★番外編★聖女として国を守るためにせっせと加護を施していたら"婚約者の王子が結婚式を挙げている"との知らせが入ったのですが
こちらは番外編となります。ぜひ本編からよろしくお願いします。
ある日の昼下がり。
午後は楽しくティータイム——、ではなく私は今日も得意なお肉料理を兵士の皆さんに振る舞っていた。
「お嬢ちゃんの作る肉料理は本当に上手いなぁ!」
「いやぁ、肉料理はもう別腹だよな!」
「前に食べたのは三日ぐらい前だったか?」
「う、嘘だろ……俺なんか二週間ぶりだぞ!?」
「嬢ちゃんの作る肉料理はなぜか元気が出るんだよなぁ。いや、本当に! このお肉を食べた後の仕事ぶりはみんないつもと違うんだもんなぁ」
"え、そうなんですか? 嬉しいです!"と笑って誤魔化したけれど、私の手料理を食べると元気が出るのは多分——いや、間違いなく聖女の力のせいだろう。
兵士の皆さんが嬉しそうにお肉を食べてくれるその姿を見て私も自然と口元が緩む。
私が今いるのはミオソティス王国。ここに来る前はお隣のシレーネ国で聖女として働いていた。
二つの国は以前までは敵対関係——とまではいかないけれど、緊張状態がずっと続いていたお隣さん同士だ。
ここは私を迎えてくれたアーノルド殿下の国。
まだ私が隣の国の聖女だった頃も、こうして兵士のみなさんと焚き火を囲いながら料理を一緒に食べていたのだ。
そこへ突然現れてはお肉を美味しそうに食べていたのがアーノルド殿下だった。
まさかそんなところ王太子殿下がいるなんて思わないじゃない?
服も髪も乱れながらお肉をがっついていたところを殿下に見られていたなんて、今思うと本当に恥ずかしい。
アーノルドもひどいと思いませんか? 教えてくれてもよかったのに。
と、昔のことを思いながら、私はこの場の雰囲気に和んでいた。
「ほらほら、お嬢ちゃんも早く食べなって!」
お昼ご飯を食べてからあまり時間が経っていないけれど、目の前のお肉を見ているとなぜかお腹が空いてきてしまった。
「では遠慮なく……いただきます!」
私も兵士の皆さんと一緒に座って料理を頬張った。口の中に広がる肉汁がもうたまらない。
「うぅ〜ん! 美味しい!」
ここにいる皆さんは私の食事のマナーなんて気にしないので、お肉を手で掴んで好きなように口へと運んでいく。
やっぱりお肉を食べる時はこうでないとね!
「いい食べっぷりだなぁ」
「それにしてもお嬢ちゃんは……あ、ついお嬢ちゃんなんて呼んじまっていたけど、歳はいくつなんだい? 名前は?」
「秘密です〜」
ふふ、と笑って誤魔化す。おじさんたち(若い兵士もたくさんいるけど)からの質問にいつも笑って誤魔化してばかりでそのうち私のことがバレてしまわないかと不安になる。
聖女だとか、アーノルド殿下の婚約者として接して欲しくないな、とつい考えてしまう。
「おい、女性に歳なんて聞くもんじゃねぇぞ?」
「こんなところにいるってことは侍女かなんかだろ? 料理を作るのも上手いしなぁ。手際もいいし」
「え、でもこのお肉自分で獲ってきたって言ってなかったか?」
おじさんたちは「いやいやまさか」「聞き間違いだろう」と言っているけれど、そのまさかなんですけどね。
毎日が退屈……いえ、時間があるのでお城からこっそり抜け出して、ちょっと森へ行って獲ってきちゃいました。私には移動魔法という特技がありますので!
ずっとお城の中にいると、体を動かしたくなってしまうんですよ。
「そういやぁ、隣の国ってあれからどうなったんだっけ?」
ドキッ。
私がもともといた国の話が突然出て心臓がびくりと反応した。
「あぁ、王子がやらかしちゃったあれだろ?」
「そうそう、国にたった一人しかいなかった聖女様を偽聖女だと決めつけて追い出そうとするなんてなぁ」
そう、そうなんですよ! あの王子、本当にひどいんです!
しかもいつの間にか婚約破棄されていて、私が聖女としての仕事をせっせと頑張っていた時に結婚式を挙げていたんですよ〜!?
信じられます!?
「その王子は今頃魔物にでも食われてるだろうよ。聖女様を蔑ろにしたんだからそれぐらいの償いはしないとな」
おじさん兵士からとんでもない言葉が聞こえたような気がする。
「え、おじさん。魔物になんですって? じょ、冗談ですよね?」
「いやぁ、うちの殿下がそのポンコツ王子を魔物の巣窟に放り込んだとかなんとか聞いたんでね。ま、運が良ければ生きてるんじゃないか?」
え、多分あの王子には無理だと思いますが……生きてるかしら?
「あ、でも訃報はきていないし生きてるのか?」
「っていうか、その王子の名前なんだっけ? リ、リ、リ……ポ?」
違います、リドです。
「まぁそんな王子はどうでもいいんだけどさ。ところでその聖女様はアーノルド殿下の婚約者になられただろ? この中に会ったことあるヤツいるか?」
ドキィィィィ!!
兵士の皆さんの会話に冷や汗が出てしまう。
心臓に悪い、この会話、心臓に悪いです。
私は平常心を保とうと、お肉をもぐもぐと頬張る。
「そういえば会ったことないなぁ。なんでも、殿下が婚約者様を男の目に晒したくなくて隠してるなんて噂まであるぐらいだしなぁ」
すみません、ものすごく自由に城内を散歩してます。なんなら皆さんに手料理を振る舞ってお肉を好きに食べてます。
「そうそう、俺の妹が宮殿の侍女として働いてるんだけど……」
そう言って、一人の若い兵士が私の方をチラリと見た。
……え、まさか?
「ちょうど、この人みたいな見た目らしいぞ?」
いっせいに視線がこちらに向けられる。は? という表情をしながら皆さんポカンとして私の方を見つめた。
「そう、たしか……この人みたいに薄い茶色の髪に、水色の瞳だとかなんとか」
私は笑顔を保ちつつも、背中は冷や汗がツー、と流れている。だらだらと、レディーにあるまじき汗の量だ。
「いやですよ〜、私なんかと一緒にしたらアーノルド殿下に怒られますよ!」
あはは、と誤魔化す。無理があるだろうか、と悩んだのは一瞬で、兵士の皆さんは大声で笑いだした。
「おいおい、そんなわけないだろう! 殿下の婚約者様がこんなむさ苦しいところにいるわけないだろ!?」
「それも手料理まで振る舞ってくれて! この嬢ちゃんが聖女様なら俺たちはアーノルド殿下に殺されちまうよ」
え、そんな大袈裟ですよ。ちょっとお肉を振る舞うぐらいで、さすがに殿下はそんなことしないと思いますよ?
