。
けれど、結果は残っていなかった。
――これは、まずい。
自分は近接戦闘相手に滅法強い超感覚を持っている。
斬り合いにて一手先が見えるこの力は剣士殺しと言っても決して過言ではない。
そんな力を持ってしても尚、相手との差は届かぬところにあるとたった一手で理解出来てしまった。
いくら予知できても、受け止めきれない。
受けきれなければ、意味がない。
リュエルの額に汗がにじむ。
彼女にしては珍しく、表情に明確な恐れが浮かんでいた。
それでも、呼羅の表情はただ満足げだった。
敵意ではなく、挑む者への喜び――戦士としての、純粋な歓喜。
リュエルは彼に、敵として認められていた。
直後、カバーに入ってくれたゴドウィンと呼羅が火花を散らす。
剣と剣がぶつかるたびに、地が震え、空気が裂ける。
豪快で、それでいて無駄のない応酬。
それはもはや、化け物同士の戦いであった。
リュエルには、その攻防が互角にしか映らない。
だけど、きっと違う。
リュエルにわかるのは表面上の力のみで、彼らの深さが理解できない。
彼らの実力を正しく読み取ることさえ出来ない程、卓越した差があった。
剣の才能をただ振り回すのではなく、地味な訓練で伸ばそうと思ったのはここ最近のこと。
クリスに出会ってからだった。
そんな自分では、彼らに追いつくことなど望むことさえ烏滸がましいだろう。
剣の道において、彼ら二人は遥か先にいる。
それは才能という意味でも、努力という意味でも、そして壁を乗り越えたという意味でも。
その頂は、リュエルの視ることが出来ぬ領域であった。
そして――それを、今はじめて悔しいと思った。
ただの焦燥ではない、静かな憧れと、確かな劣等感。
届かない星に手を伸ばす気持ちが、今リュエルには確かに理解出来た。
必死だった。
ただただ必死に、リュエルは喰らいついていった。
自分らしくないと思いながらも、そうでもしないと申し訳ないという気持ちから、格上二人の戦闘に必死に食い込んだ。
一体誰に対して申し訳なく思っているのかさえわからないのに、焦燥感が他の行動を許さなかった。
剣は通用しない。
相手の攻撃は、紙一重でしか躱せないほど鋭い。
ゴドウィンの足を引っ張ったかもと思ったのは一度や二度ではない。
それでも、リュエルは呼羅から離れず、ゴドウィンの援護をするように剣を振るった。
呼羅の正面に立つ、視覚さえなかった。
呼羅はそんなリュエルに満足そうだった。
実力なき者が足掻く姿が心地よいと言わんばかりで、リュエルは腹が立ったが、何も言えなかった。
「ムカつくよな。こっちは本気が出せないってのに」
「あんたにもムカついてるけど」
「えっ。なんで?」
「鍔迫り合いしながら軽口を発する余裕があるからよ」
そう言いながら、リュエルは呼羅の背に斬りかかる。
さすがに背中はきついのか、呼羅はゴドウィンから離れて盾でリュエルの斬撃を防いだ。
「というか、本気出せないってどういう意味?」
リュエルはゴドウィンに尋ねた。
「ん? リュエルちゃん、神との繋がりが絶たれてるから勇者の力使えない感じじゃない?」
彼にはまだ、リュエルが勇者候補だとは名乗っていない。
なのに何故ゴドウィンはそれを知っているのだろうか。
とはいえ、それをここで追及するつもりも、そんな余裕もないが。
「……ああ。そういえばそうだったね。それでもまあ、それなりには使えるよ」
そう言って、リュエルは自分の剣に白い魔力を通してみせた。
白神の権能――勇者が辿り着く力の一つ。
本来、それは極まった信仰を持つ者しか許されぬ力だが、リュエルだけはその力を生まれた時から使えた。
一種の神に愛されし存在である。
今回の場合は『愛された』というよりも、『憐れまれ、幸せを願われた』ゆえの力ではあるが。
人造生命体として生み出され、世界で孤立し、道具として育てられる。
それは、地上への干渉を嫌う白神ホワイトアイにはどうしても納得がいかなかった。
だから、この神と世界が断絶した世界であっても、リュエルだけはその力を遺漏なく使うことができる。
それは信仰の力ではなく、与えられた力であった。
