婚約破棄されたし、魔女集会に愚痴りにいくかぁ……。
いつもの事だった。
だからロザリーは婚約者であるセドリックが投げたフルーツの籠を避けようという気にならなかった。
色とりどりの美しい宝石のような果実が宙を舞う。いくつかが顔面に激突したが問題ないいつもの事だ。
こんな風に投げられるフルーツですら瑞々しく美しいものがそろえられているのは、セドリックがこの国の王太子で私室にあるもののすべてが最高級の品であるからだ。
彼の鬼のような形相と飛んでいくフルーツがロザリーにはスローモーションに見えてただ関係ない事を考えていた。
……疲れたなぁ。
この後の事を考えると憂鬱で仕方がない、しかしどうすることもできないので受け入れるほか無いのだが、それにしても気力がわかなかった。
けれどもこの後の彼に謝り倒して、なんとか今日も生をつなぐという予定を覆す出来事が起こった。
飛んできた果実の陰から飛び出した銀色にぬらりと光る美しい果物ナイフ。
きらりと輝くその刀身は、今まで見た刃物の中で一番美しい。
先ほど言ったようにこの部屋にあるものはすべて最高級だ。
職人が美しい装飾をして、そして丹念に研ぎ澄まされた銀のナイフは目で追う事しか出来ず、眼下に迫り、ロザリーの瞼を撫で上げた。
「あっ……」
熱い刺激が走る。目が回りそうなほどの痛みが走ってロザリーはソファーの上で蹲った。
スローの世界は終わりを告げてごとごととフルーツが落ちる音が聞こえた。
「誰のせいでこんなに俺が惨めなのかわかるだろ!! 今日だって何度俺が、魔力無し、魔法なし、器量も悪い女を娶る程度の男だと詰られたか覚えてるか?!」
「……、……」
「オードラン公爵家から王妃を出したいからと言って、王家を利用するようなことしやがって、それでつかまされた女がお前みたいな出来損ないだ!俺を哀れに思わないのか?!」
「……」
「俺はこの国の王になる男だぞ、なのにどうしてこんな屈辱を受けなければならない!」
怒鳴りつける声が聞こえてくる。ロザリーはセドリックの言葉を聞いてまたその話かと呆れたような心境になった。
ロザリーの実家であるオードラン公爵家が、自分の血筋から王妃を出したかったというのは事実だ。
しかし、国全体での不作が続く中、隣国ブルケーネ王国との外交の為にと言い訳をして、散財を続けて国庫を脅かした王族だって非があっただろう。
そしてその事実を隠すために王族は内々に、国の中で最も古く権威のあるオードラン公爵家と約束を取り交わした。
オードラン公爵家が金銭的な補填をする代わりに、公爵令嬢であるロザリーを嫁にするという契約を交わしたのだ。
「おい、いつまで俯いてる! 謝罪しろよこの俺に!! お前が少しでも努力して貴族たちに認められれば、俺の名誉も守られるのに! お前が怠惰で不出来で馬鹿で間抜けなばっかりに俺まで馬鹿にされるようなことになって申し訳ありませんと!! 謝れぇ!!!」
「……」
向かい側から獣のように怒鳴りつけるセドリックに、ロザリーは手から滴り落ちる液体を確認しつつ起き上がろうと考える。しかし、酷い痛みに体が固まってしまって動かない。
……落ち着け。ゆっくり。
目元を圧迫しつつ普段のように謝罪をしようと考える。
彼の言った通りに、いつもは声を張り上げて謝るのが常だ。
こうして王太子の婚約者になったばかりの時には、こんな習慣はなかった。しかし、諸事情によりロザリーは将来こんな風になることを想像はしていた。
しかし、親のいう事には逆らえない。
大人しく婚約をして成長していけば、ロザリーが魔力も、魔法もまったくない、貴族としては欠陥品であるという事が露見した。
そのあたりからだろうセドリックが高いプライドを維持できずに、ロザリーという欠陥品と結婚する事を周りの貴族に詰られ、ロザリーに当たるようになった。
それからは必死に謝罪をすることによって、致命的な事が起こらないように勤めてきた。
「……? おい、なんだフルーツが当たったぐらいで大袈裟にしやがって」
今までずっと従順だったロザリーが一向に謝罪を始めない事に疑問をもったセドリックは、ずかずかと歩いてきてロザリーの肩を掴んだ。
