『シューティングハント』(前編)
治療の為、クリスとラウッセルは試合終了後すぐ治療病棟行きとなった。
それだけの重症だったというのもあるが、単純に検査が必須となる程戦いの規模が激しかったというのもある。
フィールドの修復に最も時間のかかったのもこの場所だった。
だから彼らは、幸運だった。
その、最悪な空気を味わわずに済んだのだから。
別に大した事ではない。
ただ、戦闘が塩過ぎて空気が死んでいただけである。
その凍える空気は、葬式よりも冷たかった。
滑った道化の方がまだ笑えたはずだ。
一番の要因はきっと、クリスとラウッセルの所為で観客の目が肥えてしまった事だろう。
元々一、二年生主体のフィールドである為レベルは低く、観客は少なかった。
その上でクリスは絶賛舐められ中で、未だその実力を過小評価する者も多い。
そしてその結果……想定的に見比べ塩としか言えない試合が続いた。
とは言えしょうがないだろう。
このフィールドは基本一、二年の下級生なのだから見場えを意識しろという方が酷である。
魔法使いは遠くでちまちま炎球とか地味に打ち続け、剣士は耐えたり避けたりしながら近づいてぶんぶん。
本当にそれだけの戦いばかりが続いた。
魔法使いが近づかれたら負けという状況ばかりだから、その決闘はもうほとんど『だるまさんがころんだ』であった。
そんな試合ばかりなのだから目の肥えた観客による冷たい目と苛立ち、時にはブーイングに晒され、生徒達は委縮していく。
最終的には一年生メインのフィールドだというのに急遽予定変更され、『勇者候補クラインvsアーティス寮長アズール』の戦いがそこで行われる事になった。
とは言え、その試合はクリス達の目に入る事はなかった。
クリスはその時見舞いに忙しく、リュエルは興味なし。
そしてユーリとナーシャは自分達の出番の為の準備を行っていた。
特に、ナーシャの出番は近く、クリスとの戦闘後見舞いにも行けず、そのまま慌てて会場入りしなければならない程だった。
想像よりも決闘の時間が長引いた事により、幾つかの予定を省略され、慌てて次のメイン競技『シューティングハント』の準備が行われた弊害であった。
『シューティングハント』
それは、シンプルに言えば的当てゲームである。
的の数は合計二十。
そのうち半数は空中に静止し、もう半数は特定の術式に従って動作する。
参加者はその動きを正確に読み取り、魔法や弓、銃を駆使して制限時間内にどれだけ的を破壊できるかを競う。
さらに、すべての的を破壊した場合は『命中率』と『所要時間』が加味され、最終的なスコアに反映される。
そしてランキング上位入賞者は、順位ごとのポイントが寮に加算される。
露骨なまでに魔法使いに有利な競技――二つ目。
笑えるほど青寮の策略が透けて見え、ナーシャはもはや苦笑いすら浮かべられなかった。
だからこそ、楽しみだった。
ここで、赤寮に移籍した自分が高得点を叩き出せば、そこそこでも順位を叩きだせば、間接的に青寮を嘲笑える。
それが、たまらなく痛快だった。
控室で、ナーシャはワクワクしながらその時を待つ。
出来るなら絡んで来て欲しい。
どうして赤なんかにとか、何故非魔法使いと一緒にとか、そういう風に絡んで来てくれたら、徹底的におちょくり回しそのプライドをぐっちゃぐちゃに出来るから。
そうしてその時を待って、待って……待って…………待ちくたびれた。
どうやらクジ運が悪かったらしく、自分の出番はかなり後の方らしい。
控室に長いこといるが、呼ばれる気配はまったくなかった。
的は毎回設定し直されるものの、傾向はどうしても似通ってしまう。
だからカンニング対策の為参加者は控室で待機するルールになっていた。
おかげでナーシャは、完全なる暇を持て余していた。
ユーリと一緒に。
ユーリがここにいる理由は、ひとえにナーシャのワガママのせいである。
無理を押し通して「付き人」として控室に同行させた結果、カンニング防止のために外に出られなくなっていた。
完全なる巻き込まれ。
それでも、ユーリの心は晴れやかだった。
ユーリは今日まで、ナーシャとクリス、ついでにリュエルにここまで散々振り回されてきた。
そんなユーリにとって閉じ込められる程度の事は被害でさえない。
単なる日常の一部であり、迷惑だとすら思わない。
すっかりユーリは彼らのツッコミ役兼被害者役が板についていた。
「ユーリ、お腹空いた」
「保存食で我慢してください」
「ユーリ、喉渇いた」
「水で我慢してください」
「ユーリ、退屈」
「精神統一して準備していてください」
