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攻城&防衛(後編の1)


 勇者とは、何か。


 それに対し正しい答えを返せる者は、この世界にはいない。

 本当の意味で『勇者』が居たのはもう二百年も昔の話。

 純粋な人間は寿命の問題で当時を知る者は少なく、長命種であっても二百年というのは記憶ではなく記録で語る様な内容である。


 今を生きる人にとって勇者とは、『正義の自由騎士』という肩書を意味する。

 国に縛られず世界中を旅し、悪をくじき正義を為す者。

 権力者に仇なし民を護る、万人の英雄。

 それが、勇者である。


 勇者には数多くの権利と、同程度の義務が課せられている。

 国境を無条件で超える権利、怪しい貴族を調べる権利、王に対し不満を述べる権利等々。

 力ある者に対抗し、それを妨げてはならないというのが主な権利である。


 真なる魔王に挑戦する権利もまた、その一つだろう。

 行使した者は誰もいないが。


 その反対に義務として、勇者は国、会社、街、あらゆる社会構造からの頼みを聞かなければならない。

 それが例えどの様な物であれ、その内容を『聞いて』調べなければならず、そして調べた結果それが『正しき声』であるのなら実行しなければならない。

 国を越えた人々への奉仕者。

 それが今を生きる人々の憧れ――『勇者』である。


 クリスは今の勇者制度に大変強い不満を持っていた。

 勇者とは役職ではなくその生き方を示す物。

 万人が勇者と思う存在こそが勇者であり、この様な『そうあるべし』という押し付けの末生まれる様な物ではない。


 だから、クレインよりリュエルの方が勇者らしいとクリスは思っている。


 勇者ならばこうしなければならない。

 勇者ならばこれをしたらいけない。

 今、勇者という存在の実情は『優等生な奉仕者』に過ぎないものとなっている。

 少なくともクリスにとってはそうだ。


 だが逆に言えば、優等生な奉仕者であるという事は間違いのない事実とも言えるだろう。


 魔族を含めた全人類を総合した上での『優等生』。

 正しくなければ国にさえ喧嘩を()()()()()()()()()()民の味方。


 それが勇者。

 そしてその勇者に最も近い男が、今目の前にいるクレインである。

 楽しそうに笑うその姿に、ユーリは忌々しげに感じ表情を曇らせる。


 こいつ一人の所為でこの競技は『戦争ごっこ』から『おにごっこ』に変わった。

 こいつに一人でも多く潰されない様にする事が勝利への最短ルートであり、こいつが退場するまでにいかに狙われない様にするかがゲーム攻略のコツ。


 その戦うメリットが非常に薄い『全自動戦闘マシーン』相手に戦いを挑んでいるというこの状況に、ユーリは頭を抱えていた。

 メリットが薄いと言ったが、クレインを捕縛した場合砦を一つ完全崩落させるより多くのポイントが得られる。

 得られるのだが……その事実があってなきような物となる位には、クレインは化物であった。


 同じ生徒と思ったらいけない。

 クレインと比べる対象は教師陣の上澄みである。


 静かに、クレインは剣を抜く。

 たったそれだけの動作なのに、ゾワリとした恐怖が辺り一面を包んだ。

 遠くにある二つの砦の防衛隊は当然、敏感な者は観客席に居ながらその恐怖を味わえた。


 ユーリが唾を飲んだ次の瞬間には、先輩の一人がユーリを庇う様クレインと鍔迫り合いになっていた。

 庇われたと気付いたのは音の後。

 ユーリには、感じる事さえ出来ない程の速度だった。


 もう一人の先輩がぽんと肩を叩いた。

「ユーリィ君。おそらく君は今の状況に混乱してるだろう。だからさ、三つだけ、言わせてくれ」

 びくっとした後、ユーリは静かに頷いた。

「一つ。俺達が倒れる事を気に病まないでくれ。使い潰される事が俺達の最前の使い方だ」

 言い聞かせる様に、そう口にする。


 彼らは最初からわかっていた。

 クレインに勝つことなど出来ないと。


 では何故今戦っているかと言えば、ユーリに時間を与える為。

 ただそれだけだった。

「二つ。反省はしても後悔はするな。口で言うには容易いけど、案外難しい事だ」

「……それは、わかります」

 どうしても後に引きずりやすいユーリはその難しさは嫌という程に知っていた。

「良い答えだ。頑張れ若人。そして三つだ。彼女と話し合って計画を立てな。俺達は三つ覚えるのが精々のわんこ以下だが、君達は違うだろ? じゃ、俺も行ってくる。準備は俺達が倒れる前に終わらせてくれよ」

