悪いニュースと悪いニュース
ボロボロの大地と、燃えカスとなった草原。
見事なまでの爆心地に、クリスは苦笑を浮かべる。
自分のミス一つでこの惨状なのだから、もう本当に笑うしかできない。
だがもしも近くに人の住処があったのなら、きっと笑うこともできなくなっていただろう。
そして今、フィライト各地はそんな状況に陥っている。
そう――想像に難くなかった。
「――っ!?」
唐突に、リュエルは頭を抑え蹲りだした。
それに呼応するかのように、消えていた空の孔が、再びその姿を見せた。
前の時と同じく、何の前触れもなく同じ場所に。
リュエルの言っていた『見えなくなっただけ』という言葉に強い信憑性が宿った瞬間だった。
そうして孔は数十ほどの白蛇を放つと、再びその姿を消し元の青空に戻った。
「リュエルちゃん。まだあるように感じる?」
クリスの言葉にリュエルは頷いた。
「うん。まだ怖いし、気持ち悪い。あそこに……何かがある」
そう、リュエルは確信を持っている様子だった。
「ふむぅ。……一番良いのは、あそこに突撃して確認することだけど……」
ちらっと、クリスは彼女に目を向ける。
ものすごく大きく手と頭をぶんぶんと横に振っていた。
「大丈夫。流石にそんな無茶は言わないから」
戦闘不安なペガサス。
空戦適性のないリュエルに、本気を出せないコヨウ。
そして、実力を思い違えてぱくりといかれた自分。
流石のクリスも、この状況であれに突撃するほど考えなしではなかった。
「というか、たぶんだけどカリーナ様がやるでしょ。突撃調査は」
戦闘力の高いペガサスライダーが皆忙しいということは、そう考えてよいだろうとクリスは考える。
カリーナは、事象は把握できずとも、対処法は把握できる。
そんな異能を手にしていると言っていた。
だとするなら調査のため――いや、たぶん違う。
国家防衛のため、きっとペガサス部隊を今、死に物狂いで動かしているのだろう。
だったら……。
「うーん。残念だけど諦めるか」
クリスはぽつりとそう呟くと、彼女は目を大きく丸くした。
「ちょ、ちょっと待ってください、諦めるって何をですか!? この国ですか! この国をですか!?」
「あ、ううん。違うから落ち着いてほしいんよ。諦めるのは自力解決」
「……と、言いますと?」
「うちの国……ハイドランドに救援を頼むから、ミューズタウンまでお願いしてよいかな?」
彼女の絶望していた瞳が、希望と羨望に満ち溢れ、キラッキラとまばゆく輝いた瞬間だった。
ペガサスこそ無事だったものの、馬車は完全に破損し、屋根も壁もあってないようなものであった。
これで空でも飛ぼうものなら落下死確実、地上を走るのだってちょっとがたっと揺れるだけで崩壊してしまいそう。
そんな有様で十数センチ浮きながら地上をとろとろと走り、少々以上に時間をかけながら一同はミューズタウンに到着した。
「では、私はこれで失礼します。皆様のご無事を願っております!」
元気よく、彼女はそう叫び、馬車を乗り捨てペガサスで空に消えていった。
予定がわからないため、一応明日早朝には顔見せをするつもりではいるが、どうなるかはわからないそうだ。
彼女が立ち去った後、クリス達はミューズタウンの中に入っていく。
美しくもどこか物悲しい、白亜の港街。
街そのものが芸術であるとさえ言えるこの場所だが……前来た時とはどこか、雰囲気が異なっていた。
街並みにいつもの優美さはなく、穏やかな人の声もない。
それに何より、あれだけ歓迎していたクリス達が戻ってきたことに気付いてさえいない様子だった。
いや、理由は大方予想がつく。
あの白蛇の襲撃に逢ったのだろう。
ここに来るまでに襲われたのはたった一匹で一度だけ。
それも空を飛んでいた時で、地上にいた時は姿形さえ見なかった。
