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マクァラトル王国王都、ディロヴェレーの街道沿いは多くの国民で賑わっていた。彼らは皆一様に視察団の出立を見送りに来ており、先導する聖女を、国王の乗る馬車だけでも一目見ようと近隣の街や村、領地からわざわざ王都に足を運んで来た者もいた。
視察団出立式は王城内にて厳かに行われたものの、王都外への移動はパレード形式にすることとなったのだ。
王女であるアマリネッタの体調不良が続き、あわせて生誕祭も延期となっていることは王国民には広く知れ渡っていた。そんな中、王都外からはるばるやって来て、生誕祭にあわせて調整していたであろう出店などが延期によって打撃を受けていると、王城には多くの陳情が寄せられたのだ。
これの対応策として持ち上がったのが、支援金給付と視察団の出立のパレードである。
晴れて採用された打開案により、出店が立ち並ぶ区画が出来上がっていた。彼らはパレードの見物客を相手に声を上げて売り込んでおり、活気の戻った街並みには最近の陰鬱とした雰囲気が見られない。
視察団の行列はスクートを先頭に、13台の馬車が続いている。馬車を護衛するのはもちろん王都に所属する騎士団であり、視察団編成に伴い選抜された者たちだ。
聖女直属の小隊にいた者たちは、今回は先の遠征から日が経っていないということで外されている。
というのも、スクートが指揮する小隊は魔物討伐に特化した者たちで構成されているため、政治的な色が強い場面では呼ばれることは少ない。今回のような場合には貴族の出の者が選ばれる傾向が強く、貴族らの意向が色濃く反映されているのが目に見える。
視察団にはクルムノクス大公であるジルが同行しているのだから、それだけで戦力面でも十二分と言える。故に出身階級の低い者や、魔物討伐に特化しているような者は選ばれにくいのだ。
スクートは淡々とした表情で隊列の先導を務めている。いかな歓声を受けようと、一切表情を変えないスクートはまさしく人形のようで、他の騎士たちも皆無表情を努めてはいるものの、一線を画す無であった。
民衆から見ればそのあまりにも感情を感じられない様は人とは思えず、けれど金色の瞳の輝きに惹き付けられずにはいられなかった。
聖女に向けて熱い声が掛けられるのと同様に、その後ろで馬車の中から手を上げる国王にも熱い声が上げられていた。
マクァラトル王国国王――ジョン・マクァラトルは、国民一人一人に向けて手を上げ、名前を呼ばれれば深く頷きを返す。国民の声を聞いているという意味のその深い頷きは、目にする機会の限られる平民らにとっては特に感極まるものであり、ジョンが通ったあとも尚彼を呼ぶ声が通りに響いていた。
王城から王都外へと続く門への中央通りは、視察団を一目見ようと、あわよくば国王や聖女に視線を向けられないものかと期待する国民たちで賑わっている。
そんな通りの中心地、大広場も抜ければ王都の唯一の出入口である大門はすぐ目の前である。荘厳にして重厚であり、建国以来何物にも脅かされることのない大門は、王都ディロヴェレーの名物のひとつでもあった。
普段であれば早朝日の出とともに開け放たれているが、今日に限り定刻を過ぎていても閉じられたままだ。
スクートはそびえ立つ大門の前にて手綱を引くと、馬は何度かの足踏みののちに停止する。合わせて後方に続く視察団並びに騎士たちも続々と停止して行き、一団は大門の前にて整列して待機に入る。
眼前を見据えたままのスクートは、右手を横に差し出せば旗がその手に託される。持たされた旗は国旗であり、右手を大きく上げて旗を風にたなびかせる。
スクートの後ろでは同様にして騎士団の団旗を掲げたカインがおり、これまで熱心に声を上げていた民衆は示し合わせたように口を噤む。
王都をぐるりと囲む壁だが、大門を挟むようにしてその上には同様にして騎士団が整列しており、国旗と団旗の両方が掲げられている。
スクートはそのうちの一人にぴたりと目を向けると、一拍の呼吸ののちに口を開ける。
「ジョン・マクァラトル国王陛下並び、視察団はこれより、ラタク領に向けて出立する!」
スクートの人形めいた顔立ちには似つかわしくない、されど空に響く声が通りに抜ける。
壁上の騎士たちが一斉に剣を胸に構えるのを見て、スクートはさらに腹に力を入れて大きな声で号令を出す。
「開門せよ!!」
スクートの言葉は突き抜けるようにして空気を震わせ、壁上の騎士が大きく「開門!」と復唱すれば大門がゆっくりと左右に別れていく。
大門の陰に入っていたからか、差し込む日差しに思わず目を細める者たちがいる中、スクートの目は細めることもなく前を見据えている。背筋をさらに伸ばして気を引き締めたスクートは、後方を振り返らずに言い放つ。
「視察団、出立!!」
大号令とともに再びゆっくりと進み始める視察団に、民衆は大きな声をもって見送る。
