誇りの在処、誇りの在り方(後編)
激しい爆音と無数の衝撃。
五文字級広範囲殲滅呪文。
その威力はまさしく驚異的な物であった。
フィールド内の足場は四隅以外ボロボロとなり、オマケに小さな岩が砕いた地面に突き刺さったままとなっている。
その中でも、クリスは一切ダメージを受けず当たり前の様に無傷だった。
すん……と、落ち着いた表情をクリスは向ける。
悪くはない。
いや、むしろ戦術として見れば正しい、良い攻撃であるのは確かだ。
直接ダメージを狙いつつ場を整える。
整えられていた足場はぐちゃぐちゃになって、その上にあちこちにまきびしが撒かれた状態は確実に機動力を削ってきている。
接近までの時間を稼ぐ事を考えたら戦術的で正しいと言えるだろう。
だけど……彼から全く誇りを感じられなかった。
正しい行動であるのは間違いないが、それでもクリスは少しだけ、その事実が寂しかった。
やはりというか、当然というか。
クリスにダメージはなかった。
まあ、当然だろう。
だからラウッセルは次の手を考える。
クリスは冷静に、足場を確保しながら近づいて来ている。
まるでジャンプしている様に軽やかに。
そのステップを重ねる姿はどこか獣らしい動きであった。
ラウッセルは思考する。
決闘の誇りを汚す事は許されない。
だから、自分が得意な事を続けて行こう。
敗北するまで、ずっと、ずっと……。
「『裂斬――ダブル』!」
ラウッセルの呪文と共に、炎の刃がクリスに襲い掛かる。
その炎の刃を避けた瞬間、背面からの氷の刃にクリスは直撃した。
ばしんと、激しい音と共に地面に倒れるクリス。
氷の斬撃が直撃したにも関わらず、クリスはやはり無傷だった。
立ち上がりながら、クリスは困惑を見せていた。
当たったのは油断もあるだろうが、それでも不可解そうな表情が伺えた。
「……今の……偽装呪文? ううん。ちょっと違う。……どういう事? 確かに魔力に属性は乗ってなかったのに……」
クリスはそう呟く。
(やはり、魔力を感知していたか)
クリスは魔法を全く使えないと言っていたが潜在魔力自体は規格外。
その上自分を上回る戦術家でもある。
ならば、魔法が発動する前の魔力で威力や特性、属性位見えて当然だろう。
そう、ラウッセルは予測していた。
だから、それを逆手に罠を張った。
これは相手がある程度高度でないと使えないトリックであり、そして同時にラウッセルの日々の訓練の賜物。
未だ姉に追いつけない身だが、それでも少しばかりは『小技』が得意であった。
「『凶槍――ダブル』!」
再び呪文と共に一本の槍がクリスに襲い掛かる。
槍は光輝き、雷光を放つ。
そしてその槍をクリスが避けた瞬間、足元にばらまかれていた小岩が鋭く伸びクリスの足の裏に襲い掛かった。
本来ならば人間位軽く串刺しにするであろう威力があるのに足の裏さえ貫けず、ぴょいんとクリスは槍に押し上げられ空を舞う。
『礫――ダブル! ダブル! ダブル!』
二種属性弾の三連射撃。
アーティスブルーらしい蒼炎と蒼雷。
青い炎と雷の礫の雨はクリスにホーミングするが、クリスは空中でそれを杖で全部切り払ってみせた。
にぃっと、つい笑ってしまう。
それでこそ、ジーク・クリス。
それでこそ、我が宿敵。
そして――我を踏み越えていくべき男。
そうであるからこそ、我が終わりに意味があり――。
そうしてすたっと着地するクリスの表情はラウッセルと真逆で真剣そのもの。
だけどそれは……まるで、怒っているかの様だった。
二文字詠唱なのに、威力は三文字級。
発動している魔力は無色の物なのに、強い属性を帯びている。
その上同時に二つで、で毎回使われるダブルという構成改良。
そこまで来れば、クリスもそのギミックに気付きもする。
「相反する属性を使って発動魔力を中和してるんだね」
「ああ。――まあ、流石に気づくか」
否定せず、ラウッセルは微笑んだ。
例えば最初の『裂斬ダブル』。
これは氷裂斬と炎裂斬二つの三文字呪文が同時に発動する構成となっている。
二つの呪文構成を一度に発動させるそのギミックが、『ダブル』。
これはそう珍しい事でもないし特殊な技能でもない。