「そういやぁお隣の国といえば、俺の親父は国境警備隊にいるんだけど、そこで凄腕のグルメハンターに出会ったって言ってたっけなぁ」
「は? グルメハンター?」
「そうそう、それが可愛くて若い女の子だから、そこでは有名だったみたいなんだよ。見た目もちょうどこんな感じの……うぅん?」
あ、それも私ですね。
「そういえば、お嬢ちゃん、本当にこのお肉自分で……?」
おじさんが"まさか?"と聞いてくる。
「えぇっと、その……」
これからも今日のようにみんなに料理を振る舞っていきたい私は頬に手を当てながら返答に困ってしまう。
自分で獲ってきましたと、つい言ってしまったことはあるけれど……。
このままずっと、お肉をどこから調達してきているのか誤魔化すことは難しいだろう。
「それは自分で獲ってきてるってことなのかい!?」
「いやいや、侍女なんだから美味しいお肉を厳選して購入してきてるってことだろ?」
「まさかお前さん……もしかしてグルメハンターだったのか!?」
ちょうどこのタイミングで、兵舎のドアがバァァーン! と大きな音を立てて開いた。
あまりの音の大きさと、突然限界まで開かれたドアに驚いてこの場にいた全員がそちらを見た。
「違いますから! その方はグルメハンターじゃありませんから!」
そこへ現れたのは、神官見習いから今では私の専属侍女となったメイアだった。
メイアがぷりぷりと怒る度に、今日も肩の上でピンク色の髪がふわふわと揺れている。
「メ、メイア……? そんなに怒ってどうしたの?」
メイアはとても怒っているようだ。聞かなくてもわかる。
あ、そういえば行き先を告げずにここへ来てしまったことに今気が付いた。非常にまずい状況です。
「どうしたの? ではありませんよ! あぁっ、またこんなにお肉を……ということはまさかまたお一人で城外に出られたんですか!?」
「メ、メイア落ち着いて?」
兵士のみなさんも、なんだなんだ? と不思議そうにしている。
宮殿の侍女の服(これもまた勝手にアレンジして可愛くしている)を着たメイアが私に敬語で話すのを見て不思議に思っているのだろう。
「嬢ちゃん? どうしたんだ?」
「えっと、なんでもありませんよ!? 今日はもうこれで失礼しますね。お、お邪魔しました!」
自分が噂の(?)婚約者だとみなさんに勘付かれてしまう前に急いでメイアを連れて兵舎を出た。
ぐいぐいと背中を押されてドアから追い出されていくメイアは、頬をプクッと膨らまして不満そうにしている。
「んもぉ、ラリア様! 何度言ったらわかってくれるのですかぁぁ! 心配したんですよ!」
メイアはちょっと涙目になっている。本気で私のことを心配してくれているのがわかる。
「ごめんね、メイア。ちょっと息抜きをしたくなってしまったの」
「息抜きって、ラリア様……でも昨日もその前もどこかに行かれていましたよね? 今日みたいに、満足そうなお顔で戻ってこられましたよね?」
「えっと、それはぁ……」
「ラリア様、お願いですからどこかに行かれる時はちゃんと教えてくださいね! ラリア様がいない時にもし殿下が会いに来られてしまったら大変なことになるんですよ!」
「うん、ごめんね」
この国へと来てからもうすぐ二ヶ月は経つだろうか。
アーノルドは忙しい中、少しの時間を見つけては私に会いに来てくれる。
いきなり婚約者だなんて恥ずかしかったけれど、毎日顔を合わす度に心の中の気持ちが少しずつ膨らんでいくのが自分でもわかってなんだか心がむず痒い。
殿下と、そしてこの国のために何ができるだろうかと考えてはため息をつく毎日。
聖女としての能力と経験だけは豊富なので、何かできることはないかと殿下に相談をしてみたけれど、「まだゆっくり休んでいて欲しいな」と言われてしまった。
私がずっと聖女として一人で頑張ってきたことを知っているから気を遣ってくれているんだろうけど……。
「うーん、どうしようかしら」
すでにこの国には聖女様が二人もいる。
そしてなにより、この国はとても平和なのだ。
うんうんと唸っている私の顔を、心配そうにメイアが覗き込む。
「ラリア様、どうしました?」
「この国には聖女様が二人いらっしゃるでしょう? 私に何か手伝えることがあればと思ったんだけれど……あら?」
そこまで話して、ふと視線の先に銀色の長い髪をふわふわ揺らしながら歩いている一人の女の子が見えた。
アーノルド殿下と同じ髪色の女の子。
そして、この国の聖女の一人だ。
「ラリア様、あちらにいらっしゃるのはリルシィ王女様ではないですか?」
少し離れたところにいたのはアーノルドの妹であるリルシィ王女だった。
今年で十六となる、まだ成人前の王女は侍女も護衛も付けずに一人で歩いていた。
「ここがお城の中で安全とはいえ、護衛も付けずに一人でいるなんて危ないわ」
私はリルシィ王女の元へと急いで向かった。メイアが私の後をついて来ながら、「それをラリア様に言われたくはないんですけど……」と呟いたことは聞かなかったことにしよう。
「リルシィ王——」
声を掛けようとして、私の足はピタリと止まった。王女が足を止めて見ている先には男性が集まって何やら話をしているようだった。
服装からして貴族であるのは間違いなかった。
こちらから顔が見えている範囲では、私にはどこの誰なのかもわからなかった。まだ交流の場に出たことがなかったから。
その人たちを見ながら、リルシィ王女は一歩後ろへ下がった。そして表情が小さく歪んだ。悲しいような、不安なような。
「リルシィ王女様……?」
私が声を掛ける前に、王女は姿を消してしまった。よほどその場にいるのが居た堪れなかったのだろうか。
「ラリア様、王女様に何かあったのでしょうか?」
「わからないわ……あの人たちを見ていたようだけれど……」
私とメイアがリルシィ王女が見ていた方を見ると、今度はその男性たちが何やら揉めているようだった。
「メイア、私ちょっとあの人たちに話しかけてみるわ」
私がそう言って一歩を踏み出そうとしたけれど、メイアにがしっと腕を掴まれてしまった。
「え、メイア、どうしたの?」
「どうしたの? ではありませんよ! なに話しかけに行こうとしているのですか!」
「だって、状況を把握しておかないと——」
そう言って再び行こうとするけれど体が動かない。メイアは小柄な見た目に劣らずなかなかの力持ちのようだ。
「ぜったいに、ダメ、です! 私が殿下に殺されてしまいます〜!」
メイアは本気の涙目だ。
「そんな、大袈裟よ。殿下はそんなことをするようなお方ではないわ」
「ラリア様が知らないだけなんです〜! もしラリア様が傷付くようなことがあれば、殿下が悲しまれることはわかりますよね!? ここは殿下に話をしに行かれるべきだと思います!」
メイアの腕の力の入れ方が尋常ではない。
痛いです、本当に。
「わかったわ、メイア。殿下に会いに行きましょう」
そうして殿下に会いに行くため、行き先を変えようと振り返った時に一人の男性が目にとまった。
あれ、あの方はどこかで見たことがあるような……?
