運命の出会い
アルハンブラがクリスに声をかけてから、更に一時間が経過する。
担当教員が来る時間なんてとうに過ぎていた。
だというのに、教員どころか説明役の人さえ来ていない。
イライラと不安が感染する様に部屋に蔓延る。
ただでさえこの教室には我慢出来そうにないガラの悪い奴が多いというのに。
だから現状は一瞬即発……とまでは言わないけれど、それでもピリピリと相当に空気が悪かった。
そんな状況だから、扉が開かれたら瞬間……全員の視線はそこ一点に集中した。
突き刺す様な視線に晒される女性。
だけど彼女は遅刻した担任ではなく、ただの遅刻した生徒だった。
勘違いで相当強い憎しみの目に晒されても平然とする彼女こそが、このDクラスの最後の生徒だった。
学園側と考えるには明らかに若すぎる女性が来た事で、怒りが落胆や溜息に変わる。
彼女はこのイライラした空気も自分に向けられた落胆も気にもせず、ただ平然と教室の中に入って来た。
「随分と肝の太い子だ。しかも相当に強い。……うん? クリス、どうかしたのかね?」
アルハンブラの声に、クリスは反応出来ない。
その姿を見た瞬間驚きでぴょいんとジャンプして即座に正座姿勢に入って、今でさえ驚愕から目を見開き全身の毛が逆立っている。
その位、彼女の姿はあり得ない物だった。
クリスの中にあるかつての記憶が脳裏を巡っていた。
二百年前の、かつての記憶が……。
幼さを残しながらも凛々しく目鼻立ちは整った顔立ちに艶のある美しい藍色のショートカット。
そして極めつけはその魔力。
それはクリスかつて経験した愛すべき怨敵……最後の勇者リィンを思い出すのに十分な物だった。
特に魔力はクリスが一瞬本人かと勘違いする程に似ていた。
だけど……そのはずはない。
勇者リィンはただの人間で、そして延命を選ばなかった。
幾らでも生きる事が出来る程の力があった。
幾らでも生きたいだけ生きられるだけの支援をクリスはするつもりだった。
だけど彼女は、リィンは長生きする事よりも、短くも人らしく生きる事を選び、戦いを捨てて人らしく老い、そして笑顔を浮かべながらこの世を去った。
そう、クリスは魔王であった時に報告を受けている。
あの時は、本当にがっかりした。
寂しかったとさえ言っても良い。
嫌がるから言わなかったが、彼女の事を友と呼ぶ程に好意を持っていた。
彼女が戦いの道に来てくれたならと、何度も思う程に。
とは言え……。
「似てる……」
まるで当時の彼女が戻って来た様な錯覚さえ覚える程に。
「ああ……彼女でしたか」
アルハンブラの声に気付き、クリスは尋ねた。
「知ってるの?」
「いえ、ですが、あの剣は知っています。我らの同期に勇者候補がいると聞いてませんか?」
「入学式で言ってた。勇者候補生の三人目が私達の同期にいるって」
「なるほど。ちなみに私が聞いたのは、特徴的な儀礼剣である白き剣を持つ勇者候補の乙女の話です」
そう言って、アルハンブラは彼女の腰の剣に目を向ける。
直剣を僅かに曲げた様な独自の形状は鞘越しでもわかる。
また少々派手な位意向を凝らした鞘と持ち手のデザインは、翼を彷彿とさせる物。
正しき白を示す、いかにもな……。
「違う」
クリスはぽつりと呟いた。
「……どうしました?」
「ううん。何でもない」
アルハンブラの説明とその剣を見てから、ようやくクロスは我に返った。
どうやら自分は、思った以上に勇者リィンの死を引きずっていたらしい。
だから、彼女の幻影を追って少女に彼女の幻影を着せてしまっていた。
正しき白?
正義?
