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視線は逸らさず、かといって言葉を続けるわけでもなく見詰めてくるスクート。表情から感情を読み取ることの出来ない彼女に気付き、ジョンはぐっと眉間に皺を寄せる。
「……重ねて言うが、南部に入り次第フィデティス卿を伴いアエストリゴ領の騎士たちと合流し、グライドの森を起点に調査に向かえ。情報精査が不十分であるために一部箝口令を敷いてはいるが、神聖国の関与が強く懸念されている。不審な集団がどこに所属し、何を目論んで行動しているのか不明な上、活性化した魔物を相手取りながら指揮を執るというのに、貴様以上の適任者はいないだろう」
賞賛とも取れるような言葉とは裏腹に、侮蔑を隠さない瞳はスクートを射抜くように見る。
「これは我が国の行く末にも深く関わりのある調査だ。よって貴様が視察団を離脱することが覆ることは無い」
「神聖国の......」
スクートは口内で噛み締めるように呟いた。
神聖国は大森林を挟んだ隣国であり、長く敵対していたものの、およそ八百年前の戦争以来互いの干渉は無かったはずだ。普通八百年も経過していれば国の在り方も、ましてや存続すら危ぶまれるものだが、王国にはジルが、そして彼の神聖国の国王もまた長命種である以上、彼らにとっての年月はさほど意味を持たない。
ジョンが姿勢を変えると肩に乗る鳥がパタパタと忙しない動きでバランスを取ろうとし、その羽の音でスクートはハッとする。
「先日の国壁の一部破壊も、神聖国が魔物を煽動した結果の可能性が?」
大森林と王国とを隔てる壁が、魔物によって破られたことは未だ記憶に新しい。
何かに追い立てられるようにして壁へ、さらにその先へと進軍してきた魔物たちを思い浮かべるスクートに、ジョンはジルを彷彿とさせるように緩慢な動きで肘をつく。
「可能性は否めない。が、それらは推測に過ぎず、確固たる証拠がない中ではただの妄想だ。昨今の国内の情勢は不安定であり、その憂き目とあった者たちが徒党をなし賊となっていたところに、魔物が活性化している地域が重なっただけという可能性もある」
そう嘲るように笑うジョンは次いで深く溜息を吐く。
頭の芯が冷え切り、よすがとしていた人物が近くにいない事実が表層的な冷静を取り戻したとて、ちりちりと焦燥感を掻き立てるのだ。
そんなジョンに何を思ってか、白い鳥——ラドリオンが身を寄せてくるものの、それは彼の代わりにはなり得ない。
「仮に、集団と神聖国との関与が明白となった場合、どのような処断を下しましょう」
ジョンの目の前に座る少女、スクートはそう淡々と聞いてくる。自分より歳下でありながら、自身よりも永くこの国に在る存在。
彼女を見ているだけでジョンはより一層の不安に駆られるというのに、その元凶たる少女は感情一つ見せない涼しい顔で見詰めてくるのだ。
激しい嫌悪と行き場のない怒りには既に慣れたもので、片手で顔を覆ったジョンは同様に淡々とした声音で返した。
「大森林発生から長らく、全てにおいて我が国とは断絶されていた国だ。何をして来るのか分からぬ以上は騎士団の、ましてや民への損害を最小限に抑えることが優先だ。だが、神聖国が相手だと判明した場合、何よりも貴様の身こそを守らねばならない」
捕縛もまた望ましいところだが、とジョンは手を下ろす。
神聖国の情報が乏しい中、ジルからの助言も望めない中であるならば、その情報源を確保したいのは本音だ。しかし、捕縛に固執して要らぬ被害を出すのは元も子もないというもの。
求め過ぎて失うくらいならば、守るだけで良いというのがジョンの考えであった。
「集団を取り逃し、活発化した魔物を野放しにして、国土を荒らすようなこととなっても良いとお考えでしょうか」
「神聖国の関与が確実となった場合、我々が最も留意すべきは貴様の身柄だ。彼の国に貴様が渡るくらいならば、多少の国土の荒れ具合には目を瞑ろう。土はまた耕せば良いが、貴様は耕して生まれるものでは無い」
「私は盾として生まれ、盾として朽ちるべきものです。この国の盾となるべく創造された私に、国土が荒らされ、魔物が我が物で跋扈するのを見逃せとおっしゃるのですか。それこそいたずらに民の命を散らすことと相違ないのではないですか」
普段無表情のスクートの瞳に、僅かばかりの怒りの色が見えた気がした。
抑制の中に溢れるそれはあまりにも色鮮やかであり、けれどやはりジョンには嫌悪の対象でしかない。喉の奥から引き出す声は驚くほど冷たく、口元に浮かべるのは今までに向けたことの無い笑みである。
「もう一度言うぞ。貴様が神聖国に渡ることを我らの神は望まない、赦すことは決してない。イェデグラムから続くこの断交を、神は継続されたしとおっしゃった。裏切りの神は己の罪を未だ悔い改めることをせず、我らにその咎をお与えくださったのだからな!」
ジョンは両手を広げ、声を荒らげて高らかに吼えた。
興奮に目を血走らせ、頬は上記して色付いている。
かつてないほどの感情の昂りをジョン自身も御することは出来ず、自分が口走った言葉を遅れて理解してようやく手を下ろし、肩をも落として息を吐く。深く長く、すべての憂い事を忘れられるようにと、無駄なことを願いながら。
