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すっかりと中身が冷えきったティーカップは、部屋の内装よりも余程豪奢なものであり、客人をもてなす心を凝縮したのか、はたまた見栄を張ろうとして考え無しの間抜けになったのかは判断がつきにくい。
穴の空いた壁からヒビが木の根の如く這い回るのを視野に、一部角が削れて丸くなるテーブルに置いた指先が無意識にリズムを刻む。
カインは隣に座る少女を盗み見た。何を考えているのか分からないその顔は無に等しく、姿勢正しく座ったまま動かないからか、精巧に作られた人形だと言われれれば、その言葉を鵜呑みにしてしまいそうなほどに整った顔立ちに自然と溜息が零れそうになる。
ゆっくりと長い睫毛を震わせ、眩い輝きを秘める金の瞳が隠れ、次いで開いた時には両の瞳がカインを捉えて注がれる。
ただ見られる——見詰められるというだけで魅入られる。
「焦れているようですね」
小さな花弁の唇が開き、柔らかな声音がカインの心中を代弁して擽った。
そこでようやく遊ばせていた指先に気付き、漠然とした羞恥がカインの頬を微かに焼いて謝罪が口をついて出る。
「そのようなことは……いえ、不甲斐ないですがそうかもしれません」
ティーカップに残る冷たいお茶の味は酷く苦い。素材の粗末さはもちろんのこと、淹れた者の不慣れさが顕著に出ているそれを一息に喉の奥に流し込んでしまえば、逸る気持ちが幾分か落ち着いて再度口を開く。
「怠慢であるだけならばまだしも、何か不測の事態に巻き込まれているのではないかと……申し訳ありません、見苦しいところをお見せしました」
「南部に入ってから、どこか異様な空気を私も感じていたところです。カインの気が落ち着かないのも無理はないでしょう」
スクートはまたカインから視線を外し、ティーカップを見詰める。一度も手をつけていないそこには、未だに冷めた苦いお茶が注がれたままだった。
スクートとカインは予定通り、南部に入り次第視察団から離れ、アエストリゴ領配属の騎士たちとの合流地であるファレス村にいた。
二人が村に到着したのは明朝で、遅くとも昼前には合流する予定だった。だが昼を過ぎても迎えの一行が現れる気配はなく、かといって下手に動いてすれ違うことは避けようと、焦れる気持ちのままに村に留まっていたのだ。
「向こうは私たちよりも人数が多いですし、それに、今の南部ではどこで魔物と遭遇していてもおかしくはないでしょう」
ファレス村に着いた当初は村の外にて待機していたが、屋外でスクートを待機させ続けることが心苦しく、村長へと掛け合い、村長の家の一室を借りることが出来た。
質素な部屋はスクートを歓待するには十分とは言えないが、それでも屋外で立たせっきりにするよりはマシであると考えていたカインだが、こうも長引くとは思ってもいなかった。
村長は聖女の来訪を快く歓迎し、村を案内して回ると張り切ったりと、スクートに頻りに話し掛けるも、その全てをカインが割って入って断るのは中々に骨が折れ、とにかく気が滅入る思いであった。
南部は魔物に脅かされている日々を送っているのだから、聖女が来たとなれば期待と安堵に興奮するのは無理もない。しかし、聖女が一般人と言葉を交わすことはあまり良いことでもなく、そのためにカインという存在がいるのだ。
言葉にはしないものの、カインのことを疎ましげな瞳で見る村長を部屋の外で待機して貰うには、普段ではあまり使わない貴族という肩書きを用いらなければならなかったのを思い出し、苦々しくもカインはそれが不安からくるものだとようやく認めることが出来た。
窓や扉から覗く不躾な好奇の目は、カインが視線をやると引っ込むものの、逃げる素振りも性懲りも無く間を置いて居座り続けている。
無論それらの目は村人らのものであり、当初カインはそれらの無作法者を蹴散らそうとしたものの、構わないと言ったのはスクートであった。
好奇の目に晒されるのは慣れているし、彼らの不安と鬱屈とした気持ちが少しでも紛れるのなら、これもまた立派なお務めと言えるでしょう——と、粛々と受け入れる様に、カインはあらゆる反論を呑み込むしかないのだ。
カインとしては実際、公式的な訪問でもなく、厚意で家に上げてもらっている以上、あまり威圧的に村人を御することははばかられる。
じっと身動ぎせずに座っているだけの少女を見ていても、いずれ飽きるだろうとスクートは考えていた。だがそんなスクートの考えとは反し、村人らの中にはスクートの美しい出で立ちに、目が離せなくなっていた者も決して少なくはなかった。
時折視線を窓や扉に巡らせ、言外にその行動を何度も窘めているカインではあったが、まるで減ることはなく、仕方ないとばかりに吐いた溜息と同時に、扉から覗いていた頭の一つが室内へと転がり出てきた。