そんな彼がロザリーの状況を正しく認識する前に、フルーツを片付けていた侍女が「ひゃあ!」とか細い悲鳴を上げた。
ともに仕事をしていた侍女たちは集まってきて次々に驚きの声を漏らす。
「え」
「これって」
血の付いた果物ナイフが見つかったのだろう。
ぐっと肩を引かれて、ロザリーはやっと体を起こした。
「……っ、申し訳、ありません」
そして謝罪をしようと考えていたので顔をあげて彼を見上げるタイミングで口にした。
「!」
真っ赤な血液が流れ出している顔をあげるといくつもの筋が出来て頬を伝って血液が流れ落ちていった。
酷い痛みに呼吸が荒くなって頭がぐらぐらとしてくる。そんな頭で長年一応は連れ添った婚約者のセドリックがどんな反応をするのかとふと考えた。
少しぐらいは、やってしまったと思ってくれるだろうか。
「っ……ハッ」
しかし、彼の浮かべた表情はまさしく喜びで、これでロザリーを娶らなくても済むと考えているのだとすぐに理解できた。
その表情を最後にロザリーは意識を失ってぐったりとソファーに倒れこんだのだった。
目が覚めた時にはすべて手遅れの状態だった。
ロザリーはすでにオードラン公爵家の屋敷に戻されていて、自分についている侍女から聞いた話によると、社交界で今ロザリーは、下働きの男と秘密の関係を結んでいてその相手との痴情のもつれで、ナイフで顔を切り付けられたということになっていた。
ロザリーは魔法も魔力も持っていない欠陥貴族であるために、そのような平民の男と関係を結んで、怪我を負わされたのだと魔力がない事を引き合いに出されて悪評を広められた。
もちろん、結婚前に他人と関係を持っていた貴族令嬢など価値はない。
セドリックはそれを引き合いに出して、オードラン公爵家に別の令嬢と取り換えることを提案した。
オードラン公爵家の中で一番出来が悪かったロザリーを契約を盾に婚約させていたがそういう事なら、とその申し出は許可された。そしてどうやら、魔力も魔法もきちんとある妹が婚約者に選ばれたらしい。
事故とはいえ女の顔を傷つけた男に嫁ぐなど不憫なことだが、そもそも彼のプライドを著しく傷つけるような相手だったロザリーが居なくなったので、その暴力性も引っ込むかもしれないし、どうなるかは彼ら次第だろう。
……それに王妃の地位はとても魅力的だろうし……でも私はこうなった以上は、この家で無価値。
ただでさえ貴族として欠陥があったのに、結婚前に不貞をして出戻った女など、オードラン公爵家の中では不要な存在だ。
ため息をついて、包帯をぐるぐると巻かれている目元に触れた。視界が悪くて非常に邪魔なそれを指先でつまんで引っ張って考えた。
……いっそ、こんな傷、なくしちゃおうかなぁ。
イラついてカリカリと傷をひっかく、しかしそれをやるには傷を多くの人に見られすぎてしまった。
流石に水の魔法でも傷がついて時間がたってしまった傷はもどせないし無くなった機能を回復させることは出来ない、やってしまえば常識から外れる。
つまりは手遅れという事だ。
常識外れでもいいから、なんとかならないかと考えていると、唐突に部屋のドアが開いた。
ノックもなしに勝手に開けられて勝手に人が入ってくる。もうロザリーは貴族として扱わないという事だろう。
中へと入ってきたのは、実の父親であるオードラン公爵だ。彼は親という一面よりも貴族としての体面を大切にするとても合理的な人間だ。
「……目が覚めたようだな」
「はい」
使用人を沢山引き連れてベッドにいるロザリーの元へとやってくる。
さすがにベッドに座ったままでは失礼だろうと考えてロザリーが降りようとすると、その行動を制するように片手を前に出して冷たい瞳を向けた。
「ああ良い、楽にしていろ。もう其方には微塵も期待などしておらぬから」
「……」
「其方のような女はこのオードラン公爵家にふさわしくない、今までは政略結婚の道具として利用価値もあったが、その価値を自ら捨てたような欠陥品を養ってやる義理もないだろう」
「……そう、ですか」
「其方は死んだこととする。其方は今日からオードランの名を名乗るな。そしてどこぞにでも消えろ、この畜生女め」