「……覆しようがないと言ったのは彼だというのに、わたしも彼も、逃避することでしか最早心の安寧を保てないのだな」
自分自身に言い聞かせるようにそう呟き、ジョンは疲れ切った顔を持ち上げ、ようやくスクートと目を合わせた。
スクートはただ黙って聞いていた。言葉を待っていた。そうするべきだと、決められていたから。
「貴様の——いや、貴女が貴女である以上、貴女の神が赦さないだろうな。だがそれでも、わたしはわたしの神が望むのなら、畏れ多くも貴女に言わねばならない」
ジョンは頭を下げた。
王冠を戴く者が下げるべき頭などないというのに、それでも頭を下げて願いを口にする。
「どうか、神聖国にその身を委ねることのないように。もしその身が彼の国の手に落ちようものならば、どうか、自害するよう、お願い申し上げる」
静謐であった。
音もなく、動きもなく、馬車の中には幾度目かも分からない沈黙が流れる。長いようで短い時が幾重にも折り重なり、重圧となって空気を圧迫している。
頭を垂れているからか、喉の奥からせり上がりそうな何かを、抑え込まなければいけないジョンは、ぼたぼたと両目から雫を流しており、その音が響くのにすら恐怖を覚えていた。
がたがたと体が震えるのを自覚してしまえば止めようもなく、ましてやそれに合わせて年甲斐もなくしゃくりを上げてしまう。
国王として、男として、いや、大人としてはあまりにも不甲斐ない。自責と羞恥、けれどもそれを上回る恐怖がジョンの感情をぐちゃぐちゃにしていた。
実際のところ途中から自分でも言っていることが解らない部分が多々あった。
ただ、受け入れたくない現実が、着々と迫って来ていることに、国王依然に凡夫であるジョンにはもう耐え難かった。
そう、ジルという精神的支柱が傍にいないというだけで、気が狂ってしまいそうなほどに。
ジョンが震えと嗚咽の音だけに耳を支配されているところに、ふと温かくも小さな手が肩に乗せられた。
びくりと肩を跳ねさせ、恐る恐るといったふうに顔を持ち上げる。
一国の国王として最早体裁などなにもない、ぐずぐずの顔は見るに堪えないだろう。しかし、目の前の聖女はそんなことは目に入らないとばかりにジョンの瞳を真っ直ぐに見詰め、そして“微笑んで”いた。
「陛下、私は盾、私はスクート。ですが——」
そっと身を寄せ、ジョンの耳元へと唇を寄せる。
スクートは謳うように事実を紡ぎ、ジョンは絶望に顔を歪ませる。戦慄くようにジョンの開いた口から零れるのは、息とも言葉とも取れぬ音だけだ。
カタリ、と馬車の車輪が小石を踏んだ音が遠くで聞こえた気がした。
その音にスクートはジョンから手を離すと立ち上がり、礼をすることもなく馬車の扉を開けた。開けた扉から飛び込んでくる風がスクートの髪をふわふわと弄び、陰鬱とした室内の空気を掻き混ぜる。
スクートは右手を口元に持って行き、甲高い指笛を吹いて合図を送る。すると前方から馬が騎士に誘導されながら、馬車に合わせるように下がって来る。
速度を合わせて乗りやすいように調整されてはいるが、常人であれば馬車から馬へ飛び移ろうなどと考えもしないだろうが、もう既にその逆はしているのだから今更である。
「陛下、御前より辞するお許しをいただけますか?」
くるりと振り向いたスクートはもう無表情であり、先程の言葉嘘だったのかと思ってしまうほどであった。けれどどう取り繕おうと先程の微笑みは幻覚では無いと、体の震えが訴えて来ている。
ジョンはなんとか手を上げてそれに応えた。このまま彼女の顔を見ながら口を開けば、胃の中身を吐瀉してしまいそうだったからだ。
スクートはそれではと一言だけ残すと、金の瞳には色を持たせず一瞥をくれるだけで馬に飛び乗った。
馬車の扉は直ぐに閉ざされ、室内にはジョンとラドリオンだけだ。
ジョンはスクートがいなくなったことに深い安堵の溜息を零し、ずるずるとその身を崩して上半身を横たえる。ラドリオンがジョンの頭に身を寄せるが、ジルがいないのであれば慰めにもならなかった。
「なんて情けない……受け入れられない、死なんてものは到底受け入れられない! ……家族にも、我が子達にも伝えられないなんて!」
握り締めた拳を振り上げ、力任せに振り下ろして座面に叩き付ける。鈍い音が骨を伝って痛みを伴うが、それでも幾度も叩き付ける。
慟哭がしばらく続き、現実逃避と呪詛を繰り返したジョンはぬるりと身を起こす。そうして乱れた姿にマクァラトル王国国王としての姿はなく、ただただ現実に打ちひしがれる只人でしかない。
ジョンの落窪んだ目の先にいるのはラドリオンであり、丸い目がじっとこちらを見ていた。真っ白くも猛毒を有し、彼の神の使いとして在るその鳥は、本来であれば恐れられるべき存在だ。
しかし、ジョンは縋り付くようにラドリオンへと語り掛ける。
「神よ、大地の神よ! 何故に我らの代なのか。祖よ、愚かな我らが祖よ! 何故に大空の髪を他裏切ったのか……!」
答えぬ白い鳥は首を傾げるばかりで、ジョンは顔を手で覆って俯いた。悲嘆が尽きぬ疑問を涙として溢れさせ、指の隙間からは絶えず塩の雨が降り注ぐ。
ラドリオンは泣き暮れるジョンをじっと見詰め続けていた。




