混雑する舞台裏(後編)
それから更に二十分の時間をかけ、ようやくカリーナは危機感を共有させることに成功した。
わかりやすく、丁寧に、それとなく相手を持ち上げながら内容をマイルドに。
というより、マイルドに話さないとレオナルドが暴走する恐れがあるくらい、状況は芳しくなかった。
一部の者は迫害されながら危険な任務に従事し、一部の見目麗しき女性は己が身体を使わねばならぬ状況となり、そしてアルハンブラは無二の友と己が誇りを失った。
死者が出ていないのは偶然……いや、カリーナが把握していないだけでしかない。
レオナルドが暴走する恐れがある程度には、彼の部下は虐げられていた。
「私からの提案は二つです。一つは能動的に解決させること。もう一つは受動的に解決させること。どちらを選んでも構いません」
カリーナの提案に、レオナルドは沈黙を見せる。
それはまるでカリーナの裏の意図を探るような、そんな静寂……。
だが実際はただ言葉の意味がよく分かっていないだけだと、カリーナは理解できた。
この短期間に、レオナルドについて知りたくもないというのに相当見解を深めてしまった。
「積極的に部下を助けるか、慎重に部下を助けるか。どちらか選んでくれたら、手伝いますよ」
「えぇー。貴様がぁ?」
その能力を疑うような舐めた目線にイライラしながら、カリーナは微笑んだ。
「どうしますか?」
「しょうがない。俺を助けてさせてやろう。それで、どちらが早く俺の部下を解放できる?」
「もちろん、積極的に動いた場合です。ただしこちらは失敗する可能性も相応にあります。なので、おすすめは慎重なほうで……」
「なら積極的にだ。貴様の勧めなど死んでも受けるか」
「――そのような、私への反抗心を理由に選んでよいのですか?」
「はっ。貴様はやはり馬鹿だな、この馬鹿王が。貴様への憎しみなどエッセンス程度のおまけよ」
「では、どうして?」
「そんなの早い方が良いに決まっているからだ。部下が苦しんでいるなら、早く助けてやる。それもまた王たる俺の使命であろうが」
「失敗する可能性がある……というか、貴方の場合、失敗する可能性が高いと思うけれど」
「俺の力を侮るな。我が才は万能であり、我が力は無限。その俺が失敗するわけなかろうが」
ドヤ顔で言い切るが、そんな能力、レオナルドにはない。
特殊な能力とか、そういう話でさえない。
文字通り、レオナルドには何の才能もない。
何も出来ないくせに自尊心まみれで、ついでに性格まで悪いというのがレオナルドという男である。
これで努力をしても駄目というのなら多少の可愛げがあるだろうが、そんなことさえもない。
なぜそれでここまで自信に満ち溢れられるのか、カリーナにはまったく理解できなかった。
「まあ……そう選択するのでしたら……」
カリーナは部屋の隅に移動し、そこに何かを書き込む。
すると壁がぐにゃりと曲がり、縦長の渦へと変わった。
大体人ほどの高さで、それはまるで扉のようだった。
「こちらから脱出して、逃げてください。貴方を助けてくれる人が見つかるまで、ずっと」
そんな、何の説明にもなっていない作戦に、レオナルドは当たり前のように頷いた。
「うむ。良いだろう」
「何も、尋ねないのですか?」
「これ以上何を聞く必要がある? 無能な貴様ならともかく、俺に説明は十二分だ」
「……失敗が、恐ろしくないのですか?」
「はっ。俺が失敗するわけないと言っただろうが。……だが、そうだな。ならば貴様に一つだけ命じてやろう。頭を垂れ五体投地し、感涙の涙を垂れ流しながら受け取るがよい」
「……何を頼みたいのですか?」
「簡単なことだ。俺が死んだら、俺の部下に「自由に生きろ」と伝えろ。これで失敗はなくなったな」
そう言って、笑った。
レオナルドは何も理解できない。
理解できていない。
それでも、どうすれば部下が自由になるかは判断できていた。
無能で、愚かで、それでも、レオナルドは部下のことを想わなかったことは一度もなかった。
「レオナルド、貴方に尋ねます。貴方にとって大勢の部下とは、一体どのような存在なのですか?」