そもそもの話だがラウッセルなら三文字程度なら詠唱を省略する位出来る。
だというのに何故わざわざこんなギミックを使ったのか……もしもそれに意味があるとするならば、『発動する呪文の属性を隠したいから』と……ただ単に『魔力の属性を調整するのが得意』だからというだけの事である。
相反する属性魔法を発動させ魔力を完全なるフラットな状態にする訓練法。
通称『中和』と呼ばれる魔法基礎訓練の一つである。
その中和にラウッセルはあり得ない程の時間を費やしていた。
訓練法をアレンジし実戦でそのまま使える位に。
それ故に、クリスもしばらくはその種に気付けなかった。
「さあ、ジーク・クリス! どうする!?」
挑発的な言い方だが、前までと比べ言葉の切れ味がまるでない。
それはまるで、負けようとしているかの様でさえある位だった。
すんと、再びクリスの表情が曇っていく。
やっと、クリスは自分の感情に気が付いた。
あれだけ焦がれていたラウッセルとの再選なのに、まるで心が揺れ動かない。
端的に言えば、クリスは、渇いていた。
三文字クラスをダブルも交え繰り返しラウッセルは放つ。
だけど、クリスには傷一つついていなかった。
いや、たった一度……足の裏に土の槍が襲って来た時には、ほんの一ミリ位刺さった。
逆に言えばそれだけ。
後の攻撃は一切ダメージになっていない。
だというのに、ラウッセルは攻撃を繰り返す。
それは、あまりにもらしくない戦い方だった。
戦法としては決して間違っていない。
だけど、本来の彼はもっとロジカルであった。
そうして気づけば二人の距離は十メートルを切り、クリスの攻撃の間合い。
クリスは即座に行動を開始した。
強弱のかけたステップを繰り返しながら近づき――そして、肉食獣が獲物を狩る様に、一瞬でラウッセルの懐まで距離を詰める。
クリスに攻撃は出来ない。
正しく言えば、その無敵にも感じる強靭な防御力のデメリットで己の攻撃さえ無効化される。
それでも、ラウッセルに勝つ手段が一つ、存在していた。
戦闘ではなく、これは決闘。
誇りある者として、敗北を宣言しなければならないタイミングが存在する。
例えば……魔法使いが決闘で杖を手放してしまう様な事態。
それは、事実上の敗北と言っても良いだろう。
クリスはジャンプし、ラウッセルの杖めがけ、己の杖をアッパーの要領で叩きつけた。
完全に不意を突いた形で、それは決まる。
だが――ラウッセルの手から杖は離れなかった。
「ありゃ?」
クリスが首を傾げちょっとだけ距離を取って仕切り直す。
ラウッセルは答え合わせの様に、杖を持つ己の手を見せた。
その手は、杖から生えた蔦が包帯の様に巻きついていた。
「ギリギリだったが、間に合った様だ。さて……これでどうする?」
「壊れるまで打ち込むだけなんよ」
「ああ。そうすると良い。そう簡単に砕ける物ではないがな!」
そう口にしているラウッセルだが、完全に口先だけ。
クリスなら出来ると確信し、その敗北になると既に受け入れてしまっていた。
実際、幾ら攻撃力の低いクリスとは言え何度も杖をぶっ叩かれたら折れるに決まっている。
そう、それで良い。
その家宝を壊されるなんてみっともない終わりこそ、今の私に相応しい。
だから――。
「ラウッセル。誇りはどこに行ったの?」
クリスは、静かな声で尋ねた。
「――何?」
「私はさ、あまり人付き合いは得意じゃないの。だから本題だけ聞くね。どこに誇りがいっちゃったの?」
ラウッセルは手を抜いてなどいない。
確実に、本気を出している。
それに違いはない。
違うのは……この戦いに、誇りがないというだけ。
そしてその事実が、クリスには何よりも悲しかった。
「誇り? 誇りだって……は、はは……ははははははは! ああ、そうだな。大切だったな。大切にしてたな。だけど……だけど! そんな物はなかった! 私に誇りなんて物は、最初からなかったんだよ!」
「どうして?」
「どうして? どうしてだって!? リディア家の失敗作で、口先ばかりの魔界貴族で、その上己は魔法差別主義者! これのどこに誇りがある!? どこに誇りを持てば良い!? そんな物は最初から幻だった! ただ、ちょっと褒められて調子に乗っていた幼子でしかなかったんだよ! 私は!」
