第二号
数日の間にクリスが用意した支援物資――非常食を中心とした幾つかの食料や医療品、衣服の類――
を、クリスはレオナルドに差し出す。
そしてそのまま代表のルナに渡された。
クリスに貰っただけなのに、支援物資をルナに渡す際のレオナルドは、それはそれは見事な、腹立たしさ十割増しのドヤ顔であった。
その後、ルナとレオナルドにクリスは自分やユピル、白猫辺りを避けた、話せる限りの情報を伝えた。
あちらの世界の神々の襲来、こちらの神との断絶。
その目的は、こちらの神を排除し、己が神の座に就くこと。
全てはアンサーという男が始まりの事件。
そして。当事者の黒幕は既に死んでいること。
それとカリーナが何かしらの手段を持ち、徹底抗戦していること。
時間が過ぎるごとにゲートの繋がりは深くなっていくということ。
あとは、外国からの援護はあまり期待できないということ。
数日かけて集めた情報は、おおよそその程度のものしかなかった。
あの後、白猫に転移してもらい各国の代表に連絡を取ろうとしてみたが、どこも忙しそうで直接会うことさえできず、協力の確約も得られなかった。
自国ハイドランドでさえヒルデと会えなかったのだからよほど忙しいらしい。
対し、ルナが知っていることは毎日のように避難民が訪れて街が拡張されていること。
連日、白蛇やそれに連なる何かに襲撃されていること。
その二つ程度であった。
この街が避難地区として機能しているというのは、近隣区域だけでなく、遠方からでさえ噂になっているらしい。
それは、逆に言えば、近隣やその周囲の都市はほとんど機能していないという事実を示しているとも言えた。
襲撃してくるのは、あの白蛇のような何かに加え、白蛇の胴体がぷくっと膨れたツチノコのような形態――体内から小型の白蛇を生産することから『マザータイプ』と呼称するもの。
それと、見上げるような『巨大熊』と、二メートルを超える真っ黒い『コウモリ』。
そういった『通常の生物の外観をもした化物数種類』が、現時点で確認されている。
そこまで話した後、ルナはぽつりと呟いた。
「ま、あとは軍部のやつと話して頂戴。あっちに席を用意しておいたから」
それは、どこか人目を気にするような態度だったのだが、クリスはそんな機微など気づきもせず、ぴゅーっと言われた場所に走り去っていった。
「……はぁ。不安だわ」
あれに託さないといけないのかという不安と、あれに頼って良いのかという不安。
統治者として一応なりとも責任のあるルナに、そんな感情が湧き上がっていた。
クリスのことは信用しているし、人柄を疑ったこともない。
多少の付き合いだがそれなりに人柄を理解もしている。
むしろ、人柄を理解しているからこそ、ルナは『アレに責任を負わせたらいけない』と確信していた。
あいつは感性が常人から遥かに外れている上に、いざという時にとんでもないことをやらかしそうな、そんな予感がルナにはあった。
「キキッ。安心すると良い。あいつはやる奴だぞ」
もらったお菓子からチョコスナックを取り出し、ぼりぼり食いながらレオナルドはドヤ顔で言い放った。
「……どこからその信頼と自信が出てくるのよ」
「そんなもの決まっている! 俺様の部下だからだ!」
あまりのドヤ顔にルナは微笑み、部下達に『今度ムカついたらレオナルドをぶん殴って良いか』という許可を取ろうと、心に誓った。
向かうように言われた砦の奥に進み、二階に登ってから、再び降りる。
地下一階の、おそらく牢獄らしき場所のさらに奥、地下二階まで進んでから、ようやくクリスは理解した。
「あ、これ内緒話の類?」
案内の兵士はびくっと震えながらも、『おそっ!?』という言葉を必死に飲み込んだ。
地下二階にある無数の部屋、その手前から三番目の扉の前で止まって、兵士はノックを五度、二度、三度と叩いて、クリスの方に顔を向けた。
「どうぞ、こちらです」
「うぃ。でもサインは考えなおした方が良いんよ。せっかく頑張って覚えてもらっておいてあれだけど」
「はい?」
「『予定遅れなし、引き継ぎ求む』でしょ? ノックの回数とリズム、音の強弱での暗号。割かし有名なやつだから、もう一段階強度を上げた方が良いんよ。別の暗号でコンパイルするとか」
「はっ? えっ……えっ?」
「ってなことをるなちーか軍のお偉いさんに言っといて。じゃ」
そう言って、クリスはノックもせず扉を開け放ち、中に突撃していった。
閉まった扉の先を、兵士は茫然とした顔で見送る。
末端の兵士でしかない自分では、どうやら想像もつかない世界であのもふもふは生きて来たらしい。
