寮対抗戦に向けて
実の事を言えば、ナーシャは元々寮対抗戦に全く興味がなかった。
だから当然、寮対抗戦について詳しく知っている事はほとんどない。
アーティスブルーに所属していた時、ナーシャはしょっちゅう『誇り高き魔法使いとして』とか『野蛮な猿との向き合い方』とか、そういう類の話を寮生から聞かされてきた。
彼女は『誇り高い魔法使い』を自称する人達からとびっきり人気があった。
彼女、亡国の王妃アナスタシアはその地位、能力、共に魔法使いらしい魔法使いであり、彼ら『魔法至上主義者』から見て同志であり、そして気高き華であった。
ナーシャはハイドランド式の魔法は不慣れでそこまでの実力は持たない。
それもまた『気高き魔法使いを相応しき立場へ羽ばたかせる為の礎となる名誉』と言う事で彼らにとって好ましいポイントとなっていた。
彼女を卑猥な目で見たり恋人にしたいなどと邪な想いが彼らに全くないと言えば嘘になる。
名誉欲により彼女の夫となる事を願った奴も少なくない。
それでも、その感情を隠す位の理性を彼らは持っていた。
彼らは仲間に対してはまごう事なき『紳士』であり、ナーシャも彼らの協力により勉学が進んだ事だけは否定するつもりはなかった。
そう、彼らは身内には紳士的であり、そして常識的であった。
まあ、一部真性の馬鹿も混じってはいたが、それでもそういう馬鹿は本当に一部でかつ例外であった。
具体的に言えばクリスのぬいぐるみ騒動にて大金を持っていると聞いた青寮の先輩が強引にナーシャに近づき、旦那面しだした挙句『猿が分不相応な金をせしめている。それを正しく使う事も我ら尊き者の責務と思わないか?』なんてどこに筋を通しているのかわからない馬鹿が出没した。
魔法至上主義の彼らは、青寮の彼らはナーシャに対し強い同族意識を持っていた。
だけど、ナーシャはどうしても彼らを仲間と思えなかった。
それどころか、彼らに対し非常に強い嫌悪を持っていた。
ナーシャが両親から学んだ常識は、王家に連なる者として責務を持ち、あらゆる手段を持って民草を護る事にある。
魔法が使えるから偉いのではない。
魔法を民の為に使えるから偉いのだ。
他の事は良い。
優れた者としての自尊心も、己を高める選民思想も否定しない。
魔法の叡智を極める学びを貴ぶ事も素晴らしいと思う。
だが、
非魔法使いを『猿』と呼び、護る気もなくただ見下すだけ。
その一点だけは、どうしても許容出来なかった。
また魔法至上主義に染まってなくとも青寮そのものにの魔法使いは偉いという選民空気の様な物が流れ、どうにも居心地が悪かった。
おそらくそれが本来の貴族とか王室とかの空気なのだろうが、どうしてもナーシャには馴染めなかった。
そんな訳で青寮に所属していたナーシャは寮対抗戦なるものに全く興味なかった訳なのだが……ここにきて状況は変わる。
ユーリの行動によってナーシャがクリスのパーティー入りし、ルビオン寮へ移籍する事が出来たからだ。
当然速攻で移籍申請を求め、許可が出た瞬間に引っ越した。
今ではリュエル、クリス、ユーリ、ナーシャの順に部屋は並んでいる。
元の部屋よりも数段グレードの下がった部屋だけど、不快感は全くなくむしろ快適な居心地である。
赤寮に入った瞬間青嫌いの女性に『語り合い』という名の喧嘩を売られた事もナーシャ的にはポイントが高かった。
あっちでは口先ばかりで決闘の頻度はそう多い物ではなかった。
そしてルビオンに移籍したという事は即ち……。
「アーティスの奴らを合法的にボコりおちょくるチャンス。このチャンスを見逃す私じゃないわ!」
そう、ナーシャは声高々に叫んだ。
裏切者の名を受けながら、姫姫と崇めていたあいつらをなぎ倒し、おちょくり回って恥を掻かせ現実を見せる。
そうなれば、どれだけ気持ち良いだろう事か……。
そんな事をナーシャは考え、地味に悦に入っていた。
「……ユーリ。お前の彼女でしょどうにかして頂戴」
リュエルの冷たい言葉にユーリは微笑んだ。
「僕達に被害が行かないから別に良いだろ。それにさ、あんたは乗り気なクリスを止められるのか?」
「……クリス君は全てを優先する。ほら、早く。作戦を考えるのはあんたの仕事でしょ」
「あんたの手の平くるっくるだな」
ユーリは苦笑した。
「とは言え、悪いが作戦立てる程の知識もないぞ。アナスタシア様」
「ん? なにかしら?」
「寮対抗戦について知っている事を教えて貰えますか?」
「……うーん。実は私もあんまり。話半分に聞き流してたし……」
青寮に居た時に色々聞いてはいるが、それでも興味がなくて右から左に。
だからナーシャの知識は穴ぼこだらけだった。
わかっている事と言えば、三つの寮とそれ以外に相当する白寮の四つで競い合うという事。
競技は四、五種類くらい? もしくはその倍? 行われる感じ?
