相部屋
『一時寮』
そんな名前の場所が、この学園には存在している。
その名の通り、泊まる場所がない人用に用意された一時的な寮である。
通常の流れだと、入学式の後にクラス分けが行われ、そこでしばらく暮らし、学園生活に慣れた位になってから正式な寮への移動が決定する。
早ければ一月、最悪一季節過ぎてから。
寮というシステムを利用した行事もある為、学園生活にある程度成れた後で入れるというのがこの学園での習わしであった。
まあ正式な寮に入ったからと言ってもクラスの移動やパーティーの移籍等、冒険者業務の活動方針といった諸々な事情によって暮らす場所を度々移動する事になるだろうが。
極端な言い方をすれば、利益も学びもない相手と長い間一緒に居られる事を学園は嫌っている。
生徒同士の交流は極力メリットを考えて行って欲しいと願っているかの様に。
そういった事情から寮の決定はもうしばらく後で、それよりも先に寮に入る場合はその『一時寮』に入る事になる。
ただ……寮が決まるのは当分後だとこの学園に入学する者の大半は予め知っている。
この街は王都であり首都。
であるならば当然、学園の周囲には宿泊施設が無数に存在する事も知っているはずだ。
何なら冒険者学園生専門の宿だって存在している。
寮に入らず外で暮らす生徒も決して少なくない。
そんな状況であるから、一時寮に来る様な存在はよほどな事情を持っているか、相当な変わり者か、その両方と言う事になるだろう。
もっとはっきり言えば、貧乏人とかブラックリストに入ってるとか、計画性がないとかそういう馬鹿が多い。
皆がそうとは言わないが性質の悪い輩が多い事も事実である為、学園長のウィードはクリスが一時寮に入る事を望んでいなかった。
なにせクリスはこの外見である。
ろくでもない奴が見れば確実に絡んで来るだろう。
もちろんクリスの事も心配している。
だけどウィードの心配はむしろクリスが引き起こすであろう大惨事の方にあった。
ふざけた外見だがその中身は黄金の魔王。
脅されて潰れる様な柔なメンタルじゃあないし、楽しそうという理由で厄介事にも兵器で首を突っ込む。
そんな彼が一時寮になんて入ったら、トラブルが雨後の筍状態となるなんて事は想像に難しくない。
だからウィードは必死に、本当に必死に説得した。
自分の屋敷に来て欲しい。
それが駄目でも来賓者用の宿泊ルームに来て欲しい。
というか何なら滞在中ずっと一緒の部屋で暮らそう。
そんなウィードの欲望塗れの希望を聞いた上で……。
『一時寮で』
迷わず答えるクリスの選択によってウィードは胃痛に苦しむ事が確定し、ついでに顔の皺も増えた。
道が舗装されて、街灯があって、建物がそこかしこにあって。
つまるところ、同じ。
学園の中は外の街並みとそう変わった様子はなかった。
「正門通りたかったなー」
学園には大きな正門があるのだが、入学試験用の臨時の入り口から通った為クリスは通っていない。
それが少しだけ残念でした。
『最初の道を左に曲がって、後はまっすぐ直進です』
ウィードの助言に従い、クリスは道を進む。
能力を失い若干方向音痴気味になっていて、本当に正しいのかわからずに進んでくこの状況が、少しだけ楽しかった。
道を進む事に街灯は減り、コンクリ舗装は石から土に。
ほんの一キロちょいだというのに反比例するかの様に自然は増えて森に囲まれ、まるで文明を逆さに進んでいるかの様な有様となった。
更に緩やかな山道に入って、えっちらおっちら疲れを楽しみながらゆっくり進んで、そしてついに目的の場所に到着する。
その木造建築物は薄暗い中でもわかる程ボロボロだった。
いや、この外見ではそれでさえ控えめな表現となるだろう。
ホラー展開がありそうな程のオンボロな廃墟と呼ぶ方がきっと正しい。
建物から明りが見えているけれど、それでも尚不気味さの方が勝っていた。
「ちょっとワクワクしてきた」
豪勢な建物、豪勢な部屋が当たり前であったあったクリスにとってこれもまた、小さな冒険の様であった。
「失礼しーます」
クリスは目を輝かせながら、寮の中に入る。
入り口には受付の様な物はなく、同時に誰もいない。
明るい中きょろきょろと周囲を見渡すが案内が来る気配もなかった。
クリスはウィードに渡された封筒を手に取り、中を取り出す。
中には金属の鍵が入っていて、そして封筒の表にはこう書かれていた。
『二人用相部屋3F023号室』
今のぽけぽけクリスでも、これが三階であるという事は理解出来た。
