なんかへんてこで偉そうなの
フィライト首都に用意された豪勢な部屋でクリスは目を覚ました。
いつも変わらない時間。
晴天に包まれた、心地よい朝。
何も変なことはないはずなのに、強い違和感が胸に残る。
普段と違う場所だから?
学園に居ないから?
それともホームシック?
いや、そうじゃない。
これは違和感がある訳じゃなく――ただ戻っただけだった。
減ったからではなく、増えた事による差。
「ああ……そか。完治しちゃったか」
そう言って、クリスは自分の目を鏡に映した。
長い事かかっていた負傷が癒え、瞳の力が復活した。
クリスの持つ三つのオリジンの一つで、そして最も邪悪な力――。
しょうがないとは言え、クリスはこの力が好きではなかった。
答えを先読みしてしまう、この瞳が……。
能力自体は一種の観察眼だが、その効果はもうネタバレを先読みする力とさえ言っても良い。
だから、この力が気に入らないのだが……。
「ま、しょうがないしょうがない。……うん、しょうがないね」
そう言ってクリスは気持ちを切り替える。
悩んだところでどうしようもなかった。
「リュエルちゃんはまだ寝てるかな、それとも早朝トレーニングしているかな。アルハンブラはきっといつものように甲斐甲斐しく朝食の用意してるだろうなぁ」
そんな事を考えながら、部屋の外に出る。
今日も一日良い日であるといいなぁ。
そんな事を、考えながら。
宗教都市国家フィライトはその名の通り、宗教を中心に形成されている。
宗教のトップがそのまま国王であり、宗教行事がそのまま国事となる。
宗教に詳しい人はそのまま知者と呼ばれ、宗教に熱心な人は善人と称される。
フィライトにとって宗教とはあるべき当然であり、光そのもの。
だからこそ、カリーナにしてもルナにしても、噂を集めていた彼らにはその発想がなかった。
強い光がある程に、暗い闇が存在する。
豪華絢爛な都市にスラムがあるように、歓楽街の中にギャングが居るように。
フィライトにも当然、闇と言われる場所が存在する。
それはほとんど棄民に等しく、そして彼らは弱者とし放置されている。
フィライトにとってのスラムであり、貧民。
つまり……『無宗教者』。
皆が皆、神を愛する訳ではない。
神を嫌悪する者、もしくは、かつては神を愛していた者。
世の中にはそういった、神を感じたくない人たちもいる。
そしてそういった彼らにとって、このフィライトという国は文字通り最悪であった。
だからこそ、放送の時聞いた『噂』は誰も知らないものだった。
その噂の発生源は、無宗教者の街の一つだった。
『非信街』
名さえなき街はそう、フィライトでは呼ばれている。
その非信街の一つ……そこは、金属の柵で囲われていた。
基本的に美と景観を意識するフィライトとは思えない程無骨な柵で、その中である街もただただ汚い。
ほとんどスラムと言っても良程で、住民の身なりも皆ボロボロ。
だけど、スラムとは決定的に異なる点がある。
住民のこちらを見る目。
スラム特有の邪気、悪意をほとんど感じない。
嫉妬や憎しみでさえない。
彼らがこちらを見るその目は、恐怖。
彼らの大多数はただ平和を願い、怯えながら暮らしているだけだった。
「まるで牢獄だね」
ぽつりとクリスは呟く。
アルハンブラが帽子を深く被り、表情を隠す。
その仕草は、まるで祖国の恥を深く感じているかのようだった。
「私達が襲われないならどうでも良いよ」
そう言ってリュエルはそのまま前に進み、門番の方に向かう。
リュエルは良くも悪くもこういった場所に慣れていた。
クリスもついて歩き、門番にカリーナより渡された『フリーパス』を見せながら声をかける。
「探し物があるの。入れてくれるかな?」
歓迎する気のない門番たちであっても、教皇カリーナから直々の許可に何かを言う事など出来る訳がない。
「……治安が悪いので気をつけて」
それが戸を開く門番達の、精一杯の皮肉だった。
恐怖と不安に彩られた瞳を向けられ、皆が逃げていく。
大人は子供を隠し、商人は店の品を隠し、己自身を隠す為逃げていく。
一体どういう目に遭って来たのか、想像に容易かった。
「……話には聞いていたが、ここまで酷いとは……」
アルハンブラはそう呟く。
彼自身は別に正義の人ではない。
ただ、彼は間違いなく秩序の人ではある。
だから、こういった不条理に対し思う事があるのだろう。
「でも、どうにかする事は簡単な事じゃないんよ」
そうクリスは呟く。
クリスだってそれは知っている。
万人を救うなんてことはそう容易い事ではない。
なにせその偉業は、あの『黄金の魔王』さえ諦めたことなのだから。
「わかっている。カリーナ様で駄目な事を私に出来るとは思わない。それでも……この国で生まれそだった者として、どうにかできればと思わずにはいられないがね」