去年どういう事をしたかもわからないから傾向さえつかめない。
強いて言えば集団での競い合いが多い的な雰囲気で、実力の高い上級生が盛り上がり、二年生は手伝いとしてやる気を見せていたっぽい。
というか暗に『姫に応援される貴族になりたい』と先輩方は言っていた。
まあつまるところ早い話、寮対抗『運動会』の様なものである。
後わかっている事は……。
「魔法をメインにした競技が必ず一つは混じる。そうあいつらは断言してたわ」
一位の寮であるアーティスブルーに優位な競技が入る。
その理由は想像に容易かった。
「それと、今からじゃあまり重要なポジションには付けないって事もわかってるわ」
「な、なんで!?」
ナーシャの言葉にクリスは絶望した様な声をあげた。
「だって寮対抗戦ってもう一週間後よ? チームの組み分けとか終わって練習も終盤に差し掛かる頃でしょ。だから私達でルビオンを勝たせるってのは無理」
「おう……がっかりなんよ」
「だからまあ、個人戦に参加したりあまりチームプレイを求められない競技に参加が精々かしらね。その辺りもこれから調べないと。と言う訳で今すぐ学園に言ってルビオン寮で聞き込みしましょう! そしてあわよくば語り合いで枠を強奪よ!」
ナーシャは完全に、ルビオンスタイルに慣れ切っていた。
「わぁい」
そう言って飛び立とうとするクリスの頭を、ユーリは掴んだ。
「悪いがお前はしばらく学園に行くの禁止だ」
「な、何故にホワイ!? まだ悪評マシマシで豚骨ラーメン油マシみたいになってるから!?」
「それもあるが……すまん。勲章授与式への準備がある」
「その日までに帰るから!」
「クリスがアナスタシア様位礼節に自信があるならそれでいいけど……どうなんだ実際?」
「……式に参加した事はあるけど、自信があるかと言われたら……」
ついでに言えば勲章を配る方での参加であり授与自体の経験はなかった。
「と言う訳で、クリス。お前は今日からしばらく授与式に向けて礼儀作法のお勉強だ」
「あうー……。ナーシャ……斥候任務を頼むんよ……なるべく早く帰ってルールとか競技内容とかライバルとか楽しそうな情報集めて欲しいんよ」
「任せて頂戴。そういう楽しそうな事を調べるのは得意なの」
「アナスタシア様、ついでにこちらの新聞部に行って衛星都市と市長である僕の事、そして勲章授与の情報を伝えて来て下さいませんか?」
そう言ってユーリは複数の学内新聞発行所の住所を記載した紙をナーシャに手渡した。
「あら、貴方の暗躍のお手伝いが出来るのね」
「そんな大層な物じゃありませんよ。ですが、手伝って下さると助かります。広告費を要求されたら突っぱねて帰って下さい。払おうと払うまいと書く内容に変化はありませんから」
「ええ、喜んで。逆に情報量をせしめても構わないのよね?」
「構いませんけど……大した金額は貰えないと思いますよ?」
「交渉する事が楽しいのよ。リュエルちゃんはどうする? ついて来る?」
リュエルはちらっとクリスの方に目を向ける。
その顔は好きにしてという風に取れた。
次に、ユーリの方に目を向けた。
「どちらでも。そもそも式への参加すらリュエルはどちらでも構わん。最悪市長の僕とパーティーリーダーのクリスさえ居れば何とでもなる」
少し考えて、ナーシャの方に行った。
「クリス君の助けになるなら。後、私勲章授与の作法なら何とかなるよ」
「そうか。勇者候補ならそうだよな」
「うん。それに……まあ、ナーシャとも少し話しておきたいし」
「女二人、狭い密室、何も起こらない訳がなく――」
「殺人事件でも起こせと?」
