始まりの亀裂
地下五十階ではカメラが壊れるほどの激戦の末、なんとか『大きな狼』の討伐に成功した――ということになった。
その当事者であるコヨウの今後についてどうするかという課題が残っているが、ダンジョンを攻略した後で、今後の方針を話し合うこととなっている。
このタンガイット寺院を完全攻略できるタイプのダンジョンかどうか。
そして、攻略、つまりダンジョンコアを破壊した場合、このダンジョンがどうなるのか。
それによって、今後の展開はまるで変わってくる。
たとえば、コアを破壊した後ダンジョンがそのまま残る、あるいは緩やかに崩壊していく場合。
その場合、コヨウはしばらく五十階に留まりたいと希望した。
別に深い理由とか愛着とかあるわけではなく、単純に『人がいなくて落ち着くから』だそうだ。
だが、その希望が叶う可能性はあまり高くない。
ダンジョンは規模が大きければ大きいほど、空間を歪曲して構築されている。
この空間歪曲には膨大なエネルギーが必要であり、それを支えているのがダンジョンそのもの。
つまり、ダンジョンのコアが破壊されれば、その支えが消え、一気に崩壊が始まる。
通例からすれば、この規模のダンジョンはほぼ確実に『崩壊型』である。
ちなみに、もしダンジョンが崩壊した場合、コヨウの処遇は『ドラフト制』で決められる。
具体的に言えば、クリスとユピルによる奪い合いだ。
面白いもの好きのクリスと、『すごい奴を信者にしたい』ユピル。
二人にとってコヨウの存在は、まさに魅力の塊だった。
更に、そこにカリーナも加わる可能性は非常に高いだろう。
テントを片付け、コヨウを残し五十一階に降りてから配信を再開し、特に何事もなくさくっと六十階まで到達。
この階層までは、事前にコヨウから存在を聞いていた。
彼は六十階まで降りた後、五十階に住み着いたそうだ。
いつも通り、全てスカイマンのワンパンで突破した。
続いて七十階。
一応ボスらしき存在もいたのだが、気づいたのは倒してしまった後になってからだった。
五十階のような広い空間でもなく、コヨウのように派手でもなかったため、いつもの調子でワンパン終了。
そしてついに、八十階。
この辺りから、いろいろと嫌な予感が漂い始めた。
具体的に言えば、山なしオチなしで配信がグダグダになりつつあっるなんて状態である。
敵は一見、五十階までと変わらない。
だが、外見が同じだけで中身は完全に別物。
深層に進めば進むほど魔力が濃くなり、モンスターも凶悪化しているのは間違いない。
……だが、基本はワンパン。
視聴者目線では違いがまったく分からないはずだ。
というか当事者であるクリス達どころかワンパンしているスカイマンさえ違いは良くわからない。
宝箱もほとんど見かけない。
もともと生成率が極端に低いダンジョンらしく、『宝箱=ミミック』と思っていいくらいだった。
それ以前に、五十階の歴史的建造物ショックによって感覚が麻痺しているため、多少のお宝が出てもきっと感動すらないだろう。
仮にすごい武具が出てきても、五十階の『木片一つ』のほうが価値がある、という有様である。
基本的に薄暗い中、同じ敵が出てきてはワンパンされ、罠もクリスとアルハンブラのコンビで無力化。
お宝もなく、旅配信よりもさらに見どころがない。
八十階までで視聴者が盛り上がったのは、クリスが『クソデカプリン』の雑談をしたときくらいだった。
そして不安は的中し、そのまま何事もないままにとうとう九十階へ到達してしまう。
ふんわりとした予感だが、おそらく最深部は百階だろう。
空気的なものではあるが、クリスたちにはそう確信めいたものがあった。
視聴者の大半も同じように察していた。
ダンジョンからは、確かに締めの気配が漂っていたのだ。
ゆえに、皆の心は今一つにまとまり、祈るような気持ちで一階層ずつ、丁寧に降りていく。
視聴者もまた、息を呑み、腕を組み、画面の向こうで神に祈っていた。
――どうか。どうか神様……。
ボスだけは、どうか派手でありますように……。
見どころのないまま、五十階層をただ下り続けた。
それは行う方も見る方も、苦行に等しかった。