そのまま中に入ってから階段を探し、二度程登り、扉に書かれた番号を見ながらうろうろと。
一階二階三階と、どこでも相変わらず人の姿は全く見当たらない。
だけど、扉の向こうから生活音らしき物は聞こえた。
何か生物が居る様な音と、呪文の様なぶつぶつ呟く声。
他にも喧嘩らしき怒鳴り合いや壁に何かを叩きつける音等々……。
その不穏さはまるでスラム街の様であった。
まあ、クリスはスラム街の実態なんて漫画でしか知らないのだが。
こんなだから、ウィードは一時寮に行かせたくなかったのだ。
何にでも興味を持つ今のクリスには。
「ちょっと緊張してきた」
緊張と書いて、ワクワクと読む。
そんな気持ちでついに目的の部屋の前に。
音こそないものの、明らかに人気の様な物が向こうから感じられた。
静かにノックを何度か重ね、渡された鍵を鍵穴に。
ガチャっと小気味良い音が帰ってきて、クリスは扉を開いた。
彼は部屋の奥、窓際に置かれたソファに座りながら、片手に持った文庫本から視線を外し、クリスに微笑みかけてきた。
「こんばんは。随分と遅い登場だね。おかげで独り占めの贅沢な時間を楽しめたよ。ありがとう」
彼の外見は、おおよそ冒険者と呼ぶに相応しいものではなかった。
例えるならば、ガラスの薔薇。
あまりにも繊細で、ただ触れるだけで壊れてしまいそうな、そんな儚げな印象。
それと同時に、その耳は随分と上の方にあり、獣の様な特徴を持っている。
犬にも狼にも見える獣の耳。
つまり、クリスと同じ物である。
いやまあ、耳そのものの構造は似通っているかもしれないがはかなげ美形獣人とぬいぐるみでは色々と異なり過ぎているが。
ケモミミ同士だから相部屋に選ばれた。
そう思うのが普通だろうが、クリスはそれだけでないと勘づいていた。
「こんばんは。失礼します。先輩」
クリスはそう言ってぺこりと頭を下げ、部屋に上がった。
「……分かるのかい?」
ちょっと楽しそうに、彼は本を閉じた。
「うぃ」
「どうしてわかったのか、聞いても良い?」
「なんとなーくな感じだけど、相手の力量がわかるの。それで、ちょっと新入生は無理があるなって」
「ふぅむ。だけどその理論には穴がある。この学園には現役冒険者とか道場の跡継ぎとかが入る事も珍しくない。事実、僕よりも強い新入生だってゴロゴロいる。なのに何故僕が先輩だと確信を持って?」
「ただ強いだけじゃなくて、経験の数、年数が違うから。強いだけじゃなくて、貴方はベテラン。しかもほんのり闇系の」
断言する様に目をぱちくりとした後、小さく苦笑し両手を挙げて降参を示した。
「おみそれしました。随分と良く見える目をお持ちの様で。僕はリーガ。獣身、牙の民の一族。それと、ここでは六年程君達の先輩をさせてもらってるよ」
「よろしくリーガ。私はジーク・クリス。好きに呼んで。種族は不明で、ぴっかぴかの新入生です」
クリスの差し出した手を見て、リーガは膝を床に付き握手に答える。
もふもふしたコッペパンみたいな手だから、握手になっているか自信はなかったが。
獣身。
それはハイドランド王国内に存在する最大規模の獣人集落である。
自然と共に生き、自然の恵みを味わい、自然の厳しさの中己を鍛える。
独立こそしてないものの自治権に近い物は所有している為、国の中にある小国と言い換えても良いかもしれない。
リーガは己を牙の民と言ったがそれは特定の一族を表す言葉ではなく、役職を表す言葉。
それは獣身の食料担当をしている部署を示す言葉だった。
その業務は狩猟だけでなく農耕から調理も含められ、文字通り食料に関する全ての義務、権限を保有していた。
「さて、そろそろ部屋の使い方を決めようか。短い間とは言えパートナーだ。事前に決め事は作った方が良い。という訳で、何か意見はあるかい? この時間は一人にして欲しいとか、この場所に入らないで欲しいとか、金庫の使用についてとか。在校生として新入生にサービスはするつもりだよ」
「特にないけど……」
「けど?」
「二段ベッドの取り合いはしたい」
上のベッドに行きたいのではなく、奪い合いの方。
そのニュアンスに気付き、リーガは微笑んだ。
「なるほど。それは確かに寮生の醍醐味かもね」
そう答え、コインを取り出し不敵な笑みを。
クリスもにやりと同意を示す様に笑った。
互いに相手の意図に気付いて、そして合わせた瞬間だった。
そのコインは、この国の通貨ではない。
少なくともクリスは見た事がなかった
恐らく偽物だろう。
このタイミングでわざわざレプリカのコインを取り出したという事は、イカサマの可能性があるという事だろう。
