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金の瞳にはカインを案じるとともに、信頼が確かに込められていた。
その言葉を持ってカインに先導指揮を預けると、馬の歩を緩めて国王と大公の乗っている馬車に速度を合わせて近づいて行く。
御者役の騎士と視線を合わせ、そのまま進み続けるようにと声を掛ければ深い頷きを持って返される。これで無駄な時間を生むことは無いと、さらに馬車の扉まで下がる。
スクートはチラリと後方を窺い、不用意に好奇心を見せる者たちがいないのは、選抜されただけのことはあると感心を込めて目を細めた。
前を向き直って体をやや前傾に傾け、馬の首元を撫でて賢い子への謝罪と願いを囁き声に乗せる。
「少々乱暴になってしまうことを許してください。私が降りたらカインのところへ、先頭へあなただけでも戻れますか?」
馬は了解したとばかりに傾けていた耳を震わせ、軽く頭を下げて頷くような仕草をして見せた。
スクートは良い子ですと頷きながら、聞き分けの良い馬の首元をもう一度撫でて感謝を口にする。ふるりと震える耳が喜色を滲ませているようにも感じられ、スクートは改めて賢い子だと感心する。
馬車側面の扉前、横乗り体勢になること五秒。 スクートが空けたその間は、ジルが準備を調えるためのものだ
「陛下、ジル様、スクートが参りました」
そう告げるスクートの声音は常より伝播性が低いものの、中にいる者にとっては十分に聞き取れたのか、扉が内側から開いたところに馬を寄せる。しゅるりと途端に伸ばされた“枝”に掴まり、滑り込むようにして馬車に乗り移る。
本来であれば多少なりとも衝撃はあるだろうが、馬車が拾うのは微細な振動のみであり、それすらも他の馬車とは違いかなり軽減されていた。
スクートはよろけることなく流れる動作でジルの横に腰掛け、そのまま目の前の国王に一礼する。
跪くのが国王を前にした臣下として正しい振る舞いではあるが、馬車内では何かと略さなければ空間が無駄に消費されるだけだ。
さらりと揺れる金糸の髪から覗く表情には、大した敬意が浮かぶでもなく、形式的な言葉が義務として述べられる。
「ご用命と伺い参りました。暫くの同乗をお許しください、陛下」
金の瞳を向けられた国王は眉間に皺を寄せ、唇を真横に引き結ぶ。常であれば国王として泰然たる態度を崩すことのない彼は、スクートを見るなり表情を崩した。
国王——ジョン・マクァラトルは顰めた顔のままに手を挙げた。
スクートは決まりの礼を述べると、横に座るジルに今度は顔を向ける。
「見事な号令だったよ、きみの声が響き渡る様は国民にも広く感動を与えたようだね。これは誇って良いことだし、僕も誇らしく思う。きみは抑制されているからあまり感じることはないだろうけれど、誇れるものがあるということはそれだけ本物に近付けたということの証左でもあるのだから」
ジルは窓枠に肘を置き、手の甲に頬を付きながらゆったりと足を組む。微笑とともに送る賛辞には、流暢さとは逆に本心からの言葉とは微塵も思えないほど色がない。
ジルからの労いに、スクートは感謝の言葉を述べるものの、同様にして感情の色は見えない。表情筋がぴくりともせずに型通りの言葉を口にし、振る舞いもまた決められた動きをなぞるようにしか見えない。
そんな様子を目に国王——ジョン・マクァラトルは嫌悪と、そして少しばかりの羨望を抱えて見ていた。
眉間に皺を寄せ、唇を真横に引き結ぶ姿は国王としての姿よりも、人間として感情を露わにしており、そんなジョンの表情に視線を移したジルは新芽を彷彿とさせる瞳を細めた。
「ジョン、表情を取り繕うことすら忘れたというのなら王位は譲るべきだよ。表立って聖女に不平不満を抱いた態度を取られると、僕は困ってうっかりその首を落としかねない」
