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フィア


 ある日の事。

 クリスはヒルデからの呼び出しを受け、病院に向かった。


 自分の肉体のことではないけれど、それでもそのついでに見て貰って……。

 その結果、腕のギブスと包帯が外れる事となった。


 腕に関しては繋がった程度でまだ無茶は禁止だが、日常生活に問題がない程度には戻ったそうだ。

 後問題なのは、徐々に良くなっている様な気がする『目』位だろう。

 死者さえも蘇生しかねない程のスペシャリストを金コネ共に糸目を使わず揃えたにもかかわらずこの程度。

 それはクリスの肉体が特別な所為でもあった。

 物理、魔法を弾く強靭なる肉体。

 それは裏を返せば、治療の効果も受けづらいという事でもあった。

 それでも治癒の目途は立っていた。


 そうして自分の問題を片付け、クリスは憂いなく本題に入る。

 本日、クリスが呼び出された理由は赤髪少女についてであった。


 白猫と出会った時、空から降って来た謎の赤髪少女。

 地面に盛大な勢いで激突し、血まみれにて慌てて白猫と病院に運び込んだ彼女。

 その彼女が、大分長い事意識を失ったままだったが、この前ようやく目覚めたそうだ。


 謎の……と言ってはいるが、実の事を言えばクリスはその正体について既に察していた。

 白猫は自分が無関係であると示しており、その上あの場所あのタイミングで唐突に現われた事。

 あの時起きていた騒動を考えると、答えは一つ。

 つまり……ルークの起こしたゾンビ騒動に関係しているという事になる。


 あのタイミングで現れて無関係である可能性は限りなく少ない。

 しかも普通の人なら確実に即死であった状況で、生きていたのだ。


 それを踏まえると、ルークの作った実験体の、それも成功例側。

 使い捨てのゾンビなどではない、完璧なる花嫁を作ろうとしたルークの置き土産、実験施設から逃走したそのプロトタイプ。


 それこそが彼女の正体――。

「違います」

 ヒルデはクリスの推測を聞き迷わずそう答えた。

「え? 違うの?」

「はい。その可能性を思い私も真っ先に調べました。結果で言えば、彼女はゾンビの様な合成体でもなければクローンといった物でもない。遺伝子調整さえ施されていない完全なるナチュラルです」

