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「――珍しいこともあるものだね」


 大聖堂の中、少女は祈りを捧げていた。膝をつき、祈るべき対象のない祭壇へと両手の指を組んで目を閉じている。金色の緩くウェーブがかった髪が眩く、その背中はまさしく敬虔(けいけん)たる信徒のようだった。

 しかし、その声の主は彼女が祈りを捧げている様子を見たのはこれが一度や二度ではない。彼女のお務めがない日は必ず一日に一度はこうして祈りを捧げているのだから、見慣れている光景だ。

 彼女は(まぶた)を押し上げ、声の主の方へと振り向いた。

 金色の飴のような彼女の瞳は瞬きとともに、左目から一粒の涙を流す。


「ジル様、今日もいらっしゃったのですね」


 ジル、と少女に呼ばれた男は苦笑し、彼女へと歩み寄るとその頬に触れる。親指の先で目元に残る(わず)かな雫を拭っても、彼女は瞬き一つせずに感情の薄い表情でされるがままだ。

 人形のような美しい顔から手を離し、そして一度眉間に(しわ)を寄せる。


「あぁ、来たともさ。きみが正しく()るためには必要なことだからね」


 両手を広げ肩を上げて言えば、少女はそうですかと返すだけだ。


「それで、きみはどうして悲しんでいたのかな?」


 ジルの新芽のような色合いの瞳が、彼女の顔を覗き込む。影によってその瞳の色は髪と同じ深い緑色になり、そこに映る彼女の表情は一切の変化はない。

 彼女は答えようと口を開くも、涙を流していた事実に先ほど気付いたばかりだった。だからこそ、形容し難いその感情をどう表すべきか迷い、躊躇(ためら)ったままに視線を落とす。

 どうして、と彼の言葉を脳内で反芻(はんすう)する。

 けれど彼女は自身が涙を流した理由が見当たらず、ただ残る虚しさに明確な言葉を当て嵌めることが出来ない。

 ジルはそんな彼女の様子に、何かの答えを見出したようで、覗き込んでいたのをやめて顔を離す。

 それを追って顔を上げる少女は口を(つぐ)んだままだ。


「いいさ、聖女で在り続けるならなんだってね。きみには感情がないわけではないのだから、なにを悲しもうときみの自由だし、ましてやそれを説明する必要もない」


 聖女、と呼ばれた少女は唇の端を下げる。


 ジルはその僅かな変化にも問い(ただ)すことはなく、座り込む彼女へと手を差し出した。少女よりも一回り以上も大きなその手に、自身の手を重ねれば引き上げられる。

 ふわりと軽い体はジルに寄りかかることもなく、両足はしっかりと床を踏んで立ち上がる。


「――なにか、......思い出せないなにかを見ていたのかもしれません」


 ピクリと、ジルの指先が僅かに反応した。

 少女がジルを見上げると、彼は口元を緩ませていて、その先を期待しているようだった。

 けれど少女にとってはそのなにかをこれ以上表現するのは難しく、夢のようであったとも言えないのだ。あんなにも鮮烈な痛みと色を伴って襲って来た感情を、どうやって言葉にすればいいのかが分からないのだ。

 少女には感情がないわけではない。それはジルの言葉通りだ。だからといって、人と同じような変化が起きるわけではない。

 少女は聖女であり、聖女とは道具である。

 ジルに手を取られたまま、少女は考えていたが終わりを告げるように彼の背後で足音が鳴る。

 残念だと、表面上だけの惜しむ声を漏らすジルは少女の手を離し、そして(うやうや)しく頭を下げる。下げるべき相手ではないと、少女は何度彼に言っても彼はわざとらしく、演技のように大仰(おおぎょう)に彼女に頭を下げるのだ。


「時間が来たようだね。きみを見送るのもまた許してくれるだろうか」


「ジル様が私に許しを乞う必要はありません。私はあなたを許すほど、あなたに害されたことはありませんから」


「ああ、そうかもしれないね」


 彼の表情は曇ったが、彼の微笑みはすぐに戻った。

 ジルの横を通り抜けると、彼は後ろについたまま二人で大きな扉を出る。

 大聖堂を出れば朝日が登り始める頃で、眩い太陽の光に目が眩みそうになる。少女はそう思いながらも目を細めることもせず、自身の前に立つ甲冑姿(かっちゅうすがた)の騎士を見上げた。

 この国の騎士である彼は少女の直属の部下だ。

 この国――マクァラトル王国は聖女が騎士を率いて騎士団を構成している。この王国において軍と呼べるようなものはこの騎士団しか所有しておらず、少女はその頂点である聖女だ。

