深層の獣
タンガイット寺院、地下五十階層。
これまでのような迷路や小部屋は一切なく、だだっ広い大部屋のみ。
ただし、周囲には土壁に埋もれた不思議な建造物が多く見られた。
例えば、木造で赤い屋根の、円柱状の建物。
土に埋もれ、壁に埋もれ、一部しか露見していない。
だがそれでも、木造の格子窓や曲線を持つ屋根は随分独特であった。
その周囲にも小さな石の塔があったり、大きな鉛色の鐘が吊るされていたり、入り口付近に置かれた赤い柱を組みあわせたものなど、この時代には見ることのない建造物の残骸が転がっていた。
動画のコメント欄が、発狂していた。
歴史的価値……という話では済まない。
それは崩壊した先史文明の実在する記録。
歴史家が木片一つに対し人生を賭すような、そんな世界。
それがこれだけ、しかも当時の形を残しているというのは、はっきり言って普通ではない。
ダンジョンの地下というあり得ざる環境だからこそ残った記録。
さらに言えば、宗教建築物というのは神の美的感覚に大いに影響を受ける。
天空神ユピルの教会が荘厳で、金装飾が多いように、海洋神エナリスの教会は優美で広大、芸術品が多いように、冥府神クトゥーの教会がシックで重厚な造りを持ちつつ、機能的であるように。
神と人は距離が遠いとは言え、長い歴史をかけて神と交流を続けて来た。
上手くコミュニケーションが取れない中でも互いに必死に歩みより、その結果、宗教建築物は神の美意識に寄り添う姿となった。
だけど、ここに転がっている残骸はそのどれともまるで異なっている。
つまりこれらは……既存の七柱以外の神を祀っていた建造物である可能性が高いということだ。
どのくらい古いのか想像も出来ない。
もしかしたら、《失われた歴史》なんて存在していることしか分からない原初の文明の可能性さえある。
知る術のなかった先史文明の遺跡、未だ見ぬ滅びた神の痕跡、失われた浪漫。
歴史研究者であるのなら、発狂しないわけがない。
もはやコメントは言葉にならないような言葉しか流れていなかった。
ちなみにだが……カリーナと、タンガイット寺院の管理者の協力により、クリス達の配信は現在国内限定ではなく、世界配信となっている。
参加制限があるため半数以上はフィライト内宗教関係者だが、そうでない人達もこれを見ている。
つまり考古学的浪漫を解さない者達も大勢見ているということなのだが……それでも、コメント欄は阿鼻叫喚となっている。
歴史研究者がおかしくなる先史文明遺跡だけではなかった。
とんでもないこととなっているのは……。
もう一つ、そうなる理由があった。
彼らの正面に、巨大な狼がいた。
神々しく、荒々しい、見上げるような巨大な狼。
画面越しでさえ、ビリビリと肌を刺すような威圧感を放つ存在……所謂ボス。
ただボスがいるからではない。
そのダンジョンのボスである相手は黄金の毛並みに包まれ、そして……言葉を口にした。
「何故、何時の時代も貴様らはそうなのだ。無用な好奇心で滅びおって……。愚かで、矮小で、滑稽で……そして、哀れだ」
低い低い、血の底のような声でそう口にし、唸り声をあげる金色の狼。
言葉を解すダンジョンモンスターの記録はそう多くない。
そして残された記録全てが、戦うべきでないという結果を示している。
いや、過去の記録なんてもの正直関係がない。
その姿を一目見れば、誰でも本能で理解出来る。
だから、その恐怖による発狂も、コメント欄を狂わせる原因の一つとなっていた。
狼の咆哮が、戦闘開始のゴングとなった。
ただの一吠えで、天井から埃が舞い散り、壁が崩れる。
当然先史文明遺産にもダメージが入り、コメント欄は発狂した。
少々予定とは異なるが、配信が盛り上がっているという意味では成功とも言えるだろう。
そう、クリスは思うことにした。
「それでクリスよ! どうする! この危機をどう対処する!?」
これ見よがしにスカイマンは叫び、クリスに目を向ける。
勝つだけならば、おそらくそう難しくはない。
堕天したとはいえ、仮にもユピルは神である。
本気を出せば、割とどうとでもなる。
むしろ、それが不味い。