 そう言って、もう一人の先輩もクレインに挑みにいった。


 ひゃっはーとご機嫌な様子で獰猛な笑みを浮かべる先輩二人。

 その様子は狂犬そのもので、美形のクレインと比べたら百人が見たら百人がこちらが悪役というだろう。


 ユーリは先輩のありがたい教えに従い、ナーシャに声をかけた。

「アナスタシア様は、最初からこのつもりだったんですか?」

 確認の為、意思を知る為、敢えてそう問いただした。

「ユーリィ。急いで私達も戦わないと! 先輩二人でもすぐに……」

「アナスタシア様?」

「……ええそうよ。私達でクレインをぶちのめす。最初からそのつもりで競技に参加した」

 その言葉を聞いて、ユーリィは堪えて来た怒りがぶりかえし、怒鳴りつけてしまいそうになる。


 これは寮対抗戦メイン競技の一つであり、そして集団行動での競技である。

 スタンドプレーなんて考える事さえ許されない。


 そもそも、勝つ為にやらないといけない事がごまんとあるのに、自分達攻撃部隊はたった四人しかいないのだ。

 四人で、二つの砦を攻略しなければならない。

 それなのに、こんな足を引っ張り様な事を何故するのか。

 ほぼ確実に自分達四人は全滅する様な、無謀な事に……。


 怒りがふつふつと湧いて来る。

 彼女に迷惑をかけられる事は気にしない。

 だが、それは自分やクリスの様なそれを納得する人だけだ。


 寮長は自分達に期待してくれた。

 先輩も自分達を立ててくれた。

 どうしてこんな事をしたのか。

 何故自分をこんな事に巻き込んだのか。


 皆の努力を台無しにしようとするナーシャに皆が怒りを覚えない訳がなくて……。


 ふと、我に返る。


 先輩は、怒っていただろうか。

『反省はしても後悔はするな』

 その言葉が、頭に繰り返される。


 そして、気づいた。

 怒っているのは、自分だけだったと。


 寮長は最初から、ナーシャが何かをやろかすと気付いていたそぶりがあった。

 その上で、失敗する事も含めた上で、任せてくれた。

 むしろナーシャの無謀を応援していたのだと、今なら思える。


 今自分達の時間を稼いでくれている二人の先輩もまた、同様に、ナーシャの事に最初から気づいていた。

 だから、相談しろなんて言った。

 ナーシャが企み、ユーリが思い通りにならず困惑し、戸惑ってしまっている状況を憂いて。


 それがわかった上でこうして時間を作ってくれたのだ。

 ――いや、これも違う。


 先輩達が時間を稼いでいるのは、単に自分達を信じているからだ。

 自分達なら、やってくれると。

 その為に、持てる全てを使って、今という気づきの時間を用意してくれたと。


 怒っていたのは、最初から自分だけ。

 しかも、先輩や寮長を怒りの理由にしてしまっていた。

 なんと……狡い事をしているのだろうか。


「ユーリィ。ごめんなさい。でも、私は……」

 申し訳なさそうにするナーシャに対し、首を横に振る。

「謝罪は必要ありません。貴女の望みを察せなかった僕の罪です」

 そう、ナーシャの企みに寮長も先輩も気づいていた。

 なのにユーリは気付けなかった。


 それがユーリという男の罪になるのは当然の事だった。

 自分以上に彼女の事を見ている人はいないのだから。


 そしてその上で、ユーリは考える。

 どうするのがこの場の正解なのかを。


 ナーシャの期待に答える事は重要だろう。

 だが、それが本当に正解なのか。