怒りの滲んだ渋い声で言われてロザリーは、無言を返す。
そのまま、優雅に去っていく父親に、やっぱり長いため息をついた。
……想像通りというか、ブレない人だなぁ。
のんきにそんなことを考えたが、状況は絶望的だろう。
平民に身分を落としたとしてどうやって生きようか、まだ年若いし、危険もあるかもしれない。せめて身元を保証してくれる人ぐらいはいないと仕事もないだろう。
この家から放り出されるとして考えなければならない事、やらなければならない事が大量に思い浮かんだが、もうなんだか全部が面倒くさくなって、ロザリーは目をつむった。
ふて寝をしようというのではない。ただ、話を聞いてもらいに……というかやってらんない状況を愚痴りに行こうと思う。
こうして普通に生きることを選んだからにはあまり関わらないようにしていたがいい加減限界だ。
……魔女集会、顔出すの一年ぶりぐらいかな?
考えつつも目を瞑った。
魔女という存在は、この世界では認知されていない。しかし世界各地に伝承としては残されており、全知全能とも不老不死ともいわれている魔術の天才である魔女は、人々の記憶の中でおとぎ話として存在していた。
そんな存在がいたら出会ってみたいと誰もが夢見る素晴らしい能力の持ち主だが、常識的に考えて存在などしていないだろうと多くの人間が大人になって知ることになる。
しかし、魔女というのは確かにこの世界に根付いて存在している。
起源は本人たちも知らないほどに長い歴史を人間と寄り添って存在し続けている。そしてそんな魔女たちが現世とは別の空間で情報共有に集まるのが魔女集会だ。
別の空間を、人間は夢ともいうし、異空間とも言う、とにかく常識外れの場所で常識外れの存在が雑談するのが魔女集会というものだ。
「……誰か話の通じる人がいればいいけどなぁ」
ロザリーはこの場所に集まる魔女たちの顔を思い浮かべつつ、集会場に入る。
今日のこの空間はどこかののどかな田舎のような風景をしていて、美しい野花が咲いている。良い意味であまり手入れをしてなさそうな小規模な庭園にいくつかのテーブルセットが置いてあった。
こんな感じの場所を作る魔女は数人思い浮かぶが、そのうちの一番話の通じる親しみ深い魔女が退屈そうに座っていた。
人の気配を感じて彼女はぱっと顔をあげて、金色の美しい瞳を細めてロザリーを見た。
「あら~、七番目の魔女じゃない。珍しいわねぇ」
「ロザリーだよマリエット。いったい何回言ったら覚えてくれるの?」
「名前なんてどうでもいいじゃないの。どうせすぐに変わるんだから、面倒くさいもの。ねぇ、フェリシアン」
「え、俺に振られても困るんだけど」
「なによぉ。あなたはただうんうん言ってればいいのよ、まったく~」
彼女はおっとりとそう口にして、給仕をしていたフェリシアンの頬をグイっと引っ張った。それに「わぁー、魔女様やめてって」と言いつつやんわりと彼女の手をとろうとする。
彼女は恐ろしいほどに美しくすらりと伸びた美しい手足に、染み一つない陶器のような肌をしていて、金の目と金の髪は日差しのある場所では眩しいほどだった。
一つ一つの発言などまったく気にならないほどに彼女は美しく、一目見ただけで十人の男が全員惚れるような顔つきをしている。
それは、長年のスキンケアと日焼け対策のたまものなのではなく、彼女は生まれた時からずっとこの姿なのだ。
魔女の多くは死んだとしても記憶を引き継ぐことが出来るし、そもそも滅多に死なない。ロザリーのように生まれた場所と状況からまったく動かずにその人生をまっとうしようとしていることの方が珍しいのだ。
だからこそ、生まれては寿命をまっとうして死んですぐに名前が変わるロザリーを七番目という順番で呼ぶ。
ロザリーはそういった知識だけは、引き継いで記憶は引き継がないタイプの魔女なのだ。
だからこそ毎度新鮮な人生を送っている。きっと前世から行き当たりばったりが好きなタイプだったのだろう。
「ところであなた、なぁにその傷。見苦しいわねぇ」
フェリシアンを一通り虐めたマリエットはロザリーに視線をうつす。そう言われてロザリーはこの場所だけならば問題ないかと、目元の傷を完全に元通りに治して彼女と同じ卓に座った。