勇者リィンはそんな物の為に戦った事なんてない。
彼女はどこかの悲しい思いをする誰かと、そして大切な仲間達の為に戦っていた。
絶対者の様な正しき正義ではない。
時々間違えるけどまっすぐ生きようとする人間らしさこそが彼女だった。
彼女はどこまでも、人だった。
そうして一旦冷静になると、同じばかりじゃなくて違いも良く見える。
具体的に言えば、勇者リィンは背は低く胸は大きくいつも笑顔だった。
だけど今現れた少女は背は高くスレンダーな体型で、そして表情は笑顔どころか淡々とした感じで落ち着ていて、どちらかと言えばクールに感じる。
雰囲気で言えばむしろ正反対で、冷静になってみればどこが似ているのだろうという位であった。
「……失礼な考えをしてしまった。いつもニコニコ明るい元気っ子とクール系高身長後輩系を一緒にするなんて……私とした事が……」
やれやれと呟くクリスに、アルハンブラは訝し気な目を向けた。
「何の話をしてるんです?」
「何でもないんよ」
「そうですか。ところで、随分と彼女にご執心な様子ですが、知り合いだったりするのですか?」
「ううん。全く知らないんよ。だけど……」
「だけど?」
「運命では、あると思うかな」
これが勘違いならば、それはそれで構わない。
だけど、勘違いじゃあない。
確かに彼女は勇者リィンではない。
だけど、血縁を疑えない程度には勇者リィンの面影を持つ少女がいる。
孫か曾孫かそのまたさらに下か知らないが、彼女は勇者リィンの血を濃く受け継いでいるのはまあ間違いないだろう。
だから、その魔力も似ているのだと。
かつての勇者を受け継いだと思われる、次世代の勇者が現れた。
そしてここには、かつての勇者を終らせた怨敵の大魔王がいる。
それはどう見ても、運命である。
だからこの出会いは紛れもなく運命で……そしてそれ故に、彼女もきっと今同じ気持ちとなっているはずだ。
そんな妄想にも近いクリスの想像は……外れとは言い難そうだった。
何にも興味を示していなかった冷たい彼女の瞳にクリスの姿を映ったその瞬間……彼女は一瞬目を見開き、そして……じっと、クリスだけを見つめ出した。
まるで睨む様に……。
「トラブルだったりするかい?」
剣呑ならない空気を察し、大人らしくアルハンブラは仲裁の為の手出しを考える。
だけどそれを、クリスは拒絶した。
「わからない。けど、きっとこれは私達だけの問題」
彼女の事は知らないし、その想いもわからない。
今彼女が自分に対しどんな感情を抱いているのか、想像さえも出来ない。
だけど……どうでも良い。
その心に宿る炎が復讐だろうと正義だろうと、そんな物関係がないのだ。
その心を実行に移す権利が彼女にはあり、そしてそれをクリスもまた望んでいる。
ただ何もない平穏を壊してくれるのなら、例えどの様な感情であれ歓迎しよう。
それこそが、我らの望みなのだから……。
まるで吸い寄せられる様に、少女はまっすぐクリスの方に歩いて来た。
傍までよると机の上に座るクリスの方をながら、少女は口を開いた。
「私と貴方はこれが初対面。だから……この気持ちをどういえば良いかわからない。けれど……確かに、私は……」
普段あまり話す方ではないのだろう。
どこかたどたどしく、そして弱弱しい声だった。
クリスは首を横に振った。
「陳腐だけど、簡単な言葉がある。これは『運命』なんだ。大魔王と勇者が巡り会うのはそう定まった運命に過ぎない」
「……そう、これが『運命』……。わかった。私はリュエル。リュエル・スターク。貴方の名を聞かせて」
「ジーク・クリス。今はそう名乗っている。だけど、好きに呼んで欲しい」
「ありがとう。……やる事が出来た。悪いけど、私はこれで失礼する。――また、後で」
そう言ってリュエルは初めて笑顔を見せた。
彼女らしい控えめな笑みだったが、それでも確かに、彼女は笑っていた。
そのまま振り抜きもせず、彼女はまっすぐ教室の外に出て行って……その入れ替わりで老年の女性が入って来た。
タバコを口に加えたまま、女性は後頭部を掻いた。
「すげぇな。びっくりするほど堂々とサボられた。まあ良いや。ありゃここに来る様なタマじゃないそうだし」
そう言ってから教壇に立ってから、女性はタバコを携帯灰皿で消し、ゆっくりと、聞き取りやすい声で話しだした
「よう。ロクデナシのクソジャリ共。入学おめでとさん。まあ予想は出来てると思うが、てめぇらは全く期待されちゃいない。こんなしわくちゃババアが担当教員に選ばれる位にはな。ご愁傷様」
そして彼女は、随分と皮肉めいた歪んだ笑みを向けて来た。
ありがとうございました。