「――わけがわからん。部下は部下だろう」
「部下を裏切り切り捨てようとは思わないのですか?」
「誰が好き好んで己が手足を裏切るのだ?」
「部下に裏切られるとは思わないのですか?」
「何を言っているんだ? 裏切ろうと裏切るまいと、部下は部下だろ? ま、俺の部下が俺を裏切ることなどあるわけないがな」
それだけ言って、レオナルドはゲートの中に飛び込んだ。
レオナルドがこの後どうなるかは、実のところカリーナにも分からない。
だが、彼にとっての苦難が続くということだけは分かりきっている。
追手が追いかけ、盗賊に襲われ、あの態度のせいで敵ではないただの民衆にも白い目で見られ――。
世界そのものが敵となり、追いかけてくる。
無能なレオナルドが生きて逃げ延びる可能性は限りなく低い。
そういう意味で言えば、もう一つの消極的な策の方が適切だった。
軟禁状態から部下を招き入れ、時間をかけてクーデターを起こすという手法の方が。
それでも、彼はそちらを選ばなかった。
彼自身に運命を選ばせ、過酷な道を、彼が選んだ。
無能な彼は、効率や確立など考えず、困難な方を当たり前のように選択した。
それだけのことなのに……なぜか、えも言われぬ敗北感がカリーナを襲っていた。
「不愉快ですね」
そう言いながらも、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
「何にせよ……これで波紋は生まれた。あとは……待つだけ。私が舞台に上がるのは、最後でいいのだから」
彼女はそのまま、まるで最初からいなかったかのように部屋から姿を消す。
しばらくして、レオナルドがいなくなっているのを見張りが発見し、主のもとへ伝えに向かった。
その男に、名前はない。
憎しみから、男は己の名を捨てた。
男は恨んでいた。
自分を、家族を、人々を、世界を。
男はこの欺瞞に満ちた世界に、強い恨みを抱いていた。
故に、男は己をこう呼んだ。
『世界を正す者』
男にとってこの世界は、正しいものではなかった。
無用なしがらみと、紛い物が蔓延るこの世界は、腐っている。
だから、世界を正さないといけない。
醜きを廃し、正しきを戻し、あるがままの形にして、返さなければならない。
そのためだけに、今日まで生きてきた。
アンサーの傍に男が寄り、顔を近づける。
「同志。緊急事態です」
静かで、彼にだけ聞こえるような声色で。
いつもの定時報告のような言い方なのは、周囲に聞かせないためだと、アンサーは理解した。
「何がありましたか、同志サロウ」
アンサーは部下を『同志』と呼ぶ。
立場上は上司だが、彼はそうではなく、対等な関係であると考えていた。
「迷い人がいなくなりました」
その言葉に、アンサーの目は一瞬だけ見開かれた。
「それは――。……貴方が報告を受けるまでに、誰がそれを知っていますか?」
「見張りが二人だけです」
「他は?」
「いません」
「では、彼らの動きは?」
「変わらず。ですので、彼らの手引きではないと思われます」
「実際、彼らはまだ鳥かごの場所さえ気づいていませんでしたしね。……まあ、そういうことなら問題ありません。捨て置きましょう」
「構わないのですか?」
「はい。計画の大半は終わっています。あと数日だけ時間が稼げれば、彼らの役目は終わりです。ああ、ですが念のため――」
「もちろん、重要度の高い拠点は我らが同志に任せ、彼らには適当な場所を嘘の拠点として伝えておきます」
「ありがとうございます。さ――申し訳ありません、お待たせしてしまいましたね」
そう言って、アンサーはその部屋にいた彼女に声をかけた。
「構わないわよ、別に。正直、どうでもいいし」
小さな、少女のような背格好に、長い銀髪。
彼女の名前を、アンサーは知らない。
尋ねても、彼女は『白猫』としか名乗らなかった。
白猫についてアンサーが知っていることは、そう多くない。
彼女はどの神も信仰しておらず、信仰の対象は『生みの親』であるということ。
その『生みの親』がこちらに助力を申し出ており、彼女はそのメッセンジャー兼協力者であるということ。