あっさり倒してしまえば『……あれ? もしかして見掛け倒しじゃね?』なんて思われかねない。
そうなれば、間違いなく信仰集めの弊害となるだろう。
だから事前に、ボス戦はそれっぽい雰囲気を出そうと相談していた。
クリスはその瞳で、黄金の狼を見据える。
薄暗闇の中でも輝きを放つ、力強い存在。
単なる獣ではなく、むしろ魔族に近しいモンスター。
五十階を締めくくるボス。
確かに強敵であるのは間違いないだろう。
だが、ユピルが全力を出すほどの相手ではなさそうだ。
……とはいえ、今のユピルの場合、全力を出すことはそのまま死に繋がるため、全力が必要な相手が出るのはそれはそれで問題だが。
――これ、素手ユピルでも何とかなる感じかな。
眼の力による観察眼と、バトルセンスによる直感。
両方を合わせて見た結果、クリスはそう判断した。
ある意味、一番最悪な結果と言えるだろう。
なにせそれは、これまでと同じということなのだから。
違うのはワンパンか、そうでないかというだけ。
下手に舐めプをすることもできないから、ただただ真面目に殴り続けるだけ。
それは確実なる塩試合を導く。
配信という意味では見所ゼロ。
信仰という意味でも、下がる可能性がある。
だから少し考え……。
「これは……申し訳ないけど、プランCで行くしかないの」
クリスの言葉に、スカイマンはわざとらしく反応した。
「な、なにっ!? プラン……C……だとっ!? それほどの相手というのか……」
「うぃ……。残念ながら、そうなるんよ」
「そうか……であるならば、そうしよう。正義のヒーローとして、そして巨悪と戦う者として!」
意味深な言葉と共に、びしっと決めポーズを取るスカイマン。
リュエルはそっとフロアの隅にカメラを設置する。
ちょうどいい高さの石柱の上。
ついでに、シロが倒れないように支えていた。
「プランC……つまり、リュエルちゃんを中心にしたアタックフォーメーションなんよ!」
きりっとした顔で、クリスはカメラに向かってそう告げた。
ちなみに全部嘘である。
実際は、三人がかりにて強敵相手に死なないよう戦闘を長引かせ、見所を作ってから上手く相手を倒し、苦戦した感を出す――というのがプランCの本当の内容だった。
狼は鋭い爪を振り、地面を抉り、石や岩を礫のように飛ばしてくる。
それだけの動作で、地面から土が盛り上がって塊となり、直線上に無数の氷柱のような造形物が形成された。
明らかに、魔法の類に近い。
飛来する石や岩を避け、氷柱状の土を躱しながら、クリスは狼に目を向ける。
巨大な狼は獰猛な外見と異なり、慎重にこちらの様子をうかがっていた。
「大丈夫か、二人とも!」
わざとらしく、スカイマンは叫ぶ。
あくまで自分が主体――そう見せるために。
「うぃ! だけど、ちょいと動きが予想できないの」
「構わん! 命を大切にしろ! 生きていれば、私が必ず救う!」
叫び、決めポーズを取るスカイマン。
そのスカイマンに、狼の爪が直撃し、スカイマンはきりもみ回転しながら天井に突き刺さった。
コメント欄が悲鳴まみれとなる。
あの勢いで天井に叩きつけられたら死んでしまう――というコメントが大半を占める中、何割かはスカイマンではなく、古代文明の廃墟を心配していた。
すぽんと、突き刺さった頭を天井から抜き、『しゅたっ』と口で言ってスカイマンは着地する。
無傷どころかメットに傷一つ入っていない。
狼の顔が、怪訝なものを見るような表情だったのは、きっと気のせいではないだろう。
しばらくの戦闘の最中、奇妙な違和感にクリスは苛まれた。
荒れ狂う金色の狼。
爪を振り乱し、牙を向け、地響きを立てながら縦横無尽に飛び交うその様は圧巻で、神々しささえある。
……だというのに、何かが違う。
その姿が空虚で、酷く現実味に欠ける。
幻覚や妄想というわけではない。
確かに、黄金の狼はそこにあり、戦っている。
だが、一致しない。
イメージと現実が、かけ離れている。
「すまん! そっちに行った!」
スカイマンの叫びと同時に、狼の姿が目の前に。
飛び掛かりながら襲いかかるその爪を、クリスは吹き飛ばされながら受け流した。
――弱すぎる。