だからこそ、せめて最後だけでも派手であってほしい。
何か映像的な見せ場を作って、若干でも良いから苦戦して、そして有終の美を飾って欲しい――。
そんな願いを胸に、彼らは九十九階から見えるその下りの洞窟へと、静かに足を踏み入れた。
地下階層――百階。
湿気が強く、もわっとした不快な空気が肌を包む。
壁には蔓や蔦が絡み合い、足場はぬかるみ、苔と小さな水たまりだらけ。
苔には妙なぬめりがあり、慎重に進まないとすぐに転ぶ。
そんな不安定な道をしばらく進んでいく。
植物の影響は減るどころか、どんどん広がっていった。
まるで地上であるかのように木々は咲き誇り、花畑は咲き乱れる。
薄暗いことを除けば、まるで地上の湿地帯のようだった。
そんな場所の奥に、それはいた。
それを特定のモンスターとして表現することは難しい。
それと同一の個体は存在しないからだ。
だが、どういうモンスターなのかの表現は難しくない。
そいつは地面に根を張り、無数の蔓を体にまとっている。
いや、身体の構成物が蔓や蔦のみだから、『まとっている』という表現は不適切だろう。
正しくは、蔓の集合体。
大きさは狼状態のコヨウよりも遥かに大きく、まるで巨人。
頭部はワニのように長く、上半身はゴリラのように雄々しくたくましい。
下半身は地面と半ば繋がっており、ボスの周囲は妙に太く、蠢く蔓だらけだった。
そんな威圧的かつ生物として不自然な外見を持った異形の植物が、ボスだった。
「存在感が……ない? 不思議な感じ。ピリピリとした敵意は伝わってくるのに……」
リュエルはぽつりと呟いた。
脅威や敵意を肌で感じられる。
それはまごうことなき格上であり、リュエル一人では決して敵わないだろう。
だけど、存在感そのものや発せられる気配は虚ろ。
完全に矛盾している。
その事実に、リュエルは困惑していた。
「リュエルちゃんは鋭いね」
クリスはそう答えた。
「どういうこと?」
「植物だからね、生態が違うんだよ」
「つまり?」
「あそこにあるのはコアだけ。護るべき場所だけど、体そのものではない。例えるなら、あれは心臓かな」
「じゃあ、体はどこ?」
「この部屋そのものが体だよ」
そう――この部屋に見える植物すべてが手足であり、体そのもの。
この部屋そのものが、ボスと言っても決して過言ではなかった。
「ふっ! 敵に不足なし! ついに我が全力を出す時が来たようだ!」
スカイマンは謎ポーズと共にそう叫ぶ。
相手が強いことで喜ぶなんて、変な安堵の空気が広がっていた。
このまま尻すぼみで終わるかもしれないという不満が消える。
むしろ『これは不味いから挑戦せず逃げた方がいい』というコメントが流れる程度には、緊張感が取り戻されていた。
リュエルたちも敵を侮っていない。
スカイマンもヒーロー演技こそしているが、集中力は今までで一番発揮されている。
ダンジョン探索らしい空気が取り戻されていた。
クリス以外――。
クリスの様子に最初に気付いたのは、リュエルではなくアルハンブラだった。
どこか困ったような、そんな顔色。
この空気に水を差すのを躊躇うような、そんな気遣いさえ見えていた。
『どうかしたのかい?』
アルハンブラは撮影に映らず、声も聞こえないよう、クリスにだけ届く術を使い尋ねた。
こくりと、小さくクリスは頷く。
アルハンブラはそっと、撮影機器の音声出力をオフにした。
「これで声を出しても大丈夫。クリス、何があったのか聞かせてくれないか?」
アルハンブラの一言で、皆がクリスの表情に気付き、クリスに目を向けた。
「何と言えば良いかわからないけど……世の中には相性ってものがあるの。どうしても苦手な物とか、食べられない物とかあるよね? いや、食べ物だとちょっと違うというか、説明として下手かもしれないけど……」
おたおたして、その上、話す内容にもまとまりがない。
そのクリスの様子は、ちょっと以上に今までらしくなかった。
「つまり……我が友は、あの敵が苦手であるということかな?」
アルハンブラは呟き、理由を考察する。
鬱蒼とした空気か、植物的な問題か、それとも獣の外見による嗅覚的影響か。
何かがクリスの苦手分野となっている。