ということは、白蛇は明確に人の多い場所を狙い、襲撃している。
「ああ、信奉者様! ご無事でしたか!?」
町に入ってからしばらくして、老人が声をかけてきた。
老人はこの街の他の人と同様、いつもお洒落に気を使っていたはずなのに、その老人は随分とラフかつ汚れた服装をしている。
そしてその成りでも目立たない程度には、街は荒々しい喧噪に包まれていた。
「うぃ。問題ないんよ。それより、やっぱり襲われた感じ?」
「はい……。――いえ、すぐに歌姫ルナ様をお呼びします。少し、少しだけお待ちください!」
老人は必死な形相で、歳を感じさせない全力ダッシュでその場を後にする。
意味不明な様子に、クリスとリュエルは首を傾げた。
彼らはすっかり忘れていた。
このミューズタウンの歌姫であるルナ・フィオレは、『クリスのお気に入り』に選ばれたお相手であり、既に懇ろの仲である……という噂を利用していたことを。
エナリス神に認められた信奉者様が、危険な中わざわざ歌姫に会いに来たという美談が、勝手に老人の中に作られていた。
「クリス様……! 良く……良く、ご無事で……」
必死に涙を堪える(演技をしながら)、ルナはクリスに駆け寄り、そしてひしっ! と、抱擁を交わす。
そして見えないようこっそり手をぐりぐり押し付け怒りを顕わにした。
「お変わりないようで何よりなんよ」
相変わらずの面の皮の厚さに感心しながらクリスは呟いた。
「よく見なさいよ馬鹿。あんたのせいで最近睡眠不足でお肌ボロボロよ。化粧しないと外にも出られなくなったのよ。私の大切な商売道具をなんだと思ってるのよ」
クリスにだけ聞こえる声量で、ルナはドスを利かせて凄む。
お肌にダメージがあることもそうだが、それ以上に自分が忙しいということが、ルナには許せなかった。
どうしてルナが眠れない程多忙なのかといえば、自業自得がその原因と言えるだろう。
ルナは働かず暮らすことだけを願っていた。
だけど、クリスのお気に入りとして地位が向上してしまったことがここで大きくマイナスとなり、緊急時における指令系統の一部を受け持つこととなってしまう。
わかりやすく言えば、市長補佐的な立場を任せられてしまったのだ。
しかも地味に貴賓の担当にも仕事が回っており、こうして緊急時にはその仕事がすべて牙を剥いていた。
本来は情報を集めるだけの仕事のはずだったのに、まさに修羅場である。
ルナはすっと離れ、目尻をこすって涙を拭う仕草を見せ、微笑んだ。
「こうして再び再会できることに、心よりエナリス様に感謝を……。それで早速ですがクリス様。お話したいことがありますので、どうぞこちらへ」
そう言って再び手を伸ばすルナの表情には、少しばかりらしくない真面目さが宿っていた。
すたすたと早歩きで街を移動し、周りに人がいなくなってからルナは口を開いた。
「さっそくだけど、悪いニュースが二つあるわ」
「白蛇さんの襲撃関連?」
「それ以外のあんた関連で。っと、その前に、そっちの子には事情話しても大丈夫な感じ?」
ルナは後ろについて歩くシロを見て、尋ねた。
「うぃ。問題ないんよ」
クリスはリュエルに抱かれながら頷く。
これは身長差により小声が届かないことへの配慮であった。
リュエルにとって役得であるのは事実だが。
「わかった。じゃあ、色々マジな方から話すわ」
そう言ってから、ルナは立ち止まる。
そこは神殿であった。
海の上に浮かぶ、小さな神殿――だったもの。
そこは完全に崩落し、廃墟となっていた。
いや、ただ廃墟になっているだけではない。
何か、視覚できるほど強い嫌な気が、そこから溢れていた。
「……これ、あの白蛇がしたの?」
「ううん、違うわ。その前から。とりあえず結論から言うわよ。転移は使えない。理由はテロ」
