黄泉比良坂のアイドル
物心ついた頃からアイドルだった。
お姫様のような可愛い衣装を来てプロデューサーという人に
『笑って』
と言われたら笑った。
父も母も自分がそうやって言われるまま笑ったり泣いたり怒ったりすると喜んでくれた。
だからずっとそうしていると家族が幸せなんだと思っていた。
働かなくなった父と買い物ばかりする母が…中学になる頃にはもう見にすら来てくれなくなった後もそう信じるしかなかった。
自分はずっとずっと大切に思われていると。
有栖川美玖は目を見開くと
「え?」
と声を零した。
マネージャーの黒川達治は困ったように肩を竦めると
「どうしたんだ、美玖ちゃん」
確かに事故は大変だったけど怪我はなかったし
「今日はファッション誌の撮影のスケジュールをいれたんだけど」
と告げた。
「学園ラインや木々が囁くようにとか映画もドラマも押してるから」
大丈夫?
美玖は笑顔を浮かべると
「はい、大丈夫です」
と答え
「黒川さん、ごめんなさい」
私頑張ります
と告げた。
達治は頷いて
「美玖ちゃんは素直で仕事熱心で本当にやりやすいよ」
と言い
「ご両親のことも片がついたからね」
と呟いた。
美玖は視線を下げて
「今年は来てくれるかな?」
お父さんとお母さん
と呟いた。
達治はハッとすると
「ごめん」
というと
「ああ、10月21日の日本映画大賞の主演女優賞にノミネートされたことは知らせているから」
と言葉を濁した。
美玖はにっこり笑って
「もっともっと頑張らないとですね」
と告げた。
…そう言って3年間一度も来てないよね…
でも、私がアイドルじゃ無くなったら黒川さんも社長も誰も本当に私のことを見なくなるよね。
有栖川美玖はそっと手を見つめて握りしめると立ち上がった。
「行きましょ、黒川さん」
そう呼びかけてマネージャーの黒川達治と共にファッション誌の撮影現場へと向かったのである。
黄泉比良坂の名探偵 @黄泉比良坂のアイドル
神蔵火無威は冷静に
「なるほど」
と答え
「それで…誰だそれは?」
と聞いた。
射場明二、42歳。
男性。
分かっているのはそれだけである。
神蔵巳湖斗はむ~んと悩みながら
「俺も誰か分からない」
と答えた。
火無威は漫画の作業台の椅子をクルリと回して腕を組み
「俺の時は知り合いだったからな」
時計店の店主
「だからお前の場合もそうだと思ってた」
と告げた。
それが全く見ず知らずの人物とは!
どうしろというのか。
巳湖斗はヘナヘナと空いている椅子に座り
「俺、諦めて呪われる」
と目を閉じて呟いた。
長い髪に大きなぱっちりとした瞳。
綺麗で愛らしい容貌のアイドルスター。
彼女が脳裏を横切る。
巳湖斗はふぅと息を吐き出すと
「助けてあげたいけど…難しい」
と思わずぼやいた。
火無威は肩を竦めて
「確かに難しいが」
と言い
「俺は何もせずに親友を死なせたことを後悔している」
お前は後悔しないか?
「お前はまだ見に行っただけで何もしていないと思うが?」
と告げた。
巳湖斗は叔父を見つめ
「叔父さん」
と呟いた。
火無威は息を吐き出して
「漫画を描く事だって同じだ」
これを描いても売れるんだろうか?
「ちゃんと楽しんでもらえるだろうか?」
何作描いても何時だって不安の中で手探り状態だ
「だけど止めたらそこで終わりだ」
と告げた。
「手探りでもやるだけやる」
それが大事だと思うが?
巳湖斗は静かに笑むと
「確かにそうだよな」
と言い、立ち上がると
「取り敢えず射場明二って人を探すところから始めてみる」
ダメならしょうがないけど
「始める前から諦めてたら蜘蛛の糸すらつかめないよな」
と告げた。
「ありがとう、叔父さん」
火無威は微笑むと頷いた。
「頑張れ」
探してもどうしようもなかったら言え
巳湖斗は頷いて部屋を出ると一階の自室へと入り携帯を手にした。
「先ずは…知り合いの知り合いにいないかだな」
そう言って浅見武士に着信を入れた。
自室でゲームをしていた武士は画面に突然現れた着信に
「ん?巳湖斗か」
今日変だったし…何かあったのか
と応答ボタンを押した。
「もしもーし」
今日は変だったけどどうした?
巳湖斗は「気付いてたんだ」と思いつつ
「あー、のさ」
というと
「武士の知っている人に射場明二って名前の人いる?」
42歳くらいのオジサンだけど
と告げた。
武士は顔を顰めると
「誰それ?」
と聞いた。
巳湖斗は「俺も知らない」とさっぱり答えた。
武士はますます顔を顰めると
「は?」
何する人?
