歌姫裏表
それは、嫌がらせでも嫌味でもなければ我慢大会という訳でもない。
彼らの味覚が常人と大きく異なっているという事でもなければ何等かの特殊な儀式という訳でもない。
その証拠に、スープ、サラダの次に出て来たエビのソテーは普通に食べられた。
更にその次に出て来た魚の頭がはみ出たパイは少しばかり酷い味だったが。
要するに、彼らの味覚は変なのではなく、ただ『雑』であった。
近代の食事はそうでもないのだが、古い料理になるととにかく粗雑か質素か微妙のどれかに当てはまり、そしてそれを気にしない国民性がこの街にはあった。
だからまあ、ただただ雑であったとしかいいようがなかった。
それからも複数『微妙』な料理が続いた後、最後に出て来たのは、クッキーだった。
温くて半分溶けてたケーキの後にどうしてと思ったが、すぐその理由は判明する。
「子供達がお二人の為に焼いたものです。どうかお召し上がりください」
宗教者らしき恰好の女性がニコニコしながら、大皿をテーブルに置いた。
それに合わせ、ルナはクリスとリュエルに食後の紅茶を淹れた。
クッキーの形は不揃いで、綺麗なアイスボックスの物もあれば丸にさえなっていない不細工な物も。
中には器用にクリスをかたどったと思われる可愛らしい動物モチーフの物も。
そんなクッキーの中で一番不細工なのを一つ取り、リュエルは口に入れる。
瞬間――涙が零れた。
「おい……しい……」
呟き、もう一つ。
口の中に残る不快感が、綺麗に一掃されていく。
合わせて紅茶を飲むと、口の中に世界が広がる。
世界とは、かくも美しい物だという事をリュエルは今この瞬間思い出した。
「ははー。なるほどなるほど。こういうのは美味しいのかー」
クリスは呟きながらひょいぱくひょいぱくとクッキーを口に投げていく。
先程までの速度とは打って変わり、恐ろしい速度でクッキーは皿から消えていく。
そしてあっという間に空になり、リュエルはクリスをジト目で睨んだ。
クリスが申し訳なさそうな顔をした瞬間、大皿が追加でどんどんどんと出て来る。
女性はリュエルにグッと親指を立てた。
随分と気安い関係なんだな。
ルナ・フィオレは彼らを見てそう思った。
嫌味でも皮肉でもなく、純粋に、彼らの距離感は不思議な程に近かった。
エナリス神直々にアーティファクトを貰い、何の下積みもなくいきなり高位神官となった、ジーク・クリス。
ホワイトアイの加護を受けるハイドランド稀代の勇者候補リュエル・スターク。
彼らがここまで仲が良かったというのはルナにとって少々の誤算であった。
とは言え、それは何も悪い事ばかりではない。
彼女と争う必要はなく、ただ持ち味を生かせば良いだけなのだから。
むしろ彼らが気安い関係であってくれたから、そうだと判断出来る程多くの情報が得られた。
リュエルはこちらを牽制する意図を持ち警戒している。
ハニトラであるとわかった上でその様な行動に出た。
それはこのハニトラが機能するという事を示している。
なにせその外見からでは男女になれるという保証がまるでなく、その部分から不安になっていたのだから。
クリスの外見はもふもふぬいぐるみそのもの。
ぶっちゃけめちゃくちゃ可愛い。
クリス・シティには彼のぬいぐるみがあると聞いて死ぬ程羨ましいとハンカチを歯ぎしりで駄目にした位はドストライクな可愛さである。
逆に言えば、男性の魅力は皆無である。
そんな彼にハニトラしろと市長やらに遠回しに言われて、正直微妙に困ったしぶん殴りたくなった。
通用するなら幾らでも媚びを売るし体だって好き放題させ純潔を捧げって構わない。
アレに孕まされるのはちょっと想像出来ないが、別に嫌悪感そのものはなかった。
ただそれが通じる相手なのかどうかだけが悩みだった。
だが、リュエルの反応から通用すると確信を得られた。
つまりこの時点でルナは『リュエルはクリスを異性的な意味で好んでいる』と『クリスは普通の姿の女性でハニトラを仕掛けられる』と二つの事実を認識出来ていた。
そしてそこから導き出される答えはそう……『妾狙い』である。
正妻であるリュエルを立てつつ二人を邪魔せずアシストし、おこぼれを狙う。
ぶっちゃけめんどそうな正妻よりそっちの方が楽そうで良い位だ。
何なら無理に妾とか体関係を狙わず、メイドとかそっち方面にいって金やら何やらを狙うというのも手だろう。
少なくとも、媚を売って損はない相手という事である
ルナはミューズタウンとしての意思だけでなく、己の意思で完全に、クリスに狙いを定めていた。
そう……この善意ばかりが先行するミューズタウンだが、彼女は違う。
彼女は善意などで行動しておらず、そこには強い欲があった。
この街で生まれ、歌姫ミューズに選ばれるだけの歌唱力と美貌を持ちながら、彼女は現状に満足していない。