「ほへー。そっかー……違うのかー」

 ドヤ顔で自慢げに言ったから少し恥ずかしくなりクリスはしょんぼりした。


「……事前の聞き取りにて、彼女が記憶喪失となっていると自称しております」

「なんと。自称なの? ヒルデらしくない言い回しだねぇ」

「はい。医療的見解、心理学的見解、魔法的探知からも嘘は見えませんでしたが、もしもがありますので」

 それもまた、らしくない言い回しであった。

 ヒルデがクリスに報告する時はいつも事象を確定させ、事実だけを口にする。

 つまるところ、彼女が嘘をついていないという確信をヒルデが持てて居ないという事を意味していた。

「……もしもって?」

「我々を騙している可能性です。彼女は限りなく人に近い種族です。ですが、人ではございませんでした」

「うぃ? それ珍しい? そんな種族沢山いない?」

「確かに、人類と種族的特徴を共有する魔族だって沢山います。ですが、それらとはまた異なるのです」

 遺伝子情報という物は本人の生態データというだけでなく、これまで培ってきた歴史そのものが刻まれている。


 調査すればかつて先祖がどこに住んでいて、どういう人達と交わり、どういう風に移り変わっていったか。

 そういうもののあらすじ程度を読む事が出来る。


 だけど、彼女の遺伝情報からは全くそれらが読み取れなかった。

 彼女がどこに居たのかわからない。

 いや、表現としては逆からのアプローチの方が事実を明確にするだろう。


 彼女の歴史は、どこかに滞在して、どこかから来たという記録は、この世界のどこともあてはまらなかった。

 彼女の先祖はどの種族とも異なり、彼女の存在していた地形はこの世界以外のどこか。

 そして彼女の遺伝子は、まるで整えられたかの様に、悍ましい程綺麗な平均的データでもあった。 


 そういう風に遺伝情報からは読み取れてしまう。

 だけど、それを正しいとはヒルデも思えなかった。

 そんな人が居る訳がないからだ。


 それならむしろ『偽装』の可能性を疑った方がまだ可能性としては残る。

 そういった理由で、ヒルデは彼女の事を何一つ信じていなかった。

 クリスの命令でなければその場で処分したであろう位に。


「……ご用心下さい。我が主」

「用心? 何に?」

「彼女は目覚めて、貴方に会う事を希望しました。もしかしたら貴方を狙う暗殺者かもしれません」

「それならそれで面白いじゃない」

 そう言ってクリスは微笑んだ。

 自分とヒルデが見抜けない様な暗殺者。

 そんなのが出てくれるのなら、それはクリスにとって楽しいイベントでしかない。

「……差し出がましい事を申しました。こちらです。どうぞ」

 そう言って、ヒルデは彼女の病室の前で立ち止まり、ドアを開け主の入室を促した。




 ベッドに居る少女はきょとんとした顔でクリスの方に目を向ける。

 クリスは自分の容姿が特殊である事を強く理解している。

 特に、リュエルのここ最近の扱いで。

 つまるところ、きっと彼女はふわふわもこもこでペットか何かと誤解しているはずだ。

 そうクリスが思って微笑んだ瞬間……少女はベッドから降り、唐突に、目の前で土下座を披露した。

 これはこれはもう低姿勢で、誰が見ても平伏していると感服する程見事に屈服した土下座であった。


「慈愛に満ちわが身を救って下さった偉大にして崇拝たる一生の忠誠を誓うべき素晴らしきご主人様。私のようなみずぼらしい者の前に来て下さり感謝感激雨霰でございます」

「……ふぇ?」

「聞くところによると見ず知らずの私を救って下さって、あまつさえ全ての費用を出して下さったと……。その優しさ五臓六腑にしみわたり感涙の嵐でございますです」

「……えと、何事? そしてヒルデ。そこうんうんとリズミカルに頷くの止めて」

「ご安心を。私は自分の状況を正しく認識しております」

「ほほー。記憶喪失だけど、やる事とかはわかってる感じ?」

「はい! 当然です!」

「良いね。じゃ、教えてくれる?」

「はい。こうして記憶も何もない私が偉大にして崇高たるご主人様と出会ったという事はつまり、私は『奴隷』としてこの身を捧げる運命にあるという事です!」

 クリスの表情が、かちりと固まった。

 自分でも普段人をひっかきまわしているという自覚が多少でもある。

 そんなクリスでも、理解してしまった。


 これは、悪い意味で自分の天敵である。

 自分がボケると大変な事になって真面目にならざるを得ないという意味で。

「はっ! 申し訳ありません私とした事が! 私の様な奴隷如きがご主人様の前で服を着てなどあり得ざる失態です! いますぐ服を脱ぎ全裸土下座を行いますのでやり直してよろしいでしょうか?」

 クリスは何も言えなかった。

 自分の想像の枠外の行動に何の言葉も口から出て来なかった。

「必要ありません。クリス様はその様な事を望んではおりませんので」


 ヒルデのサポートで我に返り、クリスは慌てながらも笑みを浮かべた。

「そ、そうそう! 別にそう言う事じゃないよ。あとヒルデ羨ましそうにするの止めて」

「え? 違いました?」

「うぃ。違うよ。全然違うよ!」

「……はっ! そうか、そういう事ですか! 申し訳ありません! ご主人様は奴隷を買って使うのではなく壊して遊ぶタイプのお方なのですね! 配慮も出来ずに申し訳ありません! ナイフをお貸しください! 今すぐ見事な腹切りから首切断にて綺麗な噴水をご覧に入れましょう!」