「……感情のない二人の間に身をおいて、人であることを実感するには感情の発露しか手段を得られなかっただけのこと。公の場においてかの聖女との不和を見せるような真似は王冠に誓うさ」
ぐっと喉の奥に詰め込んだすべての感情を押し殺し、されど堪え切れない激情を滲ませながら紡ぐ言葉は、ジルにとってはさえずりに他ならない。
疎ましげにスクートを一瞥したジョンに、ジルは呆れたように溜息混じりに笑む。
「聞いたかい? 僕に感情がないだなんて、一体全体僕のなにを知ったらそんなこと言えるんだろうね。末の娘の生誕祭を僕が延期させているから、酷く不貞腐れているようなんだよ。それなのにきみが他領の一貴族の慶事に出席するって知ったものだから、余計に拗ねているんだ」
珍しくも無邪気に笑うジルはスクートの肩を叩きながら、わざとらしく手をひらりと振ってみせる。ジルは時折ジョンのことをからかい、それを心底楽しんでいるような姿を見せるのだ。
子供扱いをされたジョンは鼻を鳴らし、不快であることを隠しもせずに口調を強めた。
「アマリネッタが伏せっているというのに、地方の祝い事に聖女が顔を出していれば王家の威信が問われると言っている。視察団の護衛を離れてまで出席する必要があるとは到底思えんな。それならば王都に残り、守護を磐石なものに——」
「はぁ、ジョン。一体何度言わせるのかな。覆せないことで喚き散らすものじゃないと、昔から言い聞かせているだろう?」
ジルは呆れに首を振って背もたれに深く腰掛け直す。じとりとした視線は諌めるものであり、ジョンはその瞳に怖気付いたのか、一時の間言葉を失う。
焦燥と絶望に足下が覚束無い感覚がジョンの身のうちを焼いているというのに、ジルはまるで歯牙にもかけない。ジルにとってジョンの言葉は軽く、幾つになってもまるで成長しないと思われているのだ。
散々言い聞かされてきた、“覆せないこと”を受け入れる。それこそがジョンに求められるものであり、受け入れることも“覆せないこと”の一部である。
握った拳は固く抗議の意思はあれど、ジルの目には幼子が我儘を通そうとしているようにしか映らないのだろう。そこには悔しさと憤り、そして変わらないことへの安堵が渦を巻き、余計にジョンの心を掻き回していく。
「……黒布を掲げているわけでもないというのに催事を自粛させるのは、それこそ王族に背心を抱く種を撒くことに変わりないのではないでしょうか」
静観していたスクートは、ジョンを見詰めてそう問うた。
確かにアマリネッタの不調は国民にとって案ずるべきことに変わりは無いが、かといって彼らの生活に制限を掛けるほどではない。国王であるジョンの不調とは違い、彼女は一王女でしかないのだ。
王族の誰かが体調を崩す度に一々国民の催事を自粛させていては、その身勝手さについてくるものはいなくなる。そうして溜まる不満は膿となっていくしかない。
スクートの核心を突く言葉には大した意図はなく、事実を事実として口にした。ただそれだけだが、ジョンは眉を釣り上げてスクートを激昂した。
「人形の分際で、わたしの娘を些事とでも言いたいのか!」
極めて低い声音は威圧感を伴い、鋭い眼光は並の者ならば竦み上がってしまうほどの怒気が込められている。
紅潮した顔で息をも荒くしたジョンの一喝は、もちろんジルによって外に漏れることはなかったが、その分馬車の中では余計に大きく響いたように感じられた。
ジョンは昔から聖女であるスクートが嫌いだ。スクートは変わらず、ジョンが幼少の頃から聖女であり、ジョンが年を取り聖女が代替わりしてもスクートであり続ける。
そんな、“代替品”が常に在り続ける聖女に、強い嫌悪感があったのだ。同じ顔同じ声同じ役目を担う一人の少女だが、数多の少女は気味が悪い。死んだと思えばまた同じように成長していく者を、例え別個体と言われようとどうして受け入れられようか。
