混乱の最中の推測
配信中での凶行は、世界中に晒されていた。
元々クリスというキャラクター性によって注目度の高い配信であった上に、五十階での先史文明の発券によって、歴史学者や宗教研究者たちは特に注視していた。
これでアルハンブラは世界的な犯罪者となり、近い未来、国際的な指名手配となるだろう。
地下百階規模のダンジョン崩壊と引き換えの宝物を簒奪したのだ。
その宝が例えどのような代物であっても、その価値は最低でも国宝クラスの代物となる。
欲に駆られ、仲間を裏切った。
――そのように見られていた。
だが、事情を知る者からすれば、また別の見方になる。
視聴者の中にもそれを知る者は少なくなかった。
あの……『青空仮面スカイマン』の正体を知る者たちが。
確かに、国宝の簒奪は大問題だろう。
世界的な犯罪として、全世界の新聞の一面を飾ることになるのは想像に容易い。
だが、ことこの状況において言えば、その大問題さえおまけに過ぎない。
神の誘拐に比べれば、秘宝など誤差でしかなかった。
アルハンブラが去ってから、クリスたちは大慌ててダンジョンの外に走った。
コアを失い、代替の秘宝も消えたというのに、ダンジョンは壊れるそぶりを見せなかった。
おそらく崩壊まで数日、もしくは数週間ほどの猶予があるのだろう。
今回だけは、すぐに崩壊してほしかった。
そうであれば、百階層を登って戻る必要がなかった。
時間にして地上まで二十時間ほどは短縮できたはずだ。
撮影を切り、五十階に戻って、仮眠を取る。
ダンジョンの危険度はコア破壊により下がっていても、移動の疲れにはあまり関係がない。
クリスやリュエルはともかく、シロは精神的にも肉体的にも、すでに限界を超えていた。
彼女は元々、ただの一般人……いや、スラム同然の生活をしていた弱者である。
庇われながらでもダンジョンで足手まといにならず着いてこられたのは、間違いなくその信仰による部分が大きい。
その信仰――止まり木を、彼女は失ったのだ。
状況があまりにも唐突すぎて、まともに哀しむことさえできていなかった。
だが、彼女を気遣う余裕は今のクリスにはない。
クリスもクリスで、状況がまるでわかっていなかった。
なにせ五十階まで来てから、『撮影機器を捨てたらもっと楽だったな』と気づく程度には、クリスの頭も働いていなかった。
別にショックというわけではない。
だが、予想外ではあった。
アルハンブラが裏切ったことも、ユピルが攫われたことも。
表情と態度から、それを望んでいないことは明白だった。
わざわざ配信中という悪目立ちするような方法を取ったのは、自罰的な感情によるものだろう。
それと、何となくだが、できる限り自分たちにヒントを出そうとしていたそぶりも見えた。
だが、それが何なのかクリスにはわからなかった。
相手の背景を推測できるほど、クリスはアルハンブラのことを知らない。
親しくなかったからではない。
過去を語らないのが大人だと、少なくともアルハンブラ自身はそう思っていたらしい。
アルハンブラは、最後のあの瞬間までずっと、大人で、紳士で、そして友であった。
彼のことがわからないのは、それだけではない。
彼は自分のことを『平凡で大したことのない男』と称していたが、本当にそうであるのなら、ちょっとした敵意にさえ反応するクリスと、直感で割となんとかしてきたリュエルの二人を、あそこまで見事に出し抜くことはできない。
彼は自分が思っている程凡庸な男ではない。
むしろ己を非才だと思っているからこそ、誰よりも慎重に行動してきた。
日常を含め、立ち振る舞いからすでに『油断なき男』であったからこその、この騒動だった。
そんな彼のことを推測するなんて、無駄なことに過ぎない。
悪意も敵意も戦意も持たず、戦闘する気すらなかったから、クリスの『戦いの才』がまったく反応しなかった。
アルハンブラがクリスの事情を知り、能力に反応しないように立ち回ったフシさえある。
クリスの正体をアルハンブラが知っていても、クリスは別段驚かない。
それほどまでに見事であった。
この一方的に情報を抜かれた状態でアルハンブラの考察などしようものなら、『実は宇宙人だったんだよ』なんて発想にしかならない。
戦いの才が発動しないクリスは、本当に無能でしかないからだ。
だから、アルハンブラについては『わからない』ということで話を終わらせる。
例えアルハンブラについてはわからなくとも、ヒントは存在する。
アルハンブラ以外でも状況を推測できるものが二つ程あった。
一つは、アルハンブラの背後。
あの誰が見ても望んでいなかったとわかる状況での裏切りに、背後関係が推測できない者はいないだろう。
アルハンブラは、そいつに逆らえない立場にいる。
一応、そいつを黒幕――と呼んでもいいかもしれない。
もう一つは、相手の狙いが限りなく特殊であるということ。
