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カリーナ・デ・リア=フィライト


 広い世界。

 光しか存在しない、白に染め上げられた世界。


 そこは圧倒的な存在――所謂『神』が夢という形で語りかけてくる世界だった。


 そんな夢の中で、彼女は当然のように椅子へと腰掛け、優雅に紅茶を楽しんでいた。


 彼女の名は、カリーナ。

『カリーナ・デ・リア=フィライト』


 宗教統治国家フィライトの統治者にして、女教皇たる彼女は、誰よりも神に近しい存在である。

 神の声を、夢という形で授かれるほどに。


 だが、それでも感じられるのはあくまで『遠くに在るもの』としての神の気配。

 その姿を直接見ることも、明瞭に声を聞くことも叶わない。


 もしそれができる者がいるなら、そいつはもはや人ではない。

 怪物か、あるいは――。


『なぜ、何もしないのですか?』


 空間のどこかから、そんな問いが投げかけられる。


 それが本当に声なのか、カリーナにはわからない。

 そう感じるだけ。


 確信はある。

 そう問いかけられたという意識だけは。


 発した存在も、言葉の明確さもわからぬまま。

 ただ――女性であること、そして苛立っていることだけが伝わってきた。


「申し訳ありません。矮小な我が身には、その問いの意味を察することすらできかねます。()()()()()とは、どのような意味でしょうか?」


 悪びれる様子もなく、カリーナは微笑みながら応じる。

 そして、紅茶を一口含み喉を潤す。

 夢の中である以上そんな必要ないというのに、何時もの様に。


『我が信奉者が向かい、既に一月。貴女は何をしている?』


 その言葉には心当たりがあった。


 信奉者、ジーク・クリス。小さき獣の姿を持つ彼が勇者候補リュエル・スタークと共に国を訪れている。

 その目的は『大いなる危機の芽を摘む』こと。


 カリーナは、それに協力するよう――神より直々に勅命を受けていた。


 なお、カリーナの信仰は本来、海洋神ではなく天空神に属している。

 それでも、教皇という立場は極めて重く、他の神からの声すら受けるほどだった。


「お叱りはごもっともにございます。ですが、動くには何かと準備が必要でして……。放置していたわけではありません。ミューズタウンでは、街ぐるみで彼らの支援を進めております」


