超常者の遊戯(前編)
シューティングハントの控室にて昼食を無理やり詰め込み、砂糖をこれでもかと入れたコーヒーをちびちび飲みながら、ナーシャは天井を見つめる。
今寝ればきっと泥の様に眠れるだろう。
魔力にこそ余裕はあるが、想像以上に疲弊していた。
普段はよく食べる方のナーシャが、一人前程度の食事を無理やり突っ込まないといけなかった。
そんな状態でも午後種目の参加を考えて、かなり強引に付け込み今必死に体力を回復させようとしている。
ナーシャの肉体は鍛え上げられているが、それは才能という訳ではなくただ日々の努力の賜物というだけ。
才能という意味ではそれほど優れてはおらず、むしろ筋肉は付きづらい方である。
だからこそ、相当厳しい筋トレをしても手足は細く長いままで、女性的なボディラインを維持しているとも言えるが。
「もふもふちゃんの訓練の本当の理由……わかったわぁ」
無理やり術式を変更しマルチタスクで魔法を使わせた本当の理由。
それはただ単純に、体力をつける為。
肉体を鍛えるのと同様に、頭脳労働も鍛えておかないと。この様にグロッキーになる。
もしもクリスの訓練を受けていなければ競技中に吐いていただろうという確信が、ナーシャにはあった。
たった二十の的で、十の的を解析しただけ。
それでこれというのは、ちょっとばかり情けない気持ちだった。
しばらくして、ノックの音が聞こえて来る。
その事にナーシャは少しだけ不審に思った。
ここに来るのなんて色々命令し、こきつかっているユーリ位である。
そのはずなのにノックの音が彼の物ではなかった。
これはそういう教育の成果だからだろう。
ナーシャは自室に来る来訪者のノックの音で誰がどんな気持ちでいるかを何となく判断する事が出来た。
彼、ユーリのノックは緊張と同時に喜びが含まれている。
どれだけ自分が好きなのかを判断出来る。
まあ、それに気づいたのは告白されたつい最近なのだが。
逆に言えば、ノックの音で判断出来ると言ってもユーリの恋心に気付けない程度の判断力しかない。
精神分析の様に精密な物でもなく、何となく程度の物でしかなかった。
先程のノックは緊張なんて物は欠片もなく、同時に悪意も全くない。
身内に対しての遠慮のない物であった。
「どうぞー」
警戒心を解き、そうナーシャは答える。
その後入って来たのは、リュエルだった。
「お邪魔するね」
少し以外に思い、天井から入口に目を向ける。
リュエルは――『メイド服』を着ていた。
ナーシャの表情が変わる。
面白い事が起きていると、天性の嗅覚が反応していた。
というかもう無表情ジト目系メイド少女が部屋に来るという状況の時点で拍手をしたくなる位に面白い状況だった。
「良く似合ってるわね。それで、何があったのか詳しく教えて欲しいんだけど」
「ごめん。私にも良くわからない。点数が付かない競技の時にクリス君に呼ばれて、それで着替える事になって……」
「そう。競技ならしょうがないわね。それで、貴方の愛しのもふもふちゃんは? ついでにユーリィも」
「次の競技に参加するって息巻いて、ユーリを連れていった。その事を一言伝える為私は来た」
「ふーん。貴女は出なかったの?」
「男性コンビ限定だって」
「男限定ねぇ。それで、これから行う競技ってのは何? 面白そう?」
「『TS爆乳ブラックジャックロワイアル』」
ナーシャの目が、くわっと見開いた。
「何それ死んでも見ないといけないじゃない。すぐに行くわよ」
「そういうと思って観戦席を二つ、既に取ってある。当然最前席を」
その為に、前競技のコスプレを着替える時間さえもリュエルは省いていた。
「流石ね。すぐに行きましょう」
「立てるの?」
「立つわ。動くわ。例えこれで入院したとしても、私は彼らの勇姿を見届けるわ!」
目をキラッキラさせながら、ナーシャは叫んだ。
『TS爆乳ブラックジャックロワイアル』
その競技の歴史は長く、古い。
元々はそれ単体での企画であったが教師からの(正当な)弾圧によって潰され、その後に(面白半分で)一競技として蘇った。
一から十まで全て、端から端までたっぷり馬鹿しか詰まってない頭の悪い企画である。
中年オンリーの合コンで全員が悪酔いした様な、そんな空気で生み出されたに違いない。
競技内容だけは、比較的マトモなパーティーゲームである。
基本的なルールはブラックジャックと同じで合計『21』を目指すという物。
違うのは、自分のカードは見えないという点だけ。
コンビ一人ずつカードが渡され、それで見えるのは互いに相方のカードのみ。
互いに、自分のカードの数字は見る事が出来ない。
そして相方のカードと顔色で強さを判断しながら、一組対一組でブラックジャックを行い、合計五試合を行い最終的に賭けてきたコインを多く持っている方が勝つ。
当然だが、互いの数字をばらす事は禁止。
仕組み自体はそれだけのゲームである。
