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首都に戻ると、スクートは直ぐにジルに呼び出されることになった。
王城の廊下ですれ違う人々は皆スクートが視界に入ると端に寄り、頭を下げて通り過ぎるのを待つ。執事やメイド、登城していた貴族も同じだ。
傍らにはカインが追従しており、貴族たちはカインに向けて含みのある視線を向けていた。だがカインはそれを意に介することなくスクートの後ろを歩くだけで、特に話し掛けられるということもない。
王城は王女の生誕祭に向けても忙しいらしく、普段よりも慌ただしさが垣間見えていた。
「少し、休まれてからの方が良かったのではないでしょうか」
カインはスクートの背に話し掛ける。
渡り廊下に出てしまえば人気は途絶え、だからこそようやくここでカインは口を開いた。
「道具に休息は不要です。カインは人間なのだから、私のことを気にすることなく休息をとっていただいても構いませんよ」
「いいえ、俺はスクート様の護衛騎士です。スクート様が行かれる先もまた俺の行く先。お傍にいてこそ守れるのですから、どうかそのようなことはおっしゃらないでください」
「魔物であればいざ知らず、ここは王城なのですから、そこまで気を張る必要はありませんよ」
「魔物であればまだ良かったと、思えてなりませんよ」
硬く、いやに強ばった声色だ。それでいて心の底からそう思っているのだろうから、スクートは振り返る。
面持ちもまた強ばったものであり、眉間には皺まで寄っている。何かしらの不満を胸に抱えたまま、それを口に出来ないもどかしさが滲み出ている。
表情に気を付けなければいけない場所にいるというのに、スクートしか見ていないからと気を抜いているのか。抜けているというにはあまりにも硬い表情に、スクートは目を合わせる。
金色の瞳がカインに捉えられると、たちまちカインは眉を八の字にして失言を詫びた。
「カイン、あなたはもう戻ってください」
「なりません。俺はあなたを守ることが仕事です」
「私を脅かすものなどここにはありませんよ。あるのはただ、私を好きに使えるものだけです。私は道具、使用者を選ぶ立場にありません」
口を開き、堪えるように言葉を呑み込む。
カインは苦虫を噛み潰したような顔のまま、恭しくゆっくりと頭を下げる。
カインは自身の気持ちを優先し続けることは出来ない。そうなれば最早カインは護衛騎士ではなくなる。
あくまでも自身の職分を、自身の分を忘れてはならないのだ。
「あなたは少し、心配性のようですね」
カインの頭に乗せられた手がいつもより小さく感じられ、瞑目して答える。
「忠実であるだけですよ」
スクートはカインを残し、金糸の髪を煌めかせて行ってしまう。その背が角を曲がり消えるまで、カインは頭を上げずにいた。
スクートは階段を上がり、その扉の前に立つ。王城内の奥まった位置に存在するその部屋の扉は重厚で、宝物庫ではないだろうかと言うほどに厳重な造りをしていた。
スクートはその場に立ったまま扉に触れると、それだけで扉は勝手に開いた。もちろんスクートは押してもいなければ引いてもおらず、かといって何かしらの装置を起動させたということもない。
中には深い緑の髪をした男がおり、優雅に足を組んでスクートの来訪を待っていた。新芽の柔らかさのある瞳は細められ、スクートは彼の前に歩み寄る。
椅子に座る彼の前に座り、両手を胸の前で組んで口を開いた。
「ただいま戻りました、ジル様」
ジルはスクートの頬に手を添えると、親指で優しく撫ぜる。
「きみの無事の帰還を、僕は嬉しく思うよ」
離されたところに熱は残ってはいない。
スクートはジルを見上げたまま、彼の言葉を待ち続ける。
「いいよ、聞かせてご覧。きみの言葉を聞いてあげないほど、僕は狭量ではないのだからね」
「――このように、突然呼び戻した理由をお聞かせいただきたいのです」
新芽の瞳がスクートを覗き込む。
ただ見詰められている。それだけで体から力が抜け、すべてを捧げたくなるような目だ。これが常人ならばそう思っていただろうし、スクートも例外なくそう感じる。
