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狩猟祭7


 大丈夫……大丈夫……大丈夫……。

 リュエルは必死に、自分にそう言い聞かせる。

 涙は止まらず、足に力は入らずユーリに引っ張られ走りながら。


 大丈夫……彼は大丈夫……だってクリス君だから……。

 念じ、願い、祈り、拝む。


 ユーリはクリス好きがいきすぎて不安なだけだろうと思っているが、そうじゃない。

 リュエルは見た。

 見てしまっていた。

 その優れた動体視力が、その決定的な瞬間、クリスに突き刺さる血の矢が、心臓を貫いたのを――。


 そして直感が叫んでいた。

 あの矢は呪いに等しく、毒に等しく、必殺技に等しい物。

 最も効率良く殺す為の技、吸血鬼の誇りを捨て怠惰なる効率を求めた一撃。


 故に、クリスはもう死んでいる。

 生きてはいない。


「違う! 違う! そんな訳ない! クリス君は……クリス君は……」

 狂乱するリュエルに、ユーリは何も言わない。

 何か声をかける余裕さえも、今はなかった。


 遠い。

 雪のある場所が、多くの目が飛ぶ場所が、遠い。


 泣きながら、それでもリュエルは信じている。

 クリスが生きている事を、クリスとまた会える事を。


 いいや、そうじゃない……。

 本当に考えている事は、絶望している事はそこじゃない。


 あれは致命の一撃であった。

 だけどもし、もしも……それで生きていたとしたら。


 クリスは一体何者なのか。

 それはどういう意味をもたらすのか。


 もしもそうだとしたら――リュエルの思考は、そこで硬直した。

 まだそれを考えたら駄目だと、脳がそれ以上を拒絶していた。


「ごめん二人共! 私はやっぱり戻る! 二人は救援をお願い!」

 そう言ってユーリの手を振り払い、リュエルは戻っていった。


「これだから変なところばかり思い切りの良い馬鹿は! 死ぬなよ!」

 その背に向かい叫ぶ事しか、ユーリには出来なかった。




 直感が囁いている。

 こっちだ、こっちに行けば良い。

 その方角に、リュエルは走っていく。


 もう少しだ、もう少しで崖が見える。

 そこの下に行けば……。


 自分が何をしているのか、何をしたいのかわからない。

 体でも心でもなく、ただ衝動のまま走るだけ。

 そんなリュエルの前に、白猫が現れた。

「全く……何してるのよあんたは……」

 白猫は呆れ顔で、人型に姿を変える。

 小さな少女の様な姿の彼女は、確かにリュエルの道を妨げていた。


「どいて」

「駄目」

「どけ」

「嫌」

「……」

 リュエルは睨みつけ、半ば折れた剣を鞘から抜いて……。


「はぁ……。これね、私にしては本当に珍しく、何の裏もない単なるお節介なのよ。一から十まで他人であるあんたの為に言ってあげてるの。これからもあいつと一緒に冒険したいでしょ? だったら戻って待ちなさい」

