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頑張り屋な臆病者と、ひかえめな意地っ張りと


 アナスタシア・ビュッシュフェルト・メイデンスノー。

 彼女はノースガルド大陸北東寄り、騎士国『ヴェーダ』の中に存在した小国の姫である。

 いや、であったといった方が自然となるだろう。


 小国『メイデンスノー』はクーデターにより、滅亡した。

 大国に利用され、国民に翻弄され、長い歴史を持つ国の未来はあっさりと途切れてしまう。

 そんな、誰にとってもどうでも良い過去の出来事。


 だけど、アナスタシアはその過去に取りつかれている。

 王家に生まれた者として、そしてその唯一の生き残りとして、彼女は国を取り戻す義務があった。


 だから、しょうがない事だった。

 悪徳商人に身を売る事も、その挙句に想像出来ない程酷い末路を辿る事になるのも。

 だけど、それで良かった。


 アナスタシアは、王女として生きるつもりはなかった。

 そんな事、もう二度と御免であった。


 醜き商人に汚され、いたぶられ、悦楽の為に殺される。

 その事実以上に、メイデンスノーの王として生きるという事は彼女にとって辛い事だった。


 メイデンスノーを復興する。

 その意思自体は持っている。

 両親に託された願いを叶える事そのものは彼女の願いでもある。


 それと同時に、こうも思うのだ。

『どうして両親を殺した民衆(あいつら)の為にまた要らぬ苦労をしなければならないのか』

 メイデンスノーはあまり恵まれた土地ではなかった。

 標高は高く、いつも気温は低くしょっちゅう雪も積もる。


 それでもメイデンスノーは間違いなく良い国だった。

 国民の教育を最優先とし、王族として贅沢を行う事もなく。

 というよりも、他国との接点が薄い為王族が見栄の為贅沢をする必要がなかったとも言える。

 おそらく、どの国よりも庶民的であった。

 そして同時に、国民に対して最も還元する国家であった。


『民があって国がある。それを何時も忘れるな』

 偉大なる父の口癖だった。

『贅沢出来ないって馬鹿にされる事を誇りなさい。その分民が贅沢してる証拠なんだから』

 優しい母はそう教えてくれた。


 国民の学力が高いのは国の未来の為。

 魔法の普及率が高いのは国民の生存率を上げる為。

 その上で率先して軍事に立つのは王族やその一族に連なる者でもあった。


 冒険者学園を持つ大国よりも魔法を使える国民の割合は多かった。

 魔法使いと言わる程の技量はなくとも、ほぼ一家に一人は暖を取る魔法が使えた。

 国民の生活の為魔法をばらまく国なんてのは間違いなくメイデンスノーだけだった。

 その位、国民が楽になる事を王族は重視した。


 そんなメイデンスノーの民が、両親を殺した。

 誰よりも愛した民に、王家は裏切られた。


 そのあげくに、自分まで殺されそうになった。

 いや、殺すだけじゃない。

 民衆という名の生物は、アナスタシアという王の血を継ぐ姫を辱め、汚し、その果てに見世物にしようとした。


 つい先日まで仲の良かった人も、城に出入りしていた人も、皆が皆……。


 そんな奴らの為に、もう一度国を作れ?