「……あのね。ちょっと嫌なことがあったんだけど」
難しい顔をしてマリエットに言うと、彼女は少しだけ間をおいてから、頬杖をついて首を傾げた。
美しい金髪はさらりと揺れて、艶やかな唇が小さく弧を描く。
その些細な仕草だけでも圧倒的に美しいが、ロザリーも一応同じ魔女なので彼女にうっかり惚れてしまうということは無い。
「なぁに、聞くわよ。このお姉さまになんでも言ってみなさい? ……なんてね、ふふっ」
「真面目に言ってるんだけど」
「あら、私も真面目よ。フェリシアンもそこに座りなさいよ。従者の真似事なんてしなくてもいいわ」
「えー、でも魔女様、お茶は出すけど片付けないから、いつも部屋は汚いし、俺が来るたびに掃除してるのに一向に直してくれないじゃん」
「そんなのはいいのよ。私は暮らしやすいようにしてるだけなんだからぁ。それに……口うるさいあなたなんかより、あなたがよこす使用人の方がずっとマシだわ。静かに言う事を聞くだけだもの」
「俺と使用人を比べないでっていつも言ってるじゃないか」
「あら、嫌ね。実家に帰ってからずいぶんに偉そうになって」
ロザリーが話をしようと思っていたのにいつの間にか、フェリシアンとマリエットが言い合いを始めてしまって、彼らの関係性を謎に思いながらも静かに見つめた。
マリエットは魔女の中でも大分長生きをしている方で、人間とのかかわりなど持つような人ではなかった。
しかし、十年前ぐらいだっただろうか。その頃からフェリシアンを連れ歩くようになった。
「……あなたが戻れっていうから戻ったのに……色々融通をきかせてるのに」
「あら、忘れたわ~。だって私お祖母ちゃんだもの」
その時にはフェリシアンはまだまだ十歳ごろの子供で、どこかから拾ってきたという彼女に、珍しいと思ったものだった。
長年生きている魔女は人と関わることもおっくうになっていくものだし、ましてや子供なんてもの視界にも入れたくないという人が多い。
そんな彼女がやんちゃな男の子を育てている様に看過されて一時期魔女たちの間でも何故か子供を拾うブームがあったが拾われた彼らは今どうなっているだろうか。
「……」
とりあえずマリエットのところのフェリシアンはこんなに立派になっているし大丈夫だろうと彼を見た。
すると、ロザリーの視線に気がついてフェリシアンは気遣うように笑みを浮かべて事情を説明した。
「あ、俺は今、色々ごたごたが片付いてブルケーネの実家に戻ってるんだ。魔女様はほっとくとすぐに、不摂生ばかりするから人を送ったりたまに戻ったりしてるんだけど……自分の育ての親ながら……素直じゃなくて……」
彼は、責めるとすぐにおばあちゃんだからと言い訳をする彼女に相当イラついているらしく笑みを浮かべながら青筋を浮かべるという器用なことをしていた。
とても健全な親子関係にロザリーは真面目に生きている自分の今の家族の事を考えて少し憂鬱になった。
「でも、ロザリーからなにか話が有ったんだよな。ごめん、邪魔して。俺も聞いていい?」
「もちろん……。……それで、私の人生についてなんだけど━━━━」
そんな言葉で始まった愚痴は、十六年生きてきた間に少しずつたまったこの人生についてそのものの愚痴であり、最終的に顔の傷の件に触れてもう国ごと滅茶苦茶にしてやりたいと思っていたほどに自分が怒っていたことをロザリーはやっと自覚したのだった。
「はぁぁ~……すっきりしたぁ」
最後にそう言ってロザリーはスンと鼻を啜った。決して決定的に何かが改善したわけではないし、問題は山積みになったままだ。
しかし、人に話をするといかにセドリックが最低な男でそんな男に、魔力も魔法も持たないロザリーを嫁がせる父も、どれほど冷徹だったか理解が出来た。
悲しく思うのはなんだか負けた気がして嫌だったけれど、自覚できれば、自然と涙が出てきた。
自分が涙をこぼしても正当だと気がつくことが出来た。ロザリーは、たしかに今の貴族社会では役に立たない欠陥品だ。しかし、それでも人に尽くしてきたと思う。