「ユーリ、暇」
「何も準備してません」
「――キスでもする?」
「冗談は止めて下さい」
照れると信じていたナーシャはぷくーと頬を膨らませた。
むしろ口に出した自分の方が照れちゃって色々悔しかった。
反応はするしこちらを気にはしているが、それはそれとしてユーリはどこか心ここにあらずの様な状態だった。
「……考え事?」
「はい。あの時、叫んでいた教師の事を僕は知っています。ラーファ教諭。裏側の授業を多く担当する、怖い人です」
「裏側って中二的な感じ? あらやらユーリィ目覚めちゃった? 炎魔法の使い手になって私と一緒に合体技作る? 氷と炎が合わさって最強に見えちゃう?」
「いえ、拷問とかハニトラの傾向や対策等、大手冒険者となった人用の裏授業って奴です」
「うえっ」
拷問の言葉に嫌な想像をして、ナーシャは顔を顰める。
それに顔を顰める程度には、ナーシャも王族としてそちら側の知識や経験を持たされていた。
「ですので、あの時教諭が無駄な嘘をつく事はなかったと思います。その彼が言っていた……強くなる三つの手段。それが気になってまして……」
「もふもふちゃんに聞けば良いんじゃない?」
「そう思って治療中に入って尋ねましたが……」
「駄目だったの?」
「……はい。『私から教える事は出来ないんよ』と。理由もわかりませんでした」
ちょっと声真似が見ててナーシャは噴き出しそうになった。
「み、見て覚えろって事なのかしら?」
「わかりません。ただ、クリスは何時も『答え』を伝える事に怯えているのでそれの関係だと思います」
そう、クリスは答えに怯えていた。
その答えを知っていて、それを仲間に教える事を酷く怯えている。
特に、リュエルに対してはその傾向が強いらしくヒントさえも出していない。
トレーニングの方針さえ出来る限りリュエルには自分で考えさせる様にしていた。
「……うーん。そうねぇ。……だったら、もふもふちゃんが決闘中何をしたのかを考えましょうか」
「とは言え――正拳突き? いや、正拳突きで正しいのだろうか。骨格的に色々頑張っていたが……」
「良いんじゃない? もしくはもふもふパンチ? 名前つけるなら私頑張るわよ?」
「正拳突きにしましょう」
「つまらないわね」
「無視しますよ?」
「ごめんなさい」
「はい。それで、何か変わった部分はありましたか?」
「いいえ。私にはそういうのは見えなかったわね。普通のパンチだった。ユーリィは?」
「僕も同じ意見です。だからこそ――」
「そう、だからこそおかしいのよね?」
ユーリはこくりと頷いた。
そう、だからこそあり得ない。
彼らは正しく、そう共通見解を持っていた。
おかしい。
何がおかしいのかと言えば、何もおかしい事や特殊な事をしていないのがおかしい。
魔法は当然、特殊な技術や技法も、何等かのスキルも発動してなければオリジンが影響した訳でもない。
あれは普通の正拳突きだった。
そんな普通の攻撃が、あんな威力になった。
その事実があり得なかった。
クリスの身体能力はお世辞にも恵まれているとは言えない。
特殊能力自体は凄まじく、戦術やそれに伴う行動は非常に大きな優位が働く。
軍に行けば参謀長官程度には成れるだろう。
その反面、肉体は虚弱で貧弱。
成長係数も低く、長所も素早い事位。
と言っても努力は無駄にならずスタミナは最近非常に付いている。
とうに下手な冒険者の倍位は走り続けられるだろう。
逆に言えば、大きく伸びたのはスタミナ位で残った長所はすばしっこさ程度。
それ以外は、普通の冒険者にさえ届かない程度の能力しかクリスは持っていない。
そのクリスが、あんな馬鹿げた威力の格闘技を放った。
そのあり得ない理屈をずっとユーリは考えていた。
「……そんな訳がない。クリスが凄いのはわかっているが、別に身体能力が伸びた訳じゃあない。肉体オリジンを封じられただけでそこまで劇的に変わるか? いや、そうじゃなくおそらくだが、オリジンが封じられたら元から出来た。卑怯な手段。未来の知識や技術……くそっ。情報が足りない!」
ユーリは後頭部を掻きながら叫ぶ。
強さの頭打ちが見えているユーリにとってそれは希望に絶望にもなる知識であった。
「ねぇねぇユーリィ。あれさ、もしかしてアレじゃないの?」
「アレ? アレって何ですか?」
「えと……必殺技?」
「必殺技?」
「ああ違った。『奥義』って奴。それなら……」
「奥義というのは『その道の達人が極め行きついた証』です。指揮の奥義とかなら理解出来ますが、クリスに格闘の奥義が使えるとは……。それに、奥義を簡単な手段と呼ぶのは流石に違うかと……」
