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猫被りの歌姫




 歌姫の奏でた尊き時間。

 その厳かな空気のまま、歓迎会は幕を閉じた。


 元々歓迎会はこのミューズタウンを知ってもらう事が目的である。

 そういう意味で言えば、あの時間、あの瞬間以上に適した物はないだろう。


 昼が夜に変わった瞬間、歌姫による神への祈りの歌。

 あれこそがこのミューズタウンの在り方だと。


 そうして夜も深くなり、皆が寝静まった時間となった。

 あの儀式をやり遂げ疲労が残る彼女だが……まだ、やるべき事があった。


 そう、夜這いである。


 自分の価値が最も高まった瞬間、それはあの儀式の後を置いて他にない。

 その高まった価値を更に高値で買わせる為の最も効率の良い手段。


 つまり、夜這いである。


 歌姫は何も自分だけではない。

 自分が来賓者の歓迎役を受け持てたのは歌姫同士の壮絶な蹴落とし合いの末であり、それも実力だけでなく多大に運が影響された。

 もしも彼らが来たのが今日でなかったら、きっと自分は彼らと会話さえ出来ていないだろう。

 そして彼らが自分を指名しない限り、明日は違う歌姫があてがわれる。


 だからこその、夜這いである。


 自分が生娘なのは別に清らかとか身持ちが堅かったとかいう訳ではなく、ただ最も高値が付く瞬間に売る為。

 実際生娘でないからという理由で今回外された歌姫は少なくない。

 そしてそういう意味で言えば、今回の機会以上のチャンスが来る事はないだろう。


 かの女教皇カリーナから直々に目をつけられ、エナリスの小さな庭という宗教者垂涎ものの観光施設を持つ街の関係者。

 ハイドランド王国の城に出入り出来るだけの繋がりがあり、ついでに本人も超が付く金持ち。


 ここで行かない様なら、彼女は歌姫になど最初からなっていない。


 彼女――ルナは彼の部屋の戸に手をかけいざ突撃。


 ただ一つ、……心配事がある。

 自分は未経験で、あまりその手の知識はない。

 そして相手は見ての通り『もふもふの毛玉』である。


 これで夜這いが成立するのか……というか全く男として見れないアレ相手でそういう感じに本当になるのか……その不安だけは、最後まで消えなかった。




 部屋の電気は消えておらず、明るいままだった。

「いらっしゃい。遅かったね」

 その部屋の主、もふもふした毛玉、クリスはそうルナに言う。

 彼は部屋の奥で椅子に座っていた。

 テーブルには赤い液体が注がれたグラスがおかれ、対面に椅子も。

 座れという事なのだろう。


「お待たせしてしまい申し訳ありません」

 しおらしく、恥ずかしそうに。

 まあ当然そういう演技なのだが。


 内心はその雰囲気に噴き出すのを堪えるのに必死だった。

 美しい夜景、綺麗な宿泊施設、そして煌めくワイングラス。

 だというのにそこにいるのはきりっとしたもふもふわんこである。

 もし彼がガウンでも着ていたならば、間違いなく我慢出来ず地面に笑いころげている。


 ルナは静かに、震えを隠しながら椅子に座る。

 普段より二割マシにキリっとして見えるもんだからもう面白おかしくてしょうがなかった。


 無言のまま、彼はワイングラスに液体を注ぐ。

 正直、飲みたくない。

 だけど飲まないというのは失礼にあたるだろう。


 ――私、お酒あんまり好きじゃないんだよなぁ。


 度胸付けという意味も兼ねながら笑顔で応対し、そっとグラスを傾ける。

 口の中に、芳醇な香りが広がる。

 ワイン好きが良く言う鼻に抜けるという感覚が良くわからなかったが、今なら理解出来た。

 確かにそんな感じだ。

 香りがふわっと抜けて、鼻だけでなく自分の感覚全てが包まれたように感じる。


 それに苦味もえぐみも感じない。

 優しく、だけど力強い甘さが舌に残る。


 つまるところ……ただの『ぶどうジュース』だった。


「美味しいよね、これ」

 ニコニコしながらクリスも自分のに注いで飲んだ。


 これはどういう事だろうか。

 お前が酒を飲めない事も知っているんだぞという脅迫?