 死んだ方がまだマシだ。


 アナスタシアが自らを悪徳商人にまで売り、国を残そうとしているのはそんな屑の為じゃない。

 両親と、それと自分の為に死んでいった一部の兵士の為である。


 自分なんかを救う為に多くの人が死んだ。

 友達の、ユーリィの父さえ自分の所為で死んだ。

 生き残ったのはユーリィ含めたった数人だけだった。


 そんな命を賭けてくれた彼らの為に、自分は国を復興すると誓った。

 それ以外に、命を奪った事の償い方が思いつかなかった。

 命を繋いでくれた恩を返す方法が思いつかなかった。


「……はぁ」

 ハイドランド城の中、彼女は小さく溜息を吐く。


 どうして自分がここに呼ばれたのかわからない。

 だが、あまり好ましい事じゃあないだろうとは思っている。


 どうせ自分を買ったゲドランがしびれを切らせたのだろう。


 確かに……契約履行では後一年程猶予はある。

 だがその契約はあくまで『子供を産む事の契約』でしかない。

 そしてそれまでの間、ゲドランが望むのなら『妻として相応しい振舞い』を行う事も契約の範疇である。

 つまるところ、五体満足でかつ子供を残す行為以外であれば、アナスタシアは笑顔で受け入れなければならなかった。


 それが、国を取り戻す為の、子供に国を託す為の大商人ゲドランとの契約である。

 ぶるっと、体が震えた。

 自分の身体を中年の脂ぎった男に好き放題される事を考えると、身の毛がよだってくる。

 それでも、拒絶する事は出来ない。


 むしろ、今までずっと何もされなかった事が幸運なのだ。

 覚悟していたはずだ。

 だから……。


 それでも、彼女は恨まずにはいられなかった。

 ゲドランにではなく、気の弱い自分の友達に。


 どうせならせめて、自分の初めては償いという形に使いたかった。

 自分を最後まで守ってくれたユーリィに、大切な友達への感謝と謝罪として……。

 だけど、どうやら自分は彼の好みには入らなかったらしい。


 驚く程強く拒絶された。


 確かに、アナスタシアは男の気持ちはわからない自覚はある。

 女心なんかよりよほど複雑だと思っている。


 だけど、それでも……拒絶はあんまりじゃないか。

 普通男なら据え膳として美味しく召し上がるだろうに。


 一体何が気に食わなかったというのか……。


 その一点だけが、友達であり配下でもある彼の否定だけが、彼女にとっての傷だった。

 時折思い出して泣きたくなる位、深く重い……。


 ノックの音が響く。

 そしてその直後に、彼が入って来た。

 大商人ゲドラン――ではない。

 入って来たのは愛しくも憎たらしい友達のユーリィ・クーラだった。




「失礼します」

 そう言って、ユーリィは丁寧に頭を下げた。

「……どうしてユーリィが居るの? 貴方が私を呼んだの?」

「いえ、俺ではありません。でも、用があるのは俺です」

 そう言葉にする彼の表情はとても真剣な物だった。


 ハイドランドの城の中で、酷い顔と言える位真剣なユーリィ。

 疲れは隠しきれず、今にも倒れそうだが気迫に満ちてもいる。

 流石のアナスタシアもふざける気が全く起きなかった。


「要件は? 私に出来る事は少ないけど、協力位はするわよ? 友達として、亡き国の数少ない仲間としてね」

「……ありがとうございます。でも、協力は必要ありません。……お願いとも、違いますから」

「そう? じゃあ、どういう用事?」

「……何から話しましょうか」

「結論から述べる貴方らしくないわね」

 そう、今のユーリィはあまりにもらしくない。


 テンパって、慌てて、緊張して、臆病者のヘタレだけど、それでもいざという時はびしっと決める。

 それがアナスタシアの知るユーリィ・クーラという男である。

 だというのに、今の姿は何もかもが違う。

 少しだけ、何時もよりも恰好良くて、だけどやっぱり彼らしくないからなんか嫌だった。


「……俺は、貴女を護りました。それだけは、この無能の俺の誇りです」

 それはあの時の事だと、亡命の逃避行の事だとすぐにわかった。

「……そうね。ええ、ユーリィが居なかったら、私はここに居なかった。あの追手の誰かに殺されて……いや、死ぬ方がましな目に遭っていたでしょうね」

「俺だけじゃありません。貴女を護る為の皆が居てです」

「そうね。……私の代わりに死んだ人達を、私だけは忘れたら駄目よね」

 自分がちゃんとしてみれば、逃避行はもっとスムーズだった。

 自分が足を引っ張らなかったら、十人以上は犠牲となる人は減っただろう。

 ユーリィが父親を失う事だってなかった。


 その事を覚え続け罪と向き合い続ける事。 

 それこそがアナスタシアの唯一出来る感謝で償いだった。

「……でも、俺は皆の様に忠義者じゃありません。俺は……自分の為に、戦ったのですから」

 それは、ユーリィから初めて聞く言葉だった。


「……自分の為? 自分が生きる為?」

「いいえ。自分が護りたい人の為です。俺は貴女が……えと……あ、そうそう。実は俺、市長になったんです」

 突然話が飛んで、アナスタシアは眉を顰めた。

 というか、話が理解出来ずにいた。


「市長? へ? 一体何の話?」

「人の金とコネで街を作って、ヒルデ様に売りました。はは……最低でしょ? 俺」

「ちょ、ちょっと待って。そうやって情報をぶわーっとするの止めて頂戴。そうやって人をおちょくるのはむしろ私の立場でしょう!? らしくないわよ? ふざけてる様に感じるけどさ……流れとか空気的に冗談とかじゃないんでしょ?」

