幸せな時間
(少し太ってしまっまかもしれないわ。)
セドリックの執務室の隣にある応接室で、シャーロットはティアと共にセドリックが訪れるのを待っていた。テーブルの上には、セドリックが好きだと言っていたアップルパイの入ったバスケットが置いてある。
これは、シャーロットが1週間前から練習を積みかせて、屋敷の料理長たちに盛大に迷惑をかけながらシャーロットが仕上げたものである。シャーロットは、御三家の公爵令嬢であるだめ、少し前まで料理などは全くしたことがなかった。近代の貴族社会では、女性が夫や婚約者に特別な日などに料理をするのが人気になりつつある。そのため、少しずつ練習を重ねきたが、アップルパイはシャーロットにはレベルが高かったようだ。その結果、1週間でシャーロットが作り上げたアップルパイの数は、もはや数えきれない。作るたびにアップルパイを食べてきたシャーロットは、コルセットをつけて着るドレスがキツくなってしまっている。
(当分甘いものも禁止ですし、運動もしなければならないわ。本当に美味しくできたのかしら?食べ過ぎて分からなくなってしまったし、料理長たちも少しお世辞で美味しいと言ってくれたのかもしれないわ。それに、セドリック殿下はこの国の王子様なのよ。どんなに優しい方だったとしても、自然と舌が肥えられているわ。)
突然心配になってきたシャーロットは、アップルパイの入ったバスケットをガン見したまま動かなくなった。そんなシャーロットの耳に扉をノックする音が聞こえてきて、シャーロットが振り返るのとセドリックが室内に入ってくるのは同時だった。
「すまない。今回は長く待たせってしまった。」
しょんぼりという効果音が聞こえてきそうなセドリックの姿に、シャーロットはただただ可愛いという感想を抱きながら、気にしないでほしいという言葉をいくつも伝えて、セドリックを席に促した。
セドリックが座ったのを見計らってティアが、アップルパイをテーブルにセッティングした。
「これはアップルパイか?」
「はい。」
「美味しそうだ。有名な店のものか何かか?」
「えーと。」
「シャロが使ったやつだろう?」
セドリックに直接聞かれたことで、急に恥ずかしくなったシャーロットは、言葉に詰まってしまった。そんなシャーロットに呆れながら、グレンが当たり前のように暴露した。
「シャーロット嬢が作ったのか?」
「そうだと思います。フローレンス家の厨房から、1週間ほど、アップルパイの匂いで充満していましたから。」
「そ、そうなのか?」
「ええ。セドリック殿下の口に合うかは分かりませんけれど。」
「安心してください。一応さっき毒見もしておきましたから。」
「シャーロット嬢が作ったものまで…」
「シャロが毒を入れなくても、婚約者が作ったものに入れようとする者はいます。分かっていますね?」
「分かっておる。しかし、美味しそうだな。」
「あまり、期待しないでくださいね。」
「うむ。いただきます。」
シャーロットが作ったと聞いたセドリックは、目を輝かせながら、美しい所作でパイにフォークを入れて口に運んだ。その様子を、見たいような見たくないようなという気持ちを感じながら、シャーロットはチラチラと見ていた。
「美味しいである!」
「本当ですか?」
「料理長たちが作るものとは違って、なんだか優しい味がするである!」
「セドリック殿下にお気に召して頂いて、私も嬉しいですわ。」
「何個でも食べられるである。」
「セドリック殿下のために作ったんですもの。いくらでも食べてくださいね。」
「ありがとうである!何かお礼がしたいであるな。」
首を傾けながら、そう言ったセドリックはなんだか幼く見えた。口調が昔に戻っているだけでなく、パイに目を輝かせ、口一杯に頬張る姿は幼い。なんだか微笑ましい気持ちでセドリックの姿をシャーロットは眺めていた。
「シャーロット嬢は、何か欲しい物やして欲しいことはあるであるか?」
「え?」
「なんでもいいである!私に出来る範囲にはなってしまうであるが…。」
セドリックの言葉にシャーロットはしばし考えた。
(お父様に頼んでも難しいもので欲しい物はないわね。そうなると、セドリック殿下にして欲しいことの方がいいわ。手は前に何故か繋いでもらったから、ハグあたりかしら?口付けはまだ早いわ…ね?いや、ハグも早いかしら。それに一過性のものを頼むのはなんだか勿体ないわ。セドリック殿下からこんな風に言ってもらえる日は多くないだろうし。)
うーん、とさらに首を傾げながらシャーロットはあーでもない、こーでもないと考えた。
「シャロ。そんなに悩まなくてもいいだろう?将来は結婚するんだし、何度もチャンスはあるさ。」
「それだわ!」
グレンの言葉を聞いたシャーロットは、思いっきり顔を上げて声を上げた。
「なんだ?」
「何か思いついたであるか?」
「はい!」
「なんでも言うといいである。」
シャーロットは先程のグレンを思い出して、真剣な表情で口を開いた。
「愛称で呼び合いたいですわ。」
「あ、愛称?」
「そうですわ!私のことはシャロもしくはシャルとお呼びください。」
「だが…」
「なんでも良いと、先ほどセドリック殿下が言ったではないですか。」
「言った。言ったである。」
「セドリック殿下の愛称は確か…。」
「セディですね。」「セディだな。」
「昔、一度呼んだことがあったが、恥ずかしがって2度と呼ばせてはくれなかった。」
「あれは悲しかったですね。」
シャーロットがセドリックの愛称を口にしようとした瞬間に、食い気味に側近2人が答えた。
「そうなのですか?」
「王妃様ですら呼んでないからな。側近に呼ばれのは恥ずかしかったんだろう。」
「しかし、私たちと違いシャーロット嬢は婚約者なので、問題ないどころか、愛称で呼び合うのは普通かもしれないですね。」
「そうですわよね!セドリック殿下ぜひお願いしますわ。」
「えーと。そうであるな。だがな。」
「お願いしますわ、セディ」
「ぬあ」
どさくさに紛れてシャーロットがセドリックの愛称を呼ぶと、セドリックはずっと赤みがかっていた頬を、耳まで真っ赤に染めた。
「愛称で呼ばれるのは嫌ですか?」
「そ、そ、そんなことないである。少し照れ臭いだけである。」
「嬉しいですわ。ぜひ私のことも呼んでくださいませ。」
「シャ、シャ、シャ………ロ」
「セディ?」
「シャ…ロ」
「もう一度お願いしますわ。」
「え?」
「セディ?」
「シャロ」
「ふふ。照れ臭いですわね。」
「うむ…」
セドリックにつられてシャーロットも頬を赤く染めながら、それでも幸せを噛みしめるようにセドリックを見つめた。
「よかったなシャロ」
「よかったですね殿下」
側近2人に見守られながら、シャーロットはセドリックと一歩前に進めたことを喜んだ。
「これから、愛称で呼んでくださいませ。」
「頑張るである。」
久々の平和なお茶会に、シャーロットは幸せを感じた。帰りの馬車では、淑女としてはよくない緩んだ顔で窓の外をシャーロットは見ていたが、それを知っているのは侍女のティアだけなのでご愛嬌だ。