軍の関係者、それとも他国のスパイ……。
まさかあの見た目でハニトラな訳が……いや、むしろあの見た目だからハニトラか。
そんなことを兵士はもんもんと考えながら、静かにその場を後にした。
扉の先にいたのは、アルハンブラだった。
「やっほー。元気だった?」
まるで何事もなかったかのように、当たり前に挨拶をするクリスにアルハンブラは苦笑を見せた。
「……まあ、元気とは言い難いが、健康ではあるとも。そちらも、色々と余裕そうだ」
「うぃ。休みすぎたから、これから頑張る所存です」
「頼もしいよ。本当に」
「それで、何か重要なお話?」
「ああ。そうだね。一つ……限りなく重要な情報がある。それも、他の人には明かせないようなものが」
「ほほー。だからこんな場所で?」
「ああ。下手すればパニックになるかもしれない内容だからね。知っているのはあの場にいた私たち数名と、ルナ様だけだ」
「私が聞いても?」
「許可は得ているし、君ならパニックになることもあるまい。それに……できるなら、このいささか不気味な『謎』を解明してくれると助かる」
「ほほー! 謎とな。そりゃ面白そう」
「まあ……遭遇した私としては、何も面白いことはなかったのだけどね」
そう言ってから、こほんと一つ咳払い。
そしてアルハンブラは、秘匿された最後の情報を開示した。
「この街に、神が訪れた」
クリスはびくっと身体を震わせた後、口を噤む。
何か情報があるとは聞いていたが、思った以上にクリティカルな情報であったらしい。
「数日かけたのに大した情報も得られなかったことが恥ずかしいんよ」
そう呟き頭をポリポリと掻いた後、クリスは聞く姿勢に入る。
クリスの様子を見てから、アルハンブラは神妙な面持ちでその時のことを思い出すようなそぶりを見せ、ゆっくりと語りだした。
未だによくわからない、あの時の状況を。
外見は、人なら三十歳から四十歳くらいの中年男性。
筋肉隆々で力強い武人のような外見で、緑色の剣と盾を持っていた。
それは金の雲での移動ではなく、翼も何も持たず、当たり前のように高速で飛翔していた。
そしてその飛翔の先にこの街を見つけ、降下する。
たった数日前のことだが、アルハンブラはその瞬間を今でも脳裏に焼き付けている。
かつてこれ程までに恐ろしかったことはなかったからだ。
神そのものが恐ろしかったというのもあるが、最大の要因はそれではない。
その神が降りてきたのは、偶然にも丁度レオナルドの目前であったからだ。
『む? 貴様は誰だ? 図が高いぞ?』
これは神の言葉ではなく、神に対してのレオナルドの言葉である。
ただでさえ最悪を覚悟したのに、その先に向かう。
空から降りて来たことを突っ込まず、敵の親玉であるということにさえ気付かず。
馬鹿王の馬鹿たる所以を、レオナルドたちはこの時ほど思い知ったことはなかった。
神もそのあまりの態度にぽかーんとした顔をしていた。
その後も、神からの『お前な誰だ』とか『ここで何をしている』などの問答のたびに馬鹿発言、頓珍漢な発言を、いつものように偉そうな態度で行うレオナルド。
傍若無人であるはずの神が、あっけにとられ続けた。
あまりの素っ頓狂な馬鹿が、神以上の傍若無人な振る舞いをするという現実に驚いているようでさえあった。
だが、問題はそこではない。
そうではなく……。
「何も、しなかったのです。その神は」
「……何も?」
「はい。五分以上会話をして、あれだけ無礼な主を害することもなく、我らを殺すこともなく、恨みも憎しみも持たず、そのまま去っていきました。いえ、むしろ……」
「むしろ?」
「笑っているかのような表情で、我が主に『壮健であれ』のような一言を残してさえいます」
「ほむん。それは確かに不思議だねぇ」
理由自体は幾つか推測出来る。
だが、そうだとしてもおかしな点が残る。
神々への憎しみを滾らせている敵神が、この強いエナリス信仰の場であるミューズタウンの誰も壊さず、殺さなかった。
レオナルドはともかく、他の人が殺されないというのはあり得ない話であった。
「しかも……その神の出現以降、明らかに襲撃の数が減っているのです」
「減ってる?」
「はい。蛇やらコウモリやらの化物が襲ってくる頻度が、神が現れた前と後では明確に変わっています。負傷者が半減以下になったのですから、偶然ではないと思うのですが……」
「ああ。だから謎なんだねぇ」
敵のトップである神が来て、誰も殺さなかった。
相手にとって面倒極まりない信仰の地なのに、壊さなかった。