そして……その助力の一つとして『神堕とし』が行える程に、相手が強大であるということ。
つまり、彼女は大いなる組織に作られたホムンクルスのような人造生命体であり、命令権はこちらにある、という話だった。
「そう言っていただけて何よりです。それで、貴女はこれから何をしてくださるのでしょうか?」
「そうね……。数日の間は何でもするわよ。そう命じられたからね」
『何でも』
その言葉に反応し、サロウと呼ばれた男は下卑た目を向ける。
人造生物である彼女の絶対的命令権があり、どのような内容でも断れない。
それを考え、下卑た目以上に下卑たことをサロウは考えた。
直後――アンサーはにこりと微笑み、サロウの頭に手を当てる。
そして、その頭部を消失させた。
血は一滴もこぼれず、胴体がばたりと倒れ白猫はわざとらしく口をあんぐりと開いた。
「わぁおー。思い切りが良いわね。でもどうして? そういう命令なら私、受けても良かったんだけどー?」
白猫は、ずいぶんと底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「ご冗談を。そんなつもりは微塵もないくせに。貴女の主は、我々に『命令権を渡していない』。いえ、それ以前に、貴女の所属組織は、我々の行いを全く重要視していない。違います?」
「両方合ってるわよ。この助力は気まぐれ七割に目的の賛同が一割。残り二割は私の暇つぶし」
「でしょう? それで同志サロウが貴女に手を出そうとすれば……殺すでしょう? 容赦なく、むごたらしく」
「ええ。当然じゃない」
「そうなると、この部屋が汚れる上に、貴女の敵意を買うことになる。だから早々に処理させていただきました。まあ、『尊き犠牲』という奴です」
それは、アンサーが白猫の実力を理解しているからこその選択であった。
「そうね。尊い犠牲ね」
「なので白猫様には、まずどのようなことができるのかをお聞きした上で、助力の内容を相談しようかと……」
「なかなかに殊勝な心がけね。でも正直、私はそれほど優秀じゃないわ。できないことの方が多いくらいよ。その上で、私の得意と言えば……」
シャランと、鈴の音が響いた直後――白猫の姿は消えていた。
魔力反応は一切なし。ただ純粋に、この世界から『消失』していた。
「ちょっと足が速いくらいかしらね」
そう答えたとき、白猫はアンサーの背後に立っていた。
「速いとか遅いとか、そういう話ですかね」
「さてね。あんたも、なかなかやるじゃない」
白猫が声をかける前に気づいていた素振りを感じ取り、彼女はふふんと笑いながらそう言った。
「ありがとうございます」
「ま、遠方へのメッセンジャーに猫の姿になること。後はまあ、戦闘くらいかしらね。得意なのは」
「十分すぎるほど頼りになりますね」
微笑み、アンサーは彼女に何を頼むべきかを考える。
どの程度の頼み事が、彼女の不興を買わずに済むか。
なにせ、彼女がこちらに興味がないと言ったのは、偽りなき本心である。
少しでも苛立ちが溜まれば、まず間違いなくこちらの敵となるだろう。
彼女にとって――いや、彼女たちの組織にとって、こちらはその程度の存在に過ぎなかった。
「では……とりあえずは食客として、お部屋をご用意させていただきましょうか。何かご希望はありますか? 何でもおっしゃってください」
「その何でもって、本当に何でもいいの?」
「もちろんです。どのような部屋でも、誰をお付きにするのでも、どのようなお酒を好まれるのでも、何でも」
「じゃあ、いろんな魚料理が食べたいわ。高くなくてもいいの。美味しくて、たくさん食べられる、それで」
「了解です。猟師とシェフ数名を貴女専属としましょう。幸い、優秀な料理人が丁度暇になったばかりです」
「良いじゃない。ちょっとだけ貴方のことが好きになりそうよ」
そうクールな表情で告げる白猫だが、その耳はゆらゆらと揺れ、耳はぴくぴくと嬉しそうに踊っていた。
アンサーは微笑み、内心で安堵の息を吐く。
これで何とか、彼女のご機嫌取りはできそうだと――。
ありがとうございました。