そう考えたが、違う。
別にクリスは苦手だからそう言ったわけではなく、むしろ逆だった。
「えっと……その……皆には言い辛いんだけどさ……」
そう言って、クリスは自分のカバンに入れていた『プチラウネ』を見せる。
プチラウネ。
その能力は植物を利用した周囲のサーチにある。
なぜそんなことができるのかと言えば、彼女は植物の女王のようなものであり、周囲数キロの植物を『支配』することができるからである。
つまり……。
アルハンブラはそれに思い当たり、「あっ」と小さな声で呟いた。
要するに……既に、格付けは終了している。
タンガイット寺院深層、コアを司るそのボスは、すでにクリスの支配下にある。
命じれば今すぐでも自害させることさえ可能だった。
「どう……しよう……」
ものすごい情けない声で、クリスは呟いた。
珍しく冗談も言えないくらい、困った顔で半泣きで。
少し、リュエルが変な性癖に目覚めそうなくらい、クリスは困っていた。
巨大な、まるで大木の丸太のような蔓が、触手のように蠢く。
無数の蔓は、どこか悍ましく、冒涜的で、それでいて暴力的であった。
しゅるっと音を鳴らしながら、蔓がスカイマンを襲う。
その蔓を避けることは叶わない。
わざわざスカイマンが避けられないよう、後ろのリュエルを狙っていたのだ。
両手をクロスし、スカイマンは必死に庇う。
破滅的な一撃が、スカイマンを襲った。
蔓がスカイマンに叩きつけられたその音は、まるで破裂音。
植物とは思えぬ重量と、圧倒的リーチを活かした遠心力の勢い。
それは爆弾などよりも、はるかに高い威力を誇っていた。
たとえ耐震・耐防構造の軍事拠点であっても、その一撃を前にすればなす術なく崩壊するだろう。
それでも、スカイマンはその場から動かなかった。
耐え、そして後ろを護った。
「負けぬ! 正義の二文字が我が胸に輝く限り、私は決して負けない!」
スカイマンの決意の咆哮と共に、全身から光が漲った。
その光は徐々に小さくなり、スカイマンの左手に収束する。
その手には、小さく、先の曲がった短剣が握られていた。
「これが我が秘剣、『スカイハルパー』!」
スカイマンは、小さな鎌のような短剣を天に掲げ、ぶんっと勢いよく振り払った。
蔓は普通の剣の刀身より、遥かに太い。
そんな蔓相手に、その剣は余りにも小さすぎる。
だが、これまでリュエルがどれだけ頑張っても切れなかった蔓が、あっさりと切断され、どしんと音を立てて地面に落ちた。
「仲間は――私が護る」
きりっとした決めポーズと共に、背後でどーんと爆発が鳴った。
「わーもうだめだーおしまいだー」
そう呟いたのは、スカイマンの背後で庇われているリュエルだった。
彼女は、死んだ魚のような目をしていた。
そう……これは勝負なんかではなく、ただの寸劇。
クリスがボスを操作し、戦いを演じているだけ。
つまり……単なる自作自演である。
とはいえすべてが嘘という訳ではない。
少なくとも、ユピルは今出せる全力をもって戦いに挑んでいる。
堕天した後で使える、最も強力な聖遺物を用い、身体能力を極限まで振り絞り、若干死を覚悟しながら戦っていた。
だからだろう。
見る者が見れば、その戦いの済まさじさが理解できた。
配信コメントにも『なんか神々しい』とか『あれ? これ神代相当?』とか、『ちょっと、レベル高すぎないこれ?』といった反応が増えつつある。
そう、見る者が見れば理解できるのだ。
この戦いがどれだけ高いレベルで構成されているかを。
その戦いは文字通り、堕天したとはいえ、『神』が本気で戦っている。
神気とも言えるような魔力が溢れ、動きや強さは、頂点の冒険者よりも遥かに上。
それはもはや、この世の頂点、魔王クラスと言っても差し支えないほどであった。
配信を通じ、スカイマンへの信仰が集まっていく。
はらはらやドキドキ、勝ってほしいという気持ち。
純粋に戦いに見入ることもまた、信仰と言える。
希望や願い、祈りがそのまま力へと変わり、全力を使ってもなお、力は漲り続ける。
配信での不安はなくなり、視聴者も良いものが見られ、信仰もがっぽがっぽ。