問題は、このゲームの参加者全員が強制的に性転換する魔術をかけられているという事にあるだろう。
当然の話だが、他人の性別を変更する魔法なんて物は存在しない。
その上で、他人の体を変化させる魔法なんてのは五文字どころか六文字でさえ難しい。
そんな事が出来るとするなら、もはやそれは神の領域である。
そして、そんな事知った事かと言わんばかりの大天才の大変態が、そんな神の領域に両足を突っ込んでこの競技は生み出された。
持ちうる全ての技術と叡智と予算とその他もろもろのドロドロした情熱とか理性とかほんのちょっと淡い恋心とかを費やして。
つまり……単なる馬鹿ではなくドの付く馬鹿のやらかし案件である。
クリスは頬を膨らませ、怒っていた。
ぷんぷんである。
クリスになってから人生最大のおこ状態である。
何故ならば――自分の身体に全くの変化がなかったからだ。
あいもかわらずもふもふで、小さくころころしてぬいぐるみ状態。
この時の為にラウッセルにわざわざ専用シャンプーを用意してもらい、丁寧にびしょびしょになって『TSの呪い』を受けたというのにまるで変化がなかったのだ。
「全く……良いなぁユーリはわかりやすい変化があって!」
ぷんぷんとした態度で、女体化ユーリに声をかける。
ユーリは顔を顰めながら、短いスカートの足やら胸元やらを隠す様なポーズを取っている。
恥ずかしいからその恰好なのだろうが、無理やり隠そうとしている為余計煽情的な恰好となっていた。
「ぶちのめすぞこの畜生が」
淡々とした口調で、ユーリは呟く。
そりゃユーリもこんな反応になる。
いきなり強制参加の末女体化されて、挙句に良いなぁとか言われたらユーリでなくったってキレる。
というかこのまま数発ぶん殴っても許されるんじゃないかと本気で思っている位だ。
「……まあ良い! あんたの戦術を学ぶ機会にもなるだろうし付き合ってやる。それでどうするんだ? 暗号でも作って数字を教えあうか?」
「いや、たぶんだけど止めた方が良いんよ」
「どうしてだ? 失格が怖いのか?」
「それもあるけど、これだけの儀式魔術が使える相手に横紙破りするとどんな眼に遭うのか想像も出来ないんよ」
ユーリはゾッとした表情を浮かべる。
そう、本当の意味で、罰ゲームが想像出来ない。
一生とまではいかずとも、一月位女のままで居ろとか言われかねないだろう。
「俺が、悪かった」
「うぃ。なのだ適当に顔色だけで数字は判断した方が良いと思うんよ」
「……そうか。了解した。基本的な事は任せる」
「うぃ」
そう言って、彼らは戦いに臨んだ。
心理戦において、クリスは無類の強さを発揮する。
クリスの欠点が身体能力であり、その身体能力を無視出来る状況となるからだ。
しかも、敵は『女体化し照れまくって平常心でない状態の野郎』である。
無駄に豪華な会場で、大勢の観客に見られているから羞恥は更に倍だ。
というか相手だけじゃなく横のユーリも真っ赤な顔で困りまくっている。
だから普通にやるよりも楽な状態で、クリスは難なく一回戦をクリアした。
『クリス・ユーリィちゃんペアの勝利』
中央に置かれた置物は、機械的な音声でそう宣言した。
この競技の為に用意されたハニワ型ジャッジディーラー『ハニー君』。
その能力は質問に答えると同時に時折セクハラをするという非常に優秀なプログラムを積んでいた。
というかぶっちゃけ機械でもゴーレムでも何でもなく、この競技の主催者の分霊である。
魔術を極め過ぎて己の魂を分割する事さえ出来る様になっていた。
その正体に気付けるのはクリス位だが。
「ところでハニー君?」
「何だいクリスちゃん」
「この女体化ってどういう意味があるの?」
ハニー君は少しだけ考え込む様に黙って、そして答える。
「それは……哲学的な意味かい? だったら語るよクリスちゃん。小六時間くらいは語るよ?」
「ううん。単純な疑問なんよ」
「んー。だったら……男らしい男が、急に女らしくなって戸惑う姿とか見たいから?」
「なるほど。もう一個質問して良いかな?」
「良いよ! 何だいクリスちゃん」
「いう程爆乳じゃないけどどういう事?」
自分は変化なしで、周りのユーリと敵二人も言う程大きい訳ではない。
爆どころか巨と呼ぶ事さえ抵抗がある、その程度の物であった。
具体的に言えばナーシャ以下位。
だが……。
「つまりね……こういう事だよ。ふふ……実はこのゲームは闇のゲーム! 敗者は全てを奪われるのだ! ふぅーははははは!」
ハニー君が叫んだ後、敗者二人はぼんっと煙に包まれ、そして元の男の姿に戻る。
ただし嫌がらせなのか単純な趣味か、服装は元のぴっちりして足やら背中やらを大きくだした女性ものの服のままだった。
それと連動し、ユーリの胸がどどんとグラマラスなもと変化を見せる。
当然、偽物ではなく、本物の乳である。
「な、なんだよこれ! おい! どうなってやがる!?」