上昇志向と楽して生きたいという二つの願いに、他人を出し抜きたいという考え方。
それが、ルナという女性の在り方であった。
「……えっと、どうしましたか?」
ニコニコした顔で、リュエルの膝の上でこちらを見つめて来るクリスに、ルナは首を傾げて照れた顔を見せた。
実際は照れてなどおらずただ困惑しただけだが。
「ううん。私は君みたいな子嫌いじゃないの」
「は、はぁ。えっと。ありがとう……ございます?」
「どうしたしましてなんよ!」
意味のわからない会話にルナは頭をに疑問符を浮かべる。
たぶん、言葉に意味はないだろう。
適当な言葉を脈絡もなく言う程度には、クリスは幼稚らしい。
そうルナは考えた。
「お時間の方がしばらく空いているのですが、どうしましょう? 何かしてみたい事とか御座いますか?」
宗教服の老人がクリスにおずおずと声をかける。
ミューズタウン第一教会司祭長という立場で、普段は割と偉そうにしているが今日はやはり下から出ている。
まあ、そりゃあそうだろう。
フィライト国王であり教皇であるカリーナより直々に『失礼なきよう』と念押しされているのだから。
「例えばどういう事がある感じ?」
クリスは首を傾げた。
「えっと、観光ならその彼女、ルナが受け持ちましょう。歴史など興味があれば私が。後は……まあ、自由ですね。演奏が聞きたいと申して頂けたならその様に、料理のお代わりでも、何でもおっしゃって下されば」
「んー。じゃあさ、子供達とおしゃべりしたいんだけど良いかな?」
「えと、子供達……ですか? それは一体……」
「クッキーを作ってくれた子供達にお礼がしたいんよ! リュエルちゃんなんて感動して泣いてたし」
リュエルは頬を朱に染めぽかぽかとクリスの肩を叩いた。
「なるほど。では料理のお手伝いをして下さった賢き子達を呼んできましょう。……クリス様、やはり貴方はエナリス神の使徒であらせられる様です。子供を想う慈愛の心、私、感動致しました」
そんなおべっかなのか本心なのかわからない言葉を残してその場を後にし、そして大量の子供達がわらわらと寄って来た。
クリスの外見だから当然だが、子供達は皆大喜び。
そして子供が一緒に遊ぼうと対戦型ボードゲームを用意した瞬間、クリスは何を思ったのかいきなり大人子供問わずの『ボードゲーム大会』を開きだした。
ルナは確信した。
やはり、クリスは外見通り若いというか幼い。
ぶっちゃけ幼稚だ。
子供と思って行動するのが正しいだろう。
そこでルナはボードゲームを挑み、わざと負けて『きゃーやっぱりクリスさんって凄く強いんですねー』というあざとムーブを披露しようとクリスに挑戦する。
そしておべっかを使うよりも早く完膚無きまでの完全敗北を喰らって、若干のイライラいを笑顔で隠すハメとなった。
無駄に強いというか、運の要素が多少関わるボードゲームでクリスは全戦全勝するなんてちょっとおかしい事をしてみせたからこれでもかと大会は盛り上がり、気づけば日は落ちていた。
そうして、街の雰囲気が一変する。
明るく賑やかな、まるで祭りの様な街の空気は緩やかに消え、月の見える時間になれば完全な静寂へと移る。
音楽もない。
声もない。
人の数が減った訳でもないのに、街はケの日となっていた。
気づけば、隣に座るルナの姿もなくなっている。
だけど、どこに行ったかなんて聞ける空気ではない。
恐ろしい程に、皆が無言になっていた。
人々の呼吸しか聞こえない静寂の中、不思議な程に靴の音が響いた。
皆の目が、音に集中する。
そこに見えたのは、ルナの姿だった。
ゆったりとした白いドレスを纏い、足音を響かせながら、海の方に近づいていく。
まっすぐ……まっすぐ……その様子はまるで、海に愛され過ぎてこの世界から消えていなくなってしまうと錯覚する様でさえあった。
その背は儚く、されど迷いもなく。
この身を捧げる事に何の躊躇いもないと言わんばかりで……。
そして、彼女はその境界線を越える。
まるで海の上を歩いているかの様……いや、良く見ると、足元に桟橋が見えた。
木製の桟橋の上を進み、そして奥に辿り着き彼女はくるりとこちらを向く。
先程までの媚びた表情とは打って変わって、儚げで、そして美しい……そんな表情だった。
目を伏せたまま、彼女は手を前に差し出し――声を奏でる。
澄み切ったソプラノが、波音に重なり空へと溶けて、消える。
言葉のない戦慄は海に消え、言の葉は人々の胸に響き、共に月へと捧げられていく。
高く、柔らかく、まるで波の音さえもが彼女の歌声を聞きに来ているかの様。
桟橋の上にいるのは、月の歌姫。
彼女の歌は確かにミューズと呼ぶに相応しかった。
エナリスの愛でる美と言えるに十分な資格を持っていた。
その歌声が終わった後の余韻を皆が愛し、先程よりも深い静寂が辺り一面を優しく包み込んだ。
ありがとうございました。