「だから、その奥義を、簡単に習得できる手段があるんじゃない?」
「まさか。そんな訳ないでしょう」
「はは。そうよね。そんな訳ないわよね」
そう言って、彼らは笑い合う。
そう、そんな事はあり得ない。
そんな簡単な技ならば『奥義』なんて名前で呼ばれない。
これは剣術家か格闘家といった魔法使い以外の戦闘を生業とする職が、己の全てを費やしその道の頂点に達した時に身に付く深淵の技術。
そんな訳が――。
ユーリは黙り込み、もう少し考える。
あり得ないと、答えは出ている。
そんな訳がないと常識は言っている。
だけど、明確に否定する材料はどこにもなかった。
簡単に奥義が使える様になるメソッド。
それがあるなら、確かにそれは『答え』だ。
教師の言っていた『簡単』に当てはまるし、クリスの言っていた『卑怯』にも合致する。
だが、そんな事とてもではないが出来るとは……。
そうユーリが無駄に深読みし考え過ぎているタイミングで、ナーシャに対しての競技参加の呼び出しがあり、考察は中断された。
フィールドの前に立ち、ナーシャはその時を待つ。
時計の時間は午前十一時五十五分。
後五分後に競技は開始され、ターゲットが姿を現す。
小さく、ナーシャは息を吐き、呼吸を整える。
王として育てられたナーシャは普通の人がしない様な事を多く経験している。
社交界に出て大勢の前に出て挨拶をする事。
失敗出来ない場でダンスを披露する事。
挨拶一つ失敗出来ない場で礼節のみを武器に戦うという事は彼女にとって日常でさえあった。
だが、そういった経験があるからといって緊張しない訳では決してない。
ただ、緊張を隠せる様になったというだけである。
本番前というこの時間。
ナーシャの姿を皆気高いと感じるだろう。
優雅に微笑を浮かべ、平然とした態度で立ち、待つその姿。
その威風堂々とした姿を見れば、手の平に汗を掻いている事なんて想像する訳がない。
額に汗を掻かない訓練をして、表情を隠しているなんてわかる訳がない。
誰にも真意を気づかれないからこそ、彼女は正しく『王族』であった。
――さて、どの位出来るかしらね。
ちらっと、隣に見えるランキング結果が乗る掲示板を確認する。
自由参加の為参加者h多く、競技を行っている場所はここ以外に五十近くある。
だから随時更新中でありあくまで目安に過ぎないのだが、それでもまあ傾向は掴める。
ボードに書かれた名前はナーシャの知らない人ばかり。
だけど、その隣に書かれた色でどの寮かは理解出来る。
得点圏内にいる大半は、名前の横に青のペイントがされていた。
青寮に居た時、ナーシャは彼ら青寮の人達には、良く指導をしてもらっていた。
嫌味や性的な事ではなく、真っ当にだ。
彼らはナーシャに対しては紳士的であった。
仲間に対して親切でおおらかであった。
それを非魔法使いに出来ていれば、ナーシャは今も青寮の中に居て、むしろクリス達を無理やり青寮に編入させていただろう。
だけど、現実は違う。
彼らに悪意がある訳ではなく、彼らの常識が世間と少々違うだけ。
青寮は他者を見下すのが当たり前で、魔法使いを特権階級だと勘違いしている。
非魔法使いへの暴力は指導で、非魔法使いからの暴力は犯罪だと本気で信じている人も少なくなかった。
暴力事件を起こし学校側から注意や指導が入っても不当な判断だと従わない者も多かった。
全員が全員そうとは言わないが、そういう風潮が強い事に間違いはなかった。
だけど、それでも……。
「認めたくないけど、凄腕が多いのよねぇ……」
そう、不満なのはその性格や主義主張であって、実力の方に不満はなかった。
むしろ赤寮に来てから、尚彼らの実力の高さを理解出来た位だ。
だからこそ、ナーシャは緊張を消す事が出来ない。
彼らの中に割って入る事がどれ程難しいかわかっているからだ。
心臓が強く鼓動し、頭が真っ白になりそうになる。
同時に特に意味もなくイライラするような気持ちにもなりかける。
緊張がどんどん高まって来る。
そして、それほどに緊張する様な状況だからこそ――それが為せた時、とても気持ち良いだろうと思っている。
あの真っ青な中に赤い点を付けた時、きっと晴れ晴れとした気持ちになれるだろう。
「……ふぅー」
小さく息を整え落ち着かせる。
緊張で委縮するのも駄目。
興奮で高揚するのも駄目。
あの美しいメイデンスノーの様に、凍える世界の様に冷たく――。
それが、ナーシャの魔法を使う心がけであった。
ありがとうございました。