「私には、わからないよ」
「ああそうだろうとも! 優れた力を持ち、勇者候補に見初められ、多くの物を得て来た正しき強者にはわからないだろう!? 誇りを持つ事が当たり前の貴様には、私みたいな劣等生は、偽物の秀才の事は!?」
「……でもね、私は知ってるよ?」
「何をだ? 何を教えてくれるんだ?」
「ラウッセル・ド・リディアという男は、誰よりも誇り高い男だって事」
「だから、それは偽物で――」
「違うよ。他の誰が認めずとも、私は認める。私のライバルである男は、誰よりも誇りを重んじる気高い男だったんよ。家柄じゃない。魔界貴族だからでもない。ラウッセルだから、誇り高いんだ。パーティーメンバーになって欲しいって、私が最初に思ったのは君だった。そして、私がこの学園で一番面白いと思ったのも、一番好意を感じたのも君だったよ」
淡々とした口調で、澄んだ瞳で、だけどどこか寂しそうで……。
そんな、あまりにもらしくないクリスの姿にラウッセルは唖然としていた。
クリスがラウッセルを気に入っている。
それは今でも変わらない。
クリスは学園内で誰が一番好きかと聞かれたら、迷わずラウッセルと答える。
何故ならば――彼は、誰よりも努力してきたからだ。
死に物狂いで生き延びたユーリより、才能があり四天王補佐に上り詰めたリーガより、勇者候補クレインより、誰よりも。
そう……ラウッセルは誰よりも努力した。
誰よりも頑張った。
その誇りに見合う努力を、彼は重ねて来た。
実力が伴わないとか、才能が足りないとか、そんな事は誤差でしかない。
誰よりも努力した人間が、素晴らしくない訳がないのだから――。
「……そうか。……ジーク・クリス。貴様の目には、私はそう映っているのか。……まだ誇りがあると、言ってくれるのか」
「うぃ。誰よりも積み重ねて来た男。才能にあぐらをかかなかった男。だからこそ、ラウッセルという男は誇り高い男なんよ」
「なんだそれは。つまり、私は才能がない努力家という事ではないか」
「前者は否定、後者は肯定。ラウッセルはラウッセルだから素敵なんよ!」
「そうか――」
今更に、ラウッセルは馬鹿馬鹿しい事に気が付いてしまった。
別に自分は姉の事が嫌いだったわけでもなければ家族に見捨てられた事が辛かった訳でもない。
そもそも、客観的な目で見ればいなくなった姉以外との家族仲は決して悪い物じゃあない。
では、何を我慢していたのか。
何がそんなに自分を歪めてしまったのか……。
一体自分は、何故逃げる様に誇りを求めていたのか……。
何てことはない。
ただ自分は――褒められたかっただけなのだ。
頑張ったねって、誰かに言って、欲しかっただけだった。
「審判――誇りある決闘の中、手を止め我が名誉の為叱責を行なったジーク・クリスに祝福を」
ラウッセルの言葉にクリスは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って! まだ、まだ終わってないんよ! 降参なんて」
ラウッセルはその言葉に微笑を浮かべた。
「なんだ、学んだとは言え勉強不足の様だな。決闘中に指導が成立した場合は相手にポイントを与え、仕切り直すルールだ。まあ簡単に言えば『有効』が一つ入っただけだ。降参などしていない。……これからなんだろ?」
「うぃ! そう、これからなんよ!」
そう言って、クリスは数歩離れて杖を構える。
それを見て、ラウッセルも杖を構えた。
背筋を伸ばし、相手を正しく見据え、杖を持つ手は丁寧に。
指先にまでしっかり意識を向けた、貴族らしい構え。
強さ自体は先程と大して変わらないだろう。
むしろ色々ネタがあかされ、底が見え、魔力消耗も激しく下がっているまである。
だけど、その所作には敬意が籠っていた。
その全身から、誇りが漲っていた。
ようやく、クリスの大好きなラウッセルが戻って来ていた。
不遜で、不敵に笑って、だけどどこか人が良いちょっとズレたお貴族様。
そんなラウッセルを見て、ようやくクリスも笑顔になれた。
ありがとうございました。