その上、襲撃まで減った。
確かに、それは不思議な謎であった。
今のクリスも確信を持った答えを口にできないほどに。
とはいえ、推測混じりの答えなら用意できたが。
「レオナルド様が殺されなかった理由だけなら、わかるんよ」
「何故ですか?」
「気に入ったから」
アルハンブラは真顔になった。
「……あの馬鹿ですよ?」
それは真剣そのものであると同時に、クリスの頭を心配するような表情だった。
「だからこそなんよ」
「……貴方のように……ですか?」
「ううん。私は完全に別件。そうじゃなくて、神様ってそういうものなの。その神様にとって、レオナルド様の在り方ってのが凄く気に入る形だったりしたんじゃない? たぶんだけど」
「そんな馬鹿な……。いえ、でも確かに、そう言われたらそうだったような気もしますが……」
「それに、レオナルド様が誰も信仰してないってのもかなり大きいんよ。とはいえ、これでわかるのはレオナルド様を気に入った理由だけだけど」
神というのは人間が好きで、勝手気ままに人間を愛で、好き放題するものだ。
だが、敵を前にして戦いもせず見逃す程甘い存在ではないはずである。
「……そう、ですね。ですが参考になりました。他にわかることがあれば、また教えてください」
「うぃうぃ。了解したんよ」
「それで話は変わりますが……」
「うぃ?」
「クリス、君はこれからどうする予定ですか?」
「どうするって?」
「言い方を変えましょう。どう動きますか? 君が何もアクションをしないというのは、少々考えづらい」
「……んー、まあ、ちょっと」
「ちょっと?」
「一番詳しい人に話を聞いてくる予定なんよ。どうするかは、それからかな?」
クリスの言葉に、アルハンブラはそれ以上追及しないことにした。
彼が全力を出せば、全ての騒動を文字通り一瞬のうちに終わらせられることをアルハンブラは知っている。
だけど、言えなかった。
例えどのような状況になろうとも、それを口には。
それこそが、クリスを裏切ったアルハンブラの罪であるのだから。
潮騒の音が、騒がしかった。
ざざーん、ざざーんと繰り返し響き、耳に残る。
日は落ち、赤く染まる海。
街から離れ、人も通らぬそこに、彼は夕日輝く海を見つめていた。
男の名前はユピル。
この世界の、神である。
彼の心情がどのようなものなのか、クリスには想像ができない。
だが、相当腸が煮えくり返っているのだろうというのは、想像に難くなかった。
なにせ敵は自分たちの立場を奪うことを目的とした神で、しかもそいつらの目論見のため自分はこうして堕天させられ、信仰も失った。
挙句の果てに拷問まで受けたのだ。
己こそが至上とする神が、怒り狂わないわけがない。
だが……ユピルの様子は、思った以上に落ち着いていた。
「……ん? クリスか。よくここがわかったな」
傍の街は全て廃墟となった後で、その上近くに道はない。
この場所に敵以外の誰かが来るというのはユピルにとって想定外のことであった。
「ま、色々とね」
「そうか。コヨウから色々聞いた。あの場で消えてから今までの間に何があったのか、聞いた方がいいか? それとも終わった話か?」
「一応終わった話だから別にいいんよ。ただし、リュエルちゃんとははぐれちゃったけど」
「そうか。それは惜しいな」
「うぃ。コヨウ君はどうしてる?」
「知らん。クリスが見つかるまでどこかに隠れてるとは言っていたな」
「そか。ごめんね、迷惑かけて」
「かまわん」
そう言って、ユピルは海の向こう側に目を向ける。
地平線が見えるその先の先。
それは、まるで未来を見ているかのようだった。
「……思ったより落ち着いていて、ちょっとびっくりなんよ」
「ん? 何の話だ?」
「もっと怒り狂っていると思ったから」
「何に対してだ?」
「敵の神に対して」
「……何故だ?」
「え? 何故って?」
「怒りを覚えるような余裕が我にあるか?」
きょとんとした顔で、ユピルは尋ねた。
怒るというのは、期待との差異により発生する感情だ。
それはその相手が思い通りになることが当たり前と考えているから起きる感情。
もっと言うなら、相手を自分よりも下の存在であると決めつけた時に発生する気持ちである。
だから、ユピルに怒りの感情はない。
相手が自分と同等の神であった時点で、思い通りにいくなんて驕りは最初に捨てた。
いや、罠に嵌められ弱体化していることを考えたら、同等ではない。
相手の方が、遥かに上だ。
そんな状況でユピルは怒りだけでなく、あらゆる感情にリソースを割くような愚を犯すつもりはなかった。