「その人から何かあったのか?」
と問いかけた。
巳湖斗はそれに
「ん~、その名前の人が事故とか事件とか何かで亡くなるって占いで出てたから」
と適当な嘘をついた。
本当のことはまだ言えないと思ったのである。
武士はそれに
「なんだそれー」
と言いながら
「うーん、射場明二…」
俺は知らないけど
と告げた。
「ごめんな」
巳湖斗は首を振ると
「いや、俺こそ」
ごめん
と答えて携帯を切った。
「やっぱり無理かー」
巳湖斗は腕を組むと
「名前と年齢」
市役所の住民台帳とかなら多くの人の名前と年齢が分かるけど
「無理だしなぁ」
と椅子の背凭れに身体を預け、不意にパソコンを見た。
「…パソコンで名前検索してみたら…」
ダメもとでやってみるか
そう思いパソコンを立ち上げると電源を入れて検索画面に『射場明二』と入れた。
そこに射場明二という人物の情報が出た。
巳湖斗は目を見開くと
「マジか!」
と叫び、上から順にクリックしていった。
表示された射場明二という人物は何れも同一人物で42歳のフリーカメラマンであった。
在住は東京。
仕事用のサイトもあった。
巳湖斗はサイトにアクセスし写真や内容を見た。
そして、何より本人の写真もあり巳湖斗は直ぐに
「この人だ」
とわかったのである。
問題は…東京ということである。
巳湖斗は机から通帳を出して金額を見た。
叔父から毎月貰っているお小遣いやお年玉を溜めている通帳である。
両親が離婚して叔父に引き取られてから両親から全く音沙汰もない。
なので純粋に叔父から貰ったものであった。
「…コツコツ貯めたから40万近くある」
これなら東京へ行ける
巳湖斗はサイトを印刷し立ち上がると二階に上がって漫画を描いている火無威に声をかけた。
「叔父さん、仕事中に悪い」
俺、明日から東京へ行ってくる
火無威は驚いて
「は?」
何故??
と聞いた。
巳湖斗は頷いて
「ネットで調べたら射場明二さんって東京で住んでるフリーカメラマンだって分かったんだ」
と告げた。
火無威は暫く考えて
「わかった」
というと
「俺も行く」
と告げた。
巳湖斗は慌てて
「けど、締め切り」
と告げた。
「迷惑かけれないよ」
火無威は笑って
「いや、どうせ原稿を送るから手で持って行く形になるだけだから大丈夫だ」
と言い
「それに俺も東京見物する」
と告げた。
「じゃあ、これから仕上げに取り掛かるから」
夕飯は任せた
巳湖斗は笑顔で
「冷凍餃子焼くな」
と部屋を出て夕食の準備を始めた。
そして、翌日。
巳湖斗は火無威と共に東京へと向かったのである。
早朝の6時に家を出て出雲市駅から東京へJRを利用しての一寸した旅行であった。
岡山で新幹線に乗り換えても所要時間は7時間近くかかる。
二人が東京に着いた時には昼の12時を回っていた。
火無威は巳湖斗を連れて出版社へ原稿を持って行き驚いた穴川大樹に
「次の話に東京をと思って…甥も一緒に」
と告げた。
大樹は驚きながら
「いやいや、先生に来ていただけるなんて」
と応接室へと二人を案内した。
火無威は応接室で
「そう言えば、フリーカメラマンの…射場さんという方はご存知ですか?」
こちらの出版社にも写真を持ち込んでいるとサイトで見たんですが
と原稿を渡しながら告げた。
大樹は腕を組んで
「射場…」
部署で分かれているので
「フリーカメラマンの写真の持ち込みなら漫画ではなくて社会とかファッションとかの方かもしれないですねぇ」
と原稿を確認すると
「じゃあ、今月分を確かに」
原稿を渡す序でに聞いてまいりましょう
と立ち去った。
巳湖斗は火無威を見ると
「叔父さん」
と笑みを見せた。
火無威は頷いて
「まあ、今回は餅は餅屋だったからな」
と答えた。
暫くして帰ってきた大樹は
「射場明二ですかね?」
と言い
「社会ジャーナルの方で時々写真を持ち込んできているようですが」
悪い噂があるフリーカメラマンですね
と告げた。
巳湖斗はそれに
「というと?」
と聞いた。
大樹は腕を組みながら
「この前飲みに行った編集の人間から撮った写真で脅したら金を払う奴がいてとか」
その時は凄い写真を撮ったからもう仕事辞めようかって言っていたそうですね
「今度の漫画にカメラマンが出てくる予定があるのかもしれませんが」
ご紹介できる相手ではありませんね
と笑い
「良かったら他のカメラマンを紹介しますよ?」
と告げた。
火無威は笑って
「ではお願いします」
と答えた。
大樹はハッとすると
「そうそう、いまファッション誌の撮影で来ているカメラマンを紹介します」
と言い、巳湖斗を見ると
「巳湖斗君と同じ年齢くらいの子にファンが多い有栖川美玖が表紙を撮っているので」
良かったら撮影現場へご案内します
と立ち上がった。
巳湖斗はヒューンと背筋を凍らせると
「え、あ…はぁ」
と立ち上がった。
火無威も知っているだけに
「あ、りがとうございます」
と立ち上がった。
黄泉比良坂の彼女である。
二人とも同時に
「「こわっ、いま会うのこわっ」」
と心で叫んだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。