魔女だけれども、その前にこの貴族社会を必死に生きてきた一人の令嬢だ。
そんな自分をないがしろにされて捨てられれば悲しくもなる。
「随分、うっぷんが溜まってたのねぇ。私、てっきり七番目は人間が大好きなのだと思ってたわぁ」
「そんなことないよ。っていうかむしろ人間の醜さには呆れるぐらい。好きなわけない」
なんだかんだ言って静かに話を聞いてくれたマリエットは、ロザリーを意外そうに見ながらそう言った。
彼女の言葉に、こうして生きることを選んでいるからこそ言わなかった言葉をやけくそになってロザリーは返す。
……セドリックのことも、今の兄妹の事も、両親の事も好きになろうと努力してきた。
魔力や魔法の事が引き合いに出されても大丈夫なように、この時代のことを学ぶ姿勢に余念はなかった。
しかし、それでもロザリー個人の能力など誰も見向きもせずに、家の方針や婚約者に翻弄されて必死に生きるしかなかった。
こんな時代もこんな人間たちをどうして今のロザリーが好きになれるだろうか。
「あら~。じゃあ、あなたの敵になる人間は皆殺してしまえばいいじゃない。ネズミや鳥にして野生に放つのはどう? 自然と死んでいくわよ」
「……」
「残った人間たちは皆醜悪な姿に変えて、あなただけが美しくあればいいわ。なによりも大切にされるわよ」
「……」
「お姉さまたちには私から話をしておいてあげる。大丈夫よ、ほんの一国の中で奇妙な伝染病が流行ったことにすればいいんだもの」
ロザリーの言葉を聞いてマリエットはいつものように美しく微笑んだまま仕返しの方法を提案した。
そんなにロザリーが嫌な目にあわされたのなら、一国ぐらい酷い事になってもいいだろうと考えてくれたらしい。
たしかにそのぐらいしてもいいと思う。なんせロザリーは怒っているのだしこれでも頑張った。
それなのに認めてもらえないのは国が悪い……悪いし、人間も嫌いなのだが……。
「……マリエット……ありがとう。でも、殺しも壊しもしないよ、私」
「まぁ、どうして? あなた魔女なのよ、復讐ぐらいしてもいいじゃない」
当たり前のようにマリエットは聞いてくる。それにロザリーは少し悲しくなりながらも口にした。
「私、これでも人間らしく生きたいの」
「……酔狂ねぇ。……ああ、でもそれならあなたにも希望があるわね、フェリシアン」
ロザリーの言葉に、マリエットは寂しそうに口にした。しかしそれからすぐに話を切り替えて、隣に座っているフェリシアンに視線を向けた。
人間が嫌いだという話を聞かされて、人間の彼はどうやら落ち込んでいる様子だった。
確かによく考えると失礼なことをしていたかもしれない。ロザリーはどんな風にフォローしようかと考えたが、マリエットの言葉の意味は分からない。
「フェリシアンがどうかしたの? というかごめんなさい、人間の君はこんな話気分が悪いよね」
「いや、俺はそういうのは気にならないから……でも、魔女様。俺、言うつもりないって言ってあったじゃん」
「あら? そうだったかしら、なんにせよ。七番目はまだ人間として生きるし、婚約も破棄されたらしいわよ。男らしく言ったらどうかしら、ふふっ」
「魔女様、なんでそう勝手に」
「いいじゃない。……それに昔から七番目は選り好みしないタイプよ」
「だから、そういう話じゃないって……」
なにやら問答をし始めた二人に、話が分からなくてロザリーは首をかしげてフェリシアンをみた。
すると彼はロザリーの視線に気がついて、一度マリエットのことを睨んだ後に、ロザリーに視線を向ける。
その顔は少し赤くて不思議な表情にロザリーはキョトンとしてしまった。
「えっと……その、ロザリー。これは決して魔女様がばらしてしまったから言うんじゃないんだ、ただ、勘違いしないでほしいんだけど昔からあなたが…………」
「私が?」
途中で言葉が止まって、催促するように言えば彼は、口をつぐんだまま険しい顔をして、目をそらして続けた。
「あなたを俺は心配していて!」
「心配?」
「そう、魔女なのに人間社会で生きていてがんばってるあなたが、酷い目に合わないか心配だったんだ」
……普通の人間よりよっぽど危険な魔女だけど、そんな私を……心配?