「いや、そういうのも違うから。そしてヒルデそっとナイフの用意をするのは止めて」

「ではモンスターに食われるさまを後悔ショーするんですね。どんと来いです」

「何も来ませんそんな事しません」

 クリスは眉を顰めながら、口から疲労の吐息が漏れるのを感じた。




「つまり、何も覚えてないけど私に助けられたのは覚えてるから私をご主人様として奴隷になるって事?  いや理解したくないというか理解出来ないけど……」

「その通りでございます偉大にして崇拝し一生の――」

「それはやめて欲しいんよ」

「じゃあ普通にご主人様で」

 それも止めてと言いたかったが、何となくそれをしたらもっととんでもない名前になるか勘違いをしそうだったから止めておいた。


「……うーん。正直ね、恩義とか別に気にしなくても良いの。何なら助けたの私を含めて二人だし」

「あ、何となくうっすら覚えてます。でもあっちはしょうがなく感があったのでご主人様はご主人様が良いなと」

「あ、はい。……名前とか覚えてないよね。どう呼ぼう……」

「おい! とか! 屑! とかでお願いします」

「嫌です」

「では奴隷で」

「それも嫌です」

「ご主人様は奴隷に一々名前をつけるタイプのご主人様なのですね。私は奴隷としてその気持ちを尊重し感激し感涙して受け入れようと……」

「ヒルデ。これ私が名前つけると元の名前を歴史から消してしまいそうだから、適当な名前つけてあげて」

 ヒルデは小さく頷いた。


 中肉で小柄、人間で言えば十六歳位だろうか。

 ただ成人女性と呼ぶよりも少女と呼びたくなる様な愛嬌と愛苦しさがある。

 可愛らしいと呼んでも良いだろう。

 サイケデリックな言動で全て台無しとなっているが。


 特徴という程でもないが、夜でも目立つ位強い色の赤髪をしている。

 炎……というよりも種火を連想とするだろうか。


「希望はありますか?」

 ヒルデの言葉に赤髪少女は首を横に振った。

「特にはないです。強いて言えば、ご主人様との運命を感じる様な名前だと」


「では、『彗星潰れ女』というのは……」

「ちょ、ヒルデ?」

「失礼。つい羨ましくて感情が。『フィア』というのはどうでしょうか?」

「私は別に彗星潰れ女でも気にしな――」

「私が気にするから。それでヒルデ。フィアというのは?」

「はい。ファイア程ではないけれど連想しやすい髪の色と、運命フェイトと言う事でしたのでその辺りをふわりと混ぜつつ愛着持ちすぎない様に軽くしてみました」

「グッド! 流石ヒルデ。素晴らしいネーミングセンスだね。と言う事で仮名はフィアちゃんで良いかな? 良いよね可愛い名前だし」

 少女は小さく頷き、そしてニヤリとした笑みを浮かべた。

「……なるほど。ご主人様のお気持ち、今度こそ理解しましたよ」

 クリスは、凄く嫌な予感を覚えた。

「いや、別に意図とかないんだけど……」

「いえ、可愛い名前を付けるという事。即ち源氏名が求められる。ご主人様は私に娼婦になって欲しいと――」

「願ってません」

「……はっ! そんな私如きに娼婦は高尚過ぎると。わかりましたホームレスのたまり場に行って肉べん――」

「願ってません」

「じゃあ誰に抱かれて来いというのですかご主人様は! まったく……ぷんぷんです! あ、ご主人様だとご褒美になっちゃうから駄目ですよ!」

「もう訳がわからないよ」

「あ、フィアで大丈夫です。ありがとうございますご主人様、ヒルデ様」

 そう言ってフィアはにこりと微笑みぺこりと頭を下げた。




 酷く疲れた気がするからもう帰ろう。

 そう思った時の事だった。

「あ、名前を頂いたからかわかりませんが、少しだけ記憶が戻って来ました!」

 そう、フィアは突然言い出した。

「良いね良いね。どんどん思いだして行こう」

 クリスとしては、さっさと全部思い出してご主人様脱却したい一心であった。

「ありがとうございます。えっと、何となく曖昧で靄がかかってますが、私、凄く力が強くて頑丈だった記憶があります!」

「だろうねぇ。どこからともなく爆音立てて落ちて来て怪我で済んでたし」

「はい! それで思ったのですが、ご主人様ってお金は困ってないって事は他は困ってるって事ですよね」

「んー。困ってるって明確に言える程じゃないけど、お金は今のところ要らないって感じ」

「ご主人様って相当身分高い感じですねぇ。お金もそうですけど、対応の仕方とか立ち振る舞いとか。たぶん王族的な。でもそれを隠してる感じでもありますね」

「うぃ。内緒にしてね」

「なるほど。やはり秘密の身分。了解しました。外では絶対口外しません。というか今すぐ忘れました」

 受け答えが真っ当である事にクリスはじんわりとした感動を覚えた。

 