「……何を、言ってるの?」

「このタイミングであんたとあいつが別れるってのは不本意って言ってるのよ。気分的にさ」

「わからない。……お前が何を言っているのか、全く意味が……」

「でも、嘘をついてない事はなんとなくわかるでしょ?」

 リュエルは何も言い返せなかった。

 それでもと、剣を白猫に向けた。

「わからないならそれで良いわ。……ま、飽きるまで付き合ってあげる。来なさい」

 やれやれと言った表情で、白猫はリュエルを嘲笑う。


 その態度が、その様子が凄く腹正しくて、リュエルは迷わず剣を振った。




「……やられた。逃げられたか……。ああ、面倒な事になった」

 崖の上を眺めながら、吸血鬼はぼやく。

 彼らの仕事は遠ざける事ではなく、処分である。

 その為に、普段何もしないにも関わらず膨大な金を貰っている。

 だというのに逃がしてしまった。


 これは不味い。

 本当に面倒な事になる。


 その上、相方の馬鹿が片翼となる程の負傷した。

 切れやすいチンピラであるこのドラゴンがもしこの護るべき場で暴れる様な事があれば、クライアントにどれだけの迷惑をかける事になるか。

 状況はもう何もかもが死ぬ程めんどくさい状況だった。


 もう全部捨てて逃げてしまうか。

 元々ハイドランドというのは暗闇に潜む自分達にとってあまり暮らしやすい国ではない。

 狭く、光が行き届きやすく、その上怖いこわーい、噂の黄金が出て来る可能性もある。

 それでもまあ金払いが良かったから居座っていたけどこの失敗を考えると……。


 すくりと、ドラゴンが立ち上がるのを目にする。

 不思議な事に、彼は思ったよりも冷静だった。


「……悪い。気を失ってた。どの位時間が経った?」

「堕ちてから数秒。怪我は?」

「痛いし、腹立たしくて今にもキレそうだ。だけど……キレて良い状況じゃないだろ?」

「ああ。逃がした奴を追わないといけない」

「……一緒に堕ちたチビは?」

 吸血鬼はそれを指差す。


 血矢の刺さった腕はボロボロ、もう片方はもげかけ。

 その上心臓はしっかりと破壊され停止している。

 そこにあるのは、動かぬ死体であった。


「……ま、こいつが居ないなら……いや、その油断が俺をこうさせた。落ち着いて対処しないとな。追うならお前の方が得意だろ? 指示を出せ。聞いてやる」

 ドラゴンらしい尊大な態度だが、それでもしっかりと状況を理解している。

 これならあいつらを追いかけ処分する事も出来る。

 そうすれば、何も問題はない。

 これからも金払いの良いクライアントの元で楽に暮らしていける。


 そう、吸血鬼がちょっと油断した瞬間だった。

 それが、起き上がったのは。


 それは間違いなく、死んでいた。

 単なる死体であった。

 そのはずだった。


 だが、その死体は宙に浮かび、『めきっ』とか『ごきっ』とか背中が寒くなる様な音を連続して立て、ボコボコと形が変形していく。

 進化と呼ぶにはあまりにも邪悪過ぎる変態。

 人を喰い慣れた吸血鬼でさえも、恐怖を感じる程悍ましい変化。


 そしてその死体は――真なる姿を顕わにした。


 そこに、黄金の長い髪をした美しい男が立っていた。

 崖下の暗闇でも全く損なう事ない光に満ち、青と白の軍服の様な恰好をし、微笑を浮かべこちらを見ている。


 美しい。

 そう感じるのに、何故か……震えが止まらなかった。


「良い腕だ。私を一度殺すとは。見事と褒めよう。良く練られた技だ。惜しむらくは、コンビネーションがなかった事だが……スタンドプレーも味ではあるか」

 まるで他人事の様に、その男は口にする。


 震えが止まらない。

 いや、震えが強くなる。


 会話をするだけで跪きたくなる。

 ただ声を聴くだけで、頭を垂れ命を捨てたくなる。


 なんだこれは、一体どういう生物だ。

 彼らは多くの不条理を経験し、この世界の醜さ、悍ましさを見て来た。

 悍ましい世界を鼻で笑って生きて来た。


 だけど、これまで覚えた不条理は、世界の悍ましさは、単なるおままごとに過ぎなかった。

 真なる理不尽が、今目の前に立っていた。


「正直に言えば、こんな状況でも本当に気分が良いんだ。後の事を考えたら頭が痛いし、もしかしたら私の居場所はなくなってしまうのかもしれない。それでも……。だから、君達に選んで欲しい。今すぐ逃げるなら、私は何もしないと約束しよう」

 目の前の化物の言葉に吸血鬼とドラゴンは安堵を覚えた。


 だがすぐ、その安堵は疑心に変わる。

 本当か。

 本当にそうなのか。

 目の前の化物に、そんな簡単に心を許しても良いのか。

 恐怖と敬意から勝手に崇拝しそうになっている状況故に、彼らは必死に反発する。

 己が勝手に安堵するからこそ、その安堵が最も信用出来ないものと化していた。


 恐ろしさと美しさでおかしくなろうとする中でも、必死に自我を保とうとする。

 故に――。


「うわ、あ……ああ……ああああああああああああああ!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 二人は叫び、黄金に挑んだ。

 逃げる勇気を、持つ事が出来なかった。


「……そう、か。ありがとう。私に挑んでくれて」

 黄金は微笑を浮かべ、彼らを歓迎する。

 そして――彼らはそこから、いなくなった。




「お待たせしました」

 どこからともなくヒルデが現れ、ジークフリートの前に頭を垂れた。

「すまない。迷惑をかける」

「いいえ、我が主の事で迷惑など」

「君が来たという事は、彼らは無事に逃げられたのかな?」

「リュエル様のみ、今上で戦っておられます」

「――相手は……」

「名はわかりませんが、白猫と」

「ふむ? 状況は良くわからないが、危機であるのなら私が手を出した方が良いかい?」

「いえ、その必要はございません」

「そうか。ヒルデが言うのならそうであろう。ならば、私はどうすれば良いかな?」

「とりあえず、選択肢を三つ程用意しました」

「聞かせて貰おうか」

「はっ! 一つ目は、このまままっすぐ城に向かい入院しているという体で再封印となります」

「……我儘を言うが、また一か月の休みは辛いな……。学生として……」

「では二つ目、物凄く激痛が走りますが今すぐ封印状態に戻すという事も可能です」

「そんな事が? 前は出来なかったと思うが……」

「今の状況だからこそです。我が主が瞳を弱体化し、一度死ぬ程に負傷した今だからこそ可能な手段です」

「なるほど……。流石はヒルデ。日々成長している様だ」

「恐縮です」

「それで、最後の選択肢は?」

「擬似封印でお茶を濁し、日常に戻るという物です」

「それは却下したいね。もしもの事故が恐ろしい。では、二つ目を頼みたい」

「先程の痛みがそのまま戻って来て、死の境を彷徨う事になりますが……それでも……」

「私にとって何らリスクはない。頼もう」

「畏まりました。この身至らず主に苦痛を与えてしまう事、どうかお許しください」

 ヒルデはそう言って跪き、ジークフリートの手を掴み、その肉体の時を戻した――。




 気づいた時には、封印状態が戻っていた。

 ついでに右腕はもげかけ、左肩には穴が開き、心臓は今にもとまりそうに。

 それでも、クリスは平然としていた。

 まるで痛みなどないかの様に。


「おー。何されたかわからないけど、ありがとねヒルデ……って、だ、大丈夫?」

 肩で息をして、真っ青な顔で震えながらだくだくと大量に吐血するヒルデを見てあわあわとクリスは慌てた。

 その吐血具合は風呂でお湯を出す動物のアレっぽかった。


「だ、大丈夫です。ちょっと魔力が足りなかっただけですので……すぐ、応急処置を致しますのでお待ちをごぽぽ……」

「わ、私よりもヒルデの方が治療した方が良くない?」

「いえ……私はすぐには死にませんが、我が主は一分も持たず死にます。そうなるとまた戻っての繰り返しですので……次同じ事すれば私たぶん本当に死にますので。フリじゃありませんよ?」

「う、うぃ……。お願いするんよ」

「かしこまげふぉっ」

 盛大に吐血し、主の体を血に染めるヒルデ。

 普段飄々とし何でもさらっと熟すヒルデ故に、クリスは非常に無理を言ってしまったと強い罪悪感を抱いた。



ありがとうございました。

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