確かに、スカイマンが天井にめり込む程度には威力はあるし、並の人間なら一撫でで細切れになるだろう。
クリスが受け流しもカウンターも出来ず吹き飛ばされている辺りでも脅威は顕著であると言える。
だけど、その外見やサイズ、威圧感で考えれば、明らかに弱すぎる。
推定での戦闘力は、今の無手クリスよりは強いはず。
それなのに、この有様はどういうことか。
そこまで考え、違和感の正体にクリスは気付いた。
戦い方が、獣のそれではなかった。
臆病さが、自然に生きる獣ではなく、人のものに近く、獰猛さを持たない。
相手は、外見と戦い方からは分からないほど、クレバーだ。
だから、獣との戦いだと意識していた今まで違和感に苛まれていた。
獣と思うから、実像を見失う。
むしろ、相手のベースは――魔法使いである。
臆病で、四足で、身体能力は高いが、相手の妨害戦術に長けた魔法使い。
それが、金色の狼の戦闘スタイルだった。
そう考えたら、厄介極まりない相手だろう。
なにせ魔法使いの欠点を、『全て』補っているのだから。
クリスが(画面映えするような)戦術を考え、スカイマンが防御に徹しカバーリングとなり、リュエルがアタッカー役。
なぜそうなっているかと言えば、それが一番スカイマンの見せ場が多くなるからだ。
序盤は、その鉄壁と不屈の根性で仲間を庇うその背中を、画面に見せつける。
実際はほとんどがスーツの性能だが、言わなければ気になることもないだろう。
そして中盤の、追い詰められた(ように見える)状況で徐々にアタック役にシフトし、最後にはスカイマンが単独で撃破する。
それが一応のプロットだが、基本はアドリブだ。
目的の『スカイマンを活躍させる』以外は、正直どうとでもなる。
実際、リュエルはそこまで真面目に演技をするつもりもなかった。
とはいえ……。
――やりづらい。
アタッカー役として切り込むリュエルは、攻撃がうまくできないフラストレーションを抱えていた。
ダンジョン中は常に封印を解いている。
調子も決して悪くない。
だというのに、どうにも上手くいかない。
斬撃を放っても当たる未来が見えないし、そもそも狙いをつけることさえ難しい。
まるで自分の身体が鉛になったようだ。
クリスの指示を受けて攻撃しているのに、まるで通用しない。
それはリュエルにとって初めての経験だった。
「大丈夫?」
クリスの言葉に、リュエルは小さく頷く。
「うん。だけど、ごめんね。役に立てなくて」
これまでは、クリスが指揮を執った時のリュエルは、失敗なんてほとんどなかった。
命じられるままでいられる快楽に加え、思い通りに行く万能感。
そういった幸せが、まるで感じられない。
不安と苛立ちの中、リュエルは狼と相対していた。
「相手の感覚が優れてるんよ。あ、でも、いけると思ったらどんどんやっちゃって」
「え? いいの?」
それは『やっていいのか』ではなく、『私が倒してもいいのか』という確認。
それにクリスは微笑んで頷いた。
「それはそれで。とはいえ、たぶん無理かな」
別にリュエルを舐めているわけではない。
相手の気質が魔法使いで、そして臆病であると想定するならば……。
「あー、ほらやっぱり……」
クリスは困った顔で呟き、手を狼の後ろ脚に向ける。
浅いけれど、リュエルが斬った傷が、みるみるうちに治癒されていた。
「……再生能力……?」
リュエルの呟きに、クリスは首を振った。
「いや、どっちかと言うと回復能力かな。常時オンのリジェネじゃなくて、使うタイプの」
「なるほど。……面倒な相手だね」
「うぃ。面倒なんよ」
そう、それだけは確かだ。
相手は身体能力がべらぼうに高く、臆病で猜疑心が強く、戦術に長けた魔法使い。
強い弱いは置いて考えたとしても、とにかく面倒な相手だ。
クリスは思い悩む。
さっさとスカイマンに倒させるべきか、当初の予定通りもう少し時間を稼ぐべきか。
遠くにカメラを置いたから、コメントが見えないクリスには配信の盛り上がり具合がまったく判断できない。
だから少し考えて、もう少しだけリュエルに頑張ってもらうことにした。
盛り上げとか、そういう意味ももちろんあるが、相手の情報をもう少しでも引き出すために。
ありがとうございました。