 そう一瞬思ったが、クリス自身が美味しそうにジュースを飲んでいる姿的にたぶん違う。

 ジュースが美味しいから一緒にどうぞとか、その程度の事だろう。


 微笑みながら、ルナは静かに相手の出方を伺う。


 相手の望みに従い、相手に合わせ、相手の機嫌を良くする。

 結局のところ、やる事はそれだけで良かった。


 ボトルが一本空になって、そしてクリスはルナを見つめた。


「それで、どうするの?」

 相変わらずニコニコで。

 だけど、その目は確かに、こちらの出方を伺っていた。


「えっと。その……」

「何か用事があるんだよね? ちゃんと聞くし付き合うよ? 君が何を望むのか、教えてくれないかな?」

 外見は変わらずぬいぐるみ。

 男らしさなんて欠片もない。


 だけど……何故かルナは理解出来てしまった。

 彼は……クリスは全てを知って上で、こちらに選択肢を委ねていると。


 ハニートラップだとわかったその上で、ルナという一個人の選択を尊重している。

 そうなのだと、何故かわかってしまった。


 ぞわりとした恐怖が内から広がっていく。

 死の一文字が、脳裏にちらついた。


 ルナは歌姫による儀式の遂行という役割を持つ。

 その都合で、『境界』をいう物を人より感じやすい。

 昼と夜、大地と海、人と神。

 その境界の先を感じ、伝える事が仕事であるとさえ言える。


 そして今、自分がその境界線の上に立ってると理解出来た。

 何と何の境界かわからない。


 だが、自分という存在とは別の場所にクリスという存在は立っており、そしてそちらに進めば、きっともう元に戻る事は出来ない。

 そう思えた。


 何時もの自分なら、迷わず先に進んだ。

 お金の為、贅沢暮らしの食っちゃ寝生活の為、その為にルナは今まで努力して来たのだから。


 だというのに、今この時に限っては、恐怖が勝っていた。

 進むべきだと、思う。

 だが、迷いが邪魔をする。


 そしてこういう時、ルナは何時も同じ方法で解決してきた。


「た、タイム!」

 手をあげ叫ぶルナにクリスは頷いた。

「面白いから認めるんよ!」

 こんな土壇場で進むでも戻るでもなくタイムと叫ぶ。

 しかも単なる時間稼ぎではなく、何か目的を持ったうえで。


 それはクリスとして、とても興味深い事であった。




 唐突に、何の脈絡もなくルナはカードを取り出す。

 複数枚のカードをバッグから出し、とんとんとテーブルで角を揃える。 

 そして、テーブルの上にそれを広げた。


「占い?」

 クリスの質問にルナは頷く。

「はい。私どうしても決められない事があったらこうして占いに頼る様にしてるんです」

「ほへー。……それってもしかして流行ってる? 私の友達も同じ様な事してるんだけど……」

「どうでしょう? 少なくとも私以外にしている人を見た事はありませんね」

 そう言ってから、ルナは迷わずカードを二枚取り、そして自分の手前に並べた。


 勇ましいカードとハートのカード。

 クリスにはそう見えた。


「答えは、出た?」

「はい。『偽りを口にし、身を委ね、先に進むべし』そう、出ました」

 勇気のカードの正位置と、愛のカードの逆位置。

 正義を示し、性愛を求める。

 つまり、進み、体を交える事こそが正解。

 そう……占いには出ていた。

「そか。じゃ、どうするの?」

 表情を消し、クリスは静かに彼女の最後の選択を――。

「はい止めます! つか丁寧口調も面倒から止めるね!」

 にこやかな顔で、ルナはそう宣言した。


「……はれ? 占いに、出たよね?」

「出たよ。ヤってしまえって。んでさ……実は私占いとか博打とかそういうの『死ぬ程弱い』の。だからいざという時占いして『逆』に動くって決めてるの」

