『シューティングハント』(後編)
開始の合図と共に、ナーシャを中心とした全方位に二十の的が出現する。
最も手前な的は五十メートル程の距離にあり、一番奥はおそらく二百か三百。
ナーシャは即座に術式を組みあげていく。
ナーシャの持つ杖はハイドランドで良く使われる指揮棒の様な片手杖とは異なり、大きく太い樫の木製の両手杖である。
威力も安定性もあるが重量があり、移動が多い冒険者とはあまり相性が良くない。
ただでさえ貧弱な魔法使いが大きな杖を持つというのは大層なリスクだと言えるだろう。
ついでに決闘の様な美しい所作も期待出来ない。
とは言えそんな欠点はナーシャにとってあって無き様な物だった。
所作ならば王族として育ったナーシャなら立ち振る舞いだけで十分。
またあの日からずっと肉体を鍛え続けた彼女の体力は並の冒険者よりも高い。
ナーシャは軽々と杖を操り、氷の魔法を放った。
数センチの小さな氷の結晶体はまっすぐ進み、的の一つを破壊する。
とは言え、こんなのは成果でも何でもない。
ナーシャが凄いのではなく、誰でも出来る。
止まっている的に当てる事など、『魔法』であるのなら当たり前でしかないのだから。
射撃武器と異なり魔法は術式を組み発動する。
そしてその術式が正しく発動する限り、失敗なんてものは起こりえない。
感情や環境、魔力量など不確定要素はあるものの射撃武器と比べその変数は数える程しかないからだ。
故に、この『シューティングハント』は魔法使い絶対有利な競技である。
そして更にもう一つ、魔法使い絶対有利となる理由が存在する。
それは後半に配置された術式内蔵の的にある。
特定の術式を内包し、その効果を持つ的。
それがどういう動きなのか、どういった特性を持つのか、どう対処すれば良いのか。
それは魔法を扱う知識がなければ判断出来ない。
魔法使いでなくともその知識があれば良い話だが、細かくわかり辛い術式を魔法使い以外が知っているという状況は少々特殊過ぎると言わざるを得ないだろう。
そう、この競技は平等を建前にした魔法使い以外に勝てない競技である。
偶に例外が出現する事はあるが、基本的に魔法使い接待競技であった。
ナーシャは二発目の魔法を準備しながら、他の的の解析を行っていく。
術式は、手前の動かぬ的と自分の杖の先を糸で繋げる様なイメージ。
動かぬ的であるなら位置情報を調整するよりそちらの方が早く、そして安全に魔法の導線を作れる。
糸のイメージが構築出来たら、イメージを消さない様にその的から目線を外し、術式内包する的を目視し術式を解析していく。
目視の情報だけでは色々と不安で、少しだけ焦りながら。
――もふもふちゃん位見えたら楽なんだけどなぁ。
属性だけでも感じられたら、術式を絞る事も出来るだろう。
とは言え、人には持って生まれた物とそうでない物がある。
人を羨む様な無駄な時間を使わず、自分の持っている物を最大限活用した方が断然建設的だ。
少なくとも、ユーリィ・クーラという男はそうやって生きて来たのをナーシャは知っている。
そうやって奇跡を成し遂げたという事を。
そんな彼より恵まれている自覚のあるナーシャは泣き言だけは死んでも言いたくなかった。
「――解析完了! 『耐久強化的』……たぶん! はい次!」
解析結果を覚える為敢えて口に出してから、次の的に目を向ける。
二つ目の解析に入る前に、既に的は四つ破壊に成功した。
クリスの訓練のおかげで並列思考が出来る様になったのと同時に術式から発動までのスパンが短くなっていた。
調子が良い。
そう思ってから――。
「――あ、やっば」
ナーシャは顔を顰めた。
このタイミングで、もう四つも破壊してしまった後で、ナーシャは重大過ぎる事実に気が付いた。
さっきまでナーシャは『出来る限り外さないようにしないと駄目』という風に考えていた。
だが、よくよく考えたら誰も『命中精度は100%が上限』とは言っていない。
つまり……。
「――術式変更!」
的の術式を解析しながら、氷の魔法にアレンジをかける。
アレンジ内容は、方向転換。
そうやってナーシャは氷魔法一撃で三つの的を立て続けに破壊した。
広範囲魔法での一掃はルール違反。
分裂弾や数発同時発射もルール違反。
だが、一度の魔法で複数の的を破壊するのはルール違反でなく、そして命中精度の上限青天井だったら……。
――もっと早く気づいていれば……だけど良い。切り替えて行こう!