だがスクートは常人ではないし、聖女であり道具である。感じることはあっても、実際にはなんとも思っていない。
金色の瞳でもって見詰め返し、じっと待つだけ。
ジルはその様子に顔を離すと、顎に手をやってから口を開いた。
「残念だけれど、僕はきみに答えをあげない。きみが従順であったのならその限りではなかったけれど、きみはそうではなかったのだからこれはそうだね、罰ということにしよう」
罰とは一体なんのことだと考えて、考えるまでもなく思い至る。
スクートは表情を変えないままで、ジルは笑いを堪えるような仕草を見せる。彼の座る椅子の背もたれには小さな白い鳥がおり、時折首を傾げながらスクートをじっと見ていた。
「きみが口にすべきことは他にあるだろう?」
柔和な態度とは裏腹に、有無を言わさぬ声色だ。
眇める瞳は色を失い、空気は一段と重くなったように感じられた。表情と醸す雰囲気の相違は不快にさせるものがあり、スクートは顔をしかめたくなる。
彼が聞きたいのは森でのことであり、聞きたいとは言え知っているのだろうから余計に口を噤む。スクートとて意地でそう思っているわけではなく、何故かどうしても、ジルに対してあの男のことを報告するのは憚られるのだ。
従順でないその迷いに、ジルは組んでいた足を逆に組み直し、再度促すようにスクートの顎へと手を伸ばす。
「僕は我慢強くはないんだよ。耐えることは出来ないし、待つことも出来ない。だからといって、僕は怒りたいわけではないんだよ」
「......フレズベルクを一体、森に帰しました」
スクートはようやく固く閉ざしていた口を割った。
これもまた間違いではなく、けれど彼の求めるものではない。そう分かっていながら、あえて分からないフリをする。
そんなフリが、フリとして見破られるのに時間など要らない。口にした直後から暴かれているものであり、暴かれたからといって嘘も言っていないのだから彼は咎めることもしない。
スクートは前置きをしたに過ぎないのだ。
「うん? あぁ、うん、そうだった。それで? 魔物を多く殺しても、少なく殺しても、僕は別になんだって構わないよ。アレらがどうなろうと、僕はアレらを所有しているわけではないからね」
「ご理解に感謝をいたします」
「理解はしていないよ、僕に理解を求めないでくれ。僕の気持ちをきみが理解しないのと同様に、僕は人間の気持ちを理解しないから」
にべもなく返される言葉に、スクートは目を細める。
気持ちなどと曖昧な表現をするところ、ジルは嫌味を含ませていたらしいが、スクートはそれに意味は無いと一つ息を吐く。
そして腹を括れば存外にすんなりと口にしてしまう。
「男を――大森林で見知らぬ男と遭遇しました」
ジルは微笑みを崩さず、続けるようにと頷いた。
「私よりも遥かに強大な力を有していると、断言出来るでしょう。私はあの男に、手も足も出ませんでした」
「手も足も出ていたら、それはそれで面白いだろうけれど」
「彼は私のことを知人と勘違いしているようでした。訂正はしたのですが聞き入れて貰えず、彼の力の一端を垣間見て応戦しましたが、意識を戻した時には私は森の外にいたので、そのまま国に戻りました」
放置してきたというよりも、おめおめと逃げ戻った。放置されたのはスクートであるのだが、改めて森に入らなかったのはむざむざ死にに戻ることを避けた結果だ。
ジルはふと何かを考えるように目を細め、スクートに手を伸ばす。首筋に触れて掛けられているネックレスを指にかけると、深紅の宝石が嵌められたそれが顔を出す。
ぷつりとした音ともに引き抜かれると、彼は宝石を目の前に笑みを落とす。
「“コルディス”――その男はそう呼ばなかったかな?」
スクートは思わず驚いた。微細な変化だが、それでも常より目を丸くしたその機微をジルは見逃さない。
なぜ、と問うよりも先にジルは深紅の宝石を握り潰し、開かれた手からぱらぱらと粉々になった破片が落ちていく。その行動は男と同じもので、スクートは訝しげな瞳を向ける。
「なにか、言っていたと思うけれど」