小さな頭の持ち主は一時何事か理解出来ていなく、目を頻りにぱちくりとさせていたのだが、カインが立ち上がると子供はぎょっとする。ばたばたと手足を無駄に慌てさせ起き上がろうとし、どこか鈍臭いのか変に足を縺れさせ滑り、顎を打ち付けてしまう始末だ。
カインが目の前に膝をつくと、痛みからか恐怖からか、小刻みに震えながら目尻には涙すら浮かべ、謝罪の言葉を半ばうわ言のように繰り返す。
そんなにも怖い顔をしているのだろうかと、カインは胸中にかすり傷を負いながら、子供の脇に手を入れ持ち上げた。震えたままの子供はそれでも両の足でしっかりと立ち続けることが出来ているようで、膝や手を見た後に顎を持ち上げて見る。
「軽く打ったが大した外傷は無いな。目眩は——頭がくらくらするような感じはないか?」
軽度とはいえ、顎を打ち付けたことで目眩を催し、さらには吐き気があっては安静にしている必要があると、カインは子供でも分かりやすいように噛み砕きながら伝える。
子供はカインの言葉にようやく震えを止め、何度か頷いた後に大丈夫だと口にする。
「好奇心に殺されては命が勿体ない。高貴な人の前に出るという時は、そのお方に呼ばれた時だけだと覚えておきなさい」
カインは子供の頭を撫でると、ぎろりと覗いている村人たちにも言い聞かせる。彼らはバツが悪いとばかりに一様にして再度顔を引っ込めたが、反省しているかはまた別だ。
「カイン、その子と話をさせてください」
呆れに肩を落としながら、子供に帰るように促しかけた時、スクートの要望がカインを引き留めた。
カインは驚きと困惑に何度か口を開閉させたが、スクートのじっと見詰めてくる金の瞳に反論の言葉を呑み込み、ゆっくりと首を縦に頷いた。
戸惑いにカインを盾に隠れようとする子供を引っ付けたまま、薄く開かれた扉を勢い良く開けた。
そこには傍耳をたてていたのであろう村長が、びくりと肩を跳ねさせてから、必死に手をばたばたとさせる。
呆れるより他のないその姿に、カインは溜息すら出すのも惜しく、じろりとした目で村長を見る。カインに話し掛けられるまで口を開かないのは、先程の子供とのやり取りからの教訓かだろうか。
「……聖女様は見世物では無い。それをよくよくと村人に言い聞かせるのが、お前の仕事であるはずだ」
言外に人払いをしろと命令する。
カインとて、眉間に皺を寄せて怒気を孕んだ低い声で、脅すように言うことに抵抗がないわけではない。一般国民には出来る限り穏便に接することを心掛けてはいるが、いつまでも分別の無い行動をされていては、聖女であるスクートを軽んじていることになるのだ。
そう、内心で言い訳をしながらぴしゃりと扉を締め、さらには窓も全部閉じてしまえば、不安げに見上げてくる子供が騎士服の裾を引っ張った。
カインはふっと、笑みを零すとやんわりとその手を解き、スクートの前に出るように背中をトンっと押してやる。
小さな息が漏れると同時に、子供はようやくスクートをまともに見た。だが、子供が聖女を見るのと同時に、無表情の少女もまた、金色の無機質な瞳を携えじっと子供を見ていた。
ひっ、と息を吸った子供は直観的な恐怖に一歩後ずさり、背中にカインの足が当たると振り向いた。子供の目尻にはじんわりと涙が浮かんでおり、漠然とした恐怖と不安に逃げ出したい気持ちがいっぱいで、けれどカインの手が優しく小さな頭を撫でる。
「大丈夫だ、お優しい方だから。ほら、お隣に呼ばれているぞ。聖女様のお隣に座ることを許されるのは、とても名誉なことだ。あとで皆に自慢するといい」
どこまでも優しい口調に手つきだが、子供を逃がすことは絶対にない有無を言わさぬそれ。躊躇する子供の軽い体を持ち上げ、強制的にスクートの隣へと座らせる。
カタカタと震える子供は縮こまり、目に溜まった涙は今にも落ちてきそうな姿に、スクートは元の椅子に腰掛けるカインを見やった。
「——カイン、私はそんなにも恐ろしい顔をしているのでしょうか」
「まさか。あなたの醸し出される偉大さに、慄いているだけですよ」
「どちらにせよ、恐怖を抱いているわけですね」
カインは似たようなことを先程胸中に抱いたことを思い笑えば、スクートはその声音に残念そうな色を滲ませる。
すぐに受け入れられたカインと違い、異様にスクートを怖がる子供。その事実に少しばかり傷ついたとはいかずとも、納得いかないものがあるのは確かだ。
これが感情表現豊かな娘であったなら、眉を寄せて抗議に唇を尖らせていたかもしれないが、そこはスクート。変わらぬ表情は無、そのものであった。
「あなたは、カインの誠実さを見抜く目をお持ちのようですね」
表情こそ無に等しいが、柔らかく響く声が子供の心を擽るようで、身構え強ばっていた体が徐々に弛緩していく。
「少し、お話をしましょうか」




