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錯覚


 そこに居たのは、いかにも人の良さそうな風貌をしたどこにでもいる外見の男であった。

 服装はどこでも見かける田舎村住民の服。

 動きやすい軽装だがその分作りが粗雑で安く、都会で歩けば少し顔を顰められるような、そんなしゃれっ気のない服装。

 ただ、男の目はキラキラと輝いていた。

 希望に溢れたそれは、まるで少年のよう。


「私は、君を救いに来た!」

 男は剣を向けるリュエルに対し、そう叫ぶ。

 まるで物語の主人公のように無垢な瞳を向け、絶対の信頼を持ち、武器を持たず両手を広げ、無抵抗であることを示しながら。


 男の直前に、リュエルは刃を止める。

 いや……止まったという方が正しいだろう

 意思と反し、身体が硬直し、刃を動かすことが出来なくなった。

 それを見て、男は信じてもらえたと思い、微笑を浮かべた。


 それは、魔法や呪いでもなく、ただ心の問題。

 男から一切の悪意を感じない。

 だが同時に、男からおおよそ人とは思えないほどの禍々しい何かも感じる。

 その矛盾が、これまで役割としてしょうがなく『勇者ごっこ』をしていたリュエルの感性を困惑させ、進むことも引くこともできなくなっていた。


 これがもし、最も勇者に近い男クレインであったなら、迷わず刃で男を寸断していただろう。

 人を愛し、人を護るため勇者となることを決めた、光のような正しき者。

 クレインならばすぐさま男の歪さと、その浴びた血の多さに気づき、生かしてはならない奴だと判断しただろう。


 また逆に、かつて存在した最後の勇者リィンならば、男の禍々しさに全く気づかず、刃をさっさと収め、フレンドリーに会話をしただろう。

 その善意に感動し、尊敬し……そして最後には、コミュニケーションからその悍ましさを知り再び刃を向け、今度は躊躇わない。

 本当の意味で『普通の少女』であったリィンならば、普通から逸脱したその歪みに気づかないわけがない。


 だけど、リュエルはどちらでもない。

 真剣に勇者をやっていたわけではないから、その染まった血には気づけない。

 普通の生まれでもなければ感性でもないから、男が気持ち悪くとも『歪である』とまでは気づけない。


 勇者であることも、人らしさも、中途半端であると同時に極めて表面的。

 それがリュエルである。

 そうして善人でありながら悍ましいという部分に表面的に触れてしまい、どうすれば良いか困惑し、蛇に睨まれた蛙の如くリュエルは硬直し続けた。


「私は知っている。君の苦しみを、孤独を。哀しみを。……今日までよく頑張ったね」

 慈愛に満ちた瞳で、男はリュエルを見つめる。


 たったそれだけのことなのに、ゾワリとしたねばっこい気持ち悪さを感じる。

 それは劣情を催した男の目でもなければ、幼子を想う大人の目でもない。


 暖かいは暖かいが、その目はまるで病人を憐れむかのような目だった。


「私は……辛くなかった……」

 震える唇で、リュエルは反論する。

 楽しかったし、幸せだった。


 辛いことなんて何もなかった。

 そのはずだ。


 なのに……リュエルは男の言葉が酷く恐ろしかった。

 これ以上口を開かせてはいけない。

 そんな予感が胸によぎる。


 それに似た予感を、最近よく感じていた。

 それはクリスと会話をする時。

 それ以上踏み込んだら、知り過ぎたら、クリスと二度と一緒にいられないように感じた……そんな予感に似た感覚が、今この時もリュエルを襲っていた。


「君は強い子だ。世界でたった独りであっても、それを噛みしめ生きてきたのだから」

「独りであったことなんて……ない!」

 人は誰だって、誰かとどこかで繋がって生きている。

 本当に独りの人間なんて、この世にいない。


 それ以前に、自分には友達も仲間もいるし、何なら好きな人もいる。

 今の私が孤独なわけない。

 そんなもの感じるわけが……。


「では、貴女は大多数の人に対し共感性を感じたことがありますか?」

 否定しようとした口が、動かなかった。

 相手は不気味で、悍ましくて、歪で、おかしい。

 間違いなく狂人の類だ。


 だがそれでも、男は善意で、そして真摯に会話をしている。

 剣を向けられながら、命を賭けて『リュエルのため』に言葉を紡いでいる。


 紛れもなく、男は誠実であった。

 だから……否定できなかった。

 不思議なほど突き刺さる、その言葉に。


「もっと直接聞きましょう。貴女は自分を周りと同じ人間だと思ったことがありますか?」

 駄目だ、それ以上こいつの口を開かせるな。

 相手の言葉を理解しようとするな。


 ガンガンと頭の中に警鐘が鳴り響き、頭痛が起きる。

 それ以上聞いたら不味い。

 それ以上言わせたらいけない。

 真実に触れたら……もう二度と、元の平穏には戻れない。

 なあなあにして、ぬるま湯のように生きることができなくなって……。


「う、うわああぁぁぁぁ!」

 叫び声で無理やり硬直を外し、剣を振り回す。

 相手が悪だから殺すのではなく、ただ自分の心を護るためだけにリュエルは剣を振るった。

 だからだろうか。

 リュエルの剣は、これまで剣を使ってきたとは思えないほどに弱かった。


「貴女は……他者を自分と同じ生物だと思ったことはないはずだ。感性も同じ、考え方も同じ、形も同じ。だけど、決定的に何かが違う。ずっとそう思っていたはずだ! ずっと苦しんでいたはずだ!」

「違う! 違う違う! 私は……私はっ……」

「それは貴女が作られた存在だからではない。勇者となるべく生まれたからでも、ましてや神の権能を授かったからでもない。貴女は単純に――人類というカテゴライズから……()()()()()