「逆……ということは……」

「『あんたに嘘をつかず、体は任せず、境界の先に進まない』。なんかあんたとヤるヤったらヤバそう。でも働かずお金欲しいからお金だけくれない?」

 平然とした顔でルナはそう言い放つ。


 今までの清純そうなイメージも、歌姫としての厳かなイメージも、そこにはない。

 今のルナは外見に似合わず下町にいそうな品性のなさと逞しさが溢れていた。

 だけど、それは彼女にとても似合っていた。


「……ぷっ。あははははははは! うん。良いね! 君の事は嫌いじゃなかったけど、より好きになれそう。面白いよ」

「普通の人なら私の本性見たら怒るか逃げるかするだろうに、あんたも随分珍しいねぇ。ま、若くして信奉者になろうってお方だ。度量が深いんだろう。知らんけど」

「ううん。面白い人が好きなだけだよ。ところで参考までに聞いて良い?」

「良いよ。というかいっそもう腹割って話そう。普通に交渉した方が上手く行く気がしてきた」

「そだね。ぶっちゃけ現地協力者が一番欲しかったんだ。相談に乗ってくれるならそっちの相談にも乗るよ」

「へへー。足位はお舐めしますぜクリス様」

「そういうのは良いから口を滑らせてほしいかな」

「あいあい。それで、何を聞きたいんだ?」

「その前にさ、その占いについて聞いて良い?」

「……あん? 見よう見まねの雑占いよ? カードもどっかの雑貨店の中古だし」

「試しに私の頃占ってくれない?」

「良いけど何に対してだ?」

「何でも良いよ。私単体の事なら」

「んじゃ、明日の運勢でも――」

 そう言ってるなはカードを束に戻し、シャッフルし、テーブルに並べる。

 そして二枚取ろうとした瞬間――カードが全部地面に落ちた。


「あ、ごめ、もう一回する」

 そう言ってルナはカードを集め、シャッフルする。

 だが今度はテーブルに並べる前に、バラバラと散らばった。

「はぁ!? また!?」

 ルナはイライラした様子で叫んだ。

「ううん。もう良いよ」

 クリスは微笑みそう言った。

「ごめん。何で部屋で風が吹いた? 隙間でもあるのここ?」

 不思議に思いながらルナはカードを仕舞い込む。


 目の前の相手は占う事さえ出来ない位格差があるなんて、ルナが知る訳がない。

 それなのに占いが失敗したという事はそのまま、彼女のそのなんちゃって占いが本物だという証明でもあったと。


「……うん。面白いね。冒険者学園に君が居たら迷わずパーティーに入って貰う様お願いしてたよ」

「あはははは体売るのは構わないけど体張るのは死んでも嫌だからお断りだね」

「変わった価値感なんよ」

「たぶん、あんたほどじゃないさ。そんで、現地協力者って話だけど何をして欲しいんだ? そしてそれは金になるかい?」

 ニヤリと笑いながらルナは言った。




 そうして翌朝……リュエルは不思議な光景を目の当たりにする。


 クリスの部屋で、つい昨日まで猫を被っていたルナがクリスと朝食を奪い合っていた。

「歌姫が太るのは、不味いんじゃないの?」

「太ったことないから知らん!」

「客に譲っても良いんよ?」

「そっちこそ歌姫様に譲っても良いのよ?」

「食べ慣れてるんじゃない?」

「人の金で食う食い物に慣れるなんて文字はない!」

 わっちゃわっちゃと品がなく食べる二人を横目に、リュエルは小皿に持ったベーコンを口に運ぶ。


 不味いはないが、上手くもない。

 少なくとも、伝統料理よりはマシな味。

 だけど、奪い合う程でもない。


「……どういう、事?」

 首を傾げながら、リュエルは困惑する。

 とても親し気ではあるが、嫉妬する気はまるで起きなかった。



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