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愛の子


 カリーナがカリーナたる人格を形成するにあたり、特に大きな要素となったのは幼少期における母親の存在であった。


 幼き彼女にとって母親は優しく、温かく、いつでも護ってくれて……要するに、絶対の存在であった。

 その母親に、一つ、問い尋ねられた。


『ねぇ。私の可愛い子。貴女は――』

 それは、質問だった。

 それは、願いを聴く声だった。

 それは、未来を願う希望だった。


 その質問に、カリーナは答えた。

 この時の彼女には、まだ人並みの願いがあった。


 それは女の子が持つには当たり前の願い。

 だが――それは母親が諦めた願いでもあった。


『その願いのため、とっても苦労するとしても?』

 母親の問いに、カリーナは当然と答える。


 だって、願いを叶えるために頑張るのなんて、当たり前のことでしかないじゃない。


 その後、母はカリーナを抱きしめ、優しくその頭を撫でた。

 よくわからないが、その答えが母親の希望に適したのだろうと、その慈しむような気持ちから理解できた。


 そして翌日から――母は、カリーナに厳しくなった。

 これまでの優しさは何だったのかというような、躾けと虐待の間くらいの日々が二年も続いた。


 そして――そのまま、母は亡くなった。

 最後まで、元の優しい母には戻らなかった。


 母の遺産を受け取った今なら、その行動の意味はわかる。

 母は徹頭徹尾カリーナのことを案じ、愛し、幸せを願った。


 今ならば、それがわかる。

 母の遺産を受け取った――今なら……。




 カリーナは浅い眠りから目を覚ました。

 椅子のまま寝ていたためか、身体がどうにも凝り固まっている。

 とはいえ、今ゆっくり寝るなんて我儘はできないが。


「すみません。仮眠中のところ申し訳ないのですが……」

 テント外からの声に、カリーナは返事をする。

「構いません。どうぞ」

 その声を聞き、中に女性が入ってきた。


「それで、何の報告ですか?」

「は、はい。教皇猊下に命じられた書類の一部が……」

「なるほど。ありがとうございます」

 そう言ってから微笑み、その書類を受け取り、内容に目を通す。


 内心で言えば、最悪に近い。

 いますぐキーキー叫んで地団駄を踏み、地面をゴロゴロ転がりたいが、外聞のため彼女は微笑で己が内心を覆い尽くした。


「……その表情。猊下にはこれも想定内……ということですか」

 感心……というよりも畏怖の表情を見せる女性に優雅に微笑む。


 想定通り?