やむことのない歓声を背に視察団は王都を発ち、ラタク領に向けて歩み出したのだ。
スクートが門をくぐれば、大門前の大通りの脇にある、小門の前にはいつも以上の大行列が出来ていた。今日は大門が視察団に合わせての開門になっていたため、普段使わない小門からの出入りが行われていたのだ。
王都から視察団が出て行けども、王都では今日も人々の営みがある。行商人や他の街や領地からパレードを見物に来た者たちであろうが、中に入るのには間に合わなかった人々の姿もあった。
そんな彼らは視察団が出てくると同時に、王都内と同等の歓声を上げて出立を見送ってくれている。国王に向けるものはもちろん、聖女であるスクートに向ける声も少なくはない。
スクートはその中にある無数の祈りの声を受け取りながら、視線を一度も揺らすことなく先導して行く。
朗らかな陽気に恵まれ、肌を撫でる風の穏やかさはまさに良き日である。
視察団出立の日程は国内に広く知れ渡っており、視察団の道行きを阻まぬようにと、普段は多くの馬車や人々が通る道も今日は閑散としている。行商人らは迂回路を使うようにとの通達が広くされており、大所帯な視察団は幸いにも順調な道程を歩んでいた。
王都から離れるにつれて歓声は遠のき、代わりに聞こえてくるのは鳥の歌声や長閑に広がる麦穂の囁きだ。王都の外に出れば牧歌的な風景が広がっているのも、ここ最近の試験的政策の一部でもある。
視察団の行列は国王を筆頭に、貴族も乗せているためにゆったりとした足取りで進んでいた。
「見事な号令でした、スクート様」
スクートと同様に旗を脇に持つカインは、会話が出来る距離で左側方につくと、賛辞の声をもって労いの言葉を掛けた。
聖女直属の小隊は随行者に選ばれなかったものの、カインは聖女の護衛騎士である。聖女であるスクートが行くところ全てに随行するのが彼の仕事であり、選定の対象には入っていないのだ。
「定められた役割を果たしただけですから、そう褒めそやすものではありませんよ」
窘めるようにカインへ向けようとした視線だが、視界の端に映る後方へと意識が逸れた。
そこにはやや乱れた隊列と、若干の遅れが生じているのが見える。いくら遅々とした進みを前提しているとはいえ、乱れからの遅延はあまり好ましくはない。
整備された街道を進むものの、このまま遅れが広がり続ければ、日程にズレが生じないとも限らない懸念が頭をよぎった。
大人数の移動には予定通りに進まないと分かりつつも、頭に過ぎるジルがそれを許容出来るかどうかだ。何かしらの問題が生じた場合、ジルからの矢面に真っ先に立たされるのはカインであり、スクートは出来るだけその可能性を取り除いてやりたいと考えていた。
「少し乱れ始めているようですね。俺が行って整えて来てもよろしいでしょうか」
スクートは表情にこそ出さなかったものの、察しのいい護衛騎士は眉を寄せて志願する。
隊列の乱れは規律の乱れだと訓練時に叩き込まれるものだが、現実として訓練通りというのはなかなかに難しい。とはいえ、難しいと放置していいものでは当然ないのだ。
しかし、スクートはふるりと静かに首を振った。
「いいえ、問題ないでしょう。元より多少の遅れは想定内です。もし更なる遅れが生じるのであれば、私が後方に回ります」
問題の芽を潰すのはカインの負担を減らすためであるのだから、カインの仕事を増やすのは本末転倒である。
そんな上官の気遣いを無表情の中から汲み取ることは余程難しいらしい。
「スクート様、それはいけません。あなたは先導指揮をとることがお役目です。後方は俺や他の者で十分事足ります。俺に命じていただければ牧羊犬のごとき働きをお見せいたします」
カインは柄にもなく冗談を交えるもので、むしろスクートとしてはより一層後方に回すのを躊躇う気持ちが生まれる。
金色の瞳はゆっくりとカインへと向けられ、そこには憂慮の色が浮かんでいた。
「カイン、私はあなたの意欲を削ぎたいわけではないのです。けれど、あなたが無用に他貴族との軋轢を抱える可能性があることに、少なからずの懸念を覚えるのもまた事実。私が選んだ私の護衛騎士はあなただけなのです、鞍替えをされては困りますから」
カインの生家、フィデディス家はあまり貴族からは好かれていない。むしろ疎まれていると言っていいくらいだ。
フィデティス家はカインの曽祖父の代に没落し、平民となっていた。そんなフィデティス家が名誉貴族とはいえ、貴族となることはもちろん、聖女の護衛騎士に就くことを厭う者たちがいるのだ。
しかし、最近では貴族の中でカインと浅からぬ縁を得ようと近付く者が現れ始めたのだ。カインは護衛騎士ということもあり、多忙の身でもあるため大した収穫は得られていないであろうが、スクートの傍を離れた隙をつかれてつけ込まれないとも言い難い。
信頼していないわけではないが、スクートとしては護衛騎士を降りる事態に繋がることを避けたいのだ。