恐れるが故に嫌悪し、嫌悪するが故に拒絶する。成人を控える前には表立って批判することはなくなったものの、ジョンのスクートに対する評価は変わらなかった。
誰よりも、何よりも毛嫌いしているスクートに、代わりなどいない自身の娘を引き合いに、王家について語られることは我慢ならない。
ジョンはジルの手前であれど、言葉を選ぶ余裕などなく吐き捨てるように人形と口にしていた。
「過度な締め付けの反動は測り知れません。各地での異常事態頻発の事例が重なっている今、不満と不安に国民は耐え切れないかと」
けれどスクートは剥き出しの敵意に怯むことなく静かに首を振った。
睥睨するジョンに、顔色一つ変えない聖女。
二人の間に横たわる緊張した空気が今にも爆ぜそうだったが、無言の睨み合いに終止符を打ったのはジルであった。パンッと小気味いい音とともに手を打ち鳴らし、強引に意識を自身へと向けさせたのだ。
「ジョン、きみの怒りは王としても親としてももっともだが、きみはなによりも忘れてはいけないことを忘れているよ。——きみはね、“許されていない”んだよ。彼女を貶すことを“許されていない”。その意味を今一度思い返してごらん」
さぁ、と言う笑みと言葉には変わらぬ柔らかさを見せてはいるものの、それとは相反する鋭さを見せた新芽の瞳にジョンは憎々しげに歯噛みした。
内心に燻る苛立ちを隠すことの無い視線がスクートに向けられていたが、ジルが足を組み直したところでようやく鎮まりを見せた。というよりも馬車の中には濃い緑の香りが充満し始めており、冷静にならざるを得なかったのだ。
表情からも嫌悪の色が消え、その切り替えにジルは満足したのか、足の先で何度かジョンの脛を小突きながら笑みを浮かべた。
「良い子だね、ジョン。不安と怒りの捌け口を誤ってはいけないと学んだようだ。僕に怒りを向けられないからといって、きみが聖女を八つ当たりの道具にしていい道理はないんだよ」
「道理……か。マクァラトルの過ちならいざ知らず、イェデグラムの——貴様らの清算に付き合わされるのだから、相手を間違えようと怒鳴りでもしなければ、我々はなんのために生きるのか見失いそうになるのだ」
悲嘆に暮れたジョンの声色に、ジルは一度目をぱちくりさせ、次いでスクートへと目を向ける。
スクートは金の瞳でじっとジョンを見詰めるだけであり、同情すら抱かない。
実際のところスクートはジョンの悲しみを理解することは無い。まして“スクート”はジルが良しとしたことしか知り得るが出来ず、ジョンが何を思って悲嘆を胸に抱くのかすら把握していないのだ。
人の悲しみを、人の心を汲み取ることはあまりにも難解であり、かといって特段気に掛ける必要性を見出せず、スクートは無意識に胸元で手を握っていた。衣服の中に締まっているネックレスが、少しだけ熱を帯びるように感じたのは気の所為だろう。
ジルは目を細め、緩慢な動きで頬杖をつく。
馬車内の音が外に漏れ出ることはないものの、外からの音が遮断されているわけではなく、空を飛ぶ鳥の声が耳に届く。車輪が回り振動に軋む音、馬の足音までもが鮮明に聞こえてくる。
ジョンの手のひらはじっとりと嫌な汗が滲んできていて、自身を見詰める二者の視線が身を焼くように感じられる。
沈黙が下りてしまえばジョンから再び口を開くということはどうにも出来ず、彼らからの言葉を待つしか出来ない。目の前に座る両者とこうして密閉空間にいるというのは、およそ常人にとっては気をやりそうなほどに心労が積もっていくばかりに思えた。
そうしてひたすらにジョンを値踏みするかのような空気に晒され続け、頭痛がし始める頃にやっとジルが終わりを告げる。
「僕の余裕もそろそろなくなってきたことだし、本題に入ろうか」