 そんなわけがない。


 書類はフィライト空軍の損害報告書であり、その内容はカリーナが余裕をもって見積もっていた予定数値のおよそ『250%』である。

 こんなの想定していたら、もっと上手く部隊を動かしている。


 それでも、不安を表情に出してはならない。

 わかっているからだ。


 自分の持っている武器は、予知に限りなく等しい『情報』と神秘性を他者に感じさせる『ミステリアスさ』の二つだけであると。

 あらゆる行動がすべて思い通り。

 まるで未来を見通しているかのような態度。


 いつも微笑を浮かべ、驚くことも困ることもない。

 そういった演技こそがカリーナが長い時間かけて作ってきた教皇像であった。


「ですが……猊下。このままだと……」

「大丈夫です。すでに追加の人員を用意しています」

「さ、さすがです……。でも、そうではなくて……」

「あら? 何か不安があるのですか? なら、私に今教えてくださいませんか?」

「猊下にはきっと今更なのですが……この被害は確実に問題視されます。猊下といえど、責任問題になるかと……」

 フィライトの教皇であり、統治者であり、魔王。

 それでも、決してこの国も一枚岩であるとは言えない。


 弱みを見せたら必ず付け込まれる。

 女性は大分ぼやかして口にしたが、事実は『このままだと確実に追放される』ということだ。

 統治者兼教皇の範囲を逸脱しての独断行動が許されていたのは、それがこの国の益となっていたから。

 逆にそれが損害となるのなら……その罪は当然、重たいものとなる。


 だが……。

「――ふふっ。安心してください。大丈夫ですよ。ええ、これも、想定通りですから」

「そんな戦後の状況まで……。さすが猊下です」

 ごくりと喉を鳴らす女性に微笑を向けるカリーナ。


 今度は、嘘じゃない。


 カリーナは自分が追放されることがないと最初から知っている。

 何故ならそれよりも早く――教皇カリーナはこの世界よりいなくなるからだ。


 その目的のために、彼女は世界に偽り続けた。




「おい。本当に大丈夫なのか?」

 レオナルドはいつもの不遜な顔ではなく、不安そうな表情をアルハンブラに向ける。

 お前が言うなとは思うものの、その心配する気持ちもわからなくもない。


 アルハンブラを介抱してから、まだたったの一晩。

 助け出した時の状況では、それだけで完治するような軽い傷には見えなかった。


 まあ、昨日のように顔がパンパンに腫れていたり、青白い顔だったりといった酷い様子には見えず割と元気そうな様子ではあるが。


「問題ありません」

「そ、そうか。だが無理はするなよロロウィ。お前は弱いのだからな」

 レオナルドの言葉にスローリたちは何とも言えない表情を見せる。


 レオナルド陣営特級戦力の一人であるアルハンブラを『弱い』と断言したら、後誰が強いということになるだろうか。


「そちらこそ、問題ないのですか? 私と合流前に相当傷を負ったと聞きましたが……」

「キキッ! お前と違って俺は強いからな」

「……どうでもいいことなのですが、馬鹿は風邪をひかないそうです」

「ほぉん。そうなのか?」

「はい。ただ、これの正しくは“馬鹿は風邪を引いても気付かないから”となりますが」

「キキッ! 自分の体調変化も気づけないとは、馬鹿は所詮馬鹿だなまったく! 俺と全然違う」

「そうですね。ところで我が君。風邪を引いたことは?」

「あるぞ。俺は馬鹿じゃないからな。ま、相当幼き頃ゆえの弱さという奴よ。キキキキキッ」

 アルハンブラは気持ち悪い笑いに対し、愛想笑いを返した。


「そんでアルハンブラ。これからどうするのー?」

 ひょいっと近づき、クリスは尋ねた。

 昨日のことなどまるで何もなかったかのように。

 アルハンブラも、空気を読んでそれに合わせる。


『友人のままでいたい』


 そう望んだクリスのために、それを贖罪として。

「ん? ああ。私の罪とはいえ、ユピル様を苦しめるのは忍びない。それに時間制限がどのくらい残っているかもわからないから、すぐに出発するよ」

「突撃?」

「ああ。この後に及んでもう手はない。……いや、一つだけ手はあったね」

「それは?」

「これさ、我が友よ。謝罪というわけではないが、贈り物だ、受け取ってほしい」

 そうアルハンブラが言葉にした瞬間、離れた場所からぱからぱからと可愛らしい足音が。


 そうして現れたのは、四頭の小柄なロバと、それに連れられた二台の馬車だった。


 ロバはまるでデフォルメされたかのようでどこか可愛らしく、馬車も少しファンシーなデザインとなっていた。


「これは?」

「近場の、閉園したサーカスからもらい受けてきた。速度はそれほど出ないが、役には立つよ。なにせ彼女たちの演目は重量種目だからね」

 そう言って『彼女』と呼んだそのロバの首元を優しく撫でる。

 ロバは、まるで恋人に触れられているかのように、うっとりとした表情を見せていた。


「さすが。何でもそつなくこなすねー」

 感心した様子でクリスが呟くと、アルハンブラは謙遜めいた微笑を浮かべた。


「ふむ。ま、俺が乗ってやるには少しばかり格は足りんが……ま、ロロウィの顔に免じて許してやろう」

 そうレオナルドが言った瞬間……ぺっと、ロバはレオナルドに唾を吐きかける。

 レオナルドの顔面にべちょっと多量の唾液が見事に着弾した。


 先ほどまで恋する乙女のようだったとは思えない、馬らしい、人をおちょくるような顔でベロを伸ばすロバ。

 沈黙と、無言が場を支配する。

 そうして誰も何も言うことなく、馬車二台に皆で乗り込んだ。




 走行する馬車、それの二両目の後列側乗っているのは、クリス、リュエル、コヨウのメンバーにアルハンブラの四人。

 ただし、クリスとコヨウは馭者役……というか、直接ロバの背に乗っていた。


 二人とも小柄であることも理由のうちだが、コヨウは馬車の中にいるよりも外にいる方が楽だと望み、クリスは何となく乗ってみたいからと言って。

 そうして小さなロバでロデオをしてはしゃぐクリスを、リュエルはじっと真剣な目で見ていた。

 いや、真剣というには大分邪であるが。

 表情は隠れているが、相当興奮しているとアルハンブラには気づけた。


 アルハンブラは彼女に声をかけず、読書の時間と一人の世界に逃げ込んだ。

 どの面下げて一緒にいるのかという気持ち、未婚の女性と二人きりの車内だから迷惑をかけないためという紳士心。

 あとは、彼女の幸せタイムを邪魔したら後が怖そうだなと思って。


 読んでいるのはスローリに用意してもらった長期的な報告書。

 自分がいない間に何があったのか、王の周りを中心にした新しい情報。

 それと、現時点でどれだけ仲間の死亡が確認されたのかも含めて。


 レオナルドには何も言っていない。

 今言えば激昂するとわかっているからだ。


 反面アルハンブラに驚きはない。

 最初から犠牲がゼロで済むとも思っていなかったからだ。


 自分でもあの状態だったのだ。

 それ相応の犠牲が出てもおかしくない。

 そしてその誰もが、犠牲となることを自己責任として受け入れている。


 自らの意思で、逃げずに王を助けるために留まったのだ。

 その程度、覚悟していないわけがない。


 とはいえ、仲間が殺されたのだ。

 何も感じないというわけがなかった。


「余計なことはしないでね」

 リュエルの声が聞こえ、アルハンブラはそっと視線を本から彼女に戻した。

「私に声をかけたのかな?」

「うん。何か、怒りとかでやらかしそうな雰囲気がしたから」

「――これは申し訳ない。感情に飲まれるなんて、らしくないことをしたね」

「そう? 少なくとも、この国での貴方はいつも感情的に見えるよ」

「そうかもしれないね。まったく……年甲斐もなく情けないものだ」

「復讐とかそういうのは、余裕がある時にして」

「ああ、約束するよ。恥と迷惑で潰れそうなんだ。これ以上君達に迷惑はかけない。……我が王関連以外は」

「ん。信用する。クリス君が信用してるから」

「――信用……か。今の私には一番つらい言葉だ」

 呟き、アルハンブラは自嘲めいた笑みを浮かべる。


 苦しんで生きる。

 それだけが、今できる償いであった。


 そうして大体五時間ほど馬車が走ったあたりで、彼らは目的の建造物を目にする。


 それは小さな『塔』だった。



ありがとうございました。

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