 ルビオン寮の勝利に貢献しないままというのは正しい行為だろうか。


「クリスなら、あいつならどうする?」

 あの単純おとぼけ野郎の言いそうな事を考え、そして苦笑いを浮かべた。


『クレインを倒してルビオンレッドも勝たせるんよ!』


 能天気で答えるクリスの幻影に、自分の想像ながら心底腹が立った。

 なんとまあ無責任な事を口にする。

 しかも実際に言いそうなのも腹が立つ。

 そして、その上で、それを実現出来る能力があるんだから、もう腹立たしい事この上ない。


 だけど、ユーリィ・クーラには、それは出来ない。

 そのやり方が出来るのは、クリスの様な強者だけだからだ。


 だから、弱者(マイナス)である自分にしか出来ない選択を、ユーリはしなければならなかった。


「アナスタシア様。短く作戦を話します。聞いて下さい」

 そしてユーリは短くやるべき事を伝え、すぐに先輩の援護に向かった。


 ナーシャはきゅっと、唇を硬く結ぶ。

 我儘を言った。

 嘘をついた。

 周りにも迷惑をかけた。


 だというのに誰にも叱られなかった。

 だからこそ、それだけは絶対失敗してはならなかった。


 今更に、ナーシャは恐怖に襲われた。


 正面に見えるクレインという男。

 一流の先輩二人とユーリが相手になって、それでいて余裕を見せている。

 いや、実際に余裕なのだろう。


 ナーシャは自分の頬をぴしゃりと叩き、気合を一つ入れてから、杖を持ち詠唱を開始した。




 近接職の持つ武器はどれも刃が潰されていた。

 金属製ではあるが、それで人を殺すのは難しいだろうという程度には加工されている。


 特にクレインの持つ剣は丁寧に刃が潰され、もはや単なる鈍器と化していた。


 とは言え、クレインにとってそんな物誤差でしかないが。

 先輩二人の両手剣とユーリの持つショートソード、三本と鍔迫り合いながらクレインは微笑んでいた。


「しっかりと話し合えたかいユーリィ君」

 先輩の言葉にユーリは頷く。

「はい! 準備は出来ました!」

「俺達の仕事は?」

「死ぬ気で戦って、ここで倒れて下さい!」

「オーライ! 俺達の屍の上を越えていきな!」

「ありがたい! 後輩を先に逝かせる情けない先輩にしないでくれてありがとよ!」

 二人は更に力を加え、連携を持ってクレインに乱打を叩きこみだした。


 激しい打ち合いのはずなのに、剣戟の音はキィンキィンとどこか軽い。

 それは先輩二人の斬撃をクレインが完全に抑えている証拠であった。

 それがわかっていても、彼らに出来る事は全力を出す事だけだった。


 そう、全力でないといけない。

 そうでないと時間さえ稼げない。

 それほどまでに実力に差があった。

 そして今が全力である以上、その差は確実に開いて行く。


 短期決戦で隙を突く。


 それだけが、眼に見える唯一の解決策だった。

 ユーリはクレインの背後を取った。

 正しく言えば、先輩のおこぼれで後ろに回り込めた。

 そして迷わず、背後から足元を狙い剣を振り抜いた。


 低空姿勢で振るわれる足首を狙った剣を、クレインは振り抜きもせず小さなジャンプで躱し、ユーリの剣の上に乗る。

 そしてそのまま剣を踏み抜きへし折った。


 即座にユーリは折れた剣を手放し、二本目のショートソードを取り出す。

 元々二刀流のつもりで持って来たおかげで武器を失くさずに済んだ。


 ユーリ二度目の斬撃に合わせ、氷の塊がクレインめがけ上空から飛来する。

氷塊落(アイスフォール)