 人と魔族を合わせ、人類。

 それが今の常識。


 だけど、その合わせた種族の中にリュエルは含まれない。

 この世界で、リュエルと同じ種族の生命体は存在していなかった。




 男がそれを調べた時、驚愕と共に怒りを覚えた。

 どんな悪人に対してだってこれまで怒ったことがない男だったが、その所業はあまりにも酷すぎた。


 男が調べたのは『人造勇者計画』についてと、その唯一の成功例とも言える存在。

 つまり、今リュエル・スタークとして活動している彼女のことだ。


 その研究自体に言うことはない。

 昔存在した本物の勇者を再び……と、思うことを否定はできないし、多くの人を幸せにできる勇者なんて何人いても良い。

 なんなら人類皆勇者になったって良いとさえ男は思っている。

 更に言えば、人工的な出産に関しても何ら不満を持たない。

 産めない人を救うように、それがどのような原理のどのような代物であろうとも、一人でも多く幸せな人を増やす技術ならば男は大抵のことを肯定する。


 男が怒りを覚えたのは計画そのものではなく、その間、過程について。

 計画に使われた遺伝子情報は最後の勇者リィンのものだけではなく、多数種族の情報が一部付け加えられ、改良されている。

 簡単に言えば『僕の考えた最強の勇者』を生み出すため、優れた種族の優れた部分だけを抜き取ろうとしたのだろう。


 そして問題となるのはその多数ある中の一つ……とある『遺伝情報』である。

 その遺伝情報は、この世界の種族のものではなく、別の世界のものだった。

 隔離された封印世界ではなく、本当の意味での別世界。

 通常ならば決して繋がることの出来ない空間、神域よりも遠い場所。


 そこに住まう種族の遺伝情報が偶然手に入り、それが突然変異か失敗かでリュエルの種族根本となり、そして感性が引き継がれた。

 だから、リュエルがこの世界の人と共感できなくてもそれは当然のことでしかなかった。

 なにせ、根本的に生物として異なるのだから。


 特に、リュエルが引き継いだ種族は第六感とも言える特殊な直感力を持ち、物事を多く把握できる。

 異なる種族というその差異に気付かぬわけがなく、リュエルは無意識下であっても自分はこの世界で独りぼっちであると、生まれた時から認識し続けていた。

 ただ、目を逸らし続けていただけで……。


「つまり、貴女は種族的には『この世界で生まれた別世界の人類』にカテゴライズされます」

 悔しそうに、男は告げる。


 彼女は、真なる意味で孤立であった。

 生まれた時から孤高であることを義務付けられ、他者との共感性を一切得られず、それが当たり前として生きてきた。

 きっと彼女の目線ではずっと、『化物の世界に人間は自分だけ』か、『人間の世界に混じった化物』と感じていただろう。

 なんと不憫で惨い話しだろうか。


 彼女が発狂し壊れなかったのは性格と運と実力全てが奇跡的にかみ合ったその結果に過ぎない。

 男は生まれて初めて、憎しみで人を殺しそうになったくらいには義憤に駆られていた。


「ち、違う! 違う違う! 私は一人じゃない! 友達だっている!」

 リュエルは叫んだ。


 わからない。

 何故かわからないが、否定しないといけないような気がした。

 別にそれが真実であったところで、どうでも良いことのはずだ。

 実際他人なんて気にもしてなかったし、『確かに』と、言われて納得した部分も多分にあった。


 そのはずなのに、顔を真っ青にし、冷汗で背を濡らしながら、半狂乱で男の言葉を拒絶していた。


 リュエルは、無意識のうちにわかってしまっていたからだ。

 それを受け入れてしまったら、次は襲い掛かって来る『最悪な真実』が否定出来なくなると。

 わかっていても、無意味で無駄な抵抗を止めることはできなかった。


「ええ、それだけ貴女が苦しみ、成長したということです。ですが、それは根本的な問題解決にはならなかったはずです。友は、貴女の孤独を埋めてはくれなかった」

「そんなことはない! 私は寂しくなかった! 私は皆と一緒だ! 私は……私は、好きな人だってできた!」

「ええ。存じております。ただ、少し考えてください」

 憐れんだ表情で、言葉を選びながら。