「......“探し求めていた”と。“心臓”であり、“欠片”でもあるとも言っていました。そして私の意識を刈り取る際に、“フステラにこれまでの代価を払ってもらう”とも」
スクートは男を思い出す。
涙を流しながら、ようやく出会えたとばかりに笑んだ男の顔を。激情に染まる深紅の瞳を。
ジルはスクートの言葉に笑いを漏らし、声を上げてまで笑い続ける。なにが彼の琴線に触れたのか、触れているのは気の方であるのかと視線を逸らさないでいれば、ジルは未だにおかしいと肩を震わせながらスクートを見た。
「ははっ、それで逃がしただって? 欠片とはいえ奪うことも出来ただろうに。代価代価代価代価、――ねぇ? そんなものを僕が払うと思っているのも可笑しいし、払わせられると本気で思っているのなら滑稽だな」
いつもとは違う、薄ら寒い笑みではなく、狂気を孕んでいるような笑みだ。
「僕の“背骨”を取り上げたくせに、よくもまぁ言えたものだよね。偶然でも必然でも構わないけれど、引き合うというのは本当に面倒なものだよ」
ジルはスクートに立つように言い、それに大人しく従う。
伸ばされた彼の手はスクートの体に触れるとずぷりと、まるで液体のようにその体に沈み込む。
「ふっ......うぁ......」
内側をなぞられ、不快感に眉を顰める。
けれどジルの手は尚も体内で蠢き、探るような手つきはわざとらしくも大きく動き回る。
異物感を吐き出そうとも、口から漏れるのは呻き声と吐息だけ。足が震えてバランスを崩すと、ジルの手がスクートを引き寄せ彼の上へともたれかかる。
覆い被さるような体制になり、気力だけで背もたれに手を当てて踏ん張っても力が入り切らず、さらに体内で蠢く手がある箇所を撫でると体が跳ね上がる。
力が抜けてしなだれ掛かるスクートの体を空いた手で抱き寄せ、ジルは耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「きみは聖女であるはずだろう?」
ぞわぞわと肌が粟立つ。
痛みでもなければ快感でもない。不快さだけがスクートを支配しており、満足に返事もできない状態で、息をするのが精一杯である。
心臓を、撫でられている。
ジルの長い指先が、スクートの心臓を壊れないようにと優しく撫でる。そんなものを想像してしまい、スクートは本能的に離れようとするが、ジルの腕がそれを許さない。
男女の差というものではなく、これはもっと単純な力量の差だ。ましてやスクートは文字通り、“命を握られている”状態である。
苦しげな吐息がジルに掛かり、逃れたいとばかりに離れようとする体をより強く引き寄せる。
「きみを所有するのは誰だか、今一度思い出せ」
ジルはスクートの体に、体内に直接魔力を流し込む。
全身を駆け巡る痛みにスクートは震え、口から漏れるのは少しでも痛みを紛らわせようと悲鳴にも満たない声だ。
スクートの髪を結っていた留め具が外れ、金糸の髪がふわりと広がる。それは頭頂部から白銀へと染まったかと思えば、それを上塗りするかのように深緑が滲み出す。
体内で暴れ狂うジルの魔力が、森で植え付けられた男の魔力を食い荒らす。それを知るのはジルだけであり、スクートはわけも分からず与えられる罰に身をよじる。
小さな体が意識を失いジルに寄りかかると、ようやく魔力を流し込むのを止めた。これまで煌めいていた新芽の瞳を伏せ、スクートの体内に差し込んでいた手を引き抜く。
その手には小さな丸い深紅の宝石が握られており、それをじっと見詰めたジルは口に放り込む。
ガリッと音がし、ジルの口内で咀嚼されたそれはスクートの記憶である。ジルはスクートから男に関する記憶を引き抜いたのだ。
ごくりと呑み込んだものの、その不味さにジルは眉を顰めて横に寝かせたスクートを見た。
その髪は既に金色に戻っており、穏やかに眠る頬には一筋の涙が伝っていた。激痛に思わず流れていたのであろうそれを指先で掬うと、ジルは舌先で舐めとってから口角を上げる。
「思い出す度に忘れ、忘れる度に思い出す。僕たちにとって、これほど辛いことはないだろうね」
ジルのそんな呟きを聞くのは、彼の肩に飛び乗ったラドリオンだけであった。




