唯我独尊
病室のベッドに男は尊大そうな恰好で寝転がっていた。
全身包帯まみれで、顔も青白く、不健康そのもの。
だけど、男は不敵に笑っていた。
キキッと、それはひどく個性的な笑みだった。
その金切り音のような不快な声が聞こえるたびに、男の魅力が損なわれ目減りしているように感じられた。
外見そのものは、決して悪くない。
少々痩せすぎている傾向はあるものの、中肉中背よりで顔立ちも整っている方。
鋭く細い目つきは決してかっこいいとは言えずとも、マイナス評価には当たらない。
だけど、その傲慢そうなだけでなくすこぶるアホそうな雰囲気が、あらゆるプラス加点を台無しにする。
雰囲気イケメンならぬ雰囲気不細工。
決して外見は悪くないのに見るだけで不愉快になる、そんな傲慢不遜さを男は持っていた。
「キキッ! やはり俺は持っている! 貴様は……なんだったっけ? 度忘れした。まああれだ。お前はロロウィの友達だろう? だったら、貴様も俺の部下だ! キキキキキッ!」
クリスに向かい、その男――レオナルドはそう言い放った。
どういう理屈でそうなっているのか。
というか、このフィライトに住んでいてぬいぐるみというオンリーワンスタイル信奉者のクリスを忘れるとか、一体どんな頭をしているんだとか、色々突っ込みたい。
ただ、あまりにも素っ頓狂なことを唐突に言い放つものだから、あのクリス第一主義のリュエルでさえ、怒りを覚えるタイミングを逃し口半開きでぽかーんとしていた。
だが当の本人であるクリスはそんな細かいこと気にしない。
というよりも……この時クリスは、ある重大な事実に気付き、驚愕のあまり何も考えられなくなっていた。
それは、レオナルドの無礼すぎる言葉さえ届いていないくらいに衝撃的なことだった。
「……そんな……まさか……」
クリスは、レオナルドの方を見ながら、わなわなと震えつつ呟く。
まんまるおめめを見開いて、ただ驚きだけを顔に染めて。
それはまるで演劇で主人公たる復讐者が恋人を殺した怨敵にでも遭ったかのような――もしくは主人公たる恋する乙女がフィナーレで行方不明だった恋人に出会ったかのような、そんなクライマックス級の大きなショック。
脳天に雷が落ちたようなショックを、クリスは受けていた。
だが、これは別に知り合いだったからとかそういうことではない。
彼らは、正しく初対面である。
クリスが驚いているのは、彼という存在そのもの。
そしてそのあり方についてだった。
クリスの目は、普通の人が見ることのできない多くのものを見抜く。
人の可視範囲を超えた光や、力の流れや向き、魔力の流れ。
見ようと思えば、音だって視覚という形で捉えることさえ叶うくらいだ。
そしてその中には、その人の能力や資質、才能といったものも含まれる。
見ようとせずとも見えてしまうから、クリスはこれをネタバレの瞳だなんて勝手に思っている。
その瞳で……見えてしまったのだ。
レオナルドという男の才覚が、隠れた資質が。
彼には……。
「才能が……欠片も……ない……」
ぽつりと、クリスは呟く。
あまりの衝撃に、口から言葉が零れていた。
才能がない人なんて、この世界には存在しない。
自分の才能が見えなかったり、わからなかったりする場合はあるだろう。
クリスのような目がない限り、普通の人は自分の才能を知り得ない。
知らないからこそ努力をし、才能を超えることができるとも言える。
自分の上位互換となる才能持ちに出会い、心が折れて『自分には才能がない』と思うような人はいるだろう。
だが、超一流に及ばないからといって、一流に価値がないということはない。
勇者候補クレインに実力が届かないからといって、リュエルが無能だなんて思う奴はいない。
要するに、『普通の人』なんてのはこの世界にはおらず、誰だっていくつかの優れた才能を持って生まれる。
そして、自分の持つ才能をほどほどに発揮して、それなりに努力して生きる――それが『普通』ということだ。