 カリーナは変わらぬ笑顔のまま、涼しい顔でそう述べる。


 その表情は、会話が始まってから一度たりとも変わっていない。

 まるで、張り付いているかの様な薄っぺらい笑顔のまま――。


『国の有事を、街任せにするのですか?』


 神の声には、怒りと困惑が混じっていた。


 ――どうやら、神という存在はあまり交渉ごとが得意ではないらしい。


「とんでもない! ですからこそ、国を挙げての準備を整えている最中なのです。クリス様を、この国全体で全面的にバックアップできるように」


 その態度は、神を前にしているとは思えないほどの不遜さであった。

 いや、もはやそれは――


 『邪魔をしないでいただきたい』


 そう、神に対してさえ言っているようにさえ、見えた。




 エナリスは、その様子を苛立ちと共に見つめていた。

 人が神を感じられる瞬間など、そう多くない。

 神が夢に降りるなど、普通の者なら一生分の幸運を使い果たしても得られぬ奇跡である。


 だというのに――その奇跡を当然のように起こせる女は、夢の中に椅子とテーブルを作り、優雅に紅茶を嗜んでいた。

 神に対して、不遜にも程がある態度。

 要するに、舐めている。


 いつもこうだ。

 このカリーナという女は、どの神に対しても変わらぬ態度で飄々としている。


 信仰心がない訳ではない。

 そもそも、神に心を向けぬ者に神が夢で語りかけるなどあり得ない。

 フィライトはこの世界最大の宗教国家であり、彼女はその名実ともに頂点――女教皇である。

 悪人ではなく、為政者としても無能という訳ではない。


 そのはずなのに、いつだって飄々としていて、神に対して平然とした態度を貫いてくる。

 そしてそんな舐め腐った態度なのに……本当に動く時には、決して外さない。


 神からの頼みごとは常に完璧以上の形で達成し、国政においても片手間でほぼ満点を叩き出す。

 まるで運任せのダイスでチェスの駒を動かし、それでプロ相手に完勝するような――理不尽さ。


 要するに、不気味だった。


 神の視点でさえ彼女の行動は理解できず、底が見えない。

 予め全ての答えを知っていて、そこから逆算して動いているかのようにせ思えてくる。


 だが、予知能力者ではない。

 そもそも予知とはそれほど万能な力ではなく、事実、主要国の為政者にその類の能力者は一人もいない。


 だからこそ、カリーナは異質で、不気味で、理不尽なのだ。

 神を軽んじるような態度を取りながらも、誰にも解けぬ理屈で事象を成立させてしまう女教皇。

 自分の望むものを手に入れる『欲しがりの魔王』。


 神すら不気味に感じるのだから、他の魔王たちはきっと彼女のことを『忌まわしい』とさえ思っているはずだった。


 ――なのに。不思議なことに、嫌悪の感情は湧いてこない。


 女性で、美女で、欲望に忠実。

 綺麗事を並べて周囲を巻き込み、欲しいものを得る。

 あまりにも、エナリス自身と似すぎている。


 最初こそカリーナは自分の分霊、あるいは現身(うつしみ)か何かなのではと疑ったこともある。

 けれど、違った。

 カリーナはエナリスのみならず、いかなる神とも精神的・肉体的な繋がりを持たない。

 彼女は普通の人であった。


 むしろ、それが明白であったからこそ、余計に腑に落ちない。


 普通なら、ここまで似た存在に対して同族嫌悪を抱くはず。殺意すら芽生えてもおかしくない。

 少なくとも、エナリスは海に沈めたくなる位に同タイプの欲しがり女が嫌いである。

 だというのに、彼女に対してはそういった感情が全く湧いてこないのだ。


 ――何となく、子リスちゃんっぽいのよねぇ。雰囲気が。そんなはずないのに。


 恐らくこれは、自分だけではない。

 他の神々もカリーナには同じように感じているだろう。

 飄々とした態度で、紅茶を手放さず、どこか憎めない。

 不遜なのに、何故か応援したくなってしまう――。


 だから、強くは出られないのだ。

 生意気で、面の皮が厚く、それでいてどこか愛嬌のあるカリーナに。


「もう少し、仲良くやりなさい」


 苦笑交じりにエナリスはそう言葉を紡いだ。

 曖昧な言い回しでも、この女ならきっと意図を汲み取るはずだと信じて。


『もちろん。私もそうしたいと思っていたところです。首都でも盛大に歓迎会を開きたいと』


 手を組み、まるで祈るようなポーズでそう言い放つカリーナ。

 神を前にしても、一切表情を変えず、微笑を崩さぬその態度――


 それでも嫌いになれないのは、たぶん……その『ふてぶてしさ』が、他人とは思えないからかもしれない。


 エナリスは再び、苦笑した。




 神からのお小言の後、カリーナは静かに目を覚ました。

 天蓋の向こうはほのかに明るく、外が快晴であることが伺える。


 ぐっと、喉奥に熱がこみ上げる。

 じくじくと痛む胃の奥から、胃液が逆流し、喉を焼いて上がってくる。

 それをカリーナは、意志の力で押し留めた。


 胃痛など、今さら珍しいことではなかった。

 彼女にとって、それは日常のひとつに過ぎない。


 ノックの音が響く。

 カリーナは強引に、いつもの笑顔を顔に貼り付けた。


 笑え。

 不安を忘れろ。恐怖を捨てろ。

 大胆不敵に、世界に敵などいないかのように。

 民を欺き、国を欺き、魔王を欺き、神すら欺け。

 それができなければ、この国を護ることなどできない。

 だから――笑え。いつものように、いつまでも。


「失礼します」


 扉が開く直前、彼女の顔には完璧な偽りの微笑みが浮かんでいた。


 