「……テロ?」
「そう。そしておそらく、向こう側でも同様の問題が起きている」
そう、ルナは結論づけ、現時点でわかっていることを話し出した。
クリス・シティとミューズタウンを行き来する人は極少数だが、いないわけではなかった。
高位のエナリス信者で、かつ両国から許可を得られる身分という条件。
それはごく一部の要人にしか適用されなかったが、それでも一定数存在し、外交の為行き来していた。
その一部の中に、テロリストが混じっていた。
洗脳されていたのか、擬態だったのか、それとも本当はスパイだったのか。
今となっては何もわからない。
なにせ、その要人は他の要人を巻き込み、自爆してしまったのだから。
ゲートは形なき海であるため、通常は破壊することは叶わない。
そのはずだったが、この有様である。
転移範囲である一部の海は、黒い靄が立ちこめ、渦巻く高濃度の魔力に汚染され立ち入ることさえ難しい。
「というわけで、白蛇とやらが襲ってくるよりも前に、容疑者を含む四名の要人が死亡、三名は重傷という最悪の状態となったわ。さらに付け加えると、あちら側でも不味いことになっている可能性が高い。憶測で語って申し訳ないけど」
「あちら側?」
「クリス・シティ側よ。ゲートの性質上、確実に機能停止させるには両側から同時に叩いたほうがいいでしょ」
「なるほど」
「そんで逆に聞くけど、これ治りそう? 神託で何か来てない?」
「ないなー。今日寝るときにたぶん来るかな」
「残念当てが外れた。そういうことなら今日は早めに寝て、どうしたらいいか聞いてきてよね」
「うぃ。それで、これが一つ目の悪いニュース?」
「ええ」
「じゃ、二つ目は?」
ルナは、歯に何かが挟まったような、もやっとした表情に変わった。
「あー……うん。厄介事のレベルで言えばこれと同等か上なんだけど……ちょっと説明が難しいというか、正直関わりたくないというか……」
「複雑な感じなんね」
「ううん。全然。とてもざっくり言うとさ……」
「うん」
「馬鹿が来た」
「るなちー詳しく」
露骨に興味を持ったクリスを見て、ルナは盛大に溜息を吐いた。
だから、言いたくなかったと言わんばかりに。
ミューズタウンの病室に、一人の男がいた。
男は当初、重症であるにもかかわらず牢屋に閉じ込められていた。
その来歴は異常で、そして発言も常人には理解できないものであったから。
要するに、狂人であると男は思われていた。
いや、今でも狂人ではあると皆が思っている。
だからこそ、厄介者であった。
男の名前は……真なる王家の一族、王となるべく男、未来の簒奪者、次代フィライト国王、『レオナルド・ラ・パルフェ十三世』。
当然、全部自称である。
奇怪な笑いと共にいきなりこんなことをぶちまける奴を狂人以外に表す言葉を、ミューズタウンは知らなかった。
しかもこの時、レオナルドは重度の負傷を負い今にも命が尽きそうだったというのに、この発言である。
筋金入りの異常者としか言いようがない。
レオナルドがミューズタウンに迎え入れなければならなくなったのは、ほんの数日前のとある事件に関係する。
事件といっても今の『空の孔』みたいな仰々しいものではない。
ちょっと規模の大きい盗賊団がミューズタウンの近くに来たという程度の騒動だ。
ミューズタウンは街の規模こそそれほど大きくないが、高級観光地のため軍事力は大都市に匹敵する。
さらに言えばエナリス信仰に厚い街でもあるため、神官絡みの戦力も追加で保有している。
だからちょいと大規模程度の盗賊団など恐れることはなにもない。
ちょいと遠方の草刈り程度の気持ちで出発を決め、何のトラブルもなくその日に全員を捕縛し、翌日には全員、法的手続きに則り処刑も済ませた。