アーノルド殿下の執務室へと言ってみたけれど、残念ながらすぐに会うことはできなかった。
殿下に会うことができたのは夕食の時間になってからだった。
◆◆◆
そうして夕食の時間、部屋を出るとアーノルドがこちらへ歩いてきているのが見えた。
「やぁ、ラリア」
「アーノルド殿下、今から会いに行こうと思っていたんですよ」
私はアーノルドに会えたことが嬉しかったのに、アーノルドはなぜか不満そうに、いや、ちょっと拗ねたような表情を見せるので困惑してしまう。
さらりと流れる殿下の銀色の前髪から、じっとこちらを見つめる青色の瞳に胸が小さく高鳴ってしまう。
「え、ど、どうかされたのですか?」
「ラリア、私のことはアーノルドと呼んでほしいといつも言っているじゃないか」
「あ、すみません、アーノルド。でもわざとじゃないんです! その、アーノルドを前にするとなんだか胸がきゅっとなって恥ずかしくて……」
「えっ、ラリア? それは……」
アーノルドの青い瞳に吸い込まれてしまいそう、だなんて思ってしまう。
と、後ろからこほん! と大きな咳払いが聞こえて私はハッと正気に戻った。
「ラリア様、大切なことをお忘れですよ」
そう言われて、昼間に見たリルシィ王女のことを思い出した。
リルシィ王女が何か不安なことを抱えているのではないかと、アーノルドに相談をしたかったのだ。
「アーノルド、お話ししたいことがあるのでお食事をしながらでも大丈夫ですか?」
「うん? もちろん、大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
◆◆◆
「それで、ラリア。話したいこととはなんだい?」
「あの、リルシィ王女様のことですけど……」
私がリルシィ王女の名前を出したことで、殿下の食事の手が一瞬止まった。
「実は今日、リルシィ王女様をお見かけしたのですが、なんだかお辛そうに見えたのです」
「リルシィが……?」
「はい。いつも明るい王女様の見せた悲しそうな表情が心配で……」
「そうか。けれど、特に報告は受けていないし、リルシィからも話はないな」
「そうですか」
「でも、リルシィには朝の挨拶をしてから会っていないから、その間に何かあったかもしれないね」
いつの間にか、私も殿下も食事の手を止めていた。
「もしまた王女様の様子で気になることがあれば話しかけてみようと思います」
「あぁ、ありがとう。もし何かあれば、私よりもラリアなら話しやすいかもしれないから」
殿下が少し寂しそうな表情を見せた。王女様も一人の女性として成長をしているので、子どもの頃のようになんでも話をしてくれることがなくなってしまったのかもしれない。
「アーノルド、心配しないでください。きっと大丈夫ですよ」
「そうだね」
けれど、数日後、心配する出来事が起きてしまった。
◆◆◆
「ラリア様、リルシィ王女様の侍女から聞いたのですが……」
いつも元気なメイアが深刻な表情で話しかけてきた。
「王女様がどうしたの!?」
「どうやら最近、まともにお食事をされないそうなのです。もう五日目になると」
「え!?」
あの、リルシィ王女が!?
リルシィ王女は食べることが大好きで、率先して魔物のお肉も好んでこの国で広めてくれたような方だ。
私のお肉料理もいつも美味しそうに食べてくれて……あれ、そういえば、最後に一緒に食事をしたのはいつだったかしら……。
「それで、ラリア様からリルシィ王女様に、お肉料理を作ってもらえないかと相談を受けたんです」
「えぇ、もちろん。ではさっそくちょっと国境に行って——」
よいしょ、と立ち上がるとメイアが急いで止めた。
「ラリア様! その前にアーノルド殿下にご相談をしないと!」
「あ、そうね。また先に行動してしまうところだったわ。それに、どうしてお食事をされなくなってしまったのか原因を確認しないとね……」
そうして私とメイアはアーノルドの執務室へと急いだ。
◆◆◆
「おはよう、ラリア。こんなに朝早くから会えて嬉しいよ。朝食はまだかな? さぁ、そこに座って」
「はい、失礼します。あの、殿下。リルシィ王女様のことでご相談が……」
そう言った私の言葉に、アーノルドの表情が不安げになる。
「実は、リルシィ王女様がまともに食事をとられないそうで……何か聞いていますか?」
「あのリルシィが!? いや、そんな報告は受けていないが……」
「もう五日目になるそうです。まったく食べないということではないそうですが、心配です」
「最近部屋にこもっているとは聞いていたが……気が付けなかった私は兄として失格だな」
アーノルドは頭を抱えながらため息をついた。アーノルドは忙しくて、なかなか周りのことまで気が回らなかったのだろう。
報告は受けていないからと、どこか安心してしまっていたのかもしれない。
「アーノルド、侍女たちに罰は与えないでください。きっと、リルシィ王女様が口止めをしたのだと思います。こっそりメイアに相談に来るぐらいですので……」
「あぁ、わかっているよ。そこは安心して」
「アーノルド、申し訳ありません。きっと大丈夫などと軽々しく言ってしまって……」
「そんな、ラリアは悪くないよ」
なんとかなる、などと軽く考えてしまっていた。いつも明るいリルシィ王女様だから。
その笑顔の裏でずっと悩まれていたのかもしれないのに。
「アーノルド、これからどうしましょうか? 王女様に直接聞いてみますか?」
「そうだな……まずは様子を確認してみよう。それと今から食事に誘おう」
「はい、それがいいですね」
「ラリア、女性が食事を抜くというのはどういう時なんだろうか?」
食事を抜く時?