というか、一国を滅ぼしてしまおうかとフェリシアンの養母と話をしているような魔女を人間の彼が心配するのは妙な違和感があった。
「あらぁ~?? ロザリーが可愛いから、心配で、好きだから何かあったら助けになりたいんじゃなかったのぉ?」
……好き?
フェリシアンの言葉を補足するようにマリエットがそういって、彼は拳を握って怒りを抑えている様子だった。
どうやら反応を見るに、マリエットの言った言葉は事実だったらしく、それならば少し納得ができた。
フェリシアンとロザリーの歳は近いし、魔女集会で顔を合わせるとたまに話をしていた。価値観も他の魔女やマリエットに比べても近かったから親しく思ってくれていたのかもしれない。
「魔女様っ! もう、いつも俺の事、揶揄って!」
「やだ、怒らないでよ。フェリシアン。大丈夫よ。ねぇ、七番目」
「?」
「フェリシアンは、長く行方不明になってたでしょう?」
「そうね」
「だからまだ、婚約者もいないし、恋人もいないのよ。あなた、婚約も破棄されて居場所がないんでしょう? それならフェリシアンに貰われてあげてくれない、この子なら信用できる人間でしょう」
マリエットはうっとりしてしまうほどやさしく笑って、隣にいるフェリシアンの顎をこちょこちょと撫でた。
フェリシアンの方はよほどマリエットにイラついているのかその手をべしっと払いのけてきつく睨む。
しかし、ロザリーと目が合うと途端に難しい顔をして、頬を染めるだけで否定しない、ということは彼はそういう風になってもいいと思っているのだろう。
それに彼がどんな身分の人間でも、ロザリーは特に困らない。これから平民になる予定だし、身元保証人になってくれればロザリーも働くことが出来る。
親しく思っている相手と所帯を持てて、さらには働き口も見つけられそうだなんて名案ではないか。
「……私みたいな魔女でよければ、嬉しいし、ありがたいよ。あ……でも体面が悪いかも」
具体的にそうなることを考えたが、もし彼が貴族だった場合には平民と密通して顔に傷をつけた女など娶ったら、家族にも使用人にも文句を言われるかもしれない。
「全然、問題ない! むしろ、あなたと結婚出来るならなんでもするっ」
しかし、食い気味に彼にそういわれてロザリーは瞳を瞬いた。しかしそれほど、この生まれたままの外見を好きになってくれたというのならば喜んで受け入れようと思う。
そのままロザリーは彼が迎えに来てくれるというので甘えることにして結婚の約束をして魔女集会から抜け出したのだった。
ロザリーは魔女集会からもどって、温情として与えられた数日間の療養期間をのんびりと過ごしていた。
扱いは適当で、使用人も外されて食事が配給されるだけの生活だったけれど自分の部屋で過ごせているだけありがたい。
そのうちフェリシアンが迎えに来るはずなので気楽に構えて、狭くなった視界に慣れるために本を読んでいた。
しかし三日という短い期間でその療養期間は終わりを告げて、ロザリーは屋敷の隅っこの小さな部屋から引っ張り出されて、猛烈に飾り立てられた。
頭のてっぺんからつま先まで綺麗に磨き上げられて、豪奢なドレスを着せられた。
顔の傷が気にならないように前髪を慎重に整えられた。
それから、異常なほど震える両親に連れられて王宮に足を運んだ。
その間に気苦労で小さな老人のようになった父と母にこれでもかと謝罪をされて、ロザリーは状況も把握できないまま、王宮の一番上等な応接室で国王陛下、王妃殿下、元婚約者のセドリックなどに見守られる中、フェリシアンに引き渡された。
「フェリシアン第二王子殿下、これで我が国の国境付近にいる騎士団は引くのですな!」