そう考えた上で、クリスは目を楽しみで輝かせた。
気分は下町酒場の荒くれ者。
クリスは空気に酔っていた。
「それじゃ、はいっ」
リーガはコインを天に弾き、落ちて来るコインを両手をクロスさせながらぱしっと掴んだ。
「さて、コインは右と左、どっちだ?」
「……なんと。表裏ではなくそっちで来るかぁ」
「そっちの方が良かった?」
「ううん。嬉しいサプライズだった。好きな漫画の一シーンみたいで」
「その漫画のキャラってコインで戦う?」
「うぃ」
「声も姿も渋い?」
「うぃ」
「執事?」
「うぃうぃ」
「なるほど。その漫画僕も好き」
「良いよね」
「良き」
リーガは一旦コインを胸ポケットにしまい、二度目の握手を交わした。
「さて、同志というのならあんな温い事はしないで、全力で行こう。あの漫画が好きというのならば、それを期待してると思うし」
「うぃ。望むところ」
リーガは流れる様に胸ポケットからコインを取り出し、キィンと小気味良い音を立て高くに飛ばした。
ぱしっ、ぱしっと何度も宙で音が響く。
コインは空から完全に消えていた。
気づけばリーガの両腕も、早すぎて消えたみたいになっていた。
そしてしばらくしてから、リーガは両手を前に差し出した。
「さ、どーっちだ」
「右手」
リーガはにやっとした笑みを浮かべ、左手を開く。
その手の中には、先程のコインが握られていた。
「はい、残念でした」
「うん。残念。さて、そのまま右手も開いてみて」
「……あれ? バレてた」
舌を出して笑いながら、リーガは右手を開く。
その中にも、同じコインが入っていた。
「最初に投げた時も二枚持っていたし。あの時は譲る為にどっち選んでも正解にするつもりだった。違う?」
「いいや、違わないとも」
「更に言えば、二回目の時は三枚だった。上に跳ばしたコインは最終的に胸の中に戻って、残り二枚はずっと両手に握ってた。最初からコイン三枚使っていた」
リーガはぱちぱちと拍手をしてみせた。
「お見事。初見でそこまで見抜かれるとはね。これでも僕酒場で割と荒稼ぎする方なのに」
「その手の仕事とやらに興味があります」
「残念。それはもう少し大人になってからだ」
「ちぇー」
「ま、今回は負けを認めよう。久々の完敗だ、悔しいけれど二段ベッドの上は君に譲ろう。まあぶっちゃけ勝っても下を選ぶつもりだったけど」
「何故?」
「僕、高いところあんま好きじゃないんだ」
「なるほど。そう言う事なら喜んで」
クリスは小さなバッグをベッドの方に投げ、リーガの隣にぽんと座った。
「おや?」
「もう少しお話しない?」
「もちろん良いとも。何か聞きたい事ある?」
「とりあえず一個。とっても大切なお話が」
「何かな?」
「お夕飯は、どうしたら良いですか?」
「ないよ」
「……えっ」
「この寮に、そんな物は残念ながらないかな。ちなみに僕は小食でね、三日に一度食べられたら良いから、大した準備もしていない」
「なんと」
「どうする? 食堂に連れていってあげようか?」
「んー。まあいいや。我慢しよう。代わりに明日の朝一緒に食べない?」
「良いとも。じゃ、代わりにこれをあげよう」
リーガは自分のハンドバッグの中から棒状の物を手渡した。
「これは?」
「この学園に売ってる保存食。出会いの記念におひとつどうぞ」
「わーい! ありがとう!」
袋を取り、期待に胸を輝かせ、そのクッキーの様な形状のそれを一口食べて……。
「凄い! 凄く不味い!」
とても笑顔でそう言い切った。
その保存食は餓死寸前であっても食べ残すと言われている伝説の激マズ保存食。
材料が何なのか、そもそもどういう食べ物が元なのか、そもそも本当に食べ物なのかという哲学的思考に陥る程に不味い。
外側はぱさつき、内側はべっちょりと粘っこい。
ねちょっとしたキャラメルをぱっさぱさの乾パンで包んだ感じに近い。
だけど味はとにかく濃厚でくどく、脂っこい上に言葉に出来ない程不味い。
一口だけで喉が拒絶感を起こして受け付けず、嘔吐中枢が刺激され頭痛が誘発する程に。
十人中十人が『これは本当に食べ物か』と疑惑に思う程には不味い。
正直罰ゲームの領域である。
「あははははは! それ一番安い奴。冒険中の保存食をケチったらこうなるっていう先輩から教訓の為に持ち歩いているんだ!」
「不味い! 不味い!」
叫びながらもクリスは何故か嬉しそうに食べ進み、そして完食する。
その様子に、リーガは若干引いていた。
ありがとうございました。