持ち出したものから考えると、その目論見は『世界征服』のような世間一般の陳腐な悪事とは、明らかに異なっている可能性が高い。
百階相当のダンジョンの魔力がふんだんに込められた、世界に一つしかない『宝石』と、堕天し神としての力を失った『神様』。
どちらも、そう簡単に扱えるものではない。
宝石が発見された段階では、観察眼を持つクリスですら、それがどういうものか判断できていない。
何か力があるのか、何の力もないのか。
ダンジョン崩壊という生まれからして、本当にどんなものか想像すらできない。
ものすごく強いビームを撃てるかもしれないし、逆に装備するだけで呪われるかもしれない。
百階分の魔力を使い、ただ美しくなっただけの宝石という可能性すらある。
用途が特定出来ない以上、何等かの手段で利用するために簒奪したとは考えられない。
当然、価値が高すぎるうえに盗品と知られているため、売ることも簡単ではない。
というか、買い手がすぐに見つかるような代物ではない。
神様に至っては、もっとわかりやすい。
あれは最悪の爆弾だ。
仮にも大神三柱の一柱。
天空を管轄し、全ての神の長子として扱われ、最も恐ろしく、強い神とされた天空神ユピル。
例え神でなくなったとしても、人とは次元の違う存在であることに変わりはない。
何をしでかすかわかったものではない。
その上で、状況次第では信者たちがなりふり構わず暴れ回るだろう。
自分たちがダンジョンを出た時点で、世界中にユピルのことが知られ、聖戦が勃発してもおかしくはない。
――そんな状態である。
そんな神様を、一体何に使うというのか。
せいぜいできることなど、世界を破壊し尽くすくらいだろう。
だが、それが目的とは考えにくい。
ただ世界を壊すだけなら、もっと簡単な方法が絶対にある。
要するに、どちらも活用できるのは、真っ当で正しい存在に限られるということだ。
悪党にとっては、あまりにも使い道が乏しい。
そんな代物を、わざわざ二つも奪い取った。
その意図はわからずとも、『特殊な用途』を想定していることは、想像に難くなかった。
「リュエルちゃん」
「何?」
「どっちが本命だと思う?」
「……直感でいい?」
「うぃ」
「どっちも本命だったと思うよ。いや、正しく言えばどっちも本命ではなかった感じかも」
「どういうこと?」
「ごめん、よくわからない。ただ、なんとなくそう思っただけだから」
「そか。私はユピル狙いだったと思ったけど……違ったかな」
ダンジョンの報酬――宝がどういう形だったのか、事前に知る術はない。
だから、ダンジョンの報酬はオマケで、本命はユピルの拉致。
最悪を想定すると、ユピルを捕まえるために堕天させたという考えも浮かぶ。
それがクリスの推測だったが、少し自信がなくなっていた。
「私のはただの何となくだから、あんまりアテにはしないで」
「正直、今回は本当にわからないことだらけだから、自信も何もなくて。……もしかしたら本当に、世界を壊すことが目的なのかもねぇ」
困った顔で、クリスは頭をぼりぼりと掻いた。
「……慰めようかと思ったけど、あんまり気にしてないみたいだね」
ぽつりと、リュエルは呟いた。
「ん? 何のこと?」
「裏切られたこと。……クリス君、仲間とか友達とか気にするから、ショックを受けてるかと。シロみたいに……」
倒れるように寝ているシロの方をリュエルは見る。
その表情は、まるで悪夢を見ているかのようだった。
「まあ、そうだね。落ち込むようなことはないかな」
「どうして?」
クリスは微笑んだ。
「難しい質問だねー。私にとってはそうだからだけど……うーん。言葉にするなら……たぶんこう。『裏切られても、友達であることに変わりはないから』。だから気にしないの」
「……不思議な考え方だね。そして、苦しそう」
「そうでもないよ?」
「だって、それだと戦えないでしょ? 友達と」
「そんなことはないよ。友達でも殺し合うことはある。それは普通のことでしょ?」
何となく……何となくだが、リュエルはこの辺りこそがクリスの異常性であると気付いた。
外見じゃあない。
能力でもない。
クリスの異常性は、その性質そのもの。
考え方やそれが人のそれではない。
かと言って神様とも違うと、今回ユピルを見てわかった。
そしておそらく、この質問をもっと深く追求したら、もっと具体的にその異常性が形になる。
クリスがどういう存在なのか、理解出来るだろう。
だけど……止めておいた。
何故かわからないが、警鐘が聞こえた気がしたのだ。
それ以上進むと、後悔すると。
前にもこういうことがあった。
クリスについて深く知ろうとすると、何故か一緒に居られない予感が走る。
だから、リュエルは目を背け続けた。
ずっと一緒に居たいから……。
そんなリュエルの内面に気付いたのかそうでないのか。
クリスはにこっと、リュエルに微笑みかけた。
ありがとうございました。