「......ええ、俺もこのお役目は誰にも譲りたくはありません。俺の身は貴女に捧げると、俺は誓いを立てていますから。ですが、隊列の乱れは俺にお任せ下さい」
スクートの思いがけない言葉にカインは喜色を噛み殺し、けれど彼女の手を煩わせることはしたくないという思いは譲れなかった。
スクートがカインの負担を減らしたいと考えているのと同時に、カインもまたスクートのために動くことを生き甲斐としているのだ。どちらも譲れぬのなら、より熱量があるのはやはり人であるカインの方である。
カインの頑とした姿勢にスクートは、少しの呆れを滲ませた声音で頷いた。
「あなたはそういう人でしたね。分かりました、働き者のあなたにお任せしましょう」
礼を言ったカインは即座にその場を辞すると後方に回り、遅れている箇所から順に正していく。
遅れが生じているのは隊列半ばに位置する貴族の乗る馬車と、積荷を載せた最後方の馬車だ。そこに挟まれる貴族の側仕えらを乗せた馬車も影響を受けているのだ。
一部の貴族は歳を取っている者もいるため、彼らには長時間馬車に乗っていることは随分と酷であろう。
今日でこそ閑散とする街道だが、普段は行商馬車はもちろん、畑の中を行く牛車なども利用するのだ。道端には名残の土塊などが落ちていることもままあり、それらは車輪に踏まれることにより馬車内に少なからずの振動をもたらすのだ。
しかし、これは政務の遠征であり、一部の不満によって遅延していいものではない。
選抜騎士は貴族出身が多いとはいえ、馬車に揺られるのは彼らよりも高位の貴族であることの方が多い。無茶を言われれば規律を乱すなとも言い難く、そうして生まれるのが隊列の乱れである。
そんな乱れをカインは騎士たちを叱咤し正していくものの、馬車の中からは不満とともに自身らの要求を優先させよと宣う者もいる。
彼らには大公の名を遠慮なく持ち出して黙らせていくのが一番効くのだと、カインは既に学んでいた。
渋面を隠すことも無く睨みつけてくる貴族らに、何食わぬ顔で協力感謝と笑んでみせれば相当に不快だったのか、内側の日除けを勢い良く締められた。
王城に勤める貴族にとって、最も恐れるべきは誰なのか。それを知らない貴族はこの国にはいないのだ。
カインの働きぶりに感謝を心の中で唱え、スクートは先導に集中していれば、誰かが右後方から近付いてくる音がした。
「失礼いたします、スクート様。第二班班長、ベルド・エイネカルでごさいます。クルムノクス大公閣下より言伝を預かってまいりました」
男の固い声は緊張と、今しがた受けたであろう恐怖を内包していた。若干青い顔をしながらも、声が震えぬように努める姿には忍耐力を感じさせる。
「――お聞かせください」
カインが離れたこのタイミングで言伝をさせるのだから、悪戯が過ぎるものだと嘆息を零したくなる。
「先導指揮をフィデティスに任せるようにと仰せです」
「理由はなにか、仰ってましたか?」
「いいえ、指揮権の委譲のみでございます」
スクートは胸中にやるせない気持ちが浮かぶが、振り切るようにして瞬きをする。そして振り返ることも無く伝言係のベルドに次の指示を出す。
カインを後方に送ったのを知った上での指示だろうと予測がついたスクートの脳裏に、少しも悪びれる様子のないジルの微笑みが浮かぶ。人の苦労も疲労も知らぬその大公に、スクートの制止が効くことは決してない。
「承知しました。ですが、先程カインには後方指揮に回って貰ったばかりなので、伝達するとともにあなたが後方指揮を変わっていただけますか?」
「承知いたしました。第二班はこれより後方へと回ります」
そう告げて下がる騎士は迅速に後方に回り、間もないうちにカインが先頭へと戻って来る。
振り返ったスクートに、騎士から仔細は聞かずに先頭に戻ったカインは、何事かとやや硬い表情をしていた。
「なにか問題でもありましたか?」
「いいえ、なにも問題はありませんよ。すみません、無駄な往復をさせてしまいましたね」
「あなたの命に従うのが俺の役目です。なにも無駄なことなどありませんよ」
カインは馬上でなかったら跪いているだろうが、目を細めて笑う姿にスクートはふっと思いがけずに小さな息を零す。
「......やはり取り次ぎはカインが良いですね」
自身が最も信頼し得る騎士に向けたぽそりと呟く声は、風に乗って誰に届くことも無く消えていった。
スクートは再度無表情に戻ると、持っていた国旗をカインへと預ける。
「私はジル様に呼ばれましたので、先導指揮をあなたに任せます。そう長くは掛からないと思いますが、お願いしますね」
「お任せください。ですが、なにかございましたらすぐにお呼びください。俺にとって最も優先すべきは貴女ですから」
カインが並ぶように馬をつけると、スクートがじっと見詰めて言う。
「――ええ、あなたも問題が生じたらすぐに呼ぶようにしてください」