そしてその時、盗賊団に拉致されボコボコにされていたのがレオナルドである。
ミューズタウンの人が見た時には、棒に吊るされ豚の丸焼きみたいな姿となっていながらキーキー叫んでいたそうだ。
ちなみに盗賊団の尋問の中で、街を襲った時に猿ぐつわをかまされボコボコにされていたという証言が出ている。
そしてその街でもどこかから犯罪者として確保され尋問を受けていたとかなんとか。
真偽が掴めないビッグマウスと他者を見下す発言を繰り返し、その度にボコボコにされてきたらしい。
更には本人曰く、移動中は普段出ない野生の獣にも襲われ、辿り着いた街では不審者として捕縛されたり町の外に捨てられたりとかもあったそうだ。
調べれば調べるほど訳がわからない経歴を帯びている。
全てが嘘であれば楽なのだが、ビッグマウス以外に大した嘘は言っていないというか難しい嘘をつく能力があるように見えない。
そうして……悲しいことに、その身元が特定できてしまった。
フィライトの、地方土地管理者。
つまりは『お貴族様』である。
土地管理というのは町長のような立場のその上。
中央政府により依頼され複数の都市を管轄する領主と言っても良い。
こんな馬鹿がそんな馬鹿な……と思ったが、悲しいことに事実だった。
その土地管理者の備考欄にも『虚言癖のある馬鹿のため部下同行必須』と書かれていた。
最初は何をふざけて書いてやがるのかと思ったが、現物を見た後ならその言葉には納得しかない。
確かにこいつは百点満点、備考欄に書かないと許されないレベルの特注の馬鹿だ。
そうして……極めて重要な貴賓者であるクリスに気に入られたルナが、同じく重要な貴賓者である馬鹿の世話係となってしまった。
世話係というか、一日一度訪れて五分ほど話を聞くだけの仕事だが。
それでも、ルナにとってその五分は残り二十三時間五十五分に匹敵するほど長く感じる、拷問のような時間だった。
「と、事情はこんな感じ。で……本当ならこんな馬鹿、とっととフィライト首都に送って放置したいんだけど……」
「白蛇さんが来てますからねぇ」
ルナの言葉にクリスがそう返す。
この襲撃の中町の外を出歩くなんてのは、とてもではないが正気の沙汰とは呼べない。
何なら近場の町や村からはこのミューズタウンに避難してきているくらいには、状況は良くなかった。
「それに、もう一つね……気になることを言ってたから。正直、あいつから情報を聞き出すのは無理な気がするのよね。だけど、あいつ……あんたに必要な情報を持ってるの間違いないわ」
「ほほー。どんな情報?」
「あいつさ、尋問の中で『俺の部下のロロウィ』って言ったのよ」
クリスの耳がぴくっと動いた。
「どうやら、私としても会わないといけない事情ができたんよ」
「というかその名前出てなかったら正直盗賊と一緒に処刑されてたわ。本当、紙一重だったわ……あいつの身分が判明するのと処刑の延期は」
「運が良いんだね」
「どうかなぁ……」
ルナはその言葉には、同意できそうになかった。
そうしてその部屋の前に着いたら、ルナはシロの肩に両手を置いた。
「じゃ、シロちゃんは私の方が預かるわ。休ませるのも保護するのも私に任せて頂戴」
「助かるんよ」
「ええ、こいつの相手をするより百倍マシだからね。ああ、でも私タダ働きって死ぬほど嫌いなの」
「事件が終わったらまとめて払うんよ」
「利子つけてしっかり徴収するから忘れてないでよね」
「うぃうぃ。お仕事の『正当な対価』はしっかりする主義なんよ」
「そうであって欲しいものね。じゃ、お二人さん頑張ってね。……うん、本当に頑張って」
そう言ってルナはシロを連れ、その場を逃げるように後にした。
そんな状況でもクリスは躊躇わず、その扉を開いた。
ありがとうございました。