ナーシャは自分を鼓舞する様に頬をぴしゃりと叩き、意識を術式の製作と解体にだけ向ける。
内容は的当てだが、やっている事はほとんど数学のテストのそれだった。
「えと、たぶん『当たる直前に分裂する的』だから分裂前に叩けば良いわねあれは。次は……」
いまいちそれが正しいかわからないまま、ナーシャは解析を進めていく。
的当て競技だというのに、必要な労力は解析の方が断然多く、むしろ解析の方がメインという位まであった。
十個の的を壊してから、残り十個の的の解析を終え、ナーシャは一つずつ確実に、術式内蔵の的に適切な魔法を当てていく。
解析正解率八割であったけれど、持ち前の才能と体力、ついでに土壇場の起点によって命中精度十割以上を維持したまま、終える事に成功した。
終了し、ナーシャはゆっくりと溜息を吐く。
正直言えば、死ぬ程疲れた。
頭脳労働のし過ぎてで心の底から甘い物が欲しくなっていた。
「ただ甘いココア……しゅわしゅわ炭酸フルーツポンチ……もういっそ生クリームそのままでも……」
姫要素ゼロのまま、自分の得点が出るのを待つナーシャ。
的を全て壊すのは当たり前。
その上で、どの程度点数を残すか、それが答えなのだが……。
そうして、ランキングを乗せる掲示板の中身が差し代わる。
乗っている人数は十八名。
勇者やその仲間などはカウントから除外される為上位十名なのにこの様な形となっていた。
そうして、第七位にアナスタシアという自分の名前を確認する。
青ばかりのランキングの中に目立つ赤寮の証のレッドサイン。
これは相当に気分が良かった。
ただ……。
「一位と二位緑寮じゃん……」
グリーンサインを見ながら、ナーシャは小さく拍手をしてみせる。
ここまで差があったらもう悔しがる気持ちさえ湧いてこなかった。
早く戻ってユーリに甘い物を用意させよう。
その気持ちで会場から控室に戻る途中、ナーシャは遠目にある人物を見かける。
そして迷わず声をかけた。
「失礼します。オルフェウス寮長。今よろしいでしょうか?」
ナーシャが声をかけたのはびくびくとして背を丸くする小さな少年……の様な外見をしている男性。
シルフィードグリーン、つまり緑寮の寮長であるオルフェウス・ヴェインハートだった。
「え、えと……ごめんなさい。邪魔でしたか?」
おどおどとした口調でオルフェウスは俯きながら尋ねて返して来た。
「いえ、そんな事はありません。少し質問があるのですが宜しいでしょうか?」
「う、うん……でも、僕はあまり……」
呆れる程わかりやすい早く帰りたいオーラを放っていた。
でも同時に断れないといういじめられっ子オーラも彼からは感じられた。
「とりあえずですが、一位おめでとうございますオルフェウス寮長」
「あ、ありがとう……でも、暫定だから……」
「ですが、もう後半ですし点数ぶっちぎりだったから大丈夫じゃないですか?」
「そ、そんな事ないよ。去年は……今の僕の点数の人が、三位だったから……」
「去年、レベル高かったんですね」
「う、うん……」
「それで質問なのですが、どうやってあんな高い点数出したんですか? ちょっと点数倍以上差がついてて理解出来なかったんですが……」
「え、えと……それは……他寮だから駄目って言ったら……えと……」
「懇切丁寧に教えを乞います。教えて貰うまでついて行きます。ちなみに、私は姫です」
「う、うん。知ってる……よ?」
「だから私、とても目立ちますよ。つまり目立ちたくない人にとってとても迷惑な事になりますね」
最悪な脅迫を受け、オルフェウスはおどおどしながらもどこか責める様な目を、ほんの一瞬だけナーシャに向けた。
「――君、外見の割に性格悪いんだね」
「ええ、その通りですわ。先輩」
そう言って、ナーシャはにっこりと微笑んだ。
「――じゃ、じゃあ。少しだけね。まず、君がどうやったか教えてくれる?」
ナーシャは頷き、自分の行動を覚えている限り口頭で説明した。
「う、うん……えと……失礼な事言うけど」
「どうぞ」
「ふ……普通だね?」