一番に想像するのはダイエットだろうか。
けれど、アリシ王女は全く太っていない。
「食事を抜くという意味でなら痩せるため……でしょうか」
「だがリルシィは太ってなどいないだろう? いや、本人にとっては太っていると思い込んでしまっているのか……」
「はい。それに、リルシィ王女様は食事を抜いているというよりも、喉を通らないご様子だそうです。何か不安なこととか悩みがあるとか……もしかして、誰かに何か言われて——」
と、そこでふと思い出した。
あの日、リルシィ王女が男性たちが集まっている方を見て悲しい表情をしていたことを。
「もしかして……」
「どうしたんだい?」
「リルシィ王女様をお見かけした日、その視線の先に貴族の男性たちがいたのです。その方たちの会話で何かあったのではないでしょうか?」
「男だと? リルシィは人から何かを悪く言われるような子ではない。むしろ、男たちからは好意を向けられているぐらいだ」
「えぇ、私も知っています」
王女は老若男女問わず人々から愛されている。あの可愛らしい見た目もあり、特に男性から。
「ラリア、その男たちの中に見知った顔はいたかい?」
あの場にいた男性たちの顔を思い出そうとしても無理だった。もともと知らない人たちだったため、特に印象にも残っていない。
「すみません、アーノルド」
「いや、大丈夫だよ。さて、リルシィを朝食に誘って様子を伺ってみよう」
「わかりました」
◆◆◆
リルシィ王女は一緒に朝食をとるため顔を見せてくれた。さすがに兄であるアーノルドとその婚約者の私の誘いを断ることは気が引けてしまったのだろう。
久しぶりに見た王女の姿は、以前より少し痩せてしまっていた。たった五日でもこれほど憔悴してしまっていたなんて。
「お兄様、ラリア様。このような姿で申し訳ございません」
「リルシィ王女様、大丈夫ですか? もし、何かあるのでしたら私たちがお力になりたいのです」
「いいえ、大丈夫です。ちょっと食べる気力がないだけで、食欲がなくなったわけではありませんから」
「リルシィ、私は心配なんだ。何かあったのなら兄に相談して——」
「お兄様、私なら大丈夫ですわ! そんなに心配しないでください」
そう言ってリルシィ王女はフォークでサラダを食べ始めた。パンやスープも、少しだけだ。
それに、大好きだったはずのお肉料理には見向きもしない。私も王女も、朝からお肉がいけるタイプだったはずなのに……。
いったいどのような心境の変化があったのだろう。
「王女様、何か食べたいものはありますか?」
「え? 食べたいもの、ですか?」
「はい。食欲はあるんですよね? それならぜひ、私に料理を振る舞わせてもらえませんか?」
突然の提案に、王女は困惑しているようだ。けれど、少し考えたあとに、もじもじしながらポツリと呟いた。
「ラリア様の、あの時のお肉がまた食べたいですわ」
「あの時の、と言いますと、あの時の、ですか?」
「は、はい。てすが、無理にとは言いませんっ! とても美味しかったことを今でもはっきりと覚えています」
あの時の、とは前に一度だけ仕留めた大物の魔物のお肉のことだろう。
大物の魔物が巣窟からかなり離れた場所まで出てきたと聞いて、アーノルドと一緒に行ったことがある。
最初は心配されてしまったけれど、私が今までにどれだけの魔物を相手にしながら聖女としての仕事をこなしてきたと思っているの? と言いたくなるほど私には自信があった。
もちろん心配無用で、傷一つなく無事に美味食材を手に入れましたよ。
「王女様、大丈夫ですよ。楽しみにしていてくださいね! アーノルド、一緒に行ってくれますよね?」
そう言ってアーノルドを見れば微笑みながら小さく頷いた。王女が食べたいと言ったのが嬉しかったのだろう。
「ラリア様、ありがとうございます」
「いいんですよ。王女様、もう食べられそうにないですか? これとか、美味しいですよ!」
王女は私から勧められた卵料理を少しだけ食べてくれた。
「お兄様、ラリア様。これから予定がありますので、お先に失礼いたしますね」
そうして王女が退室した後、アーノルドは小さくため息をついた。
「やはり、食事の量が少ないな」
「そうでしたね……心配です」
側から見れば、王女が今食べた朝食の量は、一般の女性としては適切な量だと言えるだろう。
けれど、今までの王女なら、この三倍は食べてきたのだ。それが聖女の能力のせいだとしても。
「アーノルド、さっそく今日狩に行けますか?」
「あぁ、今日はちょうど仕事が落ち着いているんだよ」
「では準備ができましたら国境にある魔物の巣窟に行きましょう」
そういえば——。
魔物の巣窟?
魔物の巣窟と聞いて、何かあったような気が……なんだろう?
◆◆◆
準備ができた私たちはこれから魔物の巣窟へと向かう。
「ラリア、では行こうか」
アーノルドが私に向かって手を差し出した。差し出された手をついとってしまう。
ぐいっ、と引っ張られてアーノルドに密着する形となってしまった。
「ア、アーノルド?」
「ほら、ラリア。くっついていないと移動が危ないだろう?」
そう言ったアーノルドの手には移動魔法ができる石が握られていた。
「あ、あの、私は魔法が使えますので……」
アーノルドの腕の中から逃れようとするも、離してくれない。
「ラリア、こうでもして君のそばにいたいという私の気持ちを受け入れてほしいな」
涼しげな顔で恥ずかしいことを言うアーノルドに困惑してしまう。
「殿下、ラリア様が困ってますよ」
私たちの他に人がいるとは思わず、いきなり声を掛けられて驚いた。
声の持ち主はアーノルドの護衛騎士であるブライアンだった。
「ブライアン、護衛は必要ないと言ったはずだろう」
邪魔を(?)されてなのか、アーノルドは少し不機嫌そうに話す。
「そんなわけにはいかないでしょう」
「全く、気が利かないやつめ」
と、ブライアンの大きな体の後ろに見覚えのあるピンク色のふわふわした髪が見えることに気が付いた。
その姿に、「メイアまでどうしたの?」と話しかるとブライアンの後ろからひょっこりと顔を出した。
「ひどいです、ラリア様。また私を置いていくのですか? いくら殿下と一緒でも危ないところに行くのは変わらないじゃないですか!」
「ご、ごめんねメイア。たまにはゆっくりして欲しかったの。ちょうどいいと思って……」
「私だって、元神官! の、見習いですけど、こう見えてけっこう役に立つ自信があるんですから! それに、私も王女様のために何かしたいんです」
「わかったわ、一緒に行きましょう。いいですよね? アーノルド」
「ここまで言われてはね。もちろんいいよ」
「殿下、ありがとうございます!」
アーノルドと二人でお出かけ、だなんてちょっとだけ思ってしまったけれど、いつになくメイアが嬉しそうなので良かった。
「それでは今度こそ、行くとしようか。ほら、ラリア。私にしっかりつかまってね」
断れる雰囲気ではないので、アーノルドの腕をしっかりと掴む。若干不満そうだけれど。
手を繋いでいるだけで移動できることを、私は知っているのですよ?