 それはさながら小さな隕石の様であった。


 正面は先輩二人が命がけでの足止め。

 背後はユーリが回避を誘う様な斬撃。

 そしてユーリの攻撃と連動する氷の小隕石。


 それは連携というより、最善手の集合系と呼ぶ方が近い。

 彼らは攻撃を合わせた訳ではなく、皆が同時にここが数少ないチャンスであると思い、ただ全力を注いだだけだった。


 そして……その絶望を目にした。


 皆の連携を見て微笑みながら、クレインは、まるで踊る様に回り剣を振る。

 一回転、くるりと。

 たったそれだけ。

 その一撃に、先輩二人も自分も吹き飛ばされた。


 残った空から飛来する氷の塊にゆっくり目を向け、クレインは握りこぶしを作り、小隕石に拳を合わせたる。


 誰もが思うだろう。

 そんな事出来る訳がない。


 一メートル近くある氷の塊で、しかもただの氷ではなく攻撃魔法で作られた超スピードで飛んで来る強固な氷。

 拳なんて触れるだけで砕けるに決まっている。


 そのはずなのに、砕けたのは……氷の方だった。


 残ったのは、勝利を宣言する様拳を振り上げるクレインのみ。

 その手は、白き光を纏っていた。


 勇者の、もう一つの力。

 白の神、ホワイトアイの祝福、白い魔力。

 それをただ纏っただけ。

 それは魔法でさえなかった。


 何も複雑な事はしていない。

 複雑な事はする必要ない。

 勇者とは、そういう存在であるからだ。


 心が折れそうになる。

 ユーリとナーシャがクレインを見るその目は、異形を見るそれだった。


 その瞬間――。


「諦めるには早すぎる、だろ!」

 叫び、クレインに蹴りを入れる先輩その一。

「先に俺達って言った、だろ!?」

 吼え、ドヤ顔で突撃かます先輩その二。


 彼らはユーリ達に、その背中を見せた。


 頼れる先輩の背を。

 先に散る者の背を。

 託す者の背を。


 つまるところ、彼らはまだ、ユーリを信じていた。


「斧だったらってのはまあ、言い訳だな。黒旋風!」

 大剣を叩きつける様振り下ろすのと同時に、黒い竜巻がクレインを襲う。

 所謂一つの到達点『奥義』と呼ばれる物である。


「使い勝手良い技で羨ましいねぇ。カマイタチ!」

 もう一人の先輩が剣を振る度に、斬撃型の風がクレインに襲い掛かる。

 こちらもまた、到達点の『奥義』。

 彼らは凡人だが、同時にその領域に到達するだけの腕は持っていた。


 彼ら、自称『ただの先輩』は自分達がモブでしかないと知っている。

 奥義が使えるとか、一流であるとか、そんな事は関係ない。

 ここが自分達の限界で、そしてこれでもう満足してしまったからだ。


 クレインの様に上の世界に行ける訳じゃない。

 寮長の様に主役になれない。

 そして背後の後輩たちの様に、未来がある訳でもない。


 だけど、それでも彼らには誇りがあった。

 今に満足してしまって成長を止めたとしても、世界にとって単なるモブであっても、それでも……。


「俺達は先輩なんだよ!」

 彼らは、見栄っ張りだった。


 何時の日か、この見栄は自分達を殺すだろう。

 そう、自覚していて、その上で直す気がない程度には、彼らは見栄っ張りだった。


「見事だ」

 それだけ呟き、クレインは彼らに終わりを迎えさせる。

 正面から奥義を斬り、突き進み、一人で一振り剣を交え、その都度彼らは崩れ落ちる。


 倒れ征く、その背中は語っていた。

『お前達を、信じているぞ』と――。


「うわぁああああああ!」

 臆病風に負けそうなユーリは叫びながら、ショートソード一本でクレインに突っ込んだ。

 先輩達の献身を無駄にしない為に。




「…………」

 クリスはその戦いを、無言で見つめていた。

 リュエルはその表情が掴めなかった。

 羨望か、憐憫か、失笑か、苦悩か。


 わからない。

 隣の彼が一体どの様な気持ちで、ユーリの戦いを見ているのか、わからない。


 だけど、何となく、戦闘が佳境に入ってからクリスの雰囲気が変わったのには気づいた。

 つまり……。


「どっちが勝つか、わかったの?」

 クリスはその質問に答えない。

 理由はまあ、予想がつく。


 ――ネタバレは悪い文明だから……だよね。


 リュエルが前を見ていると、クリスからの返事があった。

「こんな時、わからなかったらなって思う事もあるよ」

「そうなの?」

「うん。誰かの努力が無駄になる気がするの。だから、外れて欲しいって願ってる」

「じゃあ、つまり……」

「もしかしたら、結果は変わるかも。だけど、私の予想だと……」

「だと?」

「一番の『嘘吐き』が勝つんよ」

 その言葉は、クリスらしくなくあまりにも不明瞭な言葉だった。


 だけど同時に、クレインが勝つ事への否定の様にも思えた。

 誰よりも誠実である事が求められる勇者候補、その筆頭であるクレインが一番の嘘吐きというのは、あまり信じられる事ではなかったからだ。




 ユーリの剣はそのまま、クレインの剣に切断される。

 折れるではなく、斬れる。

 その位、両者の技術には差があった

 純粋に身体能力が高く奥義を身につけるまで習熟した先輩が二人がかりで数分しか時間を稼げない相手である。

 ユーリ如きが秒も稼げるわけがなかった。


 ――そんな事、最初からわかっているんだよ!


 ユーリはクレインに睨みつけ、クレインに斬りかかった。

 存在し得ないの剣を持って。


 予想外の反撃により、ほんの一瞬だがクレインは受けに回らざるを得なくなる。

 剣は、一本ではなかった。


 いきなりスイッチしての二刀流で立ち回り。

 しかもユーリの持つ剣は、氷で生成された物だった。


 どうしてこれまでナーシャは大人しかったのか。

 それは最初からユーリの剣を生成する準備をし、タイミングを計っていたからだった。


凍葬氷結双剣(フロストサーベル)

 