だが――ここに、例外が存在した。
目の前の男、レオナルドは才能がまるでなかった。
比喩表現ではない。
彼には普通の人が持ちうる最低限の才能がない。
一流と比べて乏しいとか、平均に届かないとか、尖った才能しかないとか、そういった次元でさえない。
極めて一般的な『運動』とか『勉強』とか、そんなあまりにも基礎的な才能さえも、完全に欠落していた。
肉体はひ弱で虚弱体質。
筋トレの才能もないから、効率よく体を育てることなどできない。
それ以前に、努力さえしていない。
技術はすべてがダメダメ。
武術からものづくり、果てには政治まで、すべての技術・知識方面に才能が欠けている。
ついでに、人の話を聞く才能も。
天才は一を聞いて十を知るが、彼は一を聞かずに架空の十を勝手に創造する。
さらには、心もべらぼうに酷い。
無能だけど努力家で優しいというのなら、まだ救いはあった。
だが、彼は努力もしなければ他者に優しくもなく、ついでに別に自分に厳しくもない。
傲慢不遜で、反省を知らず、人の痛みに鈍感で、他者を思いやることもない。
そのせいで、ただでさえ才能がないのに努力まで怠って、究極の無能人間の誕生である。
努力をすればなんとかなる。
それはクリスの持論の一つ。
生まれや育ち、才能がすべてではなく、どう生きるかで人の人生は変わるはず。
そう信じたいと思っていたのだが……ここにひとつ、例外の存在をクリスは受け入れざるを得なかった。
レオナルドは、すべての才能がない。
文字通り、すべて。
ここまで酷いと、ぶっちゃけ努力をしても誤差程度の成長しか出来ず、単なる焼石で無駄でしかない。
あらゆることに才能がある我が側近、ヒルデの正反対バージョン。
きっと二人を足して二で割れば、平均的な人間となるはずことだろう。
それほどまでに、レオナルドという存在は滅茶苦茶だった。
だからといってクリスはレオナルドを見下したり、見くびっているわけではなく、ましてや憐れんでもいない。
むしろ――その逆。
クリスは生まれてはじめて、自分の理解を超えた存在を目の当たりにし、思考停止に陥っていた。
レオナルドが無能であるというのは、クリスの目から見た『真実』である。
だが、それだとおかしいことになる。
才能がないというのは、努力しても上に行けないとか、そんな甘いものではない。
本当に何の才能もない存在は、ただ生きることさえままならないものである。
今日まで生きていられるわけがない。
死んでいなければおかしい。
レオナルドの才能というのは、それほどまでの領域であった。
少なくとも、この数日は一日に二桁単位で死が迫っていたはずだ。
村人に襲われ、獣に襲われ、盗賊に襲われ、この街でも捕まって。
マンボウよりも死にやすいレオナルドが、この世界で生きるのは不可能でしかなかった。
クリスの目で見る真実では、生きていられる可能性は文字通りの『零』。
那由他の可能性さえも存在し得ない。
だけど、レオナルドは生きている。
病院の中でドヤ顔のまま、自分が死ぬわけがないと不遜な態度を取っている。
さらに言うならば、真の無才というのは、生きるか死ぬかという話だけに留まらない。
無才のまま生きるということは、真っ当な社会に押しつぶされるということと、そのままイコールで結べるからだ。
己が最下層に立ち、誰からも見下される日々。
他の誰にも苦しさの責任を押し付けられず、自分以上に惨めな者はこの世界に存在しない。
その状態で歪まずにいられるほど、人という生物は強くない。
嫉妬に狂い、妬みや恨みに塗れ、地の底より汚濁のように心が腐る。
真っ当な心の持ち主には到底耐えられるものではない。
だが……レオナルドは、そんな陰鬱に腐っているようには見えない。
ただの馬鹿ではある。
だが、ただの馬鹿でしかない。
