強者と弱者
ラウッセルから微妙の魔力が放たれるのを感じる。
無音無動作による魔法行使であっても、魔力反応を完全に消す事は容易い事ではなかった。
直後に、ぴしっ、ぴしっと何か斬れる音がクリスの周りで響く。
その都度クリス周辺の地面には、まるで刃を通した様な傷が生まれていた。
剣にしては浅すぎる、かまいたちの様な小さな傷。
そんな無数の不可視の刃にクリスは襲われる。
とは言え、クリスの肉体には傷一つ付かない。
弱すぎる斬撃はただ撫でられている程度の感覚でしかなかった。
「ダブルはもう止めたの?」
じりじりと進みながら、挑発的にクリスは尋ねた。
「いいや、ただそれだけだと味気ないだろう?」
ニヤリと笑い、ラウッセルは吼える。
挑発に挑発を返す程度には彼は心に余裕を持てていた。
「なるほど。もっと面白い物を見せてくれるんだね」
「そうだな。色々と教えられた。その礼だ。今度は私が教えてやろう。この世に絶対などという物はないという事を!」
それは単なる強がりでしかない。
だけど、今はそれで十分だった。
あとは、その強がりを本物とすれば良いだけなのだから。
風が嵐となってクリスを飛ばし、熱風が巻き起こりクリスを焼き、吹雪がフィールドを支配しクリスを凍えさせる。
まるで天変地異の様な変化がクリスを襲い続けた。
何が面白いのかと言えば、これら全てが魔術というオリジナルではなく魔法の範疇である事。
しかも三文字クラス程度の技術しか使っていない。
要するに、創意工夫のみで天候変化という影響力の高い魔法をくみ上げたという事である。
エリートらしからぬ発想をエリート教育を受けたラウッセルが行う。
それ故の力であった。
全くもって面白いとクリスは感心する。
とは言え……残念ながらこれらの天候変化は実戦向きとは言えない。
正直宴会芸の方が適正が高いだろう。
創意工夫と発想力は確かに素晴らしい。
天才と言っても良い。
だが、あまりにも威力が弱すぎる。
熱風だってドライヤー程度で、吹雪だって雹や霰ではなく解けかけた雪程度。
クリスの肉体とか関係なく、おおよその一般人にさえ使えない。
だから、実戦的な能力とは言えなかった。
だったら何故、ラウッセルはそんな魔法を使って来たのか。
破れかぶれ?
手段がないから手札未満の物をとにかく引っ張り出した?
考えて見ても、答えはわからない。
無駄な事をラウッセルがするとも思えないけれど、真っ当な意味がある様には見えない。
無策であるからか、もしくは……。
「ラウッセル。期待して良いの?」
「――何を期待するのか知らんが、このまま勝てると思うのなら期待外れとだけ言っておこう」
呟き、天変地異を解除する。
風も嵐も雪も全て消え、まるで最初からなかった様に。
そしてラウッセルは、クリスの方をまっすぐ見つめていた。
わからないという事は、もしかして……。
クリスは一瞬ぶるっと震えた後、すぐさま歓喜に包まれた。
これまでは、つまらないプライドが認めなかった。
クリスなどという非魔法使いはそう大した存在ではない。
次に戦ったら圧勝出来る。
そう思い込んでいた。
思い込もうとしていた。
だが、全てのプライドを粉砕され、そしてそのクリスによって再び誇りを取り戻したラウッセルには、もうそんな思い上がりはない。
正しく挑戦者とし、その目は事実を認識する。
『ジーク・クリスは化物だ』
この世界には理不尽が存在している。
努力などせずとも無限に強くなる存在を、自分の限界を笑いながら越える存在を、ラウッセルは痛い程に理解している。
確かにこいつは欠点も隙も多く見える為見下されがちだ。
だが、こいつの実態は『英雄の卵』に近い。
つまり、未来の勇者候補クレインである。
そして同時に、こいつは『戦いの天才』でもある。
相手の能力を読み取る観察眼、未来が見えていると錯覚する程の読心と圧倒的過ぎる戦術。
そしてそこからくみ上げられる勝利への駆け引き。
それは弱者の工夫ではなく、強者の定理。
クリスは勝つべくして勝つ事を行なえる正しい意味での強者である。
故に、油断しない。
どんな外見でも、どんな弱点があろうと、そんな事はこいつの強さを一ミリも動かさない。
己の知る知識を全て総動員する。
これまでずっと見て来たクリスを、知って来たクリスを全て思いかえす。
あの時の、最初の決闘の時の全てを、あの場の空気さえも全て――。
あの負けを、無意味としない為に。
勝つ為に――否。
己の全てを出し切る為に、クリスの全てをラウッセルは知ろうとした。
「待たせたな。では――勝利を始めよう」
ラウッセルは、堂々と言い切った。
今度ははったりでも強がりでもない。
その為の道筋は、既に見えていた。
ゆらり――と、体を揺らし、横に移動する。
距離を取るというよりも、軸をずらす様な、そんな動き。
小さな動作なのに想像よりも移動幅が大きかった。
ボクシングのサイドステップや格闘技でのすり足の様な動き。
魔法使いの体術とでも言うべきだろうか。
クリスはラウッセルに回り込む様移動し側面を捉える。
そのラウッセルの後ろに、不思議な物が見えた。
例えるなら、シャボン玉だろうか。
膜を張りキラキラと輝く水の玉。
ただし、そのサイズは五十センチを超えている。
相当でかく、そして重たそう。
感じる魔力属性が水である事から『水球』の類である事が想像出来た。
水属性というのは、戦闘力という意味では他の魔法よりも大分劣る。
便利な魔法が多い為使えないという訳ではないが、破壊力だけに限定すれば意味他属性の半分にも満たない。