 ナーシャでさえも実戦では発動出来ない六文字(シックスワード)級の魔法。

 とは言え厳密な六文字ではなくメイデンスノースタイルの魔法をアレンジした物である。

 それでも、五文字と六文字の間位の威力は出るが。


 実戦状態では使えないレベルの魔法を使う方法。

 それは単純な事だった。


 実戦ではなくなれば良い。


 ナーシャはクレインから意識を外し、先輩達が時間を稼いでいる間、長時間の詠唱と精神統一を図っていた。

 ユーリを信じ、先輩を信じ、ただ自分の世界に引きこもり、何分もの時間をかけて、最高の集中状態で長時間詠唱を行い、その期待に答えた。

 自身の独自能力である魔法陣詠唱を組み合わせ、双剣を生成する事によって。


 詐欺と騙し、そしてクレインが本気を出せない事を利用した卑怯な手段。

 素晴らしき魔法使いに恐ろしく高い下駄を履かせて貰い、ようやくユーリは勇者と相対する権利を手にした。


 それでも尚――届かなかった。

 倒れた先輩の一人分にさえ。


 剣戟の音が鳴る。

 剣は遥かにこちらの方が優れているのに、ジリジリと後退させられる。

 剣の性能が高く、能力で凍らせられるとか、そんな物一切通用しない。

 たんなる刃を潰した模造剣に、その能力さえも切断させている。


 ただ実力だけで、上から相手を叩き潰す。

 小手先の小細工など行わず、ただ目の前の障害を切り開く。

 勇者とは、そういう存在でなければならなかった。


「度胸は素晴らしい。彼女との相性も最高だ。人の魔法で作った剣をそこまで操るのは俺だって出来ない。ここまでの展開の組み立ても悪くなかった。だから、次は実力を磨いて挑戦してくれ」

 そう言って、クレインは微笑み、剣を横薙ぎに振るう。

 刃は音もなく通過し、二振りの氷は砕け散り、光を反射に銀紙の様に煌めいた。


 あっさりだった。

 六文字の魔法を使って、先輩の犠牲の上に立って、それで……この程度。

 クレインの前に立つのが精々で、勝てる訳なんてなかった。


 ――そんな事、誰よりも僕が知っていたさ。


 自分の実力のなさなど、情けなさなど自分以上に知っている訳がない。

 だから……ユーリは自分も騙したのだ。


 この、一瞬の為に。


 鈍痛と衝撃で飛びそうな意識を閉じ込め、ユーリは渾身の力で前のめりに倒れる。

 そして――氷の持ち手は炸裂し、巨大な氷が突然生み出された。


 氷はユーリとクレインの両手を、飲み込み、拘束していた。


 自分が倒れる一瞬。

 クレインがユーリを倒したと確信したその一瞬にだけ、ユーリは最初から勝機を見出していた。


 クリスなら、クレインを倒し赤寮を勝たせられただろう。

 だけど、自分にはそれが出来ない。

 もしも自分がクレインと赤寮の勝ち、両方を狙うなら、足りない部分をどこかから持ってこないといけない。

 マイナスを用意しないと答えと整合しない。

 だから、用意した。

 犠牲という名のマイナスを。


 先輩を犠牲にして立った自分さえも、最初から犠牲にする計画。

 そこまでしてクレインから一瞬の油断を捥ぎ取り、ナーシャだけを生かす。

 そしてナーシャにクレインを捕縛させ、赤寮の勝ちに貢献させる。


 それがユーリの考えた、たった一つの自分に出来る全取りの手段だった。


 倒れそうになりながら、ユーリはナーシャの方に目を向ける。

 ――後は任せた。


 既にナーシャは動いている。

 ユーリが最初から、この展開となる事を伝えていたからだ。

 最初から、こうなるとわかっていたから、ナーシャはこの瞬間にのみ備えていた。


 だからナーシャは最速で突っ込み、クレインの捕縛準備をする。

 クレインが氷を砕き、自由になるほんの一瞬。

 その一瞬に魔法を差し込む為に。


 ぱきんと音が鳴り、氷が砕ける。

 拘束から逃れる為無理な力を入れ、態勢が崩れているクレインにナーシャは魔法を放とうと杖を向けたその瞬間――。


 クレインの両手がぐるりと太い蔦で縛り上げられた。

 ナーシャが魔法を放つその前に。


「――え?」

 茫然とするナーシャは、その奥で彼の姿を見た。


 今の今まで傍にいて、ぞっとその姿を隠し続けた彼。

 シルフィードグリーン、寮長オルフェウス。

 彼はそのままクレインの背後を取り、「捕縛」を宣言した。


ありがとうございました。

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