メイアはどうするのかな? と思ったけれど、「ではメイアさんは私と」と、ブライアンがメイアを優しく引き寄せた。
……ん? 引き寄せた!? えぇ〜!?
そんなブライアンの行動に、メイアがこれまで見せたこともないような表情を見せた。
耳まで真っ赤にして、メイアったら可愛い!
隣にいるアーノルドを見れば、「あのブライアンが。なるほど」と何やら悪いことを考えている様子だ。
「メイアはいじめないでくださいね?」
「ははっ、もちろんだよ。ラリアが大切にしている人は、私にとっても同じように大切なんだから」
「ふふ、ありがとうございます」
◆◆◆
そして、あっという間に魔物の巣窟がある国境沿いへとやってきた。
ここは見渡す限り、森と山に囲まれた自然あふれた場所だ。
「うーん」
「ラリア、どうしたんだい?」
「いえ、魔物の巣窟と聞いて何か忘れているような気がして……なにかしら?」
「うん? なんだろうね。魔物のことなら心配しなくても大丈夫だよ」
「え? ここには多くの魔物がいるのでは?」
ここには多くの魔物がいるはずだ。巣窟と言われるほどなのだから。
私が前に聖女としていた国であるシレーネ国と、アーノルドの国であるミオソティス王国のちょうど間にあるこの国境沿い。
ここからやってくる魔物からシレーネ国を守るために、せっせと加護を施していたのだから間違いない。
私とミオソティス王国の兵士で魔物を多く狩ったとはいえ、まだそれなりにいるはずだ。
「ここに人を送り込んでいるからね。魔物の管理をしてくれているはずだよ。まぁ、そのうちの半数はあまり期待していないんだけれどね」
そう言ったアーノルドの笑顔がなんだかちょっと怖い。口元は笑っているように弧を描いているが、その青色の瞳の奥は笑ってない。
「加護がなくて心配していましたが、人を手配してくれていたのですね。ありがとうございます」
「あの時約束したからね、国の人たちに被害が出ないようにと。だから、魔物のことはあまり心配は——」
その時、大きな唸り声と共に魔物が数匹こちらへと向かってきていた。
危ない、と声を掛けるよりも早くアーノルドとブライアンがすでに魔物を倒していた。
「二人とも大丈夫ですか!?」
「あぁ、ラリアたちも大丈夫? それにしてもおかしいな、ここはもう魔物が出る場所ではないのだけれど」
アーノルドが不可解そうにしている。本来ならもうここには魔物が出なくなってるはずだったってことなんだよね?
ここへ人を送ったから。
アーノルドは「まさか、な」と呟いた。
「ラリア、少し急ごうか」
「えぇ……」
◆◆◆
そうしてアーノルドたちが魔物を倒しながら奥まで進むと、そこには血を流して倒れている男性がいた。
着ている服装からシレーネ国の兵士だとわかった。
「ど、どうしてこんなところに……」
私がシレーネ国にいた頃、結界があるからと兵士がこのような場所に来ることはなかった。
……私が国を出たから?
アーノルドが倒れている男性に駆け寄った。
とりあえずこの人を助けないと……そう思ったのに、アーノルドは怪我をしている人の胸ぐらを掴んで無理やり起こした。
「おい、なぜお前はここにいる?」
「た、助けてくれ、なんなんだよ!」
「あいつはどこだ?」
口では答えられずなのか、男性はとある方角を指した。アーノルドの突然の行動にも驚いたけれど、私としてはどんな理由があれ怪我をしている人をこのままにはしておけない。
「あの、治療しますね」
そう言って、男性を治療しようとしたけれど、アーノルドによって止められてしまった。
「アーノルド? なぜですか!?」
「こいつらは犯罪者だ。治療なんてしなくていい」
「え、はん、ざいしゃ……? この人はシレーネ国の兵士なのでは?」
「あぁ、そうだね。元、兵士だ。ここで罪を償わせているんだ。だから、治療はしなくていいんだよ」
でも、と言い掛けたところで怪我をしている男性が突然私に向かって罵声を浴びせた。
「おい、あんた聖女だろ!? お前のせいだぞ!」
「え、な、何……?」
「お前がこの国を裏切らなきゃ、こんなこ——」
そこまで言って、男性はブライアンの一撃によって気を失った。
私のせいって……どういうこと?
「ラリア、あんなやつの言うことは聞かなくていいよ。君にはまったく関係のないことで、八つ当たりをしているだけだから」
「で、でも」
「殿下の言う通りですよ! ラリア様が裏切ったですって!? ずっと頑張っていたラリア様を裏切ったのはクズ王子とあの国じゃないですか!」
メイアは涙を浮かべながら怒ってくれる。
「ありがとう、メイア」
「ラリア、この先に進むともっと嫌なことが起こるだろう。君は先に帰った方が……」
「いいえ、行きますよ」
「うん、わかった」
アーノルドは私の手を優しく握ってくれた。
◆◆◆
そうして奥へと進むとまさかの人物がそこにいた。兵士のおじさんたちと話したことを今ここで思い出すことになるとは。
"王子は今頃魔物にでも食われてるだろうよ"
"いやぁ、うちの殿下がそのポンコツ王子を魔物の巣窟に放り込んだとかなんとか聞いたんでね。ま、運が良ければ生きてるんじゃないか?"