「……どうにかするの?」
リュエルはそう、クリスに尋ねる。
クリスは少し困った顔で、首を横に振った。
「今は噂の確認が先だから」
「わかった」
「……もしもさ、仮に私がどうにかしたいって言ったら、どうするつもりだったの?」
「手伝ったよ。この勇者候補なんて下らない名前も使えるだろうし」
その言葉に返事をせず、代わりにクリスは困った顔を見せた。
それから、彼らはしばらく街の中を歩き回る。
住民たちを怯えさせるのは本望ではないが、とても話が出来る状態でない為、歩き回る他にどうしようもなかった。
そうして、大体一時間だろうか。
ずっと怯えられ続け、徐々に街の警戒色が高まり石でも投げられそうな空気の中――悲鳴が轟いた。
「泥棒!」
クリスたちは皆で顔を合わせ、頷いてからその声が聞こえた方角に走りだす。
被害者の人には悪いけれど、クリス達は何かが起きるのをずっと待っていた。
クリス達が現場に向かった時には、既に全てが終わった後だった。
泥棒と思われる男が倒れている姿。
恐らく被害者と思われる少年の、茫然とする姿。
そして――何故か塀の上に立ち、謎のポーズを取る奇怪な『覆面変質者』。
いや……何とか他に表現したいけれど、他にはどうにも表現しようがなかった。
必死に頑張って言葉を選んだとしても、全身タイツ覆面マスクマンなんて余計悪化するような事にしかならない。
そんな変態なのか変質者なのか異常者なのか、それとも全てのハイブリッドである新手の変態なのか……何一つわからない誰かが、そこにいた。
全身白をベースとしたぴっちりタイツ。
おそらく男だろうとは思うが、胴体や手足に金属製のアーマーがある為判別は付かない。
アーマーは青色が主体で、ところどころ金色の装飾が施されている。
宗教的着色として言えば、良くある配色だと言えるだろう。
最後に、覆面。
覆面というよりも、フルフェイスヘルメットという方が印象としては近い。
という訳で、総じて変質者ぽい変質者だと言わざるを得なかった。
「少年よ! 安心するといい。盗人は我が懲らしめた。さあ、盗まれた物はこちらだ。とぅっ!」
変質者は塀の上から大ジャンプし、決めポーズと共にしゅたっと着地。
そして少年に盗まれたであろう袋を返すと、再び塀の上に登り、ポーズを取った。
「これで事件は解決だ! さあ少年! 我に感謝の心があるのなら、何か捧げ物をしてもよいぞ!?」
「えっ」
少年はきょとんとした顔を見せた後、盗まれた袋をがさがさと漁り、中に入ったパンを一つそっと差し出す。
その表情は、まるで世界の不条理を突きつけられたかのようだった
変質者は再びかっこつけて着地し、パンを受け取ってから塀の上に乗る。
なんで一々高いところに立つのか、全く理由がわからなかった。
「うむ! まあ良かろう! では、再び危機が迫った時は我を呼ぶと良い! 我が名は『青空仮面スカイマン』! さあ、高らかに、我が名を――」
そんな気持ち良く馬鹿をやっている変質者は、クリス達の姿を見て、ポーズ途中で固まった。
気持ち悪い何かをリュエルはジト目で見た後、ちらりとクリスの方に目を向ける。
予想通り、クリスの目はこれでもかとキラキラしていて、小さく溜息をはいた。
「わぁーっ! わぁーっ!」
感極まって語彙力ゼロになるクリス。
遊園地の子供みたいな目を、前方に一生懸命向けていた。
クリスの事が大好きで、その気持ちを理解したいと願うリュエルだが、それだけは、全くわからなかった。
「……おっと次の事件の声が我を呼ぶ! ではさらばだ少年! 次も危機があれば、青空仮面スカイマンの名を呼ぶが良い!」
そう言って、塀の向こうに跳び、どこぞの体操選手の様なフォームで俊足の脚力を見せつけた。
「では、行こうか。……正直、気は進まないけれど」
アルハンブラの言葉にリュエルも同意する。
とはいえ、あれが『噂』の正体である以上追いかけない訳にはいかなかった。
「うぃ! 待ってー! スカイマンー!」
クリスだけは仕事の為というよりファンのおっかけみたいになっていた。
「……だが、気のせいだろうか。彼……まあ、マンだから彼だろう。まるで、我々を見てから慌てて逃げたような……」
アルハンブラの言葉に、リュエルも同意する。
こちらを見てからすぐに去ったのと、妙に慌てた言葉遣いだった事。
あれは逃げた風に見えない事もなかった。
同時に、恥ずかしいと思って逃げたという可能性も否定できないが。
「どっちにしても、捕まえたらわかるよ」
リュエルの言葉にアルハンブラも同意する。
ただ……。
「追い付けたら……だけどね」
苦笑しながらアルハンブラは呟く。
こちらも全力で走っているはずなのに、その姿は全く近づかなかった。
ありがとうございました。