 それとついでに、地頭は相当良い様に感じる。

 回転が速いというのもそうだが、相当柔軟な感じだ。

 いや柔軟過ぎて困っているんだけど。


「そういう訳で、私ご主人様の役に立つ方法を思いついたんです! つまり、仕事をすれば良いんですよ私は」

「良いね良いね。フィアちゃんの今後には困ってたし自分で稼げたらそれは確かに助かるんよ」

「ですよね! なので、どこか炭鉱を教えて貰えませんか?」

「……おっと。流れ変わった気がするんよねこれ」

「炭鉱で、壊れるまで! 二十四時間年中無休で働きます! 最も劣悪な環境で、屈強男達に晒され慰み者になりながら、誰よりも働いてみせます! ご安心下さい! 壊れるまで全力を出し尽くす所存ですので!」

「……ヒルデ」

「はい。何でしょうかクリス様」

「フィアちゃんの事よろしく」

「申し訳ありません。命令を断る様な事はしたくないのですが、物理的に限界です」

 王の仕事に加えて魔女の山での探索作業。

 その他雑事で既にヒルデのタスクは秒刻みであった。


 今この時間でさえ有給を消化している状態な位に。


「そか。……普通の仕事をして欲しいんだけどねぇ」

「ぶっちゃけ出来ます? 記憶喪失の小娘に普通の仕事とか。私なら絶対やらせませんよ」

「急に冷静な答えを持ってこられたら何故かわからないけどちょっと怖いね。温度差で風邪引きそう」

「と言う訳ですので、ご主人様」

「はい」

「炭鉱とまで行かずとも多少過酷な力仕事ありません? 割と向いていると思うんです。もっと言えば物理的に硬い何かをぶっ壊したりするお仕事。あ、もちろんどんな仕事でもやりますよ。汚れ仕事だろうと身を削るものだろうと。私はそんじょそこいらの舐めた奴隷とは違います。体裁だろうと純潔だろうと捨てる覚悟はとうに終わってます。なにしろ出来る奴隷ですから!」

「捨てなくて良いから大切な物はずっと大切に取っておいて」

「なるほど。いずれ来る凄惨な末路の為、盛り上げる為に大切に……という事ですね。奴隷冥利に尽きます」

「尽きなくて良いです。……あっ。あのさ、フィアちゃん」

「はい?」

「ちょっと力の程見せてくれる? 何かない? 力持ちの証明」

「んー。じゃ、これでどうですか?」

 そう言って、フィアは左手の小指だけでベッドを持ち上げてみせた。


「……ほほー。確かに凄いねぇ。それで、特技は壊す感じなの? そういう仕事が向いてるって思ってるみたいだけど」

「わかりません。でも何となくそんな気がするんですよね。運ぶより壊す方が得意な気が」

「じゃさ、そのベッドを壊してみてくれる? 部屋を壊さない様に。大丈夫。その位は弁償するから」

「いえ、ご主人様にお金を出させるなんて奴隷の端です。私の借金にして下さい」

 そう言ってからフィアはベッドを両手で持ち、ゆっくりと丸めだした。

 速度を付けず、パンチの様な動作を行わず、ひたすらゆっくりとした動作でのデモンストレーション。

 だけど、確かにベッドは小さくなっていた。


 例えるならば、粘土をこねる様な仕草だろう。

 そんな仕草を数分繰り返し、フィアはあっという間に両手の平にすっぽり収まる様な球体を作り出した。


「これでどうでしょうか?」

 そう言って、落とせば地面が傷付くと言わんばかりにそっと、ベッドであった球体を床に置いた。

 正直、想像以上であった。

 単純な力持ちというのではなく、金属を壊す事に慣れている。

 いや、慣れ過ぎてるという方が正しいだろう。

 防具関連……とも違う。

 金属加工系の工業か何かをやっていた……かなと推測出来るが、あまりにも特殊過ぎて推測の外に出る事は出来そうになかった。


「……ヒルデヒルデ。フィアちゃん魔女の山の攻略に使えない?」

「そう……ですね。試してみましょう。フィア、ハンマーとか持てますか?」

「たぶん……。すいません。でも頑張ります!」

「わかりました。そう言う事でしたら私の部下として受け入れましょう。よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いしますヒルデ様! あ、そうそう。給料は……」

 ヒルデはふっと微笑を浮かべた。

「わかっています。ご主人様に全額渡す、でしょう」

「流石ですヒルデ様!」

「いや、納得しないで二人で。そして受け取らないよ私」

 そう言って、クリスは小さく溜息を吐いた。


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