そこにいたのはシレーネ王国の王子、リドだった。私の元、婚約者。
最後に見たのが王子の結婚式だったせいか、あの時とこの場にいる王子の姿が変わり果てていて一瞬本人かわからなかった。
まさか本当に魔物の巣窟にいるなんて。
「な、な、なんでここに王太子がいるんだ!?」
私たちに気が付いたリドは、表情を歪めた。私、というよりもアーノルドを見てだろう。アーノルドがここにいることで頭がいっぱいなのか私の存在に気が付いていない。
「やぁ、リド。久しぶりだね。ここでの暮らしはどうだろう。しっかり罪を償っているかい?」
「ふ、ふざけるな、いいわけないだろう!? 王になる私がこんなところで……! 二ヶ月も我慢したんだ、もういいだろう!」
「ところでどうしてリドは……」
「おい、無視するな!」
「お前はなぜここに一人でいるんだい?」
アーノルドは「おかしいなぁ」と呟きながら一歩、また一歩とリドに近付いていく。その度にリドも一歩ずつ後ろへと下がった。
「そ、それは」
「兵士が一人、逃げ出していたけれど? それに魔物がなぜ離れたところにまだいたんだろうね?」
「ちょっと、予想外のことが——」
「うーん、お前も死にたいのかな?」
そう言ってアーノルドは剣を抜いた。剣についている血を見て何を勘違いしたのかリドは小さく「ひっ」と声を漏らした。
ちょうどそのタイミングで足が石にでも当たったのか、大げさに尻もちをついた。
「い、いや、これは! 私のせいではない!」
「それなら誰のせいだと?」
「お、お前が送り込んだ兵士たちが使い物にならないからだろう! どうせなら騎士を寄越せばいいものをあんな役立たずどもを送りやがって!」
「私の国では騎士、兵士ともに地位も実力も違いはない」
「嘘をつくな、私の父上と同じぐらいの奴ばかりじゃないか!」
「魔物に誰よりも詳しい兵士ばかりを送ったんだぞ。それで、お前の監視を止めてまで我が国の兵士たちはいったいどこにいるんだ?」
「わ、わかったからまずはその物騒なものをしまってくれ! 私に向けるな! おい、お付きのやつらもどうしてこいつを止めないん……」
ここで初めて周りを気にする余裕ができたのか、アーノルドの後ろにいる私たちに気が付いた。
私と視線があったリドの顔は驚きとも怒りともわからないような表情で私に笑って見せた。
「なぜラリアまで……あぁ、そうか! 私のことを助けにきてくれたんだろう? 親が決めたとはいえ、私たちは婚約しているのだからな!」
「よし、やっぱり殺しておこう」
アーノルドが剣を振り上げた。これは脅しや冗談ではなさそうだと、アーノルドの腕を掴んで剣が振り下ろされるのをなんとか止めた。
「ラリア、危ないじゃないか。怪我はない?」
「私は大丈夫です。アーノルド、殺してはダメです」
私の言葉に何を勘違いしたのか、リドは嬉しそうな声を出す。「そう、そうだ」と自分に言い聞かせるように。
「こんなクズでも一応はシレーネ国の王子です。まだ片付いていない問題があるうちは……」
「あぁ、そのことなら大丈夫だよ。ひとまずはシレーネ国の傍系に任せることにしたからね」
「まぁ、そうですか。ならもう……」
「今なら誰にも見られないしね。王子を一人消すとなると少しばかり問題はあるけれど、今やその価値すらこの者にはないだろうからね」
「そうですね」
私とアーノルドが視線をリドへと移すとまた小さく「ひっ」と声を漏らした。あら、漏らしたのは声だけではなかったようですね?
メイアのまるで汚物を見るような視線がリドへと突き刺さる。まぁ、言葉通りなんですが。
ブライアンが「目が腐りますよ」とメイアの視界を塞いだ。
「さて、リド。兵士たちはどこにいる?」
「す、……だ……」
「聞こえないなぁ」
「洞窟の、巣の……」
「なんだと、まさか中に入ったのか? リド、お前はいったい何をしたんだ!」
「私のせいでは、ない! し、仕方なかったんだ! いきなり魔物が暴走を起こして……! あっという間に広がったんだ!」
「それで兵士たちが収束させるために中に入ったと? お前たちシレーネ国の者たちは見捨てて逃げだのだな」
「仕方なかったと言っているだろう!」
あぁ、この人は逃げ出したのか。
これまでの会話と状況から、リド王子は今までやらかしてきた償いをするためにここの魔物の管理を任されたが、リドとシレーネ国の兵士だけでは信用できず、アーノルドは経験豊富なミオソティス王国の兵士たちを送ったのだろう。
「こいつの処遇は後にして、とりあえず洞窟に急ごう」
アーノルドはブライアンとメイアにここを任せ、私たちは急いで洞窟へと向かった。
◆◆◆
洞窟へは初めて来た。
この大きく広い岩山は、様々な種類の魔物が棲みついている。そのためこの辺り一帯は巣窟、この洞窟は巣と呼ばれている。
入口へと来たが、嘘のように周りは静かだった。
魔物の死体をいくつも通り過ぎながら奥まで進むと魔物の断末魔のようなものが聞こえた。まさか……!?
「あれ? 殿下がどうしてこんなところに!?」
そこには何度も一緒に飲み明かした兵士のおじさんたちがいた。
手には血のついた剣、体も血だらけだ。
「大変! すぐに治癒魔法を……!」
私は急いで駆け寄るも、おじさんは私を見てポカンとしているだけで特に慌てている様子はなかった。
「え、グルメハンターのお嬢ちゃんがなぜ?」
「それって神官様しかできないんだろう? それにほら、俺たちはどこも怪我なんてしてないぞ」
ほれほれ、手を広げて見せる。血はどうやら魔物のものだったらしい。
「そうですか、無事でよかったです」
「あぁ、心配したんだぞ。外があのような状況だったからまさかと思ったが、さすがは我が国の兵士たちだな」
アーノルドもほっとした表情をした。怪我人が一人もおらず、魔物も片付けてしまったことに。
「殿下、それでなぜこのようなところへ?」
兵士のおじさんたちは"何かミスっちまったか?"と不安そうにしている。
私たちはリルシィ王女のために魔物のお肉を狩りにきただけのはずだった。それなのに、大変なことが起きていると急いでここに来たけれど……どうやおじさんたちにとって、魔物の暴走はどうってことなかったらしい。
「あぁ、うん。まぁそれは後で説明するよ。シレーネ国の兵士たちはどうしている?」
「あぁ、殿下。あいつら本当にだめですよ。使い物にならないし、魔物を見て腰を抜かしたやつまでいるんですよ!?」
「運ぶの大変だったんですから! 逃げた奴ら以外は一箇所にまとめて放置しています。あとここにいないミオソティス側の兵士は外を片付けに行っています」
「そうか、わかった」
アーノルドと隊長であろうおじさんが話をしている間に、私は別のおじさんへと話しかけた。
「あの、おじさん。お聞きしたいことがあるんですが……」
「お、なんだい?」
「絶品お肉、見かけませんでした?」
「うーん、そうだなぁ……普段見かけるような魔物しかいなかったぞ?」
私はおじさんの答えにがっかりしてしまった。残念ながら、絶品のお肉である上級魔物は見ていないらしい。
「そう、ですか……残念で——」
その時、奥から一人の若い兵士が悲鳴を上げながらこちらへと全力で走ってきた。
「やばいやばいやばい!」
「なんだお前は、いつもやばいしか言ってない……おぉ!? やばいな!?」
若い兵士の後ろをドスン、ドスンと岩が砕けるような音を立てながら大きな魔物が追いかけてきていた。
「あ、あれは!?」
ちょ、あれは私が探し求めていた絶品のお肉をたっぷりと身にまとっている魔物ではないですか!