 1200年前、帝国が分裂(ぶんれつ)した際に行われた大戦を聖戦(せいせん)と呼ぶ。それは長きに渡る戦いだったが、聖女が終わらせたとされている。そしてその聖戦が終わって以降も、一定の周期ごとに聖女と呼ばれる者たちが生まれてくる。

 常人とはかけ離れた身体能力や耐久力、回復力を有する彼女たちは(まご)うことなき聖女であった。彼女たちは国の盾として管理され、生まれてからずっと盾になるために教育される。

 マクァラトル王国は海を背にするようなかたちになっており、正面には巨大な荒野と森が広がっている。

 その森には魔物が住んでおり、度々餌を求めたそれらは人間の多く住む国土を踏み荒らす。

 魔物たちから民草(たみくさ)安寧(あんねい)を守るため、聖女は討伐へと赴くのだ。弱冠16歳の少女が騎士たちの先導を切って魔物を蹴散らし、蹂躙(じゅうりん)する様はあまりにも苛烈であった。

 訓練を積み重ね、魔術による強化を受けた屈強な騎士が苦戦するような魔物を相手にしても、聖女にとっては容易(たやす)(ほふ)る存在だ。例え身を削られようとも痛覚がないかのように怯むことなく、食らいついたその顎を逆に引きちぎる姿は騎士にとっては言葉も出なかった。

 とはいえ、魔物を相手取るのは聖女の本来の役割ではない。

 聖女が本来正しく盾となるのは、荒野と森を挟んだ向こうの国――ハルバート神聖国に対してである。

 かつての帝国の片割れである神聖国とは、長い間戦争を続けており、荒野にはその跡が幾つも残っていた。小さな小競り合いは数え切れなく、大戦にも近い規模の戦争が起こったのは800年前のこと。

 聖女は神聖国の侵略を阻む国の盾なのだ。


「クルムノクス大公閣下、聖女様、ご歓談中のところ申し訳ございません」


 彼は戦場で聖女の護衛騎士を務めており、普段はこういった聖女関連の伝令も彼に一任されている。

 今代の聖女と一番付き合いが長い騎士といっても良いだろう。

 ジルは片手を上げ、続きを促すと敬礼したまま口を開く。


「国王陛下から聖女様への王命です。大森林から北上した魔物6体が国土を荒らしているとのことで、その討伐要請が地方貴族より上がりました。これを受理し、速やかに対処せよと」


 聖女は昨夜のことを思い出す。

 王城に務める貴族たちが遅くまで会議していた結論が出たようで、優先順位が決まったのだろうと瞬きする。

 聖女は盾であるが、その体は国を守るにはあまりにも小さい。届く手の範囲はどうしても限られるし、駆け付ける速度にもまた限界がある。

 地方にも国から騎士が派遣されているが、それでも多くの犠牲を払ってなんとか持ち堪えているだけだ。聖女が行けばほんの僅かな犠牲で済むものを、多くの命が失われていくのには少なからず歯がゆさがある。

 聖女はこの国で管理されるものであり、王の所有物だ。王城から長期的に離れるのは神聖国との戦争の時くらいで、魔物討伐のために長く王城を空けたことはない。


「謹んで拝命いたします。カイン、(ただ)ちに小隊の編成をしてください」


 カインと呼ばれた騎士は返事をすると颯爽(さっそう)と騎士団宿舎へと駆けて行き、その背を見送る。

 彼女の率いる騎士団は精鋭揃いであり、ましてや王都に残るのはさらにその中でも優れた騎士揃いだ。ある程度の魔物であれば小隊くらいで対処可能であり、聖女も共に行くのであれば本来はもっと少数で事足りるであろう。

 しかし、最低限小隊規模で動くべきだと進言したのはあのカインである。聖女である少女はそうですかとだけ返し、それを了承してからというもの、こういった時は小隊を編成してその任務に当たっている。


「聖女様は大変だな」


 ジルは少女の顔を後ろから覗き込む。

 整った顔立ちは彼女が自我を覚えてからもずっと老いることなく、カインたちに聞いても昔から姿が変わらないという。魔術によるものなのか、その真相を知るものは誰もいないという。


「いいえ、大公閣下の方が色々とご苦労されているとお聞きいたします。私は国政などに関わることも無く、日々剣を振るってこの身を盾にするだけ。ただそれだけです」


「ははっ、そうだね。そういうことになるね。うーん、言い方を間違えたな。きみは大変じゃないかもしれないけれど、客観的に見たら大変なことをしているね。押し付けたのは僕だけれど、身を粉にしているところを見るとやっぱり涙くらい出そうになるな」