「どうしても欲しい物があったんです。その為に皆を巻き込んで無茶をして……そして、ここまで来ました。……アナスタシア様……俺は……」

 言うのが怖い。

 その言葉を、気持ちを口に出来ない。

 拒絶される事が、否定される事が、信じられない事が。


 不安は恐怖となり、逃げてしまった。

 本当は真っ先にそれを言うつもりだったというのに。


 のらりくらりとここまで逃げてきた。

 だけど、もうここに来たら逃げ場さえもない。

 それを偽る事は出来ない。

 その為に、■の為に、ユーリィ・クーラという男は生きて来たのだから。


 逃避行の時の追手は、非常に高い実力を持っていた。

 己が命さえも駒とする本職の暗殺者さえ混じっていた。

 そいつらから逃げ延びた。

 その大半を、ユーリィは殺した。


 実力なき無能は死に物狂いで成長し、才能の限界に到達し、その上で奇跡まで起こした。

 それが出来たのは才能でも能力でもない。

 それはただ――■の為に。


 今回の事もそうだ。

 市長となりヒルデと交渉し成果を手にする。

 そんな事ユーリィのキャパを何重にも超えている。

 それが出来たのは偏に彼女を■していたから。

 ■する事だけが、彼の唯一の異常性だった。


 彼の■だけが、無能では不可能な結果に導いた。

 だから、それを偽る事は出来ない。

 例えどれだけ醜く、無様で、そして情けなくとも。


「アナスタシア様。俺は……ずっと貴女を慕っておりました。貴女を()しております」

 そう言って、そっとその場でひれ伏した。

「……ご、ごめん。話が複雑過ぎて……何も頭に入ってこない。えっ? 市長とか、どこ行った感じ?」

 きょとんとした顔で、ユーリィを見つめるアナスタシア。

 彼女は聡明である。

 だけど、今この場は何も理解出来ておらず完全に混乱しきっていた。


 まあ、この場合は最も重要な事を言っていないユーリィが悪い所為であるが。


「褒賞として、ヒルデ様に王家復興の約束をしていただきました。状況次第ではメイデンスノーを取り戻す事も叶うかもと……」

「え!? あ、そ、そういう事か! わかったわかった! 貴方もメイデンスノー復興の為頑張ってたって事か。なるほどなるほど。そうよね。メイデンスノーを愛してたと」

「違います。アナスタシア様には悪いですが、あの国にあまり良い想い出はありません」

「じゃあ、どうして……」

 わかっている。

 流石にここまで来れば、ここまではっきり言われたら、アナスタシアも状況に気付いている。


 だからこれは彼女らしくない事なのだが、単なる乙女心。

 つまり、その言葉をただ言って欲しいだけだった。


 頬を紅潮させ、ユーリィを見つめる。

 ユーリィはその言葉を、やっと口にした。


「貴女のただ一人となる為に、俺はここまで来ました。アナスタシア様。俺は……貴女が欲しい」

「……どうして……。どうして今なのよ……。遅すぎるよ……。私はもうあいつの物になるって契約をしちゃって……」

 ばんっ!