「ひえっ。ま、仲良くデートしましょ。パーティーメンバーとして色々お話したかったし」
リュエルは小さく、こくんと頷いた。
青の寮長アズール。
魔法至上主義に染まっている……フリをする臆病で神経質な男。
赤の寮長ヴァイス。
明るくからっとして健康的な印象の強い、怪力な女性。
緑の寮長オルフェウス。
根暗な陰キャを偽装する性悪屑。
再び彼らは緑寮地下の『秘密の部屋』に集まっていた。
今日集まっているのは寮対抗戦『トライアセンション』の最終確認について。
そこで集まる彼らは、困った様な辛い様な、そんな陰鬱な表情を浮かべて来た。
「随分と……露骨な事になったわねぇ」
ヴァイスは苦笑しながら呟いた。
「……すまん」
アズールは彼らに申し訳がなく、頭を下げた。
「お前の所為じゃないだろ。謝んな」
オルフェウスはそう言ってアズールの頭を上げさせる。
そう、これは彼の所為じゃあない。
流れと、時世と、魔法至上主義思想と、それと寮の教師陣営の問題。
まあ何があったのかと言えば、この一週間ちょい先にある寮対抗戦の競技種目が突如として一つ変更になったというだけ。
実戦形式の魔法不使用の近接戦トーナメントが魔法使いが行う『決闘』に。
そしてこの露骨過ぎる青寮優位変更により、メイン競技五種目の内四種目が魔法を使える競技となった。
これは去年と比べてもあまりにも酷いと言える程の、魔法優位状態である。
「あれがトドメだったなぁ」
オルフェウスは呟いた。
「そうね。アレがトドメになったわね」
「すまん。ほんとに……」
もう謝罪する事しかアズールには出来なかった。
トドメというのはつまり、アナスタシア王妃の事である。
魔法至上主義者にとって彼女は文字通り姫であった。
正しき礼節を持ち、誰よりも気品に溢れ、そして氷の様に冷たい表情と同様の特殊魔法を扱えて。
その氷の表情が彼らにだけ向けられていると知らない魔法至上主義者にとって彼女は敬意払うべき憧れであった。
魔界貴族に憧れる彼らにとって、姫である彼女の為に戦う事は誉れであった。
そんな憧れの姫が、魔法も使えぬぼんくらにメス顔を向け、挙句に寮移籍したなんて事件が最近発生した。
通称、『魔法至上主義者脳破壊ショック』。
その珍事件により、青寮の空気は最悪な物となった。
彼女に対してそういう不相応な気持ちを向けていた人自体は少なかった。
例え亡国であっても姫であるのだから、そんなのは空気の読めない馬鹿か自分を過大評価する小物だけである。
彼女は愛でるべく存在ではなく貴ぶべきお方。
彼女の隣には相応しき者が座るのが筋である……と、考えていた。
彼らの理想は良くも悪くも貴族であった。
だからこそ、逆にショックだったとも言える。
王族どころか非魔法使いと一緒になったという事が。
それがなくとも今年は例年以上に青寮を優位にしようという空気は強かった。
去年がギリギリだったという事に加え、青寮に入る人が思ったより少なかったからだ。
そのタイミングで起きてしまった脳破壊事件。
そんな最悪な空気を払拭する為青寮の教師の誰かが権力に物を言わせ、強引に予定を変更してしまった。
そうして三寮長が何とか必死に調整してきたバランスやら空気やら思惑やらが、全て消し飛んだ。
「僕に何か出来たら……」
「いや、あんたは良くやってる。それは俺らがわかってるから……」
アズールの言葉を否定し、オルフェウスはぽんぽんと肩を叩いた。
「ごめん、ありがとう。そして、この件とはあまり関係ないんだが……ヴァイス、一つ頼み事をしても良いだろうか?」
「何? 私に出来る事なら何でも言って頂戴。重い物を運ぶ位しか出来ないけどさ」