 クリスがフィライトを訪れてから、一月が経過していた。

 その間、カリーナは彼に対して何のアクションも起こしていない。


 ミューズタウンから姿を消したと報告が入った時も。

 そこから南下し、盗賊団を討伐したと耳にした時も。


 連絡がこない限りこちらも干渉しない――そう言わんばかりに放置していた。

 そして今、彼らがやっていることを聞いたカリーナは、思わずため息を吐く。


「はぁ……ダンジョン配信、ですか……」


 その足取りの先――フィライト最大のダンジョン『タンガイット寺院』で、彼らは配信とやらを始めたらしい。


 ハイドランドほどではないが、フィライトでもダンジョン配信は一定の認知を得ている。

 もっとも、機材が高価なため、配信者も視聴者も限られてはいるが。


 しかもフィライトの場合、視聴者の多くは『宗教関係者』となる。

 地位の高い神官や研究者など、限られた層が主な視聴者であることは間違いない。


 だからこそ、それが噂となり、女教皇の耳にも届いた。

 件の『エナリスに愛されし信奉者』が、ダンジョン配信なんて変わった事を始めたと。


「はい。始めたのはごく最近ですが、かなり話題になっております。特に、エナリス信仰の厚い神殿や都市では……」

「ええ、そうなるでしょうね。でも――どうしてそんなことを?」

「分かりかねます。なぜ首都に顔を出さず、あんな辺境で……」


 侍女の言葉に、カリーナは軽く首を傾げる。

 だが、そこには一抹の理解もあった。


 ミューズタウンの惨状に気づけば、首都に来たところで軟禁に近い待遇を受けるのは明白だ。

 少なくとも、名士との顔合わせや社交の場で一月は潰れる。

 それが政治的に無意味とは言わないが――あの信奉者様には、あまり向いていないと思える。


 だから避けた。

 その判断自体はカリーナも理解できた。

 彼は良くも悪くも、『冒険者』であるのだと。


 だが、それでもなぜ『配信』などという手段を?

 彼はあちらではそんな行動に出ていなかったはずだ。


 ――まさか、既に“危機”を特定した? ……いや、それなら連絡の一つくらい寄越すはず……


 呟きながら、カリーナは思考を巡らせる。

 彼女は、ハイドランドに諜報網を張り巡らせており、クリスとその周囲の人物について相当な情報を持っていた。

 ()()ヒルデと面識があるという極秘情報さえ、掴んでいる。


 だが、それはあくまで()()に過ぎず、実際の人柄や思考までは読み取れていない。

 そのため、彼の真意を推し量ることができずにいた。


「……面白そうですわね。その配信、見られませんの?」

「そう仰ると思いまして、すでに準備を」


 侍女は小さな水晶玉をテーブルに置き、起動させた。

 続けて慣れた手つきでコンソールを操作し、映像を宙に映し出す。


「あら、手慣れているのね」

「前の主人の趣味でした」

「……意外な趣味ですわね」

「いえ、意外でもないかと。女性のパンチラ狙いでしたので」

「……なんともコメントに困りますわ」

「パンチラが映るたびに投げ銭を乱発する変態でしたので、蔑めば良いかと存じます。きっと草場の影で悦に入ると思いますので」

「……案外、居心地のいい職場だったようで」

「ええ、まあ。とはいえ、カリーナ様の傍には到底及びませんが。……あ、ありました。国内接続数三十。ぶっちぎりの一位ですね」

「たった三十で?」

「我が国では、配信用の機材が百も稼働してませんし。しかも、今は早朝。相当な数字ですよ」


 侍女の操作によって、画面に映像が映し出される。


 そこにいたのは――ころころと丸く、金色に輝くもふもふの獣だった。


『二階に突撃って早いと思うー?』


 そんなことを、画面に向かって語りかけていた。


「……想像以上に、可愛らしい方ですね。信奉者クリス様って……。あの、カリーナ様?」


 侍女が首をかしげる。

 主から返事がない。


 紅茶のカップを握るカリーナの手が、カタカタと震えていた。

 カップの中の液体は揺れ、ついにはソーサーに零れ落ちる。


 彼女の全身が、小刻みに震えていた。


 ――カリーナは『魔王十指』のひとりである。

 ゆえに当然、黄金の魔王の存在も知っている。

 幻想でも幻影でもない、現実に存在する最上位の魔王。


 そして、画面に映るその愛らしい存在から発せられる魔力波長は――

 まさしく、()()黄金の魔王と同じだった。


「あ、あば、あばばばばばばば……」


 口から泡を吹いたかと思うと、カリーナはそのまま椅子から崩れ落ちる。


 何が起ころうと、常に平然と笑え。

 そう誓い、女教皇の座に就いたはずだった。


 だが、その覚悟さえあのもふもふショックの前には紙も同然でしかなかった。



ありがとうございました。

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