その言葉は、悪ふざけが大好きで悪戯っ子であるナーシャにとって罵倒よりも辛い言葉であった。
「……甘んじて受けましょう。今だけは……」
「あ、ば、馬鹿にした訳じゃないよ? 優秀なのは確かだし。ただ……もっと破天荒な事したかと思って……」
二度目のクリティカルヒットがナーシャの胸に突き刺さった。
「……く、悔しい……。つまり次は自動歩行型雪だるマシーン君を生み出す魔法を作って……」
「自立系は、禁止だよ?」
「わかってますよ。でも」
「でも?」
「普通って言われる位なら、失格になった方がましです」
「……君、変わってるね」
「ええ、そうあろうとしてますから。それで、オルフェウス寮長はどうしたんですか?」
「う、うん。えっとね……魔法でも矢でも何でも良いけど、使うのを一度だけにするの」
「……はい?」
オルフェウスは指を一本だけ立ててみせた。
「一発で、二十の的を壊す。それで、点数は伸びるよ」
「い、いやちょっと待って下さい。それってどうやって……。ホーミングは出来ないし誘導も無効化されるし……」
「それを教えたら駄目だし……教えて出来るかという物でもないと思うから……」
そう言ってからすすすと音もなくオルフェウスはナーシャの傍を離れ、そして脱兎の如く逃げ出した。
自然を愛するシルフィードグリーンらしく、恐ろしく上手く隠れ一瞬でナーシャは彼を見失った。
「――ふむ。思ったよりも話せる人だったわね。それに……」
ナーシャの面白センサーに若干だが反応していた。
びくびくして内向的で、誰にもいじめられそうな空気を出す小柄な男性。
いつも俯いて誰とも目線を合わせられず、お友達なんていそうにない雰囲気。
何時ものナーシャなら、相手の迷惑の為絶対に関わろうとしないタイプの人種である。
だけど妙に気になる。
内向的という彼の属性全てが、どこか出来過ぎている様にナーシャは感じていた。
とは言え演技とは思えない。
もしこれが演技だったが、相当の曲者だろう。
「でも、その方が面白いわね」
楽しそうにくすくすと微笑みながら歩いて――くらっと、倒れそうになる。
どうやら、思った以上に自分は疲弊していたらしい。
酩酊する意識と気持ち悪さを覚え、立っている事も出来なくなりその場に倒れそうになって――力強い誰かに体を支えられるのを感じる。
誰かは、考える必要もない。
ふわりと香るそれは、あまりにも嗅ぎ慣れた香りだった。
どこか抜けた性格の気弱な彼は、不思議な事にいつも新芽の様な草木の香りがする。
「大丈夫ですか。アナスタシア様」
そう、心配そうな表情でユーリは尋ねた。
「――我が下僕よ。私は今猛烈に、冷たくて、あまい飲み物が欲しいわ」
「それは構いませんが、医療室とか行かなくても……」
「疲れただけよ。この程度問題ないわ。心配なら、お姫様抱っこして貰おうかしら?」
「それは別に構いませんが……」
「良いの? 死ぬ程目立つわよ? 恥ずかしいわよ?」
「いえ、たぶん……目立つのも恥ずかしいのもアナスタシア様ですよ? 僕の顔なんて誰も見やしませんし」
「……この美貌が恨めしいわ」
ナーシャはちょっと照れながら頬を膨らませる。
そして照れさせられた事が悔しかったから、おかえしに照れ返させてやろうなんてあまりにも幼稚な八つ当たりを決行しようと心に決めた。
「ところでユーリィーちゃーん」
「はいはい、何ですかアナスタシア様」
「ベストタイミングの救出という事は、結構前から見てたよね」
「そうですね。邪魔しない様にしてました」
「だよねー。それで、何も思わなかった?」
「何がですか?」
「私が、知らない男の人と話してるのをよ」
「……何も思いませんよ」
「あら? どうして? 二人っきりで話してたのに?」
「その程度で一々嫉妬してたら……迷惑かけてしまうじゃないですか」
ちょっと困った顔で、ユーリはそう呟く。
ナーシャはニコニコと満足そうな顔をした後、ユーリの頭をなでくり回してから、その肩を借り控室まで戻った。
ありがとうございました。