「なるほどねぇ。それで、作戦とかある?」
「作戦というほど高尚なものではないが、一つ……やろうと思うことはある」
「ほほー。さすがなんよ。んで、それは何?」
ユピルは海の向こうを指差した。
「お前なら見えるだろう?」
クリスは目を凝らし、その先を見つめる。
遥か先の海の上に、何やら小さな円のようなものが見えた。
光が歪曲し、なにやら靄のようになっている。
だいぶ目を凝らさないとクリスも見えないから、多くの人は見ることさえできないだろう。
「あれは?」
「転移ゲート……の卵だな。流石に空にある孔程の規模にはならないと思うが……放置すれば空の孔と同様、化物を呼び寄せる。最悪の場合、神が追加で出てくるかもしれんな。そこまでの出力はないとは思うが」
「あれ一個だけ?」
「いや、我が見た限りでも十は超えている。ばらまきながらと考えるなら百程度はあるだろうな」
「ふむふむ。それは、かなり不味い感じでは?」
「そうだな。どの程度であれが使えるようになるかわからないが、孵化してしまえば加速度的に危機となるだろうな」
「んで、どうにかしようって感じ?」
「……クリス。我はな、別に全てを我が行おうとは思っておらんのだ」
「ふむ? 何の話?」
「まあ聞け」
「うぃ」
「そもそも、頭上の方の孔を我は塞げない。どうすればよいのかてんでわからないからな。それでも、人間は既に二つの孔は封じている。いずれあの白い孔も塞げるかもしれぬ。人の世は、人が護るもの。ああ、それは正しいだろう」
「正しいの?」
「そうだとも。元来神は護るのではなく、見守るのが仕事である。少なくとも、創造神はそのようにおっしゃってた」
「なるほど。んじゃ、何もしないって?」
「いや、そうではない。全体や流れが人が行うもので、我はそれに乗るだけで良いと思っている。だが、アレは駄目だ。今の状況でも苦しいというのに無数のゲートが同時に開けば、その瞬間に人類は敗北を余儀なくされる。人が努力することさえも出来なくなってしまう。故に――」
「ゆえにー?」
「我は、例えこの命が尽きようとも人の行く末のため、あれらを潰さねばならぬ」
「できるの?」
「話の肝はそこだ。方法はある。そのための手段もわかっている。だが、肝心なものが足りん」
「肝心なものって?」
「実力だ。あのゲートの卵を潰す手段は、それを用意した奴を殺すこと。つまり、あの老神を殺すことだ。だが、今の我にその力はない。我だけでは……とても……」
意味深かつ思わせぶりな言い方をしてから、ユピルはクリスをちらっと見つめる。
一瞬だが、妙に露骨な態度であった。
「……?」
「そう、我では力不足なのだよ! 悔しいことに!」
叫び、ちらっちらっと繰り返しクリスに露骨な色目を向けるユピル。
クリスは頬を掻いた。
「えと、別に手を貸すのは問題ないんよ? 私で良いなら」
「いや、悪いがクリスでは駄目だ。弱すぎる。挑むのが神である以上、それでは届かぬよ」
「あー……。そういうこと?」
必要なのは、この世界に生きるもふもふ冒険者のクリスではなく、封印を解き放った黄金の魔王。
それは、理屈としては正しかった。
「……まあ、神様がそういうならそれでも良いんよ。正直あまり嬉しくないんだけど」
「何故だ?」
「何でも私がやるってのは、世界が悪くなるからなんよ」
自分が全ての問題を解決し続けると、放置するよりも多くの犠牲が出る。
それはクリスが何万年という経験から来る、摂理であった。
「別にあのゲートを作る奴だけ殺して、後はクリスに戻ればよかろう」
「そんなすぐに戻れるものじゃないんよ。それに、どうせ力を使うならさっさと解決した方が良いんよ。中途半端にすると、身バレのリスク増えてくし」
「つまりはクリス。貴様の懸念は『自分だけで解決したくない』『再封印が大変だからあまり解きたくない』『正体バレしたくない』あたりか?」
「うぃ。まあ大体その辺りかしらねー」
「それならば安心しろ。この天空神が、全ての懸念点を克服しつつ、全力ではない三割程度の力を出す方法を既に用意してある! ついでに我の信仰も回復にもつながるという、一石三鳥という作戦だ」
「ほほー。それは興味あるんよ。どんな方法?」
ユピルは無言で、覆面を取り出した。
とっても見覚えがある、青空仮面マスクマンの仮面……に、よく似ているけど違うもの。
それを持つユピルは、それはそれは誇らしげな顔であった。
クリスは無言で、そのマスクを受け取る。
変態マスクマン第二号の、誕生の瞬間であった。
ありがとうございました。