 ジルは嘘泣きまでしているが、少女は淡々とした口調で背を向ける。


「粉になるほど私の身はヤワではありませんから」


「まったく、きみは比喩も通じないとはね。はぁ、僕のきみに対する心配まで無碍(むげ)にされてはもっと悲しくなってしまうじゃないか」


 少女はその言葉を聞き流しながらさくさくと歩いて行く。

 彼は――ジル・アルクスは、クルムノクス大公であり、このように無視して良いほどの地位にある者ではない。他の人間であれば不敬とされ、その罪を問われることもあるだろう。

 だが彼女は聖女であり、その大公の地位にも並ぶ特別な存在だ。

 彼女としては最低限の敬いはあれど、彼を特別視する理由にはならない。彼女へ罪を問えるのは自身の所有者である国王だけであるからだ。

 彼女は聖女のために建てられた宮に戻ると、その後ろを当然のようにジルはついてくる。

 今に始まったことではない上に、一介のメイドや執事などの侍従が彼に口を出すことも出来ない。誰もなにも言わないその状態で、ジルは聖女のあとを続く。


「ジル様は、お暇なのですか」


 一度だけ尋ねたことがあった。

 毎度祈りの最中に来ては宮に戻り、騎士を率いて城門を出るまでついて回る彼にそう尋ねたのだ。

 だが返ってきたのは、後見人が様子を見に来るのがそんなにおかしなことなのかという、質問返しだった。

 彼は聖女の後見人だ。だからおかしいのかと聞かれても、おかしくはないかもしれないと思ってしまってからはなにも言えなくなってしまった。

 聖女の身支度はメイドたちによって行われる。これまで着ていてた簡素な服を脱ぎ、ぴったりと体に密着する下着を付けてから戦装束(いくさしょうぞく)で身を包んでいく。盾と称される聖女の戦装束は防御力よりも身軽さに重点を置いている節があり、肉体の損傷に伴って損なわれた箇所は何度も直されている。

 髪を結い上げれば、いつも無表情なその顔に少なからずの意志が宿った。

 その最中、当然のごとくジルは同席したままであったし、取り留めのない話を何度も少女へと投げ続ける。

 メイドたちにしてみれば、女性の着替えを婚約者でもない後見人であるがだけの男性が見ていることに、異常だと思っていても口に出せば首が飛ぶ。これがここでは普通なのだと思ってしまえば違和感も不快感も、ジルの端正な顔立ちに微笑まれると忘れてしまうものだ。


「そうだ、以前壊したこれを渡しておこう」


 彼は聖女の身支度が終わると懐からあるものを取り出す。

 それは一見すると単なるネックレスにしか見えず、中央にある赤い宝石が窓から差し込む陽光に煌めいた。


「大丈夫、これもまた魔術師要らずの自律型だよ」


 この世には魔術師と呼ばれる者たちがいる。彼らは大気中にある魔素を取り込み、自身の体を媒介として魔術を行使する者たちだ。魔術行使のプロセスはもっと複雑な過程があるのだが、それは割愛しておくとする。

 聖女はネックレスを見詰めると彼に背を向ける。

 聖女は魔術を行使できない。魔素を取り込むことが出来ないからだ。

 無理矢理にでも取り込もうとすればそれは体内に毒を取り込むことと同義で、例え毒に耐性があろうとも決して単純に解毒することができるわけではない。

 焼けるような痛みと苦しみが身を裂き、耐えきれずに崩壊してしまうだろうというのがジルの話だ。

 高い身体能力や耐性、回復力を持っていたとしても、魔術師の真似事は出来ないということ。

 ネックレスの赤い宝石は小さいが、魔術の込められた魔道具だ。本来魔道具は魔術師が魔力を通すことで起動するが、優れた魔術師が術を施した魔道具は起動に魔力を要することなく機能する。

 ジルはそう、優れた魔術師なのだ。

 彼は聖女の首にネックレスをかけると、向き直させてから宝石に指先を触れる。そしてその手が離れると僅かな温もりをもった宝石だが、徐々にその熱は消えていく。


「感謝します、大公閣下」


「いいや、これもまた後見人としての務めだよ。聖女様」


 見上げた彼の目は至極当然だと語っており、聖女もまたその感謝をもって当然のように敬礼をする。


「きみがたかが魔物如きに殺されやしないだろうが、それでも言っておこう。無事を祈っていようとね」


 メイドたちが主人が戦いへと赴くことへ、頭を下げて見送る中、ジルは朗らかにその背へと送る。

 結い上げた金色の髪は靡くことはなく、振り向く彼女の瞳は凪いだまま。


「きっと、その祈りは私が正しく受け取ることでしょう」

続きが読みたいと少しでも思っていただけましたら、評価や感想、ブクマ等をしていただけると励みになります。


まだまだ拙い作品ではありますが、よろしくお願いいたします。

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