凄惨足りえる日常を過ごし、これまで生きてきたとは思えない程度には、彼の性根は真っ当だった。
真っ当に馬鹿で、我儘で、傲慢であった。
傲慢であり続けるほど、己に能力なんてないというのに……。
「ねぇねぇ、レオナルド?」
「様を付けろ、無礼者め」
「レオナルド様?」
「ふっ。なんだ?」
「痛くない?」
「あ? 痛いに決まっておろう」
「辛くない?」
「動けないのはそれなりに辛いな」
「苦しくない?」
「別に。貴様は何が言いたいのだ?」
「毎日、生きるのが悲しくて、辛くて、苦しくないの?」
クリスの言葉に、レオナルドは眉を顰め、そして盛大に溜息を吐いた。
「はぁー……。やれやれだ。ま、貴様のような無能にはわからぬであろうがな。俺の人生は多くの頼れる部下に囲まれ、日夜野望のために生き、日々成長するその日常は充実そのもの。それが天下を統べるべく俺様よ。生きるのが苦しいなんていのは、能力のない凡愚である証に過ぎん」
ドヤ顔で、レオナルドはそう言い放った。
当たり前のように、幸せであると。
生きていられるわけがない。
生きるには才能という資格が必要なのだから。
幸せになどなれるはずもない。
ただ生きることさえ困難な男に、そんなものが訪れるはずもない。
仲間など作れるわけもない。
コミュ力は欠片もなく、伸びしろもない。
徹頭徹尾、自分のことしか考えられない。
クリスの目には、レオナルドという男は陸を歩くマンボウに見えていた。
常に呼吸困難で苦しみ、もだえ、日向ぼっこできる程度の温度で皮膚が焼ける、そんな情けない存在。
事実、レオナルドの能力はそれと同等である。
それが、死なずに今日まで生きてきた。
それどころか、日々を謳歌していた。
レオナルドにとって『ただ生きる』ことは、恐ろしい程に難しい不可能任務である。
全盛期のクリスでさえ、それほどのことはできる気がしない。
つまり……レオナルドという男は、クリスの『できないこと』を今、当たり前のようにやっていた。
部分的かつ拡大解釈ではある。
だけど、それは確かに――黄金の魔王を超えていた。
レオナルドの『生きる』の難易度は、『黄金の魔王を滅ぼすこと』よりも確実に難しいのだから――。
「くくっ。ふふ……ふふふ……ふ……あはははははははははは!」
クリスは、盛大に笑った。
何度見ても、何度確認しても、結果は変わらない。
その瞳には、レオナルドの無才が見えている。
この状態で日々平穏に生きていられるわけがない。
なのに、生きている。
それは、黄金の魔王でも読み取れない力を持っているということ。
黄金の魔王でもできないことを成し遂げ続けているということ。
レオナルドが生きるということは、どのような試練よりも困難な試練である。
リュエルが正式な勇者となるよりも、ナーシャが故郷を取り戻し王位に返り咲くよりも、神を地上に堕天させることよりも。
それは、どんな偉業よりもあり得ない偉業である。
世界中の誰もが知らず、認めぬだろうが……今、レオナルドは誰よりも過酷で苦難の道を、笑いながら歩み続けている。
それは……初めてのことだった。
リュエルを見た時でも、クレインを見た時でも、ユーリを見た時でもこうはならなかった。
ヒルデだって、勇者リィンだって、黄金の魔王の見出す限界を超えることはなかった。
だというのに、レオナルドはクリスの目から見える限界を軽く十段は飛び越えている。
もう、笑うことしかできなかった。
「あはははははははははははは!」
どうしてクリスが笑っているのか、その理由は誰もわからない。
何なら、本人さえもわかっていないくらいだ。
どうしてこんなに嬉しいのか、どうしてこんなに彼のことが気に入ってしまったのか。
ただ、彼という奇跡がいるこの世界に、ほんの少しだけ希望が持てた。
「ふははははははははははは!」
レオナルドは、どうして笑われているのかよくわからないから負けないよう高笑いをあげた。
ありがとうございました。