土下座物語
「親父、頼みがある」
男は部屋に入るなりそう言った。
老人は飲んでいたコップ置き、男の方へ体を向ける。
「久しぶりじゃないか、どうした。
頼みってなんだ」
「俺と一緒に来て、土下座してほしい」
「えっ? 何言い出すんだ突然。
わかるように話せ」
「だから、結婚の許しを請うため相手の親に会うんだが
俺一人じゃ説得力に欠けるから一緒に土下座してほしいんだ」
「結婚? おまえもう60だろ。
今更結婚するのか?」
「する。そういう女性に初めて出会ったんだ」
「相手は50か若くて40だろ?
相手の親の承諾まで必要って年でもないだろ」
「20歳なんだ」
「は?」
「20歳」
「正気か? おまえそりゃわしでも反対するわ。
親からしたら介護要員にしか見えんぞ。
おまえが70で30、80でもまだ40だぞ。
うまくいくはずがない」
「うまくいくとは思ってない。
俺は彼女を独占したくなったんだ、生まれて初めて!
彼女を初めて見たとき、彼女の周りだけフルカラーに見えた。
それで気づいたんだ、俺が今まで灰色の世界で生きていたことに。
衝撃だった。
しかもその時、俺は国士無双を天保であがった。
女神だと思った。
それから慎重に距離をつめていって口説いた。
20歳になって性的関係をもってお互いの結婚の意志を確認した。
彼女の人生の10%でもかまわない。
彼女の人生の、若くて、ピチピチした、一番いいところを独占するのは俺だと!
世界中に宣言したいんだ!」
「わ、わかった。
そこまで言うなら土下座してやる。
まかせろ」
そういって老人はクローゼットからスーツを取り出した。
「これは一張羅だ。
30年前につくったものだがオーダーメイドだ。
生地も仕立てもいいからまだ着れる。
死に装束にしようと思ってとっておいたんだが、
土下座するならこれを着ていこう。
ちょっと手伝え」
男は神妙な顔つきで老人にスーツを着せ、ネクタイを締めてやった。
「年取るとネクタイも自分で締めれなくなるとはな。
まあ、この年で土下座することになるとも思わなかったが。
さあ行こう。どこだ? 絶対話をまとめてやる」
「あ、その前に親父、正しい土下座の仕方って知ってるか?」
「正しい土下座? 頭を下げるだけじゃだめなのか」
「ちょっと待て。今動画を探す」
「またゆーちゅーぶとか言うやつか。
ほんとうになんでもあるな」
「あった。えーと、男性の場合
よつんばいになり」
「こ、こうか?」
「両手は肩幅より広く、まず威厳を感じさせるように」
「こうか?」
「それから勢いよく地面に額を打ちつけセリフを発する」
「息子の結婚を許してやってくれ!
どうしてもお嬢さんじゃないとだめなんだ!
たのむ! このとおりだ!」
老人は床に何度も額を打ち付け、真摯さが伝わってくる。
「そのギャップさに萌える」
「もえる? それほんとうに正しいのか?」
男は堪えきれないように吹きだした。
「今日、お袋が死んだんだ。
法的に他人だし知らせる義務はないんだが、
お袋の最後の言葉が
『あのクソが土下座する姿が見たかった……』だったから」
「えっ? どういうことだ?」
「親父の土下座する動画を、お袋の墓前に供えようと思ってな。
策を弄じたんだよ」
「えっ? じゃあ……結婚は嘘か?」
「俺は親父にそっくりで、女を幸せにする男じゃない。
一生独身の宿命だ。
だが夫婦の絆は偽りでも、息子への愛情は本物だったんだな。
ちょっと感動したよ。
死んだらそのスーツを着せてやる。安心しな」
書いてはみたものの、絶対昔のショートショート発掘すればあるよねって話になってしまいました。
今も昔も結婚するとき、結婚したさのあまり親に土下座させる人はいるようです。
おそらく末っ子が多いのではと想像します。
その素直さやわがままさが羨ましくもあり、私もあのとき親に土下座させていれば……などと複雑な感情を抱き、60の男だったら親に頼めたかもしれないというところから発想した話です。