 それを伝えるのは苦しいと言わんばかりに、男は顔を顰め、それでも言葉を続ける。


「人というものは千差万別で、趣味嗜好というものは皆異なります。同じようで違うというのは多々ありますし、時に普通とは言えないような相手に情欲を持つことだってありますとも」

 リュエルの唇が震える。

 もう、言葉が出てこない。


 わかっている。

 この後出てくるのは、一番聞きたくない真実だ。

 最初からわかっていた。

 男が、自分の矛盾を伝えようとしていたのだと。


 胸が苦しい。

 動悸がする。

 だけど、それに抵抗することもできない。

 リュエルはもう、耳さえも塞げないほどに精神が衰弱していた。


「情欲を否定はしません。無理やりというのなら話は違いますが、そうでないならそれは個人の自由です。ただ、ここで難しい話となってくるのが、『情欲と愛情は異なる』というものです」

 情欲、つまり性欲というのは、時に自分の趣味や嗜好、時には感情さえも超え発露する。


 そしてそれを愛情と勘違いするというのは、よくあることである。

 例えば、『自分が同性愛者であると勘違いする未成年』などのケース。

 そういうわけではないののに、感情を超えた情欲や深い友情でそうだと思い込み、そして内容が内容だけに誰にも相談も出来ず、苦しみ続けるというもの。

 ただでさえ未成年の心というものは揺れ動きやすいため、そういうケースも決して少なくない。


 実際に同性が愛情の対象である者と、偶然情欲が宿っただけで本来異性を愛する者は同じではない。

 それに加え、『男女の中間点を好む者』や『両性を愛する者』、『自分の性別が肉体と異なる者』と、様々なケースがある。

 ただでさえ自分の心なんてものはあやふやで見極めることが難しいのに、劣情はそれをさらに複雑にし、心を誤認させてくる。


 実際、自分が同性愛者であると思い込んだ異性愛者も、その逆も存在する。

 自分の心というのは、人の心以上に見えにくいのに、『わかったつもり』になってしまう。

 だから、このようなことが起きてしまう。


 だから、本来はしっかり考える必要があるのだ。


「異性愛・同性愛以前に、性別関係なくただその人を愛するようなこともあります。ですが、それは相手を深く知った時に起きること。一目惚れとは違います」

 男は、はっきりとリュエルにそう言った。

「じゃあ……じゃあ私のこの気持ちは何なの!? 私はクリス君が好き! 全部を捨てても一緒になりたいとさえ思った。それを否定は……」

「砂漠の極限状態でオアシスを見た時、人は皆心から歓喜に染まります。それが誰であれ」

「それは……一体何の話?」

「生まれて初めて、情欲を覚える相手がいた。だからその人しか自分にはいない。他に誰もこのような感情を抱かなかった。だからこの人は自分にとって特別なんだ」

 男が口にする言葉は、クリスを初めて見た時、リュエルが感じたそれだった。


「情欲を覚えたことは、きっと真実です。また、その人が特別であることも。ですが……選択肢が一つだけで追い詰められた感情は、むしろ脅迫に近い。それは愛情とは呼べません」

「違う……違う……違う! 違う違う違う違う違う違う! 私はクリス君を愛してる。彼だけが欲しい。他はいらない。それが私の愛で……」

「本当の愛なら、そんな悲しそうな顔をしません。そんなに必死に否定しません。そんなに……胸が、苦しくありません」

 服の胸元を強く握るリュエルを見ながら、男は泣きそうな顔で呟いた。


「だったら……私は……この、気持ちは……」

「貴女の孤独がそうと望んだ。孤独から逃れないという気持ちが、そうであることを願った」


 そうして、男はリュエルの真実を呟く。


「貴女の愛は、貴女が生み出した《錯覚》です」


 何か、大切なものが砕けたような音が聞こえた。

 まるでガラスのように砕け散って、そして消えていった。


 何の反論も、リュエルには思いつかなかった。

 ずっと、そうだった。


 ずっとずっと、胸が、苦しかった。

 彼のことを考えている時は、ずっと――。


ありがとうございました。

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