「なんだ。お前、神の使徒だったのかよ」
ちょっと苛立ち気味に呼羅は呟く。
好敵手が自分たちの敵の使者であるという事実が、彼の中で蠅がまとわりついた程度の不快感を与えていた。
「別に。貰えるからもらっただけで、そこまで信仰してないよ」
「ならば良し。そんな奴らを信仰せず俺を信仰しろ。お前なら俺の花嫁にしてやっても良いぞ!」
呼羅の言葉は、ただの善意である。
神の女と成れるのなら幸せだろうという傲慢な思想に基づく善意。
ただ、それはリュエルにとって逆鱗を逆撫でするに等しい行為であった。
「あーあ」
ゴドウィンはやれやれと冷笑を向ける。
どうやら神様は、女性の扱いがわかっていないらしい。
「その不快な目を抉ってやる」
リュエルは冷たい声で呟き、白の魔力を全力で剣に宿した。
これまで、ずっと心がこの力を使うのを制限していた。
クリスがそうすることを望んでいると思ったからだ。
だけど、今だけはその気持ちを忘れる。
そうじゃないと、こいつをぶっ殺せないから。
「うあああああああぁぁ!」
叫びながらの渾身の一撃。
その鋭さは、先程までのゴドウィンに匹敵するものであった。
呼羅と言えど、受けねばまずいと思わせるだけの十分な斬撃。
なんで怒っているのかわからない。
ただ、強くなったなら結果オーライだと、嬉しそうに盾で防いだ。
白い光が、爆発する。
だが、その光はすべて盾が霧散させ、ゴドウィンには届いていなかった。
すぐにリュエルは白の魔力を再び剣に宿し、斬りかかろうとするが――。
「違うよ、リュエルちゃん。それじゃあもったいない」
そう言って、ゴドウィンが優しく、リュエルに止まるよう手を伸ばした。
剣を振り上げた姿勢のまま、リュエルはぴたりと止まる。
怒りで脳が沸騰しているが――いや、そんな状態だからこそ、自分のことを純粋に心配してのゴドウィンの静止は素直に耳に入った。
「違う?」
「そう。ちょっと見てて」
そう言って、ゴドウィンは自分の剣を見るよう指示する。
リュエルでは絶対に振れないような、巨大で雄々しき大剣。
それをゴドウィンは、片手剣相手に剣戟を鳴らすほどに軽々と操っていた。
その大剣を持ち上げ――白い光を纏わせた。
「それ!?」
「そ。まあ似たようなものだね。……いや、君に失礼か。落伍者の俺が似ているなんて言ったら」
リュエルと同様の輝きが剣に宿るも、なお光の収縮は止まらない。
光はさらに圧縮され、刀身が輝きで映らなくなる。
光も、プリズムのように七色に煌めいていた。
自分と同じことをしているのだと、リュエルは理解できる。
白の魔力を、集め剣に宿しただけ。
だけど、光の質も量が違いすぎて、もはや別の技のようであった。
「落伍者って……一体……」
「大昔の話だけど……俺さ、勇者候補になりたかったんだ。だけど、なれなかったんだ。……さ、覚えてみて。そう難しくないと思うから」
そう言って、ゴドウィンは腰を深く落とし、剣を構える。
神との距離は十メートル以上もある。
それでも、そこが間合いだと語っているかのような構えだった。
そして――ゴドウィンは静かに、剣を振り抜いた。
斬撃はその場に。
だが、刀身に纏った光だけが、呼羅めがけて襲いかかっていた。
まるで光の線。
その線が着弾した瞬間、爆音と共に呼羅は遥か後方に吹き飛んだ。
「――ダメージなしか。まあ良いか。さ、やってみよっか」
にっこり微笑み、ゴドウィンはリュエルの方に。
リュエルはジト目を向けた。
「出来るわけないでしょ」
「そう? 結構簡単だよ? 白神信仰してない俺だってこの程度はできたわけだし」
「貴方、自分を基準にするなってよく言われない?」
「えと……騎士仲間には良く言われたような気がするね」
リュエルは小さく溜息を吐いた。
ゴドウィンはぽりぽりと困った顔で頬を掻いた。
「俺の知り合いじゃこのくらい普通なんだけどなぁ」
「どこの世界で、剣からビーム出すのが普通の世界があるのよ」
「魔王の世界」
「――貴方、魔王だったのね」
「え? 今更?」
世間知らずすぎるリュエルの反応に、ゴドウィンは素で驚いた。
ありがとうございました。