わかりやすく言えば、この水球が良い例になる。
これだけの水球が勢いよく直撃すれば相当なダメージになるだろう。
だが、もしこれが炎だったら、もし雷だったら。
そうでなくとも大岩の様な硬い物質だったらダメージはどうなるか。
当然、どの場合でもダメージは上がる。
良くも悪くも所詮は水の球であるからだ。
つまるところ、水属性はダメージ効率が悪い。
例え三文字クラスの魔法を使っても、他属性の二文字程度の火力しか出ないだろう。
クリスが見ている前で、水球はものすごく緩やかな速度で移動しだした。
人の徒歩と同じ位の速度。
当たるかどうか以前に当てる気さえない様だった。
威力は低く、速度も遅い。
正直何のつもりなのかさっぱりわからない。
それなのに、背中がゾワゾワと来ている。
戦場特有の緊張感が、怒涛の勢いで襲い掛かって来る。
何が起きているのかわからない。
だけど、自分の想定を超えた何かが起きているのは間違いない。
それを感じるクリスは、まるで旧友と出会ったかの様な柔らかい笑みを浮かべていた。
「……この状況で笑える貴様が本当に恐ろしいよ」
ラウッセルは吐き捨てる様に言った。
不安の所為で重力が倍増した様に感じる。
手足が震えるのを必死に堪えている。
今にも頭がパニックになりそうなのを、理性で必死に抑え込んでいる。
魔法使いは魔法の性質上精神的なショックや緊張に非常に弱い。
だからこそ、常日頃から精神統一を行いリラックス状態を維持しなければならない。
それが出来ない魔法使いは魔法という最大の武器を失う事となる。
それを知っているから、ラウッセルは必死に精神を日常に近い状態に維持していた。
水球をもう一つ増やす。
ゆっくり、時間をかけて……バレない様に……。
これが通用すると、まだ確信がある訳ではない。
ただ、これまでの傾向と実験の結果可能性は低くないと感じていた。
水球を更に一つ……。
緩やかに、そして無作為に移動する水球達。
フィールドの外に出る事はなくフィールド内を跳ね返りながら、水球同士ぶつかり反射しながら、それらはゆっくりと数を増やし、フィールドを埋めていった。
水球に対しての嫌な予感は収まる事がなかった。
いや、収まるどころか数が増える事に加速度的に上昇している。
未だに何かわからない。
だがこの水球にはラウッセルの執念の様な、そんな物が詰まっている。
好奇心という意味だけなら、当たってみたいとさえ思える位だ。
だが、それは許されない。
わざと負ける程相手の誇りを傷つける行為はない。
それはあまりにも、無礼が過ぎる。
例えどんな結果であっても全力を出す事。
でないと、何も価値がなくなってしまう。
自分だけでなく、相手にも。
だからクリスは勝つ為に、ラウッセルに近づいて――。
ぱしゃっ。
何か、とても嫌な音と共にクリスは側面から叩かれた様な衝撃を覚えた。
それが水球に当たったと気付いたのは、右腕がびっしょりと濡れていると感じてから。
どこか甘い様な、香水の様な香りが広がる。
似た様な嗅いだ事がある様な気がするが、それがどこなのかはわからなかった。
わかる事は、これが毒でも薬でもないという事。
本来ならば戦況に全く影響を与えない、そんなどうでも良い液体であるのは間違いなかった。
それでも……クリスの歴戦の感覚が、黄金の魔王でった時の記憶が頭の中にアラートを流し続けていた。
このままだと死ぬぞ、とまで感じる程強くアラートを。
「目に頼りすぎだ」
そう、ラウッセルは笑いながら言った。
こわばって、汗に塗れ笑う姿は酷く無様だったが、それでも男らしかった。
「本当に、何も見えなかったんよ」
「貴様は油断が過ぎる。落ち着いて、良く見てみれば良い。答えは最初から出ている」
言われ、クリスは周囲を見る。
無数の水球は、フィールド端でもない全然関係ない場所でもバウンドを繰り返している。
まるで空中で突然方向転換している様に。
いや、そうじゃない。
良く見ると、何か別の物と水球はぶつかり合っていた。
最初から『見える水球』と『見えない水球』の二種類があった。
良く見ればというのは、魔力を見るという事じゃない。
本当に淡くだが、その姿は薄っすらと目視できている。
今まで見えなかったのは見ようとしなかったから。
魔力的な視点で言えば完全隠蔽が成立している。
その事実が魔力的に感知する事を優先していたクリスの目を曇らせていた。
「不思議な魔法なんよ」
「いいや。これはただの『水球』。単なる水属性の基礎魔法だ。だが……私の予想が正しければ――ああ、時間稼ぎに付き合わせて済まないな。チェックだ」
ラウッセルの言葉の直後、再びクリスの側面に水球が直撃した。
緩やかに、だけど反射を繰り返し、クリスの逃げ場を塞いだ水球の一撃。
ただし先程と違うのは――その衝撃はハンターを叩きつけられたかの様に強烈で、そして明確に痛みを伴うものであった。
それは、乾いた枝を踏み抜いた様な音だった。
音はクリスだけに聞こえた物ではなく、周囲の人全員に聞こえた。
そして、それが理解出来たからだろう。
見学していたリュエルは、短い悲鳴を上げた。
ぷらんと、クリスの右手が下に下がる。
持ち上げる事は出来るが、明らかに間接じゃない部分がプラプラとしていた。
誰が見ても、骨が折れていると理解出来た。
「け、決闘終了! 勝者――」
「止めるな!」
「止めないで欲しいんよ!」
審判の宣言を、二人の声が遮った。
ありがとうございました。