「一応、そのつもりだけど。帰ってからまた使者を送るから、それまでは大人しくしてくれるとあなた方に損失はないかと」
「そ、それでは国境付近の周辺貴族に、説明がつきませんっ! これでも急な要求に対応しているというのに、あまりに横暴では!?」
「横暴? いや、無くても問題ない小国にわざわざ俺がきて穏便に済ませる方法を提示してあげたんだから、流石にあなた方は望みすぎだ」
フェリシアンはロザリーの腕を掴んだまま、大剣に手をかけて威嚇するようにその瞳を細めて王族たちを見つめた。
彼らは珍しく立っていて、いつもなら貴族たちに立場をわからせるために自分たちはゆったりと座っているのに、今は国の騎士たちで回りをがっつりと囲んで、警戒するようにフェリシアンをじっと見つめていた。
国王や王妃はまだ守られている分、強気にフェリシアンに向き合っている様子だったが、ここまで立ち会った父と母はお互いに身を寄せ合って、部屋の隅へと移動していた。
こんなに彼らが怯えている理由にロザリーは今しがた気がついた。
この国の隣国、ブルケーネ王国は非常に大きく、しょっちゅう不作が起きるこの国とは違ってすさまじい国力を持ち、さらに、王族は代々素晴らしい戦争の才能を持ち合わせている。
現在の国王も王太子もさることながら、しばらく行方知れずとなっていた第二王子がとてもじゃないが人間とは思えない戦闘センスを持っているらしく、そして容赦も無ければ、脈絡もなく他国に攻め入り城を陥落させることもしばしばあるんだそう。
そんな第二王子は天災のように扱われ、彼を見ると誰もがとりあえず逃げ出す。
「この場で俺に文句を言ってなんになる? 大人しくロザリーを差し出したから見逃してあげるって言ってるんだから、それでいいだろ」
「し、しかしッ」
「わかった、殺されたいならそう言ってくれればよかったのに」
言いながら彼は剣を抜いた。
そんな彼をロザリーは見つめてその横顔を眺めた。
たしかにマリエットの養い子のフェリシアンだ。彼女のそばではあんなに無害そうに見えたのに……いや、今でも無害そうに見えるのだが、行動が常識を超えている。
彼が剣を抜いたことで彼のお付きの騎士たちも抜刀し、王族を守る騎士たちも一気に戦闘態勢に入る。
しかし、そんな緊張状態に耐えられなかったらしく、国王陛下は情けない声で叫んだ。
「わかったッ!! 良い、フェリシアン第二王子殿下、其方の望む通りで構わない! だからその娘を連れて早くここから去ってくれ!」
「……そういう事なら、わかった。ロザリー、いこう」
言われて手を引かれた。そのまま連れられて、外に出る。
王宮にはブルケーネ王国の紋章がついている馬車がいくつも並んでいて、そのうちの一つに乗り込んでしまえば本当にすぐに出発した。
馬車の中はフェリシアンと二人きりだ。ガタゴトと音を立てて少しずつ王宮が離れていく。
一応、見送るために外に出ていた王族は呆然と馬車を見つめている様子だった。
ロザリーも後ろについている窓からその様子を眺めた。
長らく婚約者だったセドリック、それから両親、あまりかかわりのなかった国王陛下夫妻。
あんなに怯えている姿は全員初めて見たが、もう二度と会わないと思うと思う所はあるけれど健やかに生きてほしいと望んだ。
「あ、そっか。ごめん、あなたの復讐がまだだったか。俺がやっておくよ」
「復讐?」
聞き返すと彼は、常識人のような顔のまま魔力を使って岩石を生み出す、それから風の魔法が吹いて、ビュッと音を立てて岩石が飛んでいった。
先ほどから王族を見ていた窓には丸く穴が開いていて、ほどなくして悲鳴が聞こえてきた。
よく目を凝らしてみると見送りをしていた王族、それも、セドリックへと人が集まっていて、流血騒ぎになっている様子だった。