三方よしで、皆が幸せな結果となっていた。
ただ一人……ヒロイン役を命じられ、死ぬほど不本意なため棒読みになっているリュエルを除いて――。
「きゃー。さすがすかいまーん」
憎しみも消え、苦渋もなくなり、その表情はもはや虚無であった。
「皆の祈りを正義に乗せて、灯せ光の炎、輝け我が雷鳴! 今必殺の――スカイ・スラッシュ!」
叫びと共に光輝き、雷と化すスカイマン。
そのまま光の一条となり、ハルパーを化物の姿をかたどった蔓の集合体に向けて、突き立てた。
スカイマンの持つハルパー――鎌剣の能力は、『命を狩り取る』こと。
それは概念的意味を持つため、動物・植物を問わない。
つまり、本当の意味での必殺の兵器である。
植物は一瞬で炭のように黒くなり、粉状に崩れていく。
そのまま塵と化し、消えた後に残ったのは――小さな宝石だった。
化物の姿をした蔓の集合体の中央付近。
その心臓付近に、虹色に煌めく宝石が浮いていた。
ダンジョンコアがここに存在しないことから、コアはさっきのモンスターが担当していたと思われる。
だからこれは、ダンジョンコアを破壊した際に起きる魔力変化現象によるもの。
分かりやすく言うなら、ダンジョン制覇のご褒美である。
「さあ、我らが代表であるクリスよ。皆の代わりにこれを受け取るのだ!」
決めポーズを取り、スカイマンは叫ぶ。
事前にそういう風に決めていた。
ここで謙虚さを見せてクリスを立てた方が、信仰が得られるんじゃね? という下心マシマシ的な発想で。
「うぃ! じゃあ……」
そう言ってクリスが動こうとすると、同時にアルハンブラも一歩前に。
その様子に、クリスは少しだけ驚いた。
そこは、カメラに映る範囲だった。
アルハンブラは縁の下の力持ちとし、これまで何があっても絶対カメラに映らないようにしていた。
地下百階まで一度も映っていないのだから、今のこれが偶然やうっかりのミスである可能性はない。
どうしたのかと思ったら……。
「すまない――」
そう呟いた後、アルハンブラはすいっと先に進み、スカイマンの背に何かお札のようなものを貼りつける。
直後、スカイマンの周りに光の環が四つ生まれ、スカイマンの全身を縛り上げた。
「ぬぅっ!」
驚きと困惑でスカイマンが声を漏らす。
それに合わせ、アルハンブラは宙に浮く小さな宝石を高く跳んで取り、再びスカイマンの傍に立った。
「本当に――いや、この期に及んで自己満足の謝罪など価値はないか。……クリス、私は我が友である君を裏切った。それだけが事実だ」
呟きながら、無数の札を上に投げ、自分たちの周囲にばらまく。
リュエルがいち早く反応し、アルハンブラに刃を向けた。
その刃を、アルハンブラは魔力の盾で防ぎ、そのまま足元にピンポン玉のようなものを投げつける。
直後――煙がアルハンブラとスカイマンの二人を包み込む。
そして煙が晴れた時には、二人の姿はどこにもなかった。
「これは……どういうこと?」
リュエルはぽつりと呟く。
直感で動いてみたは良いが、状況がまったくつかめずにいた。
取り残されたシロは、カメラ裏であわわわわと口を開き、驚きと困惑に包まれる。
クリスは無言のまま、考え込んでいた。
アルハンブラが裏切った。
その事実自体は、実のところ大した衝撃を受けていない。
予想はしていなかったが、長く生きて来たクリスにとって裏切られることなどそう珍しいことではない。
むしろ傍に居ながら全く気付かせなかったことに驚嘆し、敬意を込め拍手を送りたいくらいである。
その裏切りの事実よりも、なぜ、どうしての方がクリスには問題だった。
起きてしまった以上、この際『どうやって』は後回しだ。
大切なのは、なぜこのタイミングで、どういう理由で裏切ったのか。
短い付き合いだが、アルハンブラは不名誉なことをするような男ではない。
紳士的であるというのは、決して外見や冷静さだけではない。
それに……。
「なんか、泣きそうな顔してた……」
相手を嘲ることもなければ、欲に飲まれた顔でもない。
罪悪感と苦渋に満ちながら、まるで刑罰を受けるような表情。
それは、裏切者の表情とはとても思えなかった。
ありがとうございました。