周りの視線から胸元を隠し、真っ赤になり叫ぶユーリに、ハニー君は答える。
「その顔が見たかったから! 本当なら二人にだけど、クリスちゃんはそういうタイプじゃないというか上手くいかないからこれからユーリィちゃんが二人分変化受け続けてね!」
そう言うだけ言ってハニー君は姿を消した。
ハニワでありながら、その顔はもう言う程のない程納得の笑みであった。
「だ、大丈夫?」
リュエルは隣に座るナーシャを心配し尋ねる。
ナーシャはずっと、震え続けていた。
笑いを堪えて。
「無理……死ぬ……駄目。何も声、かけられない……」
最前列の応援席を確保していながら、何の声援も出来ない己にナーシャは恥じていた。
それでもやっぱり、『私のユーリちゃん』が面白可愛くてどうしようもなかった。
豊満になった胸に困惑する姿はコミカルかつ性的で、主催者の趣味が魂レベルでナーシャは理解出来ていた。
「失礼、隣、宜しいかな」
そう、リュエルに老紳士は声をかけてきた。
その奥で震えるナーシャを見ない様にする辺り気遣いレベルの高さがうかがえた。
「どうぞ」
ぶっきらぼうに、メイドリュエルはそれだけ答える。
老紳士は微笑みながら、リュエルの隣に座った。
――吸血鬼か。珍しいな。
リュエルはそんな感想を老紳士に抱く。
吸血鬼そのものがレアな上に、日中に現われたというのは相当に珍しい出来事だと言えるだろう。
「ところで、気になったから尋ねたいのだが、あの素敵なレディは君達の知り合いかな?」
老紳士はもじもじと羞恥に身を悶えされるユーリちゃんを見ながらリュエルに尋ねた。
「普段は常識人なの。あれでも」
リュエルにしては珍しく、本心からのフォローだった。
「だから良いんじゃないか」
老紳士の明快な答え。
それは、主催者の同類であると魂レベルで理解出来る物だった。
「それで、尋ねたいのだが、彼らはどうかね? 仲間目線で構わないが、どの位出来るか聞いても?」
「……どうして?」
老紳士は金貨を見せた。
「見世物に賭け事は定番であろう? 特に、この様に愉快な物はね」
「――ゲームは強いよ。クリス君は」
「ふむ。良い啖呵だ。素敵な関係だと思うよ。君達が好きになりそうだ。だけど、一つだけ訂正さえて貰おうか」
「……何?」
「クリス『ちゃん』だ。あそこに立てるのは誰よりも純粋な乙女だけだよ。蝶の如く美しき栄華の時の短い、可憐で儚い、素敵なね」
隣で聞いていたナーシャはとうとう我慢の限界が来て、ぶはっと噴き出した。
「見た目、変わってないけど?」
「では、君はどう思う?」
リュエルはじっと、クリスの方に目を向ける。
クリスもこちらに気付き、ひらひらとリュエルに手を振った。
つーと、何かが流れる。
それは、リュエルの鼻血だった。
外見上変化はない。
だが、クリスは確かに乙女となっていた。
乙女となっていると、リュエルは決めた。
「――あそこにいるのはクリスちゃん。私の可愛いクリスちゃんです」
「エクセレント! ようこそ、こちら側へ!」
老紳士は嬉しそうに、同類に拍手を贈った。
「さて、先人から君達に一つ、大切な言葉を贈ろうか」
「――何?」
「なぁに、大した事じゃあない。説教臭い老人にだけはなるつもりはないからね。ただ、経験者としてのちょっとした一言さ。今からが本番だ。――これからもっと面白くなるよ」
「……それは、何故?」
「――トランプに注目して欲しい。それでわかるさ。きっとね」
そう言って、老紳士は意味深な笑みを浮かべた。
二戦目――。
与えられたカード、正しく言えばユーリちゃんに与えられたカードを見て、クリスは少しだけ考え込む。
ユーリちゃんのカードの数字は『10』で、文句なしに強い状態だ。
だけど問題はその下の方。
数字の下に、文字が刻まれていた。
『金髪サラサラロングヘア―』
言葉の意味はわからない。
いやぶっちゃけ大体予想は出来るけど面白いからクリスはわからないって体を装う事にした。
自分のカードの方は見えない。
だけど、ユーリちゃんの表情から察する事は出来る。
そのジト目に近い呆れ顔と諦観に近いしょんぼり顔。
自分同様に何か文章が、そしてそれが相当に下らない物だったのだろう。
そんな事が表情からこれでもかとうかがえる。
まあその所為で数字の方を読み取る事は出来ないんだけど。
「……うーん。出来たら勝ちたいなぁ。面白い事になりそうだし」
ぽつりとクリスは呟く。
だから、ちょっとだけ本気を出す事にした。
相手二人組の顔色を伺う。
流石に一戦潜り抜けただけあって前よりも羞恥が少なく、平常心を取り戻している。
それ故に、二人の表情から数字の当たり位を付けるのは容易い事であった。
「あの様子だと『バースト』しそうだからこのままでいいかな。『スタンド』で」
そうクリスは宣言してコインを一枚投げ、相手の出方を待った。
ありがとうございました。