「いや、そちらに移籍したアナスタシアさん。彼女はたぶん対抗戦に出ようとすると思うんだ。その時は出来るだけ参加できるようにしてやって欲しい」
「……え? いや別に良いけどさ……どうして?」
「彼女は魔法優位思想を嫌っている様だったからさ。僕と同じ様に」
だから残ってくれたら将来的に寮長になって貰いたかった……と言う言葉は、そっと自分だけの内に秘めた。
「そんな事したらそっちの空気更に悪くならない? 大丈夫? むしろ時間ギリギリという理由で参加拒否した方が良くない?」
「いや、彼女は不満をぶつける権利位あると思うんだ。それに……僕的にも都合が良いんだ」
「どうして? ……そんなに姫様の事が気に入ったの?」
「……一石を投じる事も偶には重要かと思ってね」
「ごめん。回りくどい説明ムカつくから直球で来て。じゃないと殴るよ?」
にっこりと微笑みながらヴァイスは握りこぶしを見せる。
何故かわからないがちょっと怒ったかの様だった。
「す、すまない。彼女が公的な場で魔法至上主義を否定してくれたら、意識改変に繋がると思ったんだ」
「なるほどね。……外見的な事じゃなかったのね」
「人を見かけで判断しないよ。特に僕は寮長だ。その立場を忘れた事はない」
「そうね。ごめんなさい。でも……それはそれでちょっと甘いと思うわ」
ヴァイスの言葉にオルフェウスも頷いた。
「そうだな。俺と、お前と、こいつ。俺達三人でもどうしようもなかったんだぞ? 魔法至上主義の毒って奴はさ」
三人は寮長になる前に、それに挑戦した事があった。
魔法至上主義の毒なんて物を消して、もっと空気を良くしようと、三寮の仲を自分達の様によくしようと。
だけど……それは失敗に終わった。
その毒は彼らが思う以上にしつこく、根強く、そして想像の何倍も愚かであった。
それがわかっていても、アズールはナーシャに期待していた。
というのも……。
「……だからこそだよ」
アズールはそう呟き、微笑んだ。
「は?」
「僕には君達が居た。君達と共に戦えた。例え失敗したとしても、それでも僕達にはチャンスがあった。だからね、今の彼らにもチャンスを上げたいんだ。この毒を抜けるチャンスを。魔法至上主義を正しい物にする機会を」
二人が素晴らしい仲間だからこそ、後輩にも同じチャンスをあげたい。
自分が幸運だったと心から思えるから、その幸せを分け与えたい。
そして何時の日か、魔法至上主義が正しい形になる事を願いたい。
それがアズールの祈りであった。
「……お前、そんな事まで考えていると近い内に禿げるぞ?」
「髪は関係ないだろう髪は!?」
アズールは半泣きで叫んだ。
「ま、そういう事なら手伝ってやるさ。多少はな。あいにくと俺様は今年も暇だからな」
青、赤と異なり緑寮は参加する意欲そのものが低い。
特に集団戦は顕著であり、目立つ競技に緑の生徒の数はほとんど見ず、代わりに審判などを務めている。
故にオルフェウスはこの日、暇がかなり多かった。
「それもそれでどうかと思うけど……それで良いのよね?」
ヴァイスの言葉にオルフェウスは頷いた。
「……ああ。背を押すだけが正解じゃない。お前と違って日陰にしか生きられない奴ってのもいるんだ。出たい奴は出れば良い。移籍したい奴は赤に送ってやる。だけど、俺の寮生に無理強いだけはさせる気はない」
「そうね。私にそういう機微はわからない。だからオルフェウス、あんたと同期で良かったわ」
「……止めろ。気持ち悪い。ま、そういう感じで今年は……」
アズールは頷いた。
「ああ。アーティスブルーは何時もよりも悪役的な立ち位置になる。上手く使って欲しい」
二人は頷いた。
ありがとうございました。