「アーノルド! あれです! あれがいいです! みなさん、手は出さないでくださいね!」
私は若干興奮気味にアーノルドに話しかけた。アーノルドも慌てることなく、魔物を見て「おぉ」と口角を上げて笑った。
「お嬢ちゃん!? 手を出すなって、俺たち死んじまうよ!?」
「殿下を呼び捨て!?」
「いや、お前知らなかったのかよ」
おじさんたちがそう言いながらも上手く魔物を誘導してくれる。
「大丈夫です、私に任せてください!」
そうして私は魔物に魔法を一つだけ向けた。
「はい、浄化〜」
魔物はきらきらと輝きながら一瞬でその場にドスンと倒れた。
先ほどまでの魔物が暴れていた騒音はなくなり、シーンと静まった洞窟内。
「いや、お嬢ちゃん……浄化の使い方……」
「いや、そもそも魔法の使い方が……」
「いやいやいや、それを言うならそもそも呪文が適当……」
そんなおじさんたちを横目に、私はアーノルドに駆け寄る。これなら王女様も喜んでくれるはずだ。
「では戻るとしようか。すまないがこの魔物を外まで運んでもらえるかな」
「え、はい、殿下!」
「あ、その前にみなさんの服をきれいにしましょう。血がすごいですよ?」
そして私はいつぞやの"きれいにな〜〜れ〜〜〜"をこの場にいるみんなに届くよう浄化魔法をかけた。
おじさんたちはまず、一瞬で綺麗になった服を見て、それから私を見た。おじさんたちの視線はなぜかメイアを思い出させるものだった。
◆◆◆
「ラリア様! よかった、怪我はないですよね!?」
「大丈夫よ、ほら」
メイアもどこも怪我をしてなさそうだ。
メイアとブライアンの後ろには先ほどまでいなかったシレーネ国の兵士たちがいた。縛られて。
ほどほどに怪我はしているが、どうやらメイアは重傷ではないと判断し治療はしていないようだ。
そして辺りを一掃していたミオソティスの兵士も合流したようだ。
「ラリア様、もしかしてあれは!?」
「そうよ、王女様へのお肉を無事に手に入れたわ」
大きな魔物を抱えて出てきた私たちにシレーネ国の兵士は青ざめていた。
リド王子にいたっては兵士に服を交換しろと喚き散らしている。ズボンを見たミオソティスの兵士の嘲笑うかのような視線に気が付いたのだろう。
誰がそんな汚いものと交換するのよ。
「洞窟から出てきたくせにどうしてお前たちはそんな綺麗なままなんだ!?」
私たちが汚れ一つ付けていないことになぜか怒っている。兵士の一人が、「ほんと、浄化魔法ってすごいんだなー」と感心している。
「そうだ、ラリア、お前がやったんだろう? なら私にも同じようにやってくれ! 聖女なんだから簡単だろう! このちんちくりんの女はずっと笑っているし治療さえもしてくれなかったんだぞ!? これまでどれだけの恩が我が国にあると——」
「なんですって?」
今、メイアのことを馬鹿にしたのかしら?
「おい、早く私に浄化魔法とやらをかけろ!」
私は小さくため息をつくと、リド王子の側まで近付いた。一瞬、期待に満ちた表情をしたリド王子をどうやったら絶望させてあげられるかしら。
「そうですねぇ、浄化ですか? でも、あなたに浄化魔法をかけてしまうと"それ"だけでなく、あなた自身も綺麗さっぱりこの世から浄化されてしまうかもしれません。なぜならこの世に不要な汚いものを消す魔法ですので。まぁ、それでもいいなら……」
と、リドに手をかざそうとすると「おいいぃぃ! 待て待て待て!」と死に物狂いでこの場から逃げようとしてみせた。
「ふふ、冗談です」
「さて、ラリア。そろそろ王宮に戻ろうか」
「えぇ、そうですね。でも、この人たちはどうしましょう?」
「あぁ、それなら大丈夫だよ。君がリドと楽しく話をしている間に後のことはもう任せておいたからね」
「ではお肉が新鮮なうちに戻りましょう」
リド王子は「ま、待て、置いていかないでくれ」と言っているような気がしたけれど、私はにっこり微笑んで——。
「今までお疲れ様でした」
と伝え、ここを後にした。
◆◆◆
そうして私たちは城へと戻るとそのまま兵舎まで向かった。
残念ながら、城の中のキッチンを汚すわけにはいかないのと、みんなを驚かせてしまうので兵舎横にあるこの訓練場で料理をすることにしたのだ。
せっかくなので、おじさんたちにも振る舞おう。
私のことを知らなかった兵士のおじさんは言葉通り顔を真っ青にして倒れ込んでしまったけれど、アーノルドが笑って「気にしなくて大丈夫だから」と声を掛けていたから……多分、大丈夫だと思います。多分。
リルシィ王女様も呼んできてもらい、期待に満ちた表情を浮かべているのでこちらとしてもやる気が高まる。
多くの人の助けもあり、大きな魔物を簡単に捌くことができた。手料理を振る舞う、などと言ってしまったけれど、実際のところは焼いて味付けをするだけなんですけどね。
あっという間に魔物の絶品お肉料理の出来上がり!
思ったよりも多くの人数が集まった気がするけれど、そんなことをリルシィ王女様は気にしていないようで、食べる姿を見られたくないという訳でもなさそうだし……。
ここには貴族がいないから、だろうか?
いったい何が王女を不安にさせているのかわからずにいる。
さぁ食べましょうとなった時、身なりの良い服装をまとった一人の男性がアーノルドへと近付いた。
「殿下、また私に黙って勝手に外出されましたね!?」
「やぁ、クレイル」
「やぁ、ではありませんよ! 殿下が仕事を残して消えたせいで私が今までどれだけ……あぁ! しかもこんな場所でいったい何を!?」
クレイルと呼ばれた男性は眼鏡をかけており、いかにも文官といった見た目だ。
アーノルドの執務室で何度か見かけたことはあるが、正直なところ印象に残っていなかった。いつも無口で、要件を伝えるとすぐに執務室から出て行ってしまうからだ。
私とも最低限の挨拶しか交わさない。けれど今日はいつもより会話が多いような……? なんだか雰囲気も違う気がする。
それにしてもアーノルド、仕事が落ち着いたというのは嘘だったんですね……。
クレイルがいつもと雰囲気が違うので少し気になって見てみると、違和感を覚えた。
あれ、この男性どこかで……?