 音を立て、ユーリィはテーブルの上にそれを叩きつける。

 ここに来る前に我が友に、クリスに貰った物。


 それは、大商人ゲドランとアナスタシアとの間にある『契約書』だった。


 それはゲドランが持つからこそ効果がある。

 ゲドランが持っているからこそ、アナスタシアの身を縛る物であった。

 つまり……。


 ユーリィは、書類を乱暴に破り捨てた。


「これで、貴女を縛る物は何もない! そしてゲドランよりも願いに近い位置に俺はいる! アナスタシア様!」

「は、はひっ!」

「お、俺と……えと……その……。お、俺の贈り物を受け取って下さい。これで貴女は再び王女として……」

 アナスタシアは、ユーリィにジト目を向けた。


「……ひよってない?」

「……えと、その……」

「…………じとー」

「いえ、でも、やっぱり俺如きがと……」

「じとー。じじとー!」

「く、口で言わなくても良いですよわかりますから!」

「……ヘタレ男のユーリィ・クーラ。幾つか聞かせなさい」

「……はい。何でしょうか?」

「まず、何時から準備してました?」

「何時とは?」

「メイデンスノー復興の準備よ」

「亡命してからずっとです。それだけの為に、今日まで生きて来ました」

「……ずっと、ずっと私の事が好きだったの?」

「……それは……いえ、俺何かじゃ……」

「誤魔化さないで。正直に答えて」

「はい。ずっと、慕っておりました。汚い野望だとわかってましたが、貴女を、俺だけの物にしたいと……」

 だから、逃避行の時ユーリィという無能は奇跡を起こせたとも言える。

 愛する女を誰にも殺させるか。

 愛する女と共に生きるまで死んでたまるか。

 その想いこそが、奇跡の原動力で、彼の原風景であった。


「だったら……。だったらどうして、あの時私を拒絶したの? 私が好きなら、私の身体を好き放題して良いと言った時に、褒美に差し出した時に、どうして拒絶したのよ!?」

「身体だけじゃ物足りないからだよ! 姫の全てが欲しかった! あの時抱けば俺は愛されなかった! 心が欲しかった。だから努力した! それでも……それだけ駄目だったから、俺はこうして……こんな形でしか……」

 逆切れでしかないその言葉で、ようやくアナスタシアはユーリィの全てを理解出来た。


 あの時、亡命の逃避行の時恐ろしいと感じる程の実力が発揮出来た理由。

 こちらに来てから急に女にモテる様な服装や態度になった理由。

 そして……どうしてあの時自分が拒絶されたかも……。


 ユーリィはずっと、ユーリィのままだった。

 アナスタシアの知る、臆病で自分に自信がなくて、それでもいざという時は頑張れる……そんな可愛いユーリィのままだった。


「知らなかったわ。貴方、本当はとっても欲張りだったのね」

 そう言って、アナスタシアは微笑んだ。


 アナスタシアは静かに立ち上がり、そしてユーリィの頭を撫でた。


「とりあえず、お疲れ様。頑張り過ぎよ。全く……」

「姫様程じゃないですよ」

「はいそれ」

「……え?」

「これからは姫様禁止ね。ずっとよ」

「……わ、わかりました」

「それと、その一人称も禁止」

「……え?」

「ずっとさ、楽しんでるならと思って言わなかったけど、私が原因なら言って良いよね。『俺』って何よ『俺』って! 似合ってないわ!」

「いえ、でも……」

「それとも、私だけに愛されたいってのは嘘だったの? それならしょうがないわね。モテる為にかっこつけて来たって事だもんね。大層人気が出て良かったわねぇ。モテ男のユーリィさん?」

「ち、違います! 戻します。僕で! それで良いですよね?」

「ええ。それでよろしい。他にも色々と言うわよ? 私は我儘なお姫様だからね。そしてその上で、私の答えは……保留にさせてもらうわ」

「……へ?」

「だってここで答えても面白くないもの。だから保留」

「いえ、まあ俺はかまわ……」

「おれ?」

「ぼ、僕は構いませんが……」

「そう。だからこれからよ。これからはそんな回りくどい方法を使わず、ちゃんと正面から来てよね。ちゃんとお話して、デートして、手を繋いで……それで……」

 アナスタシアは、ユーリィの胸に頭を当て目を閉じた。


「それで……私が良いと思ったら、しょうがなく合格にしてあげる。その時はまあ、しぶしぶ貴方の物になってあげても良いわ。ユーリィ」

「が、頑張ります……」

 頬を染め、緊張した様子でユーリィは頷いた。

 その契約に同意した。


「可愛い弟分でお友達だもの。気長に待っててあげる。でもね、ユーリィ。もし不合格だったら……」

「ふ、不合格だったら?」

 アナスタシアは上を向き、じっとユーリィを見つめ……。

 首元を引っ張りその唇を奪った。


 想う様に、労う様に、慈しむ様に、感謝する様に。

 長く長く唇を合わせ……そっと、名残惜しそうに離した。

「――内緒」

 アナスタシアは頬を赤らめながらはにかんだ。



ありがとうございました。

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