「軽く当てただけだから、水の魔法で治ってしまうと思うけど同じ痛みは感じたと思う」
「……」
「やっぱり間近で見ると痛ましい」
言いながら彼は向かいから手を伸ばしてきた。
すでに血を流しているセドリックには興味をなくしたらしく、ロザリーの前髪をちょっと払って目元の傷を見ていた。
そんな彼の行動にロザリーはどうしようもなく心臓がバクバクと鳴り響いて仕方がない。
ロザリーは確かに常識外れの魔女だ。しかし人間に擬態して十六年も生きられるしそれなりに人の痛みもわかる。だからこそ簡単に人を攻撃しないし、同じ人間として抵抗感がある。
「治すことは出来ない? 視界が狭くて生活するのも大変だろうし。どうせ国をまたぐんだから、生きやすい姿の方がいいと思うんだけど」
「あ、うん。……う、うーん」
「どうかした? あっ迎えに来るのが遅くなった事、もしかして怒ってる?」
「いや、いやぁ」
そして当たり前のように姿を戻すことを急な展開で考えが追い付ていないロザリーに提案した。
ロザリーだって頭の中ではその魔法を使ってやろうかと考えていたことは何度もあった、しかし、正直なところ現実に実際使ったことは無い。
けれども目の前にいる彼は多分、マリエットに色々変えられているだろう。
じゃなければあんなおかしな速度と威力と距離で魔法を放てるはずもない、彼が人智を超えた戦争の天才だと言われているのにはそう言った理由があったのだろう。
「魔女様たちと違って俺は人間だからこのぐらいが限界だったんだ。ごめん、その代わりじゃないけど、すぐに生活できるように新しい離宮を整えてきたから、許してくれると嬉しい」
魔女の養い子は、当の魔女よりも常識を外れているのに、社会的地位もあるとなったら相当に異常な存在だ。
しかしすでにロザリーは普通に生きている以上は社会的に彼から逃れることは不可能に近い。
「改めて俺のとこに来てくれてありがとう。ロザリー、これからよろしく」
「……う、うん」
はにかんだような笑みをうかべる彼に、ロザリーはちょっぴり涙が出そうになった。
魔女集会では無かった現実味が今さら出て来て、将来のことが不安になる。
……でも、手を取ってしまったのは私で、多分、私を想いやってくれてるから、人を傷つけただけで、酷い人ではない、はず。
それにここまで常識外れのフェリシアンはロザリーがいなくなったらきっと以降結婚しようという人間は現れない。
一度、手を結んだ責任だ、彼に救われたのも事実、それならば、ロザリーの魔女としての名を懸けて彼と向き合うほかないだろう。
「……よろしく。フェリシアン、とりあえず迎えに来てくれてありがとう」
「うん」
ロザリーの言葉にフェリシアンは好青年らしく笑みを浮かべた。
そして今日からそんなフェリシアンとの前途多難な結婚生活が始まった。ロザリーはもしかすると男運が悪い魔女なのかもしれないとふと思った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。評価をしていただきますと参考になります。
【補足】
お気づきの方も多いと思いますが、この作品は数年前に流行った『魔女集会で会いましょう』というタグをつけられた作品群の世界観を採用しています。
魔女がいて、孤児を拾い、そのごの成長や関係の変化を楽しむ数ページの漫画のタグですが、魔女とくっつくものもあればそうでないものもあり、くっつかなかった養母と息子の関係があったうえで、婚約破棄モノと何とか融合できないかなぁ、と魔女が書きたかったので考えました。
魔女集会のタグをご存じない方でも、普通に読んでいただけるように書いたつもりでしたが、説明不足になっていたらすみません。