そうだわ、眼鏡を外して、髪を崩したら……あら?
あの時あの場にいた男性じゃない!
隣に座っているリルシィ王女を見れば、そわそわとして落ち着かない様子だ。先ほどまでとは違い、せっかくのお肉料理にも手を付けなくなっていた。
「王女様、大丈夫ですか?」
「あ……すみません、ラリア様」
「もし食べるのが無理なようでしたら……」
「そ、そうではないのです……うぅ、やっぱり我慢なんてできませんわっ」
そう言いながらリルシィ王女は一口、お肉を頬張る。すると、不安そうな表情が嘘のようにほころんでいく。
「ラリア様、本当に美味しいですわ!」
「お口にあったようでよかったです」
アーノルドの方を見れば、すでにクレイルはいなくなっていた。どうやらまた仕事に戻ったようだ。
リルシィ王女の侍女も、お肉を美味しそうに食べる王女の姿を見て涙を浮かべて喜んでいた。
「ラリア様、今日はたくさん食べられそうですわ」
それを聞いた侍女がおかわりを持ってくる。侍女たちと楽しそうに食事をしているリルシィ王女は今のところ大丈夫そうに見える。
「ラリア様、お兄様のところへ行ってあげてください。先ほどからこちらの様子を伺っていて恥ずかしいですわ」
「ふふ、それでは少し失礼しますね」
私はアーノルドの元へと行き、クレイルについて聞いてみることにした。
「やっとこちらに来てくれたね。うん? え? クレイルのことかい?」
「はい、どのような方なのでしょうか? 実は、先日お話しした貴族の男性の中にクレイル様がいた気がするのです。今とは少し雰囲気が違いましたが……」
「あ、あぁ」
アーノルドは少し話しにくそうにしている。
「実はクレイルはリルシィの自称婚約者なんだ」
「え、自称、ですか?」
「そうだ。リルシィの婚約者はまだ正式に決まっていないんだ。リルシィ本人の意思もあるけれど、やはり王女だからそう簡単には決められないんだよ」
「……そうでしたか」
候補だからリルシィ王女はクレイル様を見て様子がおかしかったのかしら? あの時クレイル様たちはいったい何を話していたのだろう。
「それにしても、そうか。リルシィの様子がおかしいのはクレイルのせい、ということか」
「えっと、それはまだわかりませんが……」
「ちょっとクレイルとじっくり話をしないといけないかな」
「あの、ほどほどに……ですよ?」
「はは、もちろん」
ふと、本当に少しだけふと思ってしまった。アーノルドにも婚約者候補はいたのかしら、と。
だって、私がここへ来たのはたったの二ヶ月前。それまで何度も顔を合わせていたとはいえ、その頃すでにアーノルドは成人していた。
将来、この国の王となるアーノルドに、その歳になっても婚約者がいなかった、なんてことがあるのかしら?
アーノルドは私を選んでくれた。でも——。
そう考えると胸の奥がチクリとした。
「ラリア、どうしたんだい?」
「アーノルドにも、候補はいたの、ですか?」
私が消えるような小さな声で聞くと、アーノルドは私を安心させるように手を握り優しい声色で話した。
「ラリア、安心して。私にはそういった関係の女性は一人もいなかったよ。ただ、縁談の話がなかったわけではないんだ。私も王族だからね。けれど会うことなく全て断ったんだ」
「ごめんなさい、婚約者がいた私が言えるようなことではないのに……」
私の意思ではなく、いくら上が決めたとしても、クズ王子という婚約者がいた私がアーノルドを責めるようなことを聞いてしまうなんて。
私は自分の発言が恥ずかしくなり、アーノルドの顔を見ることができずに俯いてしまう。
「ほら、ラリア。こっち向いて?」
「うぅ」
なぜかアーノルドは両手で私の頬を包み込んでいる。いたずらっ子のような愛らしい笑顔。この透き通るような青い瞳には私だけを見ていて欲しい、だなんていつの間にか私は欲張りになってしまったみたいだ。
「私の初めてはすべてラリアなんだよ? 今までも、これからも。女性と一緒に朝まで明かしたのだって、ラリアが初めてなんだ」
「ア、アーノルド、それは語弊があります」
「ふふ、本当のことだろう?」
それは兵士の皆さんと飲み明かした、ということですよ!?
「私はね、いつも一人で頑張っているラリアを見て、あぁこの人にずっと私のそばにいて欲しいと思ったんだ」
「アーノルド……」
「リドが他の女との結婚を決めたことを見届けたら君を迎えに行こうと思っていたのに、まさかラリア自らあの場に乗り込んで来るとはね」
「どうしても納得できなかったんです。この目で確かめないと、と思ったら行動に移していました」
「そうだね。ラリアの代わりに私がぶち壊そうと思っていたんだけどね。私の愛する人は一人でなんでもできてしまいそうで、私は頼りになるのか不安になるよ」
「もちろん、頼りにしていますよ。これからもずっと、永遠に」
「ふふ、それは嬉しいなぁ。私も頑張らないとね」
今でも十分頑張っているのにこれ以上何を頑張るというのだろう?
「ラリアが私のことを愛してやまなくなるよう、一人の男として頑張らないとね」
「なっ、」
アーノルドは普段人前では見せないような綻んだとびきりの笑顔を見せてくれた。
あぁ、好きだなぁ。
「アーノルド、大好きですよ」
「……え? え、もう一回……」
そこでふと、周りが静かなことに気が付いた。あ、と思って周りを見ればみんながこちらを見ていた。
私は声にならない叫び声を出した。
今いる場所がどこなのかをすっかり忘れていた。
こちらを期待しながら見ているリルシィ王女のきらきらとした純粋な瞳が耐えられない。
「な、なしです。今のなしです」
「そんな照れなくても。この続きはまた夜を明かしながら……」
侍女たちの間で悲鳴のような歓声が上がる。
「ですから語弊が……!」
リルシィ王女とクレイル様がどうなったのかはまた別のお話。
——完?——
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聖女リルシィのお話は別の短編として投稿しようかなと考えておりましたが、もう別物として書いた方がいいのかも…と検討中です。
自己満足で色々と詰め込んでしまいました。
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11月30日に、一迅社様より【偽聖女だと言われましたが、どうやら私が本